VPOニューイヤーコンサート2019
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>>287
ムジカエテルナ大阪公演の悲愴、楽しみだ 個人的にはアバドの91もなかなかと思うな。
もちろん、88もエッジの鋭い、アバドらしいイタリア的な解放感と
歌心に満ちた素晴らしい演奏だけど、91は対極的に優雅。
くるまば草と水彩画は何度聴いても感動するウィーン情緒満点の演奏だし、
カルメンのカドリーユの愉しさと泥棒かささぎの躍動感は絶品。
クライバーの89と92の相似形として非常に楽しんでいます。 カラヤンのは最初発売されたLDとVHSはこれまで聴いたことないくらいホールトーンが過多だったけど
後に発売されたDVD(アメリカプレス)はそれが見事に抑えられていた。
自分はもちろん前者が好き。
あそこまで過激にやられてると、たまりません! もうどうにでもなれ!って感じw
美しければいいのだよ、もう カラヤンのグラモフォンCDだけど、最初のジプシー男爵
あれ音程だいぶいじってるよね カラヤンの初期盤、ムジークフェラインのエコーが最高
ヴィオラが全く別の楽器に聞こえる時があるw カラヤンの皇帝円舞曲はまさに決定版だな
あそこをああやってほしい、ここはこうやってほしいとか
考えることが虚しくなる、
そう思えば思うほど、なんか自分の未熟さを教えられてしまうほど
これでもか!とこのマエストロがまるで鳳凰の如く提示する
ごめんなさいマエストロ、これ以上僕には考えてもつきません。 山本伸一は、二十七日、文部省を表敬訪問し、フレッド・ジノワツ副首相(文部相)と会談した。
彼は、後に首相となる。
ジノワツ副首相との語らいでも、ウィーン国立歌劇場が日本で公演したことが話題にのぼった。
伸一は、「これからも、文化・教育の交流を通して、世界の平和に貢献していきたい」と、平和への信念を語った。
その足で彼は、国立歌劇場から数分のところにある、ベルベデーレガッセ街にある永村嘉春のアパートを訪ねた。
会場として使われている部屋は、十数畳ほどの広さであり、ここがウィーンの活動の拠点でもあるという。
家族は、夫妻と七歳の長男、四歳の長女である。
質素な部屋であった。
しかし、この部屋こそが、オーストリア広布を担う人材の揺籃となり、幸と平和の新しき民衆史が織り成されていくことになるのである。
伸一は厳粛な気持ちで、永村の家族や居合わせたメンバーと勤行し、皆の健康と成長、オーストリア広布の伸展を祈った。
“幸福の凱歌を、声高らかに響かせてほしい”と。
それから近くの庭園で、皆と記念写真を撮ったあと、ハイリゲンシュタットにある楽聖ベートーベンの記念館を訪れた。
ここは、ベートーベンが住んだアパートで、難聴という絶望の淵に立った彼が、三十一歳の時、弟たちに宛てて遺書を書いたこ
とから、“ハイリゲンシュタットの遺書の家”と呼ばれている。
二階の二部屋だけの小さな記念館である。
この家を三十五年間にわたって守り続けてきたという老婦人の案内で見学した。
部屋には“遺書”の複製も展示されていた。
音楽家でありながら、聴力が失われていったベートーベンは、希望を失い、自ら命を絶とうとさえ考える。
彼は、この“遺書”に、「私を引き留めたものはただ『芸術』である。
自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはな
らないように想われたのだ」(注)と記している。
使命の自覚こそ、いかなる試練にも打ち勝つ力だ。使命に生きる時、無限の勇気が湧く。
注 ロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』片山敏彦訳、岩波文庫 カイザーヴァルツァー
デジタル録音初期のマゼールの薄味だけど尖んがった演奏もいい トリッチトラッチポルカと雷鳴と電光のクレメンスクラウスの音源ってCDで出てます? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています