モーツァルトとハイドンはどっちが凄い
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タイトルでわかるとおりクソスレなんだけど、時折真面目な議論も混じる
でも基本はクソスレ←現状ココ🆕❕ モーツァルトはいい曲だなぁと思う作品がたくさんあるが
ハイドンはいい曲だなぁと思う作品が全然ない
比べるとか論外 >>751
少し単純かつ大げさな言い方をすると、
ハイドンとモーツァルトは音楽の「美学」あるいは「文法」が正反対と言えるほどに違う
ハイドンが使う旋律はきわめて単純、それをどう展開して組み立てるかが
ハイドンの音楽の要点、その意味でバッハに似ている(例えば「平均律」など)
モーツァルトは旋律が鮮烈かつ耳に残りやすい、
ただし展開は苦手、その意味でロマン派や現代のポップスにつながっている >>755
「ハイドンセット」のどれでも第1楽章展開部を聴いてみれば自明だろう
第1主題あるいは第2主題またはそれらの組み合わせを使って展開し始めるが、
すぐに飽きて、またはやり方がわからなくなって適当にお茶を濁してしまう
笑っちゃうほど下手、ハイドンの最初からオチを考えてありピタリと決まる展開部と対照的
もう1つはフガートのまずさだね、モーツァルトK387終楽章とハイドンop. 50-4終楽章を比較すればわかる
「ジュピター」終楽章もただ楽器を変えてるだけで非常に下手
ただし、そんなモーツァルトも変奏曲形式は悪くない >>756
モーツァルトの変奏曲って、だらだらと似たような変奏を続けて、しかも演奏時間が長い曲が多いってマイナスイメージがある。
特にピアノの変奏曲。
ただ、トルコ行進曲の第一楽章だけは例外的に良い。これは本当にモーツァルトが作曲したのかと疑った。 ご立派な作曲技法満載の曲が多くの人に親しまれているとは限らないからなw >>754
大袈裟でなく大雑把にその通りなんでない?
>旋律が鮮烈かつ耳に残りやすい
のは『末っ子』バッハを介しての
子供時分のイタリアオペラとの出会いだろう。
いっぽうハイドンはバロック時代の対位法やバッハの『次男』cpeの楽譜などで
作曲を独学し、さらに辺境地で独自の創作。
同時代とは言え世代の差がかなり大きく出ている
この音楽史から見るとわずかな差の開きが
プロの音楽家でもわかってる人とわかってない人がいる!
そろそろ、かつてはいたがもういないにしてほしい。 >>758
ほとんどの人がキラーチューンを求めてるということだね
例えば「カノンとジーグ」をカノンは知っていても
後半のジーグを含めて他のパッチベルwの作品を好きな人は
はたしてどのくらいいるのかという。 単純な比較はできないという事だし
比較の対象も結論もおかしいままどちらがスゴイとか笑える
特にハイドン推しとかアンチモーツァルト やっぱりモーツァルトの真骨頂はオペラ、特にアリアだと思う
あの旋律の良さが器楽曲の緩徐楽章やピアノ協奏曲に流れ込んでいる
ハイドンの終楽章にはすばらしい対位法がある
たとえば交響曲第99番変ホ長調の終楽章
この複雑さは本当にすごい、モーツァルトは逆立ちしてもかなわないだろうねw モツみたいな単純な曲というかメロディだけで
作曲家の良し悪しを判断してるほうがお笑いだろ 音楽の三要素というのがあって
人によって重点は違うよ。
とはいっても、ほとんどの人はメロディだろうが。
俺はクラシック聴く人としては変わり者なんだろリズム命w ハイドンのフーガを援用した壮大なフィナーレを持つ交響曲ってどれだったっけ >>761
モツもハイドンも両方聴いたうえで好きとか嫌いって普通だと思うが
モツ以外は駄曲とかいってる方が妄信なだけなんじゃねえの >>765
和声だの対位法なのは言わば技巧で
学んだり習熟するなりで上手くなるが
メロディだけは努力ではどうにもならんからな そもそもモーツァルトのメロディってそんなにいいか?
木管が奏でるメロディにはセンスを感じられるが、他は特筆する程でも… >>769
和声は技巧というより
主調がキャラクターを意味する時代やからな。 モーツァルトの旋律は、墺伊仏のハイブリッドなんだよね
独特の味わいがあると思う メロディというのは誰もが口遊めるもので
讃美歌や古謡などがそれだが
おそらくバロックから古典派までは
そういうった流行歌のような節を作曲するだけが主題ではなく
主題を変奏させたり展開してなんぼだったのでは。
だからモツはそのハードルを良くも悪くもググっと下げたんでないかと メロディだけて、おおっ?と思ったのはモンテヴェルディ。
後はヘンデルのオペラアリア。
メロディだけで言えばバロックで既に頂点に達していると思う。
私も三要素の中ではリズム重視かな。 >>775
そうは言っても
なら「ラ・フォリア」という舞曲のメロディを
変奏曲にした作曲家がCPEの頃までにどれだけいたか
答えはパーセルQのCDで。
因みに20世紀にグリーンスリーブスを変奏曲にしてるRVW。 展開ってさ
メロディー辿れなきゃ意味ない
だから変奏とか借用とか言ってんのか 決してバカにしてるわけではありませんが、日本の平均的クラシック音楽聴取者=
5ちゃんねるクラ板住民は旋律しか聴いてないと思いますw
ていうか、耳には他の要素も聞こえてるんだろうけど、脳は旋律しか認識してない
形式や引用の理解とか他の作品との比較なんてまったくやってないでしょ
でも、それじゃ作曲家が可哀想、西欧クラシック音楽は鼻歌だけで成立してるわけじゃない 実際に第一バイオリンしか聴いてないという書き込みも過去にあったよ >>780
モーツァルトが単純と感じる時点でそれは無い。 モーツァルトなんて大したことない大したことないって必死でレスする奴がいるってこと自体がモーツァルトが凄いことの証左 >>781
大バッハがお偉いさんが弾くパートのみ
易しくしている曲ってのはある。 >>730
> モツのコンチェルトってオペラアリアの歌部分を
> 楽器で演奏してるようなもんだから面目躍如なんだよね。
ヴィヴァルディの協奏曲を聴いたことが無いの?
ファゴット協奏曲 変ホ長調 RV 483
http://www.youtube.com/watch?v=2sIuk0Xot8E >>781
対位法で一曲作ろうとしてるのと援用にとどめているものを比較とかな
ジュピターに対比される曲も挙げとらんし ジュピター終楽章の展開が下手とかw
ブラームスやチャイコフスキーの目の前で言ってみてほしいもんだ ヴィヴァルディが書いた独奏協奏曲のうちヴァイオリン協奏曲に次いで数が多いのがファゴット協奏曲
ファゴット協奏曲の多くは、オペラ・アリアを模して書かれている なんでヴィヴァルディ出してきて張り合わなきゃならないのか謎
いつも別の曲で張り合ってくるのか全く理解不能 >>791
>>730
> モツのコンチェルトってオペラアリアの歌部分を
> 楽器で演奏してるようなもんだから面目躍如なんだよね。
ここが大きな間違いですよ、ということを強調したかったのよ。
この時代のコンチェルトは、モツ以前から、オペラアリアの歌部分を楽器で演奏してるようなもん >>793
「面目躍如」の解釈が間違ってたのかな 「面目躍如」は平凡でつまらないという意味か >>762
99番はタイトル無いから地味な扱いだけど、全楽章通して完璧な作品だと思う。
確か第一楽章の序奏も移調の仕方が凝ってるみたいな記述を読んだ事あるし、第二楽章も美しい曲調の中に後の時代っぽい響きがあらわれたりするし、第三楽章も後のウインナワルツを彷彿とさせるところがあるし、第四楽章は本当に素晴らしい。
https://youtu.be/QYQtOd7c20s
こんな動画あったけど、女子体操のアリーヤ・ムスタフィナの演技とめちゃくちゃ合ってる。 >>789
やっと出るようだね。
レコパルコミック。
ハイドンの内容はしょうもなだけど
ハイドンはたぶん初単行本化であります。 >>781
ハイドンヨイショの裏にヘイトを集めよういう意図を隠しているだけ
他にいくつもあるだろ >>770
それなら主旋律は木管にやらせればいいなw ここに来る人たち(クラ板全体でも)がソナタ形式を理解しているのか
その点がそもそも怪しいw
ハイドン・モーツァルトにとって基本的な構成の枠組であるソナタ形式と
その3つの部分を明瞭に把握していなければ、議論が理解できるはずもない お前のソナタ形式の理解が浅いのが問題なんだよ
第一主題と第二主題を古典的に組み合わさないと展開が下手くそだということになる知恵の浅さがな 俺は音楽知識とかたいして無いからただ感覚的に聴いてて楽しめればそれでいい
技法だの何だのよくわからんけどハイドンの音楽もモーツァルトの音楽も大好きだし、どっちも凄いと思う 今日はハイドンの交響曲第29番とモーツァルトの交響曲第29番を聴いた
どちらも俺の好みに合ってて聴いてて幸せな気分になれた、好き モーツァルトの29番はいいよな
28番のほうが好きだけど ハイドンの99番とモーツァルトの41番の各フィナーレを比べたけど感銘が深いのがモーツァルト
ベートーヴェン以前は終楽章にも重点を置くタイプの交響曲は少ない(てか俺は知らん、ハイドンの告別は特殊な例外として)
フィナーレの高揚感は格別 個人的にはハイドンの交響曲38番、39番、101番は終楽章が好きだけど モツ、ハイ、効能が違う薬だと思って
比べるな。使い分ける。 実際シューベルトの交響曲ってどうなん?
ハイドンやモーツァルトに似てるかなぁと。 ハイドンやモーツァルトに似てるって、
そもそもハイドンとモーツァルトとでは作風が違うし。 モーツァルトの後期交響曲のフィナーレは、ジュピターを除くとイマイチな感じがする。
40番は、展開部の最初だけおっと思わせるが、後はモチーフの単調な繰り返し。
39番や38番も、主題をひたすら繰り返すだけで発展がない。
特に38番のフィナーレはフィガロから主題を借りたやっつけ感があってつまらない。
ジュビターはフーガを取り入れることで雄大な音楽になったが、これは何度もできない。
38番〜40番は第1楽章が神品な分、後が蛇足に聞こえる。
41番は第1楽章がやや平凡なので、フィナーレが良く聞こえる。
全4楽章がすべてバランス良くは行かないのかなと思う。 モーツァルトの39番や38番の終楽章好きだけどなあ
ハイドンの91番や92番の終楽章も好きだなあ >>807
ベートーヴェンが交響曲第8番を作曲した後にシューベルトが交響曲第1番を作曲してる時系列のわりにベートーヴェン以前の交響曲のノリでシューベルトの初期交響曲が作られてるという意味で
「ベートーヴェン以前の交響曲」というニュアンスを込めてハイドンモーツァルトベートーヴェン以外の古典派は考慮せず「ハイドンやモーツァルトの交響曲」が出されるぐらいじゃない?
あとはハイドンのザロモンセットやモーツァルトのリンツ交響曲に見られる序奏付き四楽章制古典派交響曲の形でだいたい作られてるとか 展開部という便宜上の言葉に騙されて主題掲示部より複雑な音楽じゃないといけないと思い込んでるマヌケがいる
宇野コーホーもそうだった 楽章間に軽重はあるし均等な交響曲あるかい
最終楽章が軽いのが多くないかい
基本的なモチーフでフィナーレを構成したのもわけで全曲をどうやって閉じるかを考えてのことでしょう
機会があればヨッフムがブルックナー旧全集に寄せた文章読んでみるといいかも モーツァルトにもいいソナタ形式展開部はある
たとえば、ピアノソナタ第15番K533/494の第2楽章(アンダンテ)
これは例外的によくできている
緊密に構成されていて、対位法的ではないがどこかバッハを思わせる
というか、自分が聴いたことのあるモーツァルトの作品の中でも屈指の傑作だと思う
モーツァルトもやればできるじゃないかw ハイドンとモーツァルトの交響曲はさほど好きだとは言い難いのですが、ハイドンかと思えるモーツァルト、モーツァルトかと思えるハイドンの演奏だけは何か格別な感じをもっております。クラッシック音楽の王道ここに在り、とでも言いましょうか。 >>817
こいつはなにをいってるんだ?
精神科いった方がいいんじゃないか? >>817
自分が持っている盤で14か15なのかが分からないが
もしかしてベートーヴェンの悲愴に似た部分が出てくる曲かな?
あれは確かに展開が上手く感じる。 おまえらって交響曲と弦楽四重奏曲しか聞かないのか
ピアノ協奏曲や声楽曲ならハイドンなんて到底モーツァルトに歯が立たないだろ >>822
ハイドンはピアノ協奏曲を書いてないよw モツのピアノ協奏曲や声楽曲は
ベトのピアノ協奏曲やシューベルトの声楽曲に
歯がたつのか? モツの後期ピアノ協奏曲より優れたピアノ協奏曲を書いた人間がいるのか? No. 11 in D major (Hob. XVIII/11)は
チェンバロ、ピアノどっちでも用みたいだね。 >>823
お笑い草だ。交響曲は好みの差はあれど、モーツァルトの弦楽四重奏がハイドンを超えているなんて、どこの平行世界の話なのかと本気で疑うレベルだよ。 後、ピアノ協奏曲はハイドンの数が少ない分モーツァルト有利だが、No11の協奏曲は良い演奏で聴けばモーツァルトの有名曲(同じように名演でも)と同等レベルだよ。
声楽曲はオペラはモーツァルトになるが、オラトリオ含む宗教曲はハイドンの方が優れていると思う。モーツァルトのミサ曲は過大評価じゃないか。 >>830
普通に演奏され聴かれるモーツァルトの弦楽四重奏曲は10曲
ハイドンはop.20以降でも45曲あるからねぇ
質についてもやはりハイドンの方が上だろうな、多様性に差がありすぎる >>830
んん?音楽としてハイドンには机上のバリエーションの差異しかない
モーツァルトのように深まる方法で進歩した試しがない
モーツァルトの弦四の魂の優雅さには鼻から及んでない >>833
ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲をよく聴き込んでからここへいらっしゃい
その感想じゃモーツァルトの弦楽四重奏曲すらろくに聴いてないことが丸わかりだ >>834
うーん、ハイドンとモーツァルトの根源的な差異が理解できないうちは何度聴いても聴いたうちに入らないんじゃないかなw 最初から言ってるやん
モツの音楽で満足してるなら無理にハイドン聴いたって
しゃーないんだって。 モーツァルトを批判できる俺、カコイイ ってとこまで読んだ
そんなにカコイイなら自分で弦楽四重奏書いてみりゃいいのに モーツァルトを批判されて悔しいのか知らんが、もう少しハイドンの弦楽四重奏を聴いてから深みとやらを語ったほうがいいと思う。
メロディや対位法では太陽四重奏に近づく事すら出来てないし、ソナタ形式ではロシア四重奏にも遠く及ばない。
ベートーヴェンとブラームスの弦楽四重奏を比べるような愚挙だと思うぞ。 机上のバリエーションの差異 と簡単に言う方が自分で弦楽四重奏書いてみりゃいいよ
屋上でw >>838
メロディや対位法?形式?何を語ってるんだw
ハイドンの弦四は根本的に美しくないと言ってるのに
美しくないから無駄なんだよ
ハイドンの人生は徒労だ 他ジャンルは別として、弦楽四重奏に関しては、モーツァルトは結局見習いだったと思う
「プロシア王」の3曲まで書いても傑作を生み出すことができなかった
どこか根本的な部分でモーツァルトの才能と合わないジャンルだったんだろう
「ハイドンセット」のあのハイドンへ宛てたイタリア語の献辞に表れているとおり、
力を込めて書いたことと自分の力が足りないことをモーツァルト自身が理解していたのだ 聴いてて嫌気が差すような曲を技術的に優れてるだの言い張ってシコシコ聴き込んでるのならご苦労さまだよほんと
所詮技術的に可能なことを右へ左へ尽くしてるに過ぎない
ハイドンにとってはドレミもドレファも同じなんだよ
どちらも可能だから使うというだけ
美しさへの意識が足りない 結局ハイドンは交響曲と弦楽四重奏曲でしかモーツァルトと対等に戦えないからその話ばっかりするんだろ
その他のジャンルではモーツァルトの圧勝だもんな 確かにハイドンにモツ美を求めようとして失敗してる演奏なんて
ザラにあるからな。
モツは古典派といってもロマン派、19世紀以降の曲が好きな人でも
楽しめる。 >>838
君の言ってることは机上の空論だよ
古典的様式で弦楽四重奏曲書けないのに
モーツァルトがどうだ、ハイドンがこうだって
聴き専より見苦しいわ >>843
戦うな。比べるな。黙ってバリトントリオを聴け。
美しいというよりは安らぎの世界だが。 >>845
映画監督でなければ映画を批判してはいけない並の
暴論だな。悪いが、好きにさせてもらうよ。 まあハイドンもモーツァルトも好きなどと言い張るバカよりハイドンはモーツァルトより優れていると言い張るやつのほうが信頼できる
どちらも好きなどと言うやつにモーツァルトが理解できているはずがないのだから >>840
いや、聴き比べたらモーツァルトの弦楽四重奏の方が美しくないんだよ。メロディでも美しさでも形式面でも勝ててないからモーツァルトの弦楽四重奏がハイドンより優れているなんてあり得ないと思うわけ。 モーツァルトのSQの方がおもしろいなあ
モーツァルトK387終楽章とハイドンop. 50-4終楽章を聞き比べしてみて ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています