ハイドン総合スレッド15
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北朝鮮マニアの日本人オケが演奏すると全ての曲がブラームスの交響曲第四番風の貧乏臭い、リズム感皆無のベッタリとしたドドメ色の葬式音楽みたいになっちまうんだよな。ハイドンは言うまでもなくベートーヴェンの明るい曲ですら死臭漂う老人の音楽へと様変わりwww
大半が共産党と東側シンパ(笑)だから、バルトークとショスタコーヴィチは無条件に礼賛。 >>265
むしろラズモフスキー3番の方が地味なハイドンより初心者にもアピールすると思うな アルヘリチ旧盤てオリジナルは伊リコルディ原盤で
CDは旧EMIや日本ではデンオンあたりから出ていた記憶
ぐぐったら今はRCA(ソニー)から出てるのか?
DGにショスタコとカップリングで新録音もしてるんだな。 >>271
ハイドンの存在が音楽史・録音史的に地味なだけで
音楽がとりわけ地味ということではないんだが 録音史は知らんが音楽史的にはハイドンは地味どころか大スターだよ
でも弦四初心者だったらラズモ3の方が派手でとっつきやすいかと 初心者の頃はラズモ3はよくわからんかったな
セリオーソの方が演奏時間も短くまとまってて聴きやすかった
でも一番わかりやすかったのはハイドンの皇帝と五度だったな
モーツァルトは初心者当時はよくわからなかった
ハイドンも太陽四重奏曲集はイマイチわからなくてロシア四重奏曲集は軽すぎるように感じた
エルデーディ四重奏曲集が初心者的には一番バランス良く感じたな、俺の場合は みんな、ポップスもちゃんと聴いてるかい?
時代に付いて行かないと、耳が腐っちゃうぜ!
ところで、アマゾンでボザールトリオのハイドン全集国内盤が5万で売ってて、
自分は国内盤リマスタが好きだから買おうと思ってたが、
帯があるか問い合わせたら他で売れてしまったと連絡があった。
・・・まあ、もし買ってたら俺はバカだと自己嫌悪に陥ってただろうし、
売れてしまっててよかった。アマゾンの中古は高いよなあ。 ポップス、ロック、ジャズしても有名なものは全般、一通り聴いてます
という人もいると思うが
気に入ったアーティストが見つかったら、それなりに掘り下げて聴くじゃあないですか
クラシックなんかは最たるもので好きな演奏家、あるいは作曲家の
1人か2人をとことん追求して聴いてりゃいいのです
ピンとこない音楽をわかる、わからないで悶々と聴き続ける人もいるかもしれんが
演奏家だって全ての作曲家の作品を理解し共感し楽しんでエキサイトして
やってるわけじゃなし むしろ今のポップスの大半は耳が腐るので聴かない方がマシ 俺の好きな作曲家は、ハイドン・モーツァルト・ブルックナー・ブラームスだな。
他には器楽は、いつもは無言歌全集ぐらいしか聴かないな。
まあ確かにふだんは、意識しなくても、よく聴く曲ばかり聴いてるな。 ちょっと絵に描いたような硬派なクラシック
そこにハイドンがチョイスされてるのが意外なほど。
別にいいけど‥ ハイドンの音楽は、その人間性に親しむものなんだよ。
ハイドンを尊敬することは、人間として重要なこと。
ベートーヴェン・ワーグナーは、傲慢だからちょっとな。
事実昔の俺は、リスト編曲も含めてベトを弾きまくってて、
リアルで自分のことばかり言ってるやつだった。
そんな生き物が移ってくるのはもう嫌だ。
と、ここで、俺が好きな、
老子が孔子に、貧乏だからと餞別で贈った言葉を書いておこう。
「頭の良いやつがすぐ足元をすくわれるのは、他人を批判しすぎるからだ。
わけ知りがよく危ない目に合うのは、他人の悪をあばくからだ。
自己主張は控えて、他人に配慮することが大事なのだ。」 クレメンティがどんな奴なんか遠くエステルハーザまで訪ねたらしいが
自分の曲で気まぐれな部分がくるとでかい声でよく笑う ということだったらしい
確かに苦労人ハイドンはモツ以降の作曲家達とはちょっと異質なまでの大人物なんだな そういうこともあって裕福になった老齢期の作品よりも
モルツィンやエステルハーザの処で独自に作曲していた頃のフレッシュな作品は
独創的で風変わり 「ハイドンの音楽は、その人間性に親しむものなんだよ」
貶めてるし、ハイドンの音楽が本当は分かっちゃいない
ハイドンは純粋に音楽だけで素晴らしい 作曲家の人間性とかどうでもいいわ
音楽が素敵だから聴いてるそれだけだ まあ、クラシック音楽衰退の1原因は、
オーケストラの事情だかユダヤコネの事情だかなんだか知らんが、
長年マーラーブームなんかやってたせいだよな。
あの膨大な労力と時間が、もしハイドンブームだったら、
曲数からネタも尽きないだろうし、クラシック再興の始まりになっただろうに。 これからコロナの影響で楽団員のリストラが相次ぎ、少数精鋭の室内楽やハイドンがブームになる!?
んなワケないか。マーラーはチャイコフスキーに続く「彼ら」にとってのオモチャなんだろうとしか
。三流小説が好きで、いかにも「クラシック」な雰囲気が好きな人にとっての格好のアイコンというか。
同じユダヤ系作曲家でも、ミヨーの15曲の方がハイドンファンにとっては楽しめるかも?w
(ハイドン自身ユダヤ人という説はおいといて) いよっしゃーーー!!
バリトン三重奏曲全集の中古をHMVで買ったら、
かなりの美品だった!超嬉しい! それ室内楽で3人なのに残響が多めのやつじゃなかったかな
中古の状態が良ければ中身の演奏・録音とかは
あまり気にしない人なら問題ないことだが
おれなんぞは録音は楽器どうしの生々しいからみが手に取るようにわかる
デッドな録音が好みなもんで… 他人のレビゥなんか見てると逆にデッドな録音を悪いとする人もいるわけで
まさに好みによって真逆な評価になる。
古くて雑音が入るとかそういうレベルではない。 BGM用に垂れ流す場合などはそんなにメリハリがなくても良かったりと
用途でも変わってくる。デッドだと耳障りになりかねない。
音楽の雰囲気にも関わってくることなのでコメンツさしていただいた。 一概に残響多め、デッドな録音とでどちらが好みとは言えない。
それぞれに好きな音質、好ましくない音質がある。
ブリリアントレーベルの場合はいかにも値段相応な安っぽい音質に聴こえる。 つーか、この1種類しか全集出てないじゃん。新品は入手不可だし。
これは指紋も付いてない、新品同様だったよ。
こんな美品に出会ったのは、5年前、
ヴァント指揮北ドイツ放送響のブルックナー交響曲選集8枚組が、
未開封新品で、ディスクユニオンで売りに出てた時以来だった。
これは15年前の物なのに、背焼けすらしてなかったからね。
ベルリンフィル盤より、北ドイツ放送響版の方が名演だと思ってたので、
やっぱえらい嬉しかったよ。 バリトントリオはよほど好きでもなければ全部・全集で聴かんでもいいかなと思うよ
始めの頃の曲はニコラウス侯の技量に気遣って簡単に演奏できるように書かれてるし
まあ BGMや寝つきの子守歌がわりに聴くならいいかもだが… 交響曲全集より好きなんだよ。
俺は、ハイドンの室内楽は世界一だと思ってるんで。
少ない音で、この哲学的性格と内容と楽しさと美しさは素晴らしい。
弦四 > ピアノトリオ > バリトントリオ > その他 かな。 揃ってるかどうかよりは演奏や録音の質のほうが問われると思うが
まあ聴いてみてからでもいっか >>295
自分は、Brilliantのエステルハージ・アンサンブルのバリトン・トリオを仕事のBGMにしています。
>>297
弦四は@タートライAエンジェルスBコダーイCブッフベルガーの順に好きです。
ただしタートライとエンジェルスはほとんど差がないです。 ありがとう。数枚は持ってて気に入ってるけども
全集となるとボリュームでかいのとお値段もそこそこいいので気軽に手が出なくて。
なぜ全集かといえばそこはクラヲタの悪癖ってことでw 横からだがピリオド楽器で全集になってるような録音はまだないよ
クレスト1000で再販されてるクイケンQが一番入手しやすいが
揃ってるのはエルデーディと晩年作くらいかな。他にもう3曲くらいあったかも。
全集完成までもう少しで演奏も素晴らしく来日も果たした
「ロンドン・ハイドンQ」は2枚組で1枚分の値段だから
試しにどれか1セット聴いてみるとよい。
来日公演はNHK-BSでも放送されて冒頭メンバーによるハイドンの魅力を語る
解説つきだが放映されたのはモツ・クラQ(ソロ:ホープリッチ)とベトの四重奏。
ハイドンは「ひばり」の第一楽章のみというわけのわからぬポピュラリティ。 >>299
>弦四は@タートライAエンジェルス
>BコダーイCブッフベルガーの順
ブッフベルガーの人気が低いのな
俺は一番好きかも 晩年作とはロプコヴィッツ四重奏のことで
その他はアポニー四重奏から3曲だ もしBrilliantがフィッシャーでなくソロモンスのほうを交響曲全集に選んでいたら
クラシック界はもっと変わってたな
単にCDを安売りしてなんぼの業界ではなくなってたはず。 ソロモンズって音楽界から忽然と消えたのが謎だが、ハイドン全集で多額の借金を抱えて夜逃げとかじゃなかろうな。演奏の方向性としてはガーディナーのモーツァルトに近く、非常に端正で颯爽としているという印象を受けた。 あれは別にソロモンズの個人的な企画ではないし
バックにヴィヴァルディ・ソサエティというパトロンがついた企画だ
なので現在のSonyではなくヴィヴァルディソサエティに権利があるの
かもしれん。
演奏はガーディナーの(やや乱暴なまでの)鋭角的な演奏よりは
古楽器のひなびた味わいが出ている演奏と感じる ハイドン全集が多額の借金になっただけではないかも知らんが
レーベル、CD工場をいったん畳んだのは
フィッシャーで録音していたニンバスレコーズの方。これは確かな事実で
それをBrilliantが救済したような形なんかと。 ガーディナーが(やや乱暴なまでの)鋭角的???
真逆でしょ。
ベートーヴェンなんかは曲によってはテンポが速い演奏だけど、テンポが速いというだけで
奏法はちっとも鋭角的じゃないでしょ。 ヘンデルの水上(2度目のフィリップス)はかなり荒々しく感じたな
それ以来ガーディナーは聴いてないし
もっとも彼の専門分野の合唱曲は聴かないくちなもんで。 >>302
フェステティチ四重奏団のボックスが全集を名乗ってたが嘘だったのか 聴く人による。
astree→arcanaのボスだったM.ベルンステインは
ピリオド楽器を録音することには成功したといってよいだろう
日本でも優秀録音としてLpの頃から絶賛されたわけだが
古楽の奏者・学者ではないのだろう、演奏面や選曲は
ほとんど奏者におまかせであったように感じる。
良い意味で好きにやらせた結果レーベルとしてプラスに働いた反面
奏者によって出来に格差・ムラもあるわけで、その全集録音は氏の晩年作を
受け継いで完成したか、あるいは録り切ったものか知らないが、
使用楽器はピリオドだとしても個人的にはピリオド演奏としてはお薦めできない。
因みに古楽・古楽器専門レーベルの旧accentのプロデューサーのグラット夫妻は
古楽器(コピー)を製作・演奏したと思う。そういうレーベル・プロデューサーの違いは
過去のピリオド分野では色濃く反映されるだけに参考になる。 モダン楽器の銭湯みたいなエコーを利かした弦楽オケのような
演奏・録音よりはいいかもしれんが
ボックスはもう品切れで今からバラで揃えるとなるとコスパ悪すぎ つーか、e-onkyoでハイレゾ全集が2500円で買ったんだが。 正直一部で絶賛されるほどのものでもないかな、という所。
楽器の音が貧相、リズムもインテンポ気味で、あまり面白いと思わないかな。
ハイドンの弦楽四重奏は結全集で選ばずに曲集毎にベストの演奏を見つける方が楽しい。 >>301も>>302も「ピリオド楽器」と書いているだけで「ピリオド演奏」とは書いてない件 だよな
モダン楽器と比べるとガットの音は素朴になるぶん表現がストレートすぎると
このような演奏になるという例だとは思う。
弦楽四重奏に限らず交響曲なんかも曲毎にベストの演奏を見つけた方が良いのだが
選択肢が狭まる弦楽四重奏以外のハイドンの曲は不利になるのが現状で
それはしかたないんだが。
というか全集になってる1箱それだけで済ますというのは
クラシック音楽にはまずありえん事かと… >>318
嘘かというつっこみに
使用楽器はピリオドだとしても個人的にはピリオド演奏としてはお薦めできない。
といってるだけのことだ フェステティーチはジャケットのメンバーの写真を見て、チェロにエンドピンが付いているのを見て、
ああやっぱりこのグループはピリオド楽器を使用してはいてもピリオド奏法には力を入れていないんだと思った。 契約上astree/naiveからarcanaに引っ張り込めなかったであろうモザイクQの
ヘバルト、コワンらはアーノンのHob. I:105でソロを担当してたり
シュパンツィヒSQのシュテックは一時期ではあるがMAKのトップを弾いてたりという
ピリオド楽器演奏としての魅力的な経験を持っている。
ザロモンSQのスタンデージやトレバー・ジョーンズはピノックのバンドはもとより
ホグウッドらと共にマンロウのコンソートで研鑽を積んだ言わずと知れた古参のピリオド楽器奏者
そういったバックボーン的な色合いも薄いが
純然たる弦楽四重奏団としての演奏として聴いても極めて地味な出来であるかと。
地味だから良くないということではないがeオンキョーで全集が格安というのであれば
聴いて損でもないといったところでこの一件はよいでしょうか フェステティーチのハイドンは一枚だけ持っているが、ピッチが低すぎるのがダメだと思った。
コープマンやピノックの古いピリオド演奏で見られる傾向だが、一部音が死んでしまっている。
一時期プレミアが付いてた頃はやたら持ち上げられていたが、ロンドンハイドンQの登場でただのゴミにw今でも好きな人がいたら申し訳ない。 ピッチが低い設定自体はむしろ好きだけどな。
フェステティーチを好まない理由はそこじゃない。 ていうか、まさに今、コープマンの44,45,49のCDを聴いている最中なんだけどw >一部音が死んでしまっている。
これがピリオド楽器の最たる魅力ではないか
音律が整っているのが良いならモダン楽器を選ぶべきで
むしろフェステティーチは設定ピッチこそ低いがその他は
モダンと何が違うのか俺にはちょっと理解ができない
コープマンの44,45,49はコープマンが一番良かった頃の録音じゃまいかと! >一部音が死んでしまっている。
ちょっと何言ってるか分からない。
>これがピリオド楽器の最たる魅力ではないか
これもちょっと何言ってるか分かりません。 >>325
ハイドンはバロック音楽じゃないんだからコレッリと同じようなピッチで演奏して欲しくないってだけ。
ピンポイントでその録音を貶してるわけではないが(持ってないけどw)、コープマンのオケに登場していたハジェット、マンゼ、フォートレスその他の演奏は素晴らしいのに、糞ピッチで台無しになってるような感がして残念なんだ。リズム感もバロックでは良いのになぜか古典派だと鈍重の極みに。 >>327
eテレの「らららクラシック」「フルート」の回の有田氏の
解説を聞いてないのか? オンデマンドしてでも観てほしい
>>328
ピノックもコープマンもA=415で古典派はやってないと思う フェステティーチのハイドンは425くらいだっけか
古典派にしてはかなり低いこた低いけど
室内楽のいわゆるカンマ―トーンということを意識してるか
なぜピッチが高くなってゆくかは存知だろう。 コープマンはハイドンもモーツァルトも415でやってるよ。
ピノックのハイドンは421だったと思う。
ちなみに現在の多くの古楽器演奏、古楽器オーケストラはハイドンの交響曲1番からベートーヴェンの第九まで
一律に430でやっている。
これはただ単に古楽器業界がこのように統一した方が便宜上やり易いだけだからでしょ。
ハイドンの初期から第九までヨーロッパのピッチの平均が430一定だったわけではない。 モダン楽器でピリオド奏法やるのがありなのなら
ピリオド楽器でモダン奏法やるのもありなのではないかとか思ってみた
まあ俺的にはモダン楽器でのピリオド奏法って弦がスッキリし過ぎてて無しだし
モダンはモダンでピリオドはピリオドでやれって感じだが ピノックの421というのは、マンハイム学派のチェンバロのピッチが421だったから421にしたんだと思う。
フェスてティーチも421じゃなかったっけ?
今は持ってないから忘れたけど確か421だったような気が。
>>328
それはあなたの感想で私はそのようには感じていないよ。
コープマンのハイドンもモーツァルトも好きだ。
と言うよりは、コープマンの全てが好きというわけじゃなくて、彼のハイドンとモーツァルトは好きと言う意味。 みんなすごい詳しいのな。
俺は、持ってるミニコンポがUSBを32GBまで読み込むのがわかって、
喜んでるとこ。これだと、ハイドンの疾風怒濤期以降、つまり
「作曲順にバリトン三重奏曲全曲とピアノ三重奏曲18番以降」と
「作曲順に弦楽四重奏曲19番以降」
の2テーマで、ハイドンの室内楽が、初期を除いて全部入るんだよ。
とても便利に聴ける。なんでこういう風に聴き方にこだわるのかというと、 ああ、ピアノ三重奏曲の18番って、ランドン版の番号ね。1784年以降って意味。 ハイドンの音楽をもっと世の中に広めるためには、
大量の音楽を聴くきっかけも広める必要があると思うんだよ。
・・・で、そのために、俺がとりあえずいいと思ってるのは、
「24時間テレビ愛は地球を救う」のマネなんかいいんじゃないかと思ってる。
「24時間音楽〜ハイドンの人間性は社会を救う〜」とか、
「24時間音楽〜モーツァルトの楽しさは人を救う〜」とかどう?
ハイドンの全弦楽四重奏曲とか、ちょうど24時間分なんだぜ! まあいろいろやり方はあるだろうが、
俺も早く自分の音楽会社を作りたいよ。 バッハのロ短調ミサ曲からハイドンの交響曲44番45番まで、およそ20年くらい。
この20年で急にピッチが415から430に上がったんですか?
この20年で当時の音楽界が急にバロックから古典派という違う流派にガラリと変わったんですか?
そしてハイドンの44番45番からベートーヴェン第九まではおよそ50年。
なのにこの50年間は430で変わらず一定なんですか?
という流れを、よーく考えていただきたい。 つまり、コープマンが現在一般的に言われているバロックピッチ415のままでハイドンやモーツァルトを
演奏していることは、確かに低めのピッチ設定ではあるが、特段常識外れの設定ではなく
許容範囲以内の設定であると言えるだろう。。 ウィーン周辺はバロック時代からヴェネツィアピッチの影響を受けて現代とあまりかわらなかったと言うじゃんwそんなの常識だしまともなピリオド演奏家は理解してる事。
大バッハは文化圏がまったく違うので比較にならない。 >ウィーン周辺はバロック時代からヴェネツィアピッチの影響を受けて現代とあまりかわらなかったと言うじゃんw
へぇー。それは初耳。知らなかった。
モーツァルトが使用されていたとされるピアノを検討してみると、421くらいだったという話は聞いた事がありますが。 アントン・ヴァルター(違ったらスマン)なんていう原始的でオモチャみたいな楽器の例を普遍化しちゃだめだよ。シンフォニーやオペラといった形態が実際にどのように演奏されていたかというリアルが問題なんであって。
サロンコンサートや室内楽、それこそハイドンならバリトントリオのような同質的な曲なら低いピッチでも何ら問題ないし現代においても「多様性」があっても良いと思っているが。時代はダイバーシティ、もっと気楽に行こうよw ダイバーシティなら、サービス残業の自由も認めろよな。
動きが遅くて仕事が遅いのを認めることは、多様性を認めることだろ?
こなした分だけ給料を払えばいいだけ。 ダイバーシティとか言ってるけど、現実には、
世界中で入社の基準はアマゾンみたいに高学歴かどうかだけだし、
男女平等なんてなくて、男尊女卑か女尊男卑があるだけだろ? ちょいまちww
ピアノに限らずモダン楽器から見たら当時の楽器なんて
みんなおもちゃというかきゃしゃな楽器で
そういう楽器が寄り集まって演奏してたわけだろ?
ガット弦でモダンのようなチューニング、ギンギンなビブラートをしてたわけがないだろと
制限からくる必然だよね。
リュートなんてチューニングとの闘いというし
ピリオド楽器のコンサートでは1曲ごとチューニングしてるほどやん。
コピー楽器ならまだしも
フェスてティQはオリジナル楽器使用なんではないか?
かなり手加減して弾いた結果ああいう演奏になったのかと。
でも当時そうは弾いてなかったと思う
当時の人達はそういうもの狂ってなんぼだと思ってたろうから… 俺はポップスはボーカル曲だけ買うようにした。
なんでかというと、いろんなサンドトラックにクラシック以上の価値を見いだせないから。
だから、選び抜かれたクラシック音楽は、堂々と、障害者専用みたいな立ち位置ではなく、
すべての人たち向けに営業すればいいと思うよ。
その際に、ベトだかマラだかしらんが、人好きのしない曲を勧めないようにしないとな。
それと、24時間音楽は、モーツァルトは、交響曲全集とピアノ協奏曲全集で考えてる。
哲学的なハイドンは室内楽向き。
みんなで楽しむのが好きだったモーツァルトは管弦楽でこそ、
その長所が最大限発揮されるという結論に達したから。 もちろん、マイク・スピーカーは生演奏には必要で、
超絶技巧はことごとく排除しなければならない。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲とか、今まで人気だったけど、もうお役御免。
ラヴェルの水の戯れを学校の教科書に入れるとかもってのほか。
昔、清原が小学校の道徳の教科書に載ってたのを覚えてるけど、それと一緒。
いちいち書かなくても、誰でもわかるだろうけどな。 要するにさ、超絶技巧って、ただのサーカスで、音楽として共感することができないんだよ。
ポップスは、超絶技巧一切なしで、すばらしい集客力があるんだからな。
申し訳ないけど、辻井くんとかじゃなくて、
スポーツマンのイケメンを、ブルックナー指揮者として連れてくる必要もあるかもな。 まあ、普通にこれからは、クラシックは、
辻井くんみたいな人の集まりになってくだろうし、
俺も新しい音楽市場で頑張るつもりだから、
今のクラシック業界なんかどうでもいいんだけどな。
ポップスしか聴いたことない人たちをターゲットにするつもりだから、
クラスレにいる人たちとは実は関係ないんだ。
だからネタバレしてるわけ。 まあ、私怨があるとすれば、音大とかいう場所と周辺なんだろうけど。 俺がクラシックを残したり広めたりすることに熱心な理由は、
論語や老子や孫子のそれと同じだよ。
「巧緻は拙速に及ばない」とか、気に入らない文章も多いけどな。 ああ、クラシック業界でやるんじゃないから、「クラシック」って単語じゃないか。
そうなるといいなぁ。 >>342
ハイドンやモーツァルトの時代はオペラなんかはチェンバロなりピアノなりのコンティヌオを使用している時代でしょ。
あなたの文面からすると、モーツァルトは所有していたピアノのピッチよりも実際コーンサートでピアノ協奏曲や
オペラをやるときにはピッチを高く設定していたとでも言うのかね。
不自然な説を言い出す人が出て来たねw >>354
そもそもアントン・ヴァルターはコンティヌオ向きの楽器か?モーツァルト所有の楽器なんつってそう簡単に持ち運びできるような代物ではないし。ヤーコプス指揮のオペラ演奏でフォルテピアノがさかんに「主張」してるがあんなのは現代人の遊びにすぎない。
チューニングの件もそうだが、ピアノ協奏曲などピアノが主役ならともかく、普通は弦楽器が基準であってフォルテピアノなんて裏方もいいところだろw現代のピアノもそうだが、調律は崩れることを想定して最初は高く設定したりする。モーツァルト時代の鍵盤なんて不安定だからなおさらそうではないか?時代と場所によってピッチが全て同じなどというのは妄想に過ぎないし、モーツァルトの住んでいたアパート内での演奏と大きなコンサートなんかでは条件が違いすぎると言いたいんだよ。 あなたの意見の根拠は全て
>ウィーン周辺はバロック時代からヴェネツィアピッチの影響を受けて現代とあまりかわらなかったと言うじゃんw
あなたはこの説を支持しているからこそだと思うのですが、私はこのような説があるのはあなたの書き込みで初めて知りました。
ちなみにこの説は誰が言っているんですか?またはどこに書いてあるんですか? >ヤーコプス指揮のオペラ演奏でフォルテピアノがさかんに「主張」してるがあんなのは現代人の遊びにすぎない。
その通り!だけど、チェンバロかピアノがオペラのコンティヌオに使用されたのは事実というのは定説。
ヤーコプスがやり過ぎなだけであって。
>モーツァルト時代の鍵盤なんて不安定だから
モーツァルトの時代の弦楽器も不安定だよ。
だから上で言っている人もいたけど古楽器演奏では楽章間でチューニングを入れる事も珍しくないよ。
>時代と場所によってピッチが全て同じなどというのは妄想に過ぎないし
そんな妄想をしている人は私を含めてこのスレにはいないよね。
あと、自宅とコンサートで使用楽器が10ヘルツ以上づれているなんて、どんなミュージシャンでも
気持ち悪くてそんな状況では音楽活動出来ないと思うけど。 ん?
>普通は弦楽器が基準であってフォルテピアノなんて裏方
これってまさか一音一音音を合わせ
(これを調律という)なきゃいけないピアノが
フレットすらない弦楽器に合わせるという意味で言ってるのではないと思うけど
まあ餅ついて
「音叉」「コンチネンタルピッチ」でぐぐってみてちょーよ花よ。 鍵盤楽器が楽器編成に入る場合は鍵盤楽器協奏曲だろうが通奏低音扱いだろうが室内楽だろうが
オーケストラだろうが鍵盤楽器を基準にチューニングされてるよね。 フレットがないということはほとんど奏者の耳だけがたよりな楽器
ということだよね。フレキシブルだが言い換えればいくらでもふらつく。
確かクヴァンツだったか「通奏低音はいろいろな楽器の組み合わせになりがちだが
編成の大小にかかわらず鍵盤楽器は入れるべきだ」
というのはそこらへんも意味してると思う。話がバロックに戻ってしまうが
ハイドンあたりまでは該当するかと。 なんかおかしい奴が混じってるな。コープマンのダメダメ演奏を貶されてそんなに悔しいのか。
そもそもウィーンはピッチが伝統的に高かったという話をしてるのに。そんなの常識だから自分で文献を探し出せよ。偉そうに語ってる輩はドイツ語・イタリア語の読解も普通にできるんだろうなwww
30年前の評論家の解説を受け売りしてるレベルで何を今さらwww
古典派のコンティヌオなんて簡単な和音を弾くだけで事足りるから調律なんてそこまで必要ないんだよw音叉まで持ち出して云々するほどの話題ではない。コレッリと同じA=415の調律でやるバカなんて当時のウィーン周辺にはどこにもいないんだからwwwあんたが考えるよりは楽だったと思うよ。
どうせ大半は劇場備え付けのアップライトチェンバロの類でしょうがw音量が小さいから大勢に影響ないって。(ってここで知ったように噛みついてくる奴が出てくるのを承知で言っておく) 音叉まで持ち出して って
ならkorgのチューナーならいいのかねw おかしいのはどっちか >ウィーンはピッチが伝統的に高かった
ウィーンフィルのことでしょそれw ちなみに>>328で名前が出たマンゼはイングリッシュコンサートと録音(2005年)したモーツァルトの
ヴァイオリン協奏曲3,4,5番はコープマンと同じ415に設定してるね。 >>364
あちゃー。あいつやっちまったねw
その落ちウケたw >>364
バカバカしくて話にもならんね。アーノンクールの亡霊が草葉の陰から364を呪い殺すレベルの暴言。
ウィーンフィルなんてもっとも伝統とかけ離れた存在じゃんか。そんなのみんな知っている。
カトリックとプロテスタントの違い、バッハとハイドン・モーツァルトの生きていた文化圏の違いくらいは理解しとこうよ。まさかドイツ語を話すから大バッハとハイドンが同じ存在とか考えてるんじゃなかろうな。どうせ何も理解できてないようだから撤退するけど、いかにも歴史を表面的に理解した日本人の発言というか。だから日本の古楽界というか音楽界全体がダメなんだよ。
オランダの一部の偏った人たちの演奏を後生大事に有り難がって、300年前の出島の舶来品をなんでも有り難がるアホ日本人の心性と全く同じだよ。話にならん。 アーノンクール信者なのか。
オレはアーノンクールは大嫌いなのでね。 撤退なんか絶対しないくせにw
いつもいう事だがハルノンクールの考証はハルノンクールのものであって
それは間違ってるとかそれが絶対でなければならないとかいうもんでないんよ。
>時代と場所によってピッチが全て同じなどというのは妄想
と言ってるそばからコレッリA=415と決めつけちゃってるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています