VPOニューイヤーコンサート2019
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てか女性は結構みかけるようになったけど、東洋人は実際まだ一人もいないだろ
ハーフとかはいるけど
元来は人種差別というものではなく、オーストリア帝国内出身の人だけに限られていたんだよな >>99
大フィルスレで、女性ヴァイオリン奏者が多くて何とかかんとかってケチ付けてるヤツだよ。
バリバリの大阪人で、大フィルの練習場の場所まで差別したんだよ。
俺はウィーンフィルがブラインド審査で男女問わずに入団させだしたのは、遅きに失したとは言え、正解だと思うよ。
オーストリア純血主義もとっくに崩れているもんね。
今やクラシックが西洋だけのものでは無くなり、エルシステマなども実を結んでいる。
音楽大学で学ぶ女性も圧倒的に男性を上回り、
ウィーンフィルだからといって、男性やオーストリア人限定では成り立たなくなってるよね。 >>100
そんなにオーストリア帝国にこだわる日本人ってどんな人なのか教えて! 純血主義や女人禁制をやめてもウィーンフィルの伝統は守られていると思う。
早くからこれらをやめたロイヤル・コンセルトヘボウも、その特質を保持し続けている。 >>97
ウィーンフィルは公務員だからもともと外国人は入れないよ
話題になってた人も日本人とのハーフだったかでオーストリア人
女は産休や育休が多いから採ってなかったが
アメリカのフェミニストどもがウィーンフィルの海外公演反対運動したのに屈して女を採り始めた >>104
フェミニストどもってチョット差別じゃない?
俺がいい意味でフェミニストだから、そう思うだけかも知れないが……
産休、育休たって、ウィーン国立歌劇場オケは大所帯だし、ウィーンフィルにも余剰メンバーがいるから、ノープロブレムじゃないか? >>104
普通にドイツ人やフランス人、オーストラリア人とかも入ってるけどw >>105
まるで機械の部品を取り替えるような言い方で腹立つね
こうやって伝統が崩されていくわけだ >>106
女性解禁と同時に外国人も解禁したんだね知らんかった >>104
クラシック音痴のヤンキーなんか無視すればよかったんだよな
あいつに伝統なんて言っても理解できんから 魂のない仏柱なんて無価値
もはや別オケだな
あとはアメオケ路線かな ウィーンフィルの伝統たって、大昔と現代では大違いでしょ。
オーストリア帝国人限定とか男性限定とかが古すぎるのであって、
そういうのが続いたとしても、伝統とは言えない。
時代に即した変化はあっても、流流ウィーンフィルの特質は生かされていると思うんだけど。 >>111
>流流ウィーンフィルの特質は生かされていると思うんだけど。
たとえばどこに? >>108
そのまえから外国人はいる
スイス人のフルーリーが入団した時に解禁という事で話題になった 海外ブランドに食いついて勝手に夢見て伝統壊すなとか
なんか勘違いしちゃってるな >>108
>>113
もっと前から、昔のコンマスのロゼがルーマニア人だった。
ダナイローヴァもルーマニア人でその時にも話題になってたが。 フルートにフルーリーが入団する前は、テューバにイギリス人がいたと思うが、テューバはマイナー楽器なのでまあ別枠だったんでしょう
旧オーストリア帝国版図出身ではないフルーリーが入団したのが「外国人」が入団した嚆矢で話題になった
それ以前は同じ言語圏であるスイス人やドイツ人も居なかった >>117
ルーマニアのどこがオーストリア帝国なんだよw ドイツ人のゲーデが90年代にコンマスとして入団したときも議論があったね
ドイツ人を入れて良いのかみたいな 大フィルだって朝比奈というおっさんのもと大阪のうだつの上がらないおっさんらが弾いてたんがある意味魅力だったのであって、今の女だらけの大フィルなどなんの魅力もない どうして中谷美紀がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のドイツ人ビオラ奏者、ティロ・フェヒナー氏(50)と結婚したことに触れなかったの? 男女の問題は目的と手段の話。
女性を入団させないとアメリカツアーが消えそうになり、
ビジネス上の目的が消滅しそうになったから手段(女性団員)を採用。
逆に言えば、手段(女性登用)の必要性は目的に合致するか否か。
目的も考えず手段が先走っているとしたらおかしい。
倫理上の問題がから女性登用するなら、それでよい。
結局、女性登用することによるメリットより、女性登用をアピールすることのメリットを優先し、かつそれを隠すからおかしなことになる。 >>130
そりゃあな違和感はある。バレエやオペラではまだあるのは確か。バレエ技術や歌唱力だけを観れば良いんだよ。
オーケストラは違和感は減ってきた。
それを蔑視に繋げるのは良くない。
西洋人歌舞伎があるけど違和感はある。
クラシック関係の芸術は西欧発祥だから、元々はあらゆるジャンルが変に思われている。
西欧人が他民族を蔑視しているという現実もあるだろう。
しかし、何も我々アジア人種が活躍しているのを目の当たりにして、違和感抱いたとしても、馬鹿にしたり、蔑視するのは止めておこうよ。 そんなに見た目が大事ならアイドルでも崇めてればいい
技術がないなら問題だが技術は確かで、それを認められて入団してきたんなら、それで良い
プレミアムシアターの実況でも、オペラであるアジア系のバリトンが出るだけで
ギャーギャー騒ぐのがいて本当に目障りだった
差別主義者ってのはどこにでも沸く 自分と違う意見の人を差別主義女性蔑視と盲目的に批判するのもどうかと思うね
見た目で音楽を楽しむ人だって生粋のウィーン人だけの団体というストーリーを楽しむ人だっているでしょうに されたが、それはいいとして、
指揮者としての技量が伴っていないのが問題。 >>135
そういう人はクラシックを観る事が好きであって、聴く事を重視していないので、敢えて観る専と名付けよう。 >>124
観た目だけで差別するのがコイツの常套手段。
でも朝比奈時代の大フィルも1stヴァイオリンの前の方にチョロッと男性がいたが、
その後ろや2ndヴァイオリンは女性多数だった。こんなヤツどーしようもないけどね! グローバルである必要ないじゃん
変えてはいけないもの最右翼がウィーン・フィル フォルクスのレパートリー(ですよね)のワルツを何でVPOがやってんの? >>134
あの人は声まで男に似せようとしているからね
修行が足りんな。↓ の左の人、真の両声類。
このレベルまでならんとな
https://youtu.be/wChIpBUDDL4 >>139
年寄りのくりごともいい加減にしろ!
ウィーンフィルだってもうとっくに変ってるんだ。それに観た目なんて変えたっていいだろ。
性別も国籍も!
変って欲しくないのはウィーンフィルの音色の特質だろ!
それとていくらあがいても、変化はしてきている。逆行させてどうするんだ??
変化しても又、より良い特質を獲得してゆくのが肝要なんだろ! 曲の中で声を上げ歌うワルツがあるけど、あれ女の声が混じるとダメなんだよね〜
今回も第2Vnの後ろの女性奏者だけ歌ってたけど
なんか違う。。 19世紀に酔っぱらった女が街中で歌う姿、想像つく?
「酒・女・歌」を女が演奏したらそれこそ興醒め。
これから選曲の幅も狭くなっていくかも。。もう楽しい娯楽としてのワルツは聴けないかも。
だから俺は昔の映像を楽しんでいる。 >>125
861 名無しの笛の踊り 2019/01/04(金) 18:54:55.18 ID:2q1ktGDa
ハッキリ言って、来年のニューイヤースルーしようかと思ってる。
ネルソンスは音楽性なしのビジュアル糞だから
ずいぶん見た目を気にされてるようですね >>143
もう寝る!
歌うワルツ?wwwww察しはつくが指摘しない
大フィルの時も散々付き合ってやったが、
お前みたいなもん袋叩きにあってるのに気がつかないんだな!
男女平等、人種もだ。
ついでに言っとくけど、お前は西成とウィーンを差別的にみるだろ!そんなのお前だけだ!
もう堪忍袋の緒が切れた。相手しない! >>147
>>143の意見のどこをどう読めば男女平等とか人種とか西成の話になるの? >>148
うるさいな。コイツは大フィルスレで散々女性蔑視や地域差別をした煽りの常習犯なんだ!
だから急に話が飛躍したようになるんだ。
その仔細は大フィルスレ参照してくれ
もういいだろ! ネトウヨなんてどこにでも沸くから、同じようなこと言っていても大フィルのやつとは限らんわ
143はネトウヨよりはマシ >>150
別に143だけ読んでネトウヨだと言ってる訳じゃなく、全体の流れでそう思うだけ。
同じクラファンでも、たちの悪いのがいるのは承知の上だが、ついついエキサイティングしてしまった。反省はしている。 左翼とかフェミストってすぐエキサイトするから嫌い
大フィルスレ覗いてきたが女性多すぎて音が細くなったという意見のどこが女性蔑視なんだよ
自分と違う意見を見るとヒステリックに人格まで否定しようとするほうがよっぽどたち悪い >>153
もっとちゃんと読めよ。
それに、フェミストって何w >>71
バリリは1973年に引退して以来、公的な演奏活動はしてないから無理でしょう。
カネで動くような人物なら引退公演や復活公演を何度もやっているはず。 >>156
バリリは素晴らしいコンマスだった。
外人だから排斥したの? >>157
ロゼと勘違いした。誤爆スマン。
でもバリリは名コンマスの一人だ。 もうおれ痴呆症だ。スレから去る。
ゲーデだったか
年取って痴呆症になったみたいだ。
色々迷惑かけてスマナイ。
さようなら >>149
なんか勘違いしてないか?
大フィルスレ?
見たことすらないんだが >>153
どこが左翼でフェミニストなんだよw
何と戦ってんの?
仮に樫本大進や過去には安永さんがね、日本人だからアジア系だからといって
ベルリンフィルのコンマスとして相応しくないと言われていたとしたら、私は擁護するよ
それだけの話だし同じことなんだわ
安永さんなんか、あの時代辛い思いもしたんじゃないかね言わないけど シュトラウス一家の曲は日本の演歌みたいに独特のこぶしがないといけない
つまりそこで生まれそこの空気を吸い、そこの水を飲み、
そこの訛りのある言葉で育たないと、本場本物とは言えない。真似ごとではダメなんだよ。
夜の社交界で酒と踊りが好きで、女の股に顔を埋めたいくらいの女好きでないと
ウィンナワルツの本物の血が流れているとは言えない。
男同士が肩を組合い歌い踊り酔う姿、あのリズムはまさにそれなのだ。
シュトラウス一家の純血正統継承者であったウィーン・フィル
それが崩れさろうとしていることこそが問題の本質なんだよ。 あの3/4拍子は、ウィーンの人たちが刻み弾くためのもの
津軽海峡冬景色をアフリカ男性が歌い、演歌の本場より新年の挨拶だと
世界に発信できんだろ? >>162
いやいや文化芸術的な問題と人種差別の問題を一緒にするなって言ってるんだよ
なんでもかんでも人種差別の問題にされたらローカルな文化なんかどんどん滅びていくわ 君のレスのほうこそ世界に発信したくないよ
アフリカ人男性のくだりとかね >>166
樫本大進と安永さんの問題も君の基準なら文化芸術的な問題に入りそうだが >>168
ベルリンフィルは方向性としてグローバルなオケを目指してるんだからなんの問題もない
別に中国人アフリカ人だらけになっても批判せんわ >>166
その通り!
せめてニューイヤーコンサートだけは生粋のオーストリア人男性だけでメンバー構成するべき
東洋人など問題外! VPOをヨーク知ってるカラヤンやライナーもBPOやCSOでシュトラウス作品を振った時は
「ウイーン風」にはやってない。VPOだけが本物と思ってるバカ共よこれどう思う? >>171
ウィーンフィルを振るときは当然彼らもウィーン風にやっているし、それができる指揮者だが
逆にウィーンフィルがヴィーナリッシュで無くなってもいいのかという問題 それはウィーン風にやる必要がないからに決まっとるだろーが アホ
だいたいシカゴなどアメリカオケは、機能性最優先なんだから
彼らにヨーロッパ古典の土臭を植え付けなんて
楽団の方針にもそぐわないだろうし無理があるんだよ
シカゴ響やフィラデルフィアのウィンナワルツ集はレコードで聴いたことあるが、あれはあれでいいんだよ
ただ、俺たちがウィーン・フィルに求めているのは、それじゃ駄目なんだよ、絶対に! ウィンナワルツじたいは当時の大衆娯楽音楽なので、そういう意味ではインターナショナルなんだろう。
だからどう弾いたり吹いたりしてかまわない。しかし、
ウィーン・フィルがそうなっては困るんだよ! 時代の流れ、などという甘っちょろい短絡的思考で簡単に崩れ、済まされてはいけないのが伝統文化だ ウイーンの奴等からすれば「これが本物の音楽」と言い張るのは当ったり前。これに乗せられソーダソーダと相槌を打つバカが多ければ来年元日も同じ愚を繰り返すだろう。
VPOのウインナワルツは素晴らしいけど、素晴らしいのはこれだけが全てじゃない!いろんなやり方も認めなくちゃな。バカに限って「これっきゃない!!」と喚くものだ。これこそ「分かっちゃない」証拠だ。 したり顔で「伝統文化」なんてヌカス馬鹿ズラが見たい。 作曲家でも有名なロベルト・シュトルツのワルツ、ポルカ集は、ウィーン響を主に使っているが、所謂ウィーン訛りは一切無い。
私は数少ないシュトルツの曲も所有しているが、ウィーン風とは一線を画するものだ。
洗練されて都会的なウィーン音楽。
それが、シュトルツの信条であると思う。
余談だが、私はウィーンに行く度に彼の墓に詣でている。 いずみホールでウィーンリングアンサンブル聞いてきた。キュッヒル御大の大太鼓が聴けたw シュテファン大聖堂前やホーフブルク近辺に観光客相手のチケット押し売りが居るけど、あれを買うと本場のワルツが聴けるの? 伝統文化の保存は価値がある。ウィーン歌劇場もフィルハーモニーもトヨタとヤマハが助けてくれないと存続すらできないかもだが... >>180
買うな!詐欺紛いのヤツがいる。
ウィーンはそういうの危険だよ。
ザルツブルクは観光都市なので、ホテルで素敵なコンサート紹介してくれる。 >>182
あーあれ詐欺なんだ。
チラシを見たらいかにも初心者向けのプログラムだったんで「また今度ね」と言って行かなかったよ
ウィーンの客引きのしつこさはプラハと似てるね 正真正銘土俗低俗極まるウィーン訛りのワルツポルカに浸りにこれからホイリゲへ行ってまいります アンチウィーンはウィーン・フィルのワルツ聴かなければいいだけ >>183
詐欺紛い。詐欺とまではいかないが、高いチケット代払わされて、アマチュアとか音大崩れの下手な演奏を聴くハメに…
ウィーン国立歌劇場、ムジーク・フェライン、コンチェルトハウス、フォルクス・オパー等で当日券があれば安くて高水準なのが聴ける。
ダフ屋もいるが、シュテファンとかの押し売りほどボラない。
一般の人が来てて、当日、用事があるので、安く売ってくれる等のラッキーも良くある。
でも一番良いのは、コンサートチケットゲットして旅程を組む事だが…… なるほどね。非クラヲタがああいうの引っ掛かるんだろうな
まあその時はホーフカペレでヴィーン少年合唱団のミサだったし
ムジークフェライン、シュターツオパー、アン・デア・ヴィーンどれも良い思い出。 ウィーンという名を付けた本国にない、
まがいものの楽団が日本に大挙してきた時期があったけど
いまではお膝元でひっそり地道に活動しているわけか >>177
>したり顔で「伝統文化」なんてヌカス馬鹿ズラ
ツラは見れなくても ID:uBGfR/Ci 読み返したら
思考回路は判るし、風体も何となく想像できるなw [Eテレ]ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2019
2019年1月6日(日) 午後2:30〜午後5:25(175分)
ウィーン楽友協会で元日に行われたコンサートの再放送 >>163
今のウィーン出身者で夜に踊りながら過ごしてる楽器がうまい人は
そんなにいないと思うw 聴き音痴の戯言と思って聞いてほしいんですが、
1987年のカラヤンから1992年のクライバーに至るまでのVPOの音と
それ以降のVPOの音がかなり違うように聴こえるんだけど気のせい?
1993年のムーティ以降、どことなくスネアの音がやかましかったり、
金管の音に優雅さがなかったり、横に流れない、重々しいワルツ、
って感じで、私だけかもですが、正直うんざりしています。
ヘッツェルやビンダー、ヴァイスさんあたりがいなくなったせいなのか、
それともこういうスタイルこそ正統なウインナワルツの流儀なのか?
そうした中で今年のティーレマンは昔風でよかったです。 >>194
ティーレマンが良かったのは優雅だったからではなく、古くからのウィーンスタイルを避け、
世界中の何処のリスナーが聴いても心地よい
謂わば標準語的な表現に徹したからだと思う。
こんな事を言うとまた四の五の言う人がいると思うんだけど、
如何にもウィーンスタイルかの様に思われているボスコフスキーの指揮した物を聴いてみて!
訛りの無いインターナショナルな演奏なんだ。
シュトラウス張りのヴァイオリン片手の指揮姿だけ記憶にある人は分からないと思うが、
数多いウィーン音楽の録音におけるボスコフスキーの解釈は、実は癖の少ない国際規格だと言う事が分かって来ると思う。
昔風というのが、ボスコフスキー回帰をいみしているのならそれはそうかもしれないが、
思いっきり崩していたクライバーなどに戻った訳じゃないと私は考えている。 クレメンス・クラウスみたいのを典型的なウィーンスタイルだとすれば
ボスコフスキーが全然違うのは確か。
ボスコフスキーは「ドナウ」ひとつとってもあっさりしすぎて物足りない。 俺はバロックばっかり聴いてる人間なんで戯言と受け取ってもらっても構わんのだけど、
ティーレマンはオーソドックスな印象を受けた
良くも悪くも教科書的と言うか
一昨年のドゥダメルはすごく楽しかった印象
あと今年のバレエは振り付け全然良くなかった 1939-1944 Clemens Krauss
1945 (Canceled)
1946 Josef Krips
1947 Josef Krips
1948-1954 Clemens Krauss
1955-1979 Willi Boskovsky
1980-186 Lorin Maazel
1981 Lorin Maazel
1982 Lorin Maazel
1983 Lorin Maazel
1984 Lorin Maazel
1985 Lorin Maazel
1986 Lorin Maazel
1987 Herbert von Karajan
1988 Claudio Abbado
1989 Carlos Kleiber
1990 Zubin Mehta
1991 Claudio Abbado
1992 Carlos Kleiber
1993 Riccardo Muti
1994 Lorin Maazel
1995 Zubin Mehta
1996 Lorin Maazel
1997 Riccardo Muti
1998 Zubin Mehta
1999 Lorin Maazel
2000 Riccardo Muti 2001 Nikolaus Harnoncourt
2002 Seiji Ozawa
2003 Nikolaus Harnoncourt
2004 Riccardo Muti
2005 Lorin Maazel
2006 Mariss Jansons
2007 Zubin Mehta
2008 Georges Pretre
2009 Daniel Barenboim
2010 Georges Pretre
2011 Franz Welser-Most
2012 Mariss Jansons
2013 Franz Welser-Most
2014 Daniel Barenboim
2015 Zubin Mehta
2016 Mariss Jansons
2017 Gustavo Dudamel
2018 Riccardo Muti
2019 Christian Thielemann
2020 Andris Nelsons >>199
ヨゼフ・クリップスの地味〜〜な
シュトラウス良かったやろなあー ヴェルナー・ヒンク氏はトップに座ったことないのかな?
バリリさん直系の愛弟子だから聴きたいわ >>202
ピンクさんは良い人だけどヴァイオリン下手だよ。まあキュッヒルさんも神経質な音だし、
ヘッツェルさんも硬い音だった。
ウィーンフィルのヴァイオリンってトゥッティが上手いんだとつくづく思う。 ウィーン・フィルってクライバーのシュトラウスに賛否両論だったんだよね?
92年はカルロス信者のヘッツェルとヒンクがトップを弾いているので
終始和やかムード、でも「ジプシー男爵」のラストみたいに丁々発止もあって、
まあ好い意味で個性がぶつかり合った名コンサートになったと思う。
一方の89年はトップにキュッヒルとビンダーが座っていて、
音が凄まじく神経質、スリリングだけど、ウィーンのイメージからかなり遠く、
例えば「わが家」の後半でキュッヒルの顔がドアップになる箇所があるんだけど、
指揮者に対する反発、呪いのようなものが表情に満ち満ちている。
事実彼は、このコンサートが成り立ったのは俺のおかげだと発言している。
たしかヴェヒターも中野雄かなんかの本で怒ってたとか書いてたな。
アバドのニューイヤーでにこにこ弾いているヴィオラのヴァイスさんが
89にも92にも登場していないのもなぜか気になる。 ベームだ、ショルティだのが振ってないとかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前ら、リアルにバカだなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ウィーンフィルがどうやってニューイヤーの指揮者を決めてるかも知らないクソバカのボケジジイばっかかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
低学歴のバカしかいねのかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
恥晒してんじゃねえよwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
このスレッド、マジウケタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww チーレマン節が抑えられてたのは、やはりオケ、関係者一同のダメ出し故か?
だとしたら、これほどの痛恨の極みはないといえよう。 92年はウィーンフイル結成150年の年。
その記念となる年に選ばれたのがCクライバー >>208
ウィーン・レディース・フェラハーモニー でも創れよww >>210
92年は死去したバーンスタインの
代役だったのでは? >>212
そうだったの?でもバーンスタインよりクライバーの方が希少性があり、今になってみれば、その方が良かった。 バーンスタインは聴いてみたかったな
ボスコフスキーが引退したときから指揮者が毎年変わるシステムになってたらよかったのにね バーンスタインのほうがいいな
なんだかんだエンターテイメント性が求められる日だから マゼールの前期も、カキカキコキコキ、時々ウネウネで面白い DGG ロベルト・シュトルツがボスコフスキーに変わって振ってたら、娯楽性が増した楽しいコンサートになっていたかも…
シュトルツのウインナワルツ集は都会的で素敵だから…自作もやって欲しかった。 シュトルツ率いるウィーン交響楽団ってパクり臭っていうかまがい物臭っていうかそんな感じがする
シュトラウスナントカ楽団もそんな感じです
日本での音源リリース元もテイチク?コロムビア?ポニーキャニオン?その辺の三流以下のレコード会社だし >>218
そう。ウィーン響の素人臭さが良かったの。
よく聴くと洗練されてるんだけど…
分からないでもないでしょ? 他スレにも書いたが、メストがクリーヴランド管弦楽団を振ったウィーン気質は、指揮者が懸命にウィーン訛りを出そうとしてて微笑ましかったが、
ウィーン風にはならない。
おれはウィーン風とウィーンフィル風とは別物だど思っている。
あの訛りはウィーンフィルならではのもので、ウィーン響やトーンキュンストラー管、フォルクスオパー管等はもっとスマートなウィーン音楽を奏でていると思う。
それはシュトルツのワルツ、ポルカ集にも同様にインプットされている。
ウィーンの人達が日常に接するウィーン音楽は、意外とスマートな感じなのかと思う。
ボスコフスキーもウィーンフィルにスマートなスタイルを要求していたのが、なんとなくしっくり行く気がする。 シュトラウス一家の作品はかしこまって聞く音楽ではない
酒と女を楽しみながらくつろいで聞くもの
そのところがまったく分かっていないバカどもが多すぎ 酒はともかく女とイチャつけるようなイケてるヤツがここにいるはずはないんだよ 先週のNHKの名演奏ライブラリでクレメンスのウィンナーワルツ特集やってたんだけど、現代の演奏とは大分違うのね あの天才少年もピアノをやめて派遣か。
泣きながら将棋してて人生どうなるか本当にわからないな
https://www.losershogiblog.net 出来の良かった曲ふたつとも映像がバレエなのが嫌だった
今年は振付も衣装も変だったし ニューイヤーも、もうダメだわ
NHKが、いくら頑張っても、音楽自体が凋落傾向
オケも指揮者も、ウィーンの香しい匂いを失ってるね ティーレマンの自信なさそうな顔
おっかなびっくりの指揮棒捌き
オケのただ弾いてるような、やる気のない姿勢
どうしちゃったんだろうね
カラヤン、クライバー、オザワまでかな、比較的楽しかったのは ティーレマン最高。
指揮姿にだけしか目がいかないなんてアホ! ニューイヤーコンサートは人寄せパンダみたいなもの
内容なんてどうだっていい
くだらん新年定番のお決まりコーナー まず、どうしてそうなったか考えてみないといかん
カリスマ指揮者がいなくなったのか
楽員のやる気などの気質に問題があるのか
社会情勢など、人々のクラシックに対する意識が変化したのか
原因が分からないと対処できないし、応援しようがないじゃないか ワルツやポルカがもう賞味期限切れなのだ
たかだか19世紀の流行音楽に過ぎない
これからはヴェーベルンやシェーンベルクで年明けすればいいと思うよ
これとて100年前だがまだ食える ニューイヤーは普段クラシックを聴かない層が楽しむためのもの
クラヲタのためのイヴェントじゃないんだよ >>237
俺クラヲタだけど、ニューイヤー大好き。
今日も京響のニューイヤーいったが、
やっぱりウィーンフィルは京響より上手い。 アメリカのディキシーランドJAZZと同じ位置付けだな
大衆ダンスホールミュージックのはしりがシュトラウスの曲 <いじめっ子の共通点>
・幼少期にクラシックを聴かずに育っ子が多い
・貧乏な家庭で育った子が多い
・兄弟の多い家庭で育ってる
・すぐ人を殴る(小さい頃に「暴力は駄目」としつけられてない) 最近、京響ファンが幅を利かしてる
仕方がないか、菊本さんの出身母体だし
しかし、天下のウィーンフィルより上手いとは、言い過ぎ バーンスタインが振ってたらなぁ、っていつも思いながら・・・
ディスクに残ってるもので自分的ベストは
@カラヤン(初期LD) Aクライバー 92年 Bボフコフスキー 79年(CD) Cメータ 90年 >>244
ほぼ同意だが、ボスコフスキーは音質が硬すぎるのが難点だど思う。 クライバーの89年もアンサンブルが精妙ですなぁ
音も生き生き、ほんと素晴らしい指揮者だわ 個人的に特に印象に残ってる名演といえば
@ボスコフスキーの「天体の音楽」(79)
Aカラヤンの「皇帝円舞曲」(87)
Bアバドの「レモンの花咲くところ」(88)
Cクライバーの「千一夜物語」(92)
Dメータの「南国のばら」(98) >>250
クライバー89 も良かったが、翌年のメータは騒がれないがとても洒脱なニューイヤーで、個人的にはそっちの方がベスト。 >>249
カラヤンは「うわごと」も良かったよね
一寸乱れぬアンサンブルが印象
「皇帝円舞曲」はまさに神の領域
あんな美しい音はもう今後聴けないかも テイーレマンはドイツ人だがオーストリア人じゃないな。
いやハプスブルグ帝国の王朝文化の外の人。
ワルツがベートーベンの行進曲(そんなもんあったか?どうか)に
なってる。最近の指揮者だとマリスヤンソンスが一番、流麗に
ワルツ指揮してて聴き心地よかった。 >>254
ワルツが行進曲??あんたアホやろw
また、例の差別主義者や!どアホ まぁ誰が振ろうがその違いなんて僅かな誤差程度のもんでしょワルツポルカ
大上段に振りかぶり私のアプローチはこうでござーい!と見栄を切るほどの御大層な曲でもあるまいに >>254
ベートーヴェンの行進曲も知らんでよく音楽聴いているって言えるな。失せろ馬鹿! >>260
差別主義者とか叫んでるお前が一番過激だしスレ荒らしてるのを自覚しろ
バカな左翼と一緒 >>254
大フィルスレで西成を馬鹿にしたり、女性ヴァイオリン奏者を差別したヤツでクラシックのクの字も知らないくせに、ハプスブルクとか馬鹿いってて、
ティーレマンの素晴らしさの素の字も知らないから叩いただけ。
クラシックは人類平等。 ここ数年のニューイヤーは面白くないのは事実
シュトラウスの艶、色気、ドラマティックな展開
そんな感じが聞こえてこない >>264
そういうのに満ちていたのがまさにクライバーだったよな そうそう、今の時期になるとクライバーを聞くけど、色あせない名演
クライバーが大写しになった時、画面が少しぼけたように見える個所がある
ビロードのような映画の一場面のような、聞きつがれていくだろう、歴史的演奏 ワルツごときで顔真っ赤にして恥ずかしくないですか。
楽曲の中の一部だから良いんであって、曲自体がワルツ○○○、ポルカ×××、って何? 路上ライブの違反ブス女のcd割って何が悪い!
まず違反してライブしてたブスが悪い! テレビで佐渡裕が楽友協会を拠点とするトーンキューストラ楽団の映像が流れていたが
将来佐渡がニューイヤーに出てほしい。 トーンキュンストラーの前任者のオロスコ=エストラーダは、ウィーンフィルにもよく呼ばれてるようだから
佐渡さんもそれを狙っているんだろうけど、さっぱりだね。
さらにニューイヤーで振らせてもらえるのは一握り。 しかしなぜ呼んでもらえないかね?
呼ばれないのも不自然な気が >>270
何故アンタが断わるの?
佐渡は小澤とくらべて知名度が低いし、
ウィーンフィルへの客演経験も無いから、まあニューイヤーには呼ばれないだろうけどね。
岩城宏之はウィーンフィルの定期振った事あったから、ニューイヤーに出てたら何か面白いことやったかもね。 あり得ない話しだが、朝比奈御大がニューイヤーを振っていたらどんな演奏になっていただろう?
御大は美しく青きドナウの演奏を残しているが、オケが大フィルながらなかなかウィーン情緒をだしておられる。
御大はクライバーよりカッコいいので、スタンディングオベーションになったかも… バーンスタインはもしかしてオファー断ったの? 聞きたかった。 今のような安っぽい指揮者ばかり招くようなら
現役中のアーサー・フィドラーも呼ぶべきだった
でも、あの頃のニューイヤーコンサートは格式があったから無理か >>278
カール・ベームシュトラウスのワルツ、ポルカ集を出しているのし、オーストリア音楽総監督だったのに、なぜニューイヤーによばれなかったの? 佐渡さんのブラ4、たいしたことなかったね
ベルリンとのタコ5は良かったと思うけど、聞きなおしてみると
それほどタコ感がない、模範演奏のようにも聞こえる
ベルリンを6000tの大型車に例える言い方も、音響を重視しているようで不満
オザワ・サイトウキネンのブラ4は、情熱感がある感動的演奏だった
オザワのニューイヤーは、艶もほどほどに出てて、楽しかった >>282
今売り出し中の鬼才?指揮者 2年連続レコードアカデミー賞グランプリ
チャイコフスキーの悲愴は確かに型破りで壮絶な演奏。但し演奏者は
全員立ったまま演奏するらしいからウイーンフィルの走者がそうする事
はあり得ないけど! >>287
ムジカエテルナ大阪公演の悲愴、楽しみだ 個人的にはアバドの91もなかなかと思うな。
もちろん、88もエッジの鋭い、アバドらしいイタリア的な解放感と
歌心に満ちた素晴らしい演奏だけど、91は対極的に優雅。
くるまば草と水彩画は何度聴いても感動するウィーン情緒満点の演奏だし、
カルメンのカドリーユの愉しさと泥棒かささぎの躍動感は絶品。
クライバーの89と92の相似形として非常に楽しんでいます。 カラヤンのは最初発売されたLDとVHSはこれまで聴いたことないくらいホールトーンが過多だったけど
後に発売されたDVD(アメリカプレス)はそれが見事に抑えられていた。
自分はもちろん前者が好き。
あそこまで過激にやられてると、たまりません! もうどうにでもなれ!って感じw
美しければいいのだよ、もう カラヤンのグラモフォンCDだけど、最初のジプシー男爵
あれ音程だいぶいじってるよね カラヤンの初期盤、ムジークフェラインのエコーが最高
ヴィオラが全く別の楽器に聞こえる時があるw カラヤンの皇帝円舞曲はまさに決定版だな
あそこをああやってほしい、ここはこうやってほしいとか
考えることが虚しくなる、
そう思えば思うほど、なんか自分の未熟さを教えられてしまうほど
これでもか!とこのマエストロがまるで鳳凰の如く提示する
ごめんなさいマエストロ、これ以上僕には考えてもつきません。 山本伸一は、二十七日、文部省を表敬訪問し、フレッド・ジノワツ副首相(文部相)と会談した。
彼は、後に首相となる。
ジノワツ副首相との語らいでも、ウィーン国立歌劇場が日本で公演したことが話題にのぼった。
伸一は、「これからも、文化・教育の交流を通して、世界の平和に貢献していきたい」と、平和への信念を語った。
その足で彼は、国立歌劇場から数分のところにある、ベルベデーレガッセ街にある永村嘉春のアパートを訪ねた。
会場として使われている部屋は、十数畳ほどの広さであり、ここがウィーンの活動の拠点でもあるという。
家族は、夫妻と七歳の長男、四歳の長女である。
質素な部屋であった。
しかし、この部屋こそが、オーストリア広布を担う人材の揺籃となり、幸と平和の新しき民衆史が織り成されていくことになるのである。
伸一は厳粛な気持ちで、永村の家族や居合わせたメンバーと勤行し、皆の健康と成長、オーストリア広布の伸展を祈った。
“幸福の凱歌を、声高らかに響かせてほしい”と。
それから近くの庭園で、皆と記念写真を撮ったあと、ハイリゲンシュタットにある楽聖ベートーベンの記念館を訪れた。
ここは、ベートーベンが住んだアパートで、難聴という絶望の淵に立った彼が、三十一歳の時、弟たちに宛てて遺書を書いたこ
とから、“ハイリゲンシュタットの遺書の家”と呼ばれている。
二階の二部屋だけの小さな記念館である。
この家を三十五年間にわたって守り続けてきたという老婦人の案内で見学した。
部屋には“遺書”の複製も展示されていた。
音楽家でありながら、聴力が失われていったベートーベンは、希望を失い、自ら命を絶とうとさえ考える。
彼は、この“遺書”に、「私を引き留めたものはただ『芸術』である。
自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはな
らないように想われたのだ」(注)と記している。
使命の自覚こそ、いかなる試練にも打ち勝つ力だ。使命に生きる時、無限の勇気が湧く。
注 ロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波文庫 カイザーヴァルツァー
デジタル録音初期のマゼールの薄味だけど尖んがった演奏もいい トリッチトラッチポルカと雷鳴と電光のクレメンスクラウスの音源ってCDで出てます? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています