50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート
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一人ひとりに思い出のコンサートあり
鋭敏な耳と繊細な感性で数多の音楽を吸収した経験豊富な50歳以上のオッサン限定のスレです
昭和平成名演駄演なんでも結構
あなたの心に残るコンサートを上げて下さい
なおナウなヤングは御遠慮願います いかにも日本人らしく折り目正しくお行儀よく
在京オケはもちろんオペラやケルン放送、ミュンヘンフィルなどなどいろいろ聴いたけれど、心揺さぶられた経験は一度もなかったな若杉キリギリス 若杉さんがジュネスでやった春祭は思い出深いですね。 >>380
その数ヶ月前、サントリーホールの最初の音響テストとして山田一雄指揮新交響楽団が同じ曲を演奏したんですよ
翌日東京文化会館で行う演奏会のゲネプロでした
私はその舞台にコーラスの団員として参加してました
豊田喜代美さんは新響の舞台にものってたな 人見記念講堂で聴いたアルゲリッチのソロリサイタル
1982年頃だったかなぁ
A席しか取れなくて悔しかったけど現地についたらSが数枚販売していて飛びついた
Aのチケットはプログラムに挟んで記念にした 若杉の千人はN響を振ったの聴いたが
第1部より第2部のほうが良かったな >>385
千人で鮮烈なのは台風の影響で数百人しかはいらなかった京響の希少な名演だ(びわこホール) 千人の交響曲で思い出した
ベルティーニ指揮ケルン放送響のマーラー・ツィクルスで聴いた(サントリー)
なんかチケット代に反して合唱団の人数が少ないように思えた(演奏は良かった)
千人はあと、その数年後芸劇オープニングシリーズのシノーポリ&フィルハーモニアでも聴いた
それ以来ナマで千人聴いてない
(10年近く前かな?デュトワ&N響のチケット買っていたが直前に仕事が入り泣く泣く金券ショップで売った) >>384
恐らくそれ以降、ソロリサイタルを殆どやらなくなったアルゲリッチ >>384
そこまで投資してアルゲリッチを聴きたいと思ったことは、子供時代、成人以降今日に至るまで一切ない。 まあ、アルゲリッチは日本も含めて
ちょいちょいソロやってるんだけどね スレチかもしれんが
30年くらい前にキースジャレトトリオのコンサートの切符買ったら
なんかの都合でトリオがこれなくなってキースのソロコンサートになった
そのころケルンコンサートとか聴きまくってたから、すげえうれしかった。 1973年 大阪フェス カラヤン・ベルリンフィル ドボ8とワーグナー
1984年 尼崎アルカイック リヒテルのドビュッシー
1985年 大阪フェス バーンスタイン・イスラエルフィル マーラー9
2001年 大阪フェス 朝比奈隆・大フィル ブルックナー9
朝比奈隆の最後のコンサートのブルックナー9は乱れもあり名演というものではないだろうが、
凄みのある雰囲気を感じました。 73年はNHKホールで浄夜、エロイカとジュピターチャイ4をカラヤンで
二日間聴いた。エロイカは兎も角、チャイ4には度肝を抜かれた。
NHKホールの音の悪さにも度肝を抜かれた。(二階席後方)
バーンスタイン、イスラエルのマラ9は豚珍韓の俺には良さが伝わって来なかった。
マラ9は他にもっと良いのが一杯あったのに。 キース ジャレットは武道館でソロを聴いた覚えが
細かい音なんか聴こえないだろうと思ったら意外に
よく聴こえた。席が良かったのと客が静かだったのか。
前半は45分位退屈な即興。後半は短かったが
とても美しい音楽が「即興」で演奏された。 ちなみにミッキーな
70年代後半にベルリン国立歌劇場管弦楽団が来日した時、茶色の長髪を靡かせて優雅に指揮していたよ キース・ジャレットをサントリーホールで聴いたとき
パフォーマンスに集中してくるとピアノを弾きながら腰を上げてユラユラ
誘ってるようだったw >>396
私は見ました。長髪でセンター分けしてました
普通のビジュアルだったけど、
その後急に禿げたので、目を疑いました。
たぶん以前もカツラとかじゃなかったと思います。 >>400
かけてない。少年ぽかった(その時の年より) >>400
かけてない。少年ぽかった(その時の年より) >>400
TRIOのモーツァルテウム管のジャケット 黒縁メガネに長髪は新日フィルの定期で何度か
その後偶々同じマンションに住んで近所の寿司屋で隣になったことあるが同一人物とは思えなかったなw 初期カラヤンのオカッパ頭も印象的だが
井上氏の変貌ぶりもなかなかだな >>408
ギヤ・カンチェリみたい
まあ薄くなったら未練がましく隠さずに
スッキリさせた方がカッコいいよ どの段階でスッキリさせるかが問題だ
井上氏にご教示願いたい 頭部なら山田耕筰大先輩が先駆者。
リアルで観た(聴いた)人います? 井上道義は人の好き嫌いが激しい気分屋で
嫌いなソリストだと本番でわざと合わせなくするとか
そういう嫌がらせをする指揮者だと青柳いづみこが書いていた 井上さん、京響で
「それは指揮者、怒っちゃいますね!そんなのは!」ってやってましたね
よく鍛えて下さったと思います 感謝です >>415
某オケの奏者の話では、好き嫌いに関係なくソリストに合わせるのが苦手
苦手というか、あんまり合わせようという意識が無いみたい 井上は、昭和の時代に「オーケストラがやってきた」って番組に出演して知ったけど、
髪の毛フッサフサでムーティを思わせるようなイケメンだった。
だから何年後かにツルツル頭に変貌したのを見た時の衝撃は未だに忘れられない
ハゲるのが急激すぎる気がするから、もしかしてあの番組の時はカツラだったのだろうか? >>417
ソリストがアルゲリッチなら「こんな指揮者とは出来ない」とキャンセルされそう
まあアルゲリッチと協演できるような指揮者じゃないけれどw >>418
カツラじゃなかった。何年かしたのを急に見たのではなく、フサフサだったのがだんだん(急速に)薄くなって、
最終的に剃ってしまう段階を見たから言えるんだけど…
ハーフの人には有りがちな禿げかただろ。 池面は禿げても似合うよな
他の日本人指揮者では思いつかない 80年代、井上+新日のノモス・ガンマは衝撃的だった@東京文化会館 井上道義に鍛えられたロートルが未だに恨み節を書き込むスレwみっともねえwwwwwww ロートルなんて言葉を知ってる貴殿も相当なお歳ですな >>423
50過ぎなのに草をたくさん生やすのが好きなんですね これはまた痛いご指摘!(笑)
流れ弾に当たってる奴が数名おるねw 人間50年化天の内をくらぶれば・・・
信長ほどのなんの功績も残していないが・・・ あんなのはただの大量殺人者だ
迷惑を掛けず半世紀生きるほうが余程立派である 俺は還暦を越えたが、前半生は親に痛めつけられ散々な生活を送って来た。
だが一度たりとも将来を諦めた事はなかった。
いつか何らかの救いがあるのではないかと思い、夜学で大学をナンとか出られたものの、
人間恐怖(それは親や友人にこっぴどい暴力と罵詈雑言を浴びせかけられ心が疲弊しきっていた)
何とか警備員や工場労働者を転々としたあと、
僧侶になるべく寺での修行生活をしたが、
坊主の悪行の限りを見せつけられ、これではいけないと思い、専門の大学で佛教学を学び直し
宗門檀家制度のもとでは僧侶になったとて世俗にまみれるだけだから老人福祉施設でケースワーカーとして働きつつ、佛教の素晴らしさをご老人に話す日々を送った。
そうしているとき、一人の看護師の女性と知り合い懇意になって結婚したのが、私が40を迎える数カ月手前だった。
やっと幸せになるかと思った矢先妻をがんで亡くしてしまった。
また孤独な生活に戻った私は、パチンコ屋の店員やスナックの従業員をやけくそになって移り渡り、酒やギャンブルにのめり込み借金を重ね、覚醒剤にまで手を染め収監された。
ヤクザからの借金は数千万に登ったが、寺時代からの師匠のところに転び込み、相談したら、自己破産を勧められ、禁治産者となり生活保護の暮らしができるようにはなったが、
生活保護友の会で奇跡的に今の妻とめぐり逢い、今は世帯で生活保護が受けられてささやかながらの幸せを掴んだ。59歳になっていた。
ほんの三年前の事である。 誤爆かスレチか知らないが駄文垂れ流し不幸自慢ゴクローサンw オリーヴの実って旨いもんだな
この歳になって良さが分かってきた 朝比奈隆最後の第九交響曲の夕べ
2000年12月29日に出かけた。
それが私の朝比奈隆との別れになった。
演奏はいつもと変わらず堂々としており、
テンポも聴き慣れた大フィルとのテンポで、
朝比奈も元気で堂々としていた。
その後私も東京本社付になり、二度と朝比奈隆はおろか、大フィルも聴かず、フェスティバルホールにも一度も顔を出さなかった。涙が滲んだ。 吉本の社長って60代半ばに見えたけど、まだ53歳なのか 80年代半ばだったと思うけど
東京文化会館で小澤征爾&アルゲリッチのチャイコフスキー1番のピアノコンチェルト
当初、ラフマニノフの3番を弾く予定が急遽ありふれたチャイコフスキー1番に変更されかなりガッカリしたけれど
何度かカーテンコールに呼ばれたあと小澤に説得されてアンコールに終楽章を弾いてくれたので満足でした 1982頃だったか岩城宏之指揮メルボルン響で武満プログラム
壇上に上がった武満を生でみた。
琵琶もまだ鶴田さんだった 1987だった。人見かとばっかり記憶してたがサントリーだったんだな 1990年頃
音友ホールで聴いた海老彰子さんのリサイタル
当時、日本人でいちばん指回りが良いピアニストと書かれていて
それを反映してか
ドビュッシーとショパンのエチュード作品25を全曲演奏するという意欲的なブログラム
後半のショパンになると
海老さんの手を見たさに座席を立ち下手側に移動して立ち見をする客がたくさんいた 91年のプロムスラストナイト
ギネス・ジョーンズがワルキューレみたいな恰好でルール・ブリタニアを歌った
カラヤン時代は来なかったBPOが初めて来演した年 N響定期。作曲家の矢代秋雄が亡くなったとかで、急遽矢代のピアノ協奏曲が追加された。メインのマラ7
もよかったが、ピアノ協奏曲も熱演で儲けた気がした。指揮はギーレン。 >>444
プロムスに行ったの。91 年だったら俺はまだ韓国とグアムぐらいしか行ってなかったよ。
90年にソウルのカルチュアラルセンター大ホールでソウルフィル聴いた(林元植指揮)
全然イケてない演奏でガッカリしてた頃だな。
ロンドンは2000年にコヴェントガーデン(ロイヤルオペラハウス)でミンクスのバレエ(ドン・キホーテ)観たのが最初。
海外でのコンサートは1998年にシドニーオペラハウスでシドニー交響楽団(シベリウスプロ。メインは交響曲第1番)だったなあ。音響悪かったよ。 2012年8月 仕事でベルリン出張(はじめての海外出張)
ネットでコンサートさがしたらヴァルトビューネでベルリンフィルのピクニックコンサートをやってたのでチケット取った。
普通はシーズンエンドの6月なんだがその日大雨で順延になったのだそうだ。シャイーの指揮でニーノロータとレスピーギがメインだった。
気候もよく、ローマの松の鳥の声が本物みたいな森の中のコンサートだった。屋台で買って食べたビールとプレッツェルが忘れられない。 2011だったわ。フランス人に福一の事故でかなり怒られた。 初めてヨーロッパに行ったのは、 97年春に新婚旅行で行ったオーストリアだった。
ウィーン国立歌劇場でオペラ、バレエを鑑賞
ウィーンコンツェルトハウスでラトル&ウィーン響のマーラーチクルス(第6番)を聴いた。
ムジークフェラインは滞在中コンサートが無かったので外観を写した程度だった。
その後ザルツブルクに行き、フェストピーレンハウスで学生のオーケストラを聴いた。
滞在中毎夜でもコンサートに行きたかったが、
その頃は妻が余りクラシックに慣れていなかったので、全行程をクラシックに割く事はできなかった。
白眉はやはりマラ6で鮮烈な印象を受けたが、
ウィーンフィルは5年後の2度目のオーストリア旅行までお預けとなってしまった。 朝比奈/新日フィル/大野のくそリング(1984-1987) と
ホルライザー/ベルリンドイツオペラ/コロの神リング(1987)
(ロペス・コボスも振ったけどそっちは指揮がくそだった。) >>451
最近オーケストラアンサンブル金沢で聴いたベートーヴェンの交響曲第4番。ブラッハー指揮
さすがはベルリンフィルの元コンマス。
精緻なアンサンブルと流麗なメロディに酔った。 初めて行ったヨーロッパのコンサートは
1992年ウィーン国立歌劇場でのアラベラだった。指揮はレオポルト バーガー
全く知らないオペラで、立見だった。何幕あるのかも知らず聴いているのが恐怖だったが、2幕ものでホッとした思い出である。 俺は海外はいつもついてない。パリ・オペラ座(ガルニエ宮)は内部見学でシャガールの天井画を観ただけ。オペラ・バスチーユは休館。
ウィーンフィルはチケットが取れなかったし
ウィーン国立歌劇場はバルコニーの舞台の見えない席でバレエを観ただけ。
トロントのロイ・トムソンホールも休館(出発した翌日にトロント響の定期)
シドニー響は楽員ストライキで中止。
ソウル・ロッテコンサートホールは一週間後にオープニング予定だったエトセトラ
まともに聴けたのは、ベトナムのホーチミン舞踏管弦楽団位だが、日本のお稽古事レベル以下
今年はハワイでホノルル響を聴く予定だが、果たしてどうなることやら…… >>454
おととしウィーン国立歌劇場いってカウフマンとゲオルギューのトスカの立ち見を買うのに午後一時から並びましたよ。努力しないだめです。 ちなみにその次の上演ではカウフマンがキャンセルしたそうですから、運もありますが >>454
旅程と公演日がなかなか合わないからなあ。
早くリタイアして予約して楽友協会やコンセルトヘボウに行くのが夢だかいつになることやら
その頃には海外いくのがキツくなってるかも。
今でも海外移動はシンドイからなあ。 1986年6月3日NHK-FMで聴いた、NDRとの15番がそもそもの始まりでした ...
「何れ、この指揮者の実演による15番を聴きたい」と思い続け14年 ...
彼の振る15番のシンフォニー聴きたさに、2000年2月にハンブルクまで出掛けて行きました。
まさか、放送で聴いた同じ場所.同じオケ.同じ月に聴く事が出来るとは想っても見ませんでした...
放送された演奏会は1985年2月25日ハンブルク.ムジークハレ。私の聴いた演奏会は2000年2月13日~15日、そうです15年後。
ショスタコーヴィチの作品を聴いて泣いたのは、後にも先にもこの3日間の演奏会での15番だけでした。
人には、一生に一度出会うべき演奏があると思っていましたが、真さにそうでした。
終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら ...
マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに ...
そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
きっと、ショスタコーヴィチとの思い出を思い返して居られたのでしょう。
私は忘れません、マエストロがあの時、私だけに見せたあの御顔を ...
本来ならば御悔やみなのですが99歳白寿おめでとう。
そして、素晴らしい演奏と思い出に多謝。 >>457
オレもリタイア後に行きたいが長時間のみエコノミークラスに耐える自信がない >>460
エグゼクティブクラスくらい奮発しちゃおうよ >>462
20代の頃にそれやったわ
始発から終点までの長丁場を通して乗るヤツはまずいない
途中下車する目的は入浴し身体の汚れやニオイを落とすためw
オレもそうしてモスクワからさらに遥々ベルリンまで鉄路で移動した
駅頭に立った時はさすがに感無量だったなぁ
まだソ連東欧が社会主義体制だった頃の話し >>462-463
ムラヴィンスキーは、どうしていたんだろうね? 乗務員専用のシャワー室を特別に使わせてもらっていたと聞いたことがあるけどね >>458
>終演後、楽屋で御会いしたマエストロに「これだけ素晴らしい演奏でしたから、天国にいるショスタコーヴィチも
>きっと喜んで下さっているでしょうね」と天井呼び差して話したら ...
>マエストロ、天井をじっーと見上げて何か感慨深そうに ...
>そして、私の顔を見て「さぁ〜どうかね」と言う顔をして再び天井を見上げて居られました。
マエストロ「このキモい東洋人、なに言ってんだかワカンネ。天井がどうかしたのか? 」 聞くところによると90年代後半〜00年代前半は
無職、フリーター、ニートといった寄生虫でもなぜか海外遠征ができた時代だったらしいw
ある意味、いい時代だったんじゃね?w
そろそろ「50・80問題」が大爆発するからなw
寄生虫爆死、楽しみw >>469
引きこもりなどを寄生虫扱いするのはよくありませんね。 >>469
そーゆー身の程知らずの寄生虫が海外遠征した一例が >>458 だよw
許可なく楽屋に侵入してNDRにマークされたクズw
オマケにロビーで許光俊御一行様に散々イビられていたなw >>470
せいぜい細菌かウィルスだな
寄生虫は環境が必要なだけで自活できる 86か87、ウィーンでパルシファルの立ち見に並んで前奏曲だけ聴いて、退場。タイムマシンがあったら、、、 生まれて初めてのコンサートは。
松崎玲子ピアノリサイタル(毎日ホール)
松崎は従兄弟で、私は小学生の頃。
クラシック聴き始めた時だったから、
オールリストプロだと聞いて楽しみにして行った。ミスタッチ(小学生でも分かる)だらけの演奏なのに、親戚で子供と言う事で花束を渡す役をやらされたので恥ずかしかった。
客入りも悪く、祖父が知人にチケットを売りまわっていたのを記憶している。 >>454
出張で行ったけど、スカラ座は内部見学のみ、最後の晩餐は修復中で見られなかった自分もw
シカゴもシーズン前だったので、ホールの売店で土産物買っただけ 2011 ベルリ大聖堂での教会コンサート
fl パユ cemb ピノック vc マンソン 一応指定席だったのだが、みんな演奏が始まると前の空いている席へ移動。
奥ゆかしい日本人としては後ろでいじいじしていた。
パユがフルートソロ一人でやってる時だった。(テレマンだったかな)
ひましてたのかピノックが俺の真後ろの席にやってきて座った。パユを見に来たのだろう。
息がかかるほどの距離でピノックをみて感動した。 出張ついでに聴くことのできた海外コンサートは2回のみ
プロムスの立ち見席とコンセルトヘボウ
後者はオランダ放送フィル/ズヴェーデンでラフマニノフの交響曲2番がメイン
これは良かった
休憩時間ワイン飲み放題だった アラスカにタラバガニ買付で行ったとき、乗継のアンカレッジでアンカレッジ交響楽団聴いた。
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