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絶対クラシックの話をしてはいけない雑談スレ 3

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0139名無しの笛の踊り
垢版 |
2019/10/16(水) 07:13:52.20ID:AcOuPN7T
>>138
俺は38まで悲惨な生活をしていた。父母から過大なDVを受け、孤立無援になって殺される寸前まで行き、中学、高校では過度なイジメを受け
学校に通うのがやっと。家に帰れば、帰ったで地獄が待っており生きていく術がなかった。
高校は3年の1学期までは行ったが、学校自体が2学期以降は受験に備えろというほうしんだったので、単位終了と言う事で、学校に行かず、
所謂「ひきこもり」になった。卒業単位は取得していたので、本当のひきこもりとは言えないが、卒業式まで行かなかった。
しかし、俺らの頃の「ひきこもり」は今とは違って風当たりが強かったので、
非常な両親から「戸塚ヨットスクールに行くか、精神病院に入るか」と迫られ、
結局病院に約8ヶ月いれられた(医療保護入院)父母は見舞いにも来ず、私は19歳にして、人生の終わりを覚悟しなければならなかった。
翌年の4月になってやっと硬直だった担当医が、父母の要求する「進学をしろ」と言う条件でようやく退院のきょかがおりた。
心身ともにズタズタだった。無理やり予備校に入れられたが、そんな気分には到底なれず、
行ったふりをして、電車で死んだように眠り、頃合いを見て帰宅するというせいかつを1年続けた。
0140名無しの笛の踊り
垢版 |
2019/10/16(水) 07:39:28.85ID:H6uc0iPO
>>139
続き
やっと入ったのが無名の大学でなんとそこでも底意地の悪い奴のターゲットに会い、イヤイヤの大学生活を送り、三流の会社に入った。
勿論自宅には帰してもらず、下宿から2時間半かけて通勤さられ、薄給の上に家賃光熱費も払い、週一回(その頃は)の休みは死んだょうに寝るだけの生活だった。
そんな仕事もサービス残業ばかりで、帰宅して二時間寝たらまた出社というキツイ生活が続いて、身体の変調で1年しか続かなかった。
その後は、僧侶修行、パチンコ屋の店員、工場労働者、ちり紙交換員、警備員、福祉職員と点々としたが、身体が悲鳴を上げていた。
父母それでも私を認めず、弟が結婚すると言う理由で、俺の事がバレるのを恐れて、こともあろうにまたもっと過酷な精神病院に俺を入れた。34歳になっていた。
死んでいてもおかしくない生活を物心ついた頃から続け、退院後は老人保健施設のケースワーカーとして働いた。苦しかった。やはりカ国だった。
施設で働いていた看護師さんと付き合えるようになってやっと光明が見えだしたかに思えたが、交際のは名ばかりの奴隷だった。

そんな折、今の妻と出会い、ナント結婚できるというおれにとっては天啓、僥倖とさえ云える奇蹟が起こり、爾来23年幸せな生活を送っている。結婚は40似なる直前だった。
苦しかったが俺はまだ恵まれている。いつ死んでいてもおかし区なかったが、
今は最愛の妻と幸せにうさ慎ましやか似くらせている。仏様に感謝して生きている。

長文駄文誠に申し訳ありません。
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