クラシックで「大嫌い!」って曲ある? 2曲目
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>>146
テノール歌手のアリアかw
エピソードでしかないのに、持っていってしまう。 無人島への一冊で「造船術の本」とか答える奴が一番嫌い バーンスタイン
作曲家としても指揮者としても私は惹かれない >>155
おいらもだ。
おいらの嫌いなミュージカルとやらに手を染めた嫌な奴。
そのスコアだって下請けに出したんだろ? ジャズ好きはバロックか印象派以降になるな
前者はインプロヴィゼイションの面白さ
後者は和声(ヴォイシング)の面白さ
ということでジャズと共通する
古典派は嫌いではないがロックに通ずるいかがわしさを感じる バロックがいかがわしいんだけどな
まあジャズこそだけど ジャズ好きのなかでも
ピアノトリオしか聴かないとかいうやつ
いかがわしい ジャズこそいかがわしいw
奏者は嫌いじゃない人もいるが
古典ロマン派避けるとか典型的だな
ただ浅いとこで洗脳されてるだけ
譜面読めるならわかるやろ ジャズ好きはグールドは認めるけど、グルダとかコープマンとかジャズに媚びてる輩は嫌う ウェーバーのクラリネット作品
なぜこうもつまらない曲揃いなのか
ジョリヴェの打楽器協奏曲
いかにも試験用に作られました的テクニックのサンプル羅列 次スレから「ブルックナーファン」は見るべからずと最初に書いとくべき とはいいつつ俺もなのだ。
ブルックナーの交響曲は「交響曲らしきもの」って感じ ブルックナーの交響曲ってのは風景画なのよ
現代人もしくは古代から風景画が存在した東洋人としては想像しにくいんだけど西洋ではルネサンスまで風景は絵の背景でしかなかった
ルネサンスは変革の時代だったから歴史画宗教画を建前にほとんど風景画みたいのもあったけど建前をとっぱらってこれは「風景画」です!というのが登場したとき多くの人がそもそもそれが絵であると認識出来なかった
ブルックナーがわからん嫌いだ!というのはバルトークがわからん嫌いだというのよりもオペラがわからん嫌いだとか室内楽がわからん嫌いだというのに近いと思う
しがない田舎のおっさんの生活を追いかけた人物画であるブラームスの交響曲はもちろんのことある男の一代記でありながら歴史画宗教画の風格を持つベートーヴェンのそれとも別ジャンルであると考えた方がいい 絵画における風景画は人気があるし大きなジャンルとなったけど。
むしろ当初は声楽の伴奏であり、伴奏じゃないときは音楽会(オペラ含む)の背景画の
位置づけとでもいうべきだった器楽音楽のほうが「風景画」に例えられると思う。
ベトが風景画的な「田園」を作曲したのも案外通底してるのかも。 フルトヴェングラーのブルックナーには今でも震えるほど感動するけどな
いつの頃からかブルックナーはインテンポじゃなければいけないという縛りが出現してつまらなくなったのだろう ぐわんぐわん演奏するのはどうしても愚劣だからだよ
ブルックナーはテンポを正確に保てば保つほど香り立つ >>172
これは分かりやすい
どうりでブラームスが好きなわけだ 日本センチュリー交響楽団 第234回定期のプログラム、
ワーグナー:交響曲ホ長調
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
だって。笑笑 両方ホ長調で揃えれば良かったのに
ワーグナーとワーグナーの追悼にもなるし >>179
トラの数の方が多くなるから、センチュリーとは言えないかもね。 >>180
その組み合わせもいいけれど
此方は未完成カップリングって位置付けなんだろうね ブルックナーが風景画ならそれでいいのよ
だがブルックナー信者は宇宙の神秘だとか言い出すからな 風景画つうても面白くもない風景描いてたらやっぱり好かれんだろ 人物画だって同じことでしょ〜が風景画だから面白いなんてことがないのと同じように人物画だから面白いなんてこともないよ
人物画の大家である(と少なくとも私は認める)ブラームスは「ブルックナーの交響曲がすばらしいだって?そもそもあれが交響曲だって?」なんて言ってた
彼は風景画なんて絵じゃないと言って風景画が面白いと言う人を鼻で笑ったんだ
アンチブルックナーってのは基本これと同じ
私は人物画より風景画の方がすばらしいとは思わない
いい人物画も悪い風景画もあるだろう
しかしアンチブルックナーは風景画なんて絵じゃね〜よ!って言って笑ってるんだよ
笑われる(嗤われる)べきなのはどっちだって話だ
ブルックナーは風景画しか描けない人だったから逆にブラームスの交響曲がわからなかったようだけど
私はブルックナーが嫌いな人の存在を認めないブルックナーがわからん人がいるだけだ 風景画という「好きじゃない」という人が多くいるわけでもなく
美術の世界ではしっかり根をおろしているジャンルをして
ブルックナーの音楽は風景画なんだという主張もなんか説得力ない気がするな。
だったらブルックナーの世界はこうだけど多くの人は興味を示さないだろうと
素直に言うほうが分かりやすい。
好いてない人が多いのはあきらかなんだからさ。 >多くの人は興味を示さない
>好いてない人が多いのはあきらか
こう言うとクラシック音楽すべてが該当してしまうわけだが 172や186のいう「風景画」ってただの比喩でしょ、
絵というものの捉え方が違うという意味の
それをブルックナーの曲は風景画に似ているという意味にとったり、
今は普通に親しまれている風景画と同じ意味にとると、話が混乱するよ >>189
いやそれは実際そうでしょ。
クラシックの魅力を私が興味ない人に語ったところで、
「そういうことか、でも私は興味ないな」でおしまい。
別に私はそれ以上布教なんてせんよ。 >>190
>>172は風景画を昔は背景に過ぎなかったものが今はジャンルとして
立っているという観点で持ち出しているじゃん。
ブルックナーの交響曲が美術における風景画ほど認められているかって話。
あなたの言っていることは分かるけどね。
今の風景画の比喩ではブラの2番なんて関係ない。 どっちにせよ「風景画」なんて借り物の表現しないで
ストレートに自分のブルックナーのここがいいんだ、好きなんだ!ってところ語ったほうがいいんじゃね。
ブルックナー擁護したいなら。 >>192
>風景画を昔は背景に過ぎなかったものが今はジャンルとして立っているという観点で持ち出しているじゃん。
いいや?
今読み直したが、>>172にそんなことは書いてなかったよ?
「昔は理解されなかった風景画は、今では理解されてジャンルとして成り立っている」じゃなくて、
「今は(または東洋人には)理解されている風景画は、昔は理解されていなかった」って話だから全く逆
これでは当然話は通じなくなる >>172=>>186=私だけど
ブルックナーの交響曲が風景画っていうのは美術史上の立ち位置が似ているというのもあるけどそれ以上に内容的なところで似ていると思う
アンチブルックナー特にブラームス派は交響曲あるいは音楽というものはってのは人間を描くもので人間が描かれていない交響曲もしくは音楽なんてありえないと半ば無意識半ば自覚的に考えてるように思う
ブルックナーを一度好きになっちゃうと解説なんかいらないむしろベートーヴェンやブラームスの方が要解説な音楽に思えてくるからわからんという人に布教する言葉をひねり出すのは私には難しい
わかるわからんと言っても「理解出来る」じゃなく「感じられる」に近いんで…
「ひたすら浸れ」としか言いようがない… ハイドン60番 コントを入れるな
春の祭典 不協和音は嫌い
ショスタコーヴィッチ 9番 変なメロディ
あとショスタの16のようなパクリだらけの曲とか ショスタって作曲家は知らなかったな
ショスタコは16という数の付く曲、交響曲でも弦楽四重奏曲でも作ってないし >>196
ハイドン60番 「コントを入れるな! 」
単館にて絶賛上映中! >>197
ショスタコーヴィチのop16であるところのタヒチ・トロットじゃね?www
ちなみにop15は歌劇「鼻」 マタイ。説教臭くてたまらんわ
バッハはどれもそうだけど。唯一聴けるのはイタリアコンチェルト >>201
エネスクのちゃんとした作品聴けよ
とりあえず5曲の交響曲からだ 一年前くらいから聴き始めた初心者なんですが、ピアノ変奏曲でおすすめありますか?
ゴルトベルクとディアベリはかなり好きです。 >>208
スレ間違えてない?
それはともかく、本格変奏曲でお勧めは、
ブラームス「ヘンデル変奏曲」
メンデルスゾーン「厳格な変奏曲」
デュカス「ラモーの主題による変奏曲」あたりかな >>208
スレ違いだが一応、ジェフスキ「不屈の民」変奏曲
現代曲だけどディアベリが好きなら大丈夫 >>210
おっ、そう来たか
あれは物凄い遍歴の末、最後にテーマが戻ってくると泣けるね >>208
スレ違いだが続き
ベートーヴェン「創作主題による32の変奏曲ハ短調」
ブラームス「パガニーニの主題による変奏曲」
ルトスワフスキ「パガニーニの主題による変奏曲」2台ピアノ用
あとはモーツァルトの変奏曲いろいろ(CD3枚分) 下から読んだから、こんないい曲が嫌いなんて頭イカれてんじゃねえかこいつらとオモタ ゴールドベルク変奏曲は好きだけど、自分で弾こうとしたら同じ和声進行の変奏が延々と続いてウンザリした >>216
変奏曲ってのは基本そういうものだろうが 俺はそういう知的お遊戯みたいなのは嫌い
結局なんの意味もないから
そんなら計算ドリルでもやったほうがよっぽど満足感があるだろう >>218
これはゴールドベルクへの批判?
となると、変奏曲とかシャコンヌとかパッサカリアとか、あるいはジャズの基本とか、
みんな同じ和声進行を繰り返す音楽なんだけど、駄目なの? 知的お遊戯といえば
ゲソオソなんてその最たるもんだな シューマンのクライスレリアーナはどこが良いのかさっぱり分からん 変奏曲へのぶっちゃけワロタ
でもその先にあるものを面白がってんだよな 逆にジャズのアドリブはもっと変奏曲的に
展開してけばいいのに、と聴いてていつも思う
ソロになったとたんにテーマのメロディ関係なく
自分の得意な指回し並べてるだけじゃん大抵 みんな違ってみんないいでいいだろ馬鹿どもそんなことも分からんのか馬鹿ども😅
馬鹿どももっと音楽しろや馬鹿ども😹 実際嫌いだった曲も時間が経つと嫌いじゃなくなったりするから分からん
ただ4分33秒だけは永遠に嫌ってる自信がある
曲と言っていいのか疑問だが 4:33を否定する奴って、そのアート史的意義が分かってないよね >>228
すまん、評論家様の有難いお題目はお勉強不足の俺にはわかんねぇわ
精進させていただきます 4:33秒は名曲だと思うが、アート的意義云々とか言い出す輩は嫌いです やっぱすごい人って哲学しながら音楽聴いてんだな
すげぇわ 「『4:33』の主題による変奏曲」
へい、ゲソ一丁上がり! >>232
ケージは「思想家」
あれは「anti-piece」ないし「un-piece」
>>233
煽りの積りなんだろうけど、ケージはマジで哲学者だから
正確に言うと学問哲学でなく「思想」なんだけどな
その辺を踏まえないでバラエティとかで笑いのネタにされてたりすると死ぬほど嫌いだし、
クラヲタでも否定する輩は心底嫌い >>235
4分33秒のお話は厨房向けの音楽入門書にも書いてあるから知ってるし、俺は4分33秒が名曲だって主張されても別にそれは否定はしない
ただ俺個人としては君がいうアート史的意義やら思想やらなんやらがお題目にしか聞こえないからこの曲が心底嫌いなわけ
ケージもそういう批判が来ることを覚悟の上で発表したんだろ まあ「曲」と捉えてるうちはそういう思考になるだろうな
そしてそういう思考である限りこの「非-曲」を教科書的に知っていても理解できてないだろうな
まあ君個人が嫌いなのはスレタイ通りだからいいんじゃない
的外れな批判はその限りではないが >>237
そうそう、俺は君みたいに「非-曲」を知ってるだけで理解できないんだよ
分かってくれてありがとな😊 バレエ団がストラヴィンスキーのエディプス王をやってもバレエではないように、
オーケストラやピアニストが4分33秒をやっても曲ではないということ? >>238
だいぶ日本語がおかしかったわ
そうそう、俺は「非-曲」を理解できないんだよ
分かってくれてありがとな😊
に訂正 433はゲソオソ(に限らないが)の
「先にやったもん勝ち」って面が
露骨だよね。だから逆にそれを揶揄
してるともとれる。それもズルいがw
ゲソなんて「人より先に思い付いた」
というのを取ったら何も残らないからな。 ところで、絵画で白いキャンバスを展示して
作品でござい、ってのも当然ありそうだけど
433の方が先ってことなのかな? >>244
リンクは踏んでないけど、サムネイル的にクルレンツィスのあれ?
クルレンツィスの態度が偉そうで嫌い
中身は正直なところ、既存の曲の下位互換臭がするんだよなあ、嫌いではないけれど >>243
一面1色の絵なんかはたくさんありますね。
映画でも画面が一切台詞がないままセリフ(独白)が続く「BLUE」という作品があります。
4分33秒はデュシャンの「泉」の影響が大きいかなと思います。
このあたりは既存の価値観に疑義を投げかけたり人の感性を研ぎ澄ませることを促すようなものであったりするので
いわゆる「作品」(音楽や絵画や文学や映画や漫画や…)に触れて一種の受動的なカタルシスを得たいと思うとがっかりしますね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています