先月(2020年3月)の末、私はベートーヴェン生誕250年を記念するオーケストラの
演奏会を都内で指揮した。しかし、コロナ・ウイルス騒ぎの高まりの中で、演奏会の
当日、ホールが閉鎖されてしまった。私は万が一ホールが使用できなくなった時に備
えて、地元の別の会場を同日同時刻に借りておいた。オーケストラ楽員にも何名か出
演を見合わせる者が出たが、それでも諦めることなく新たな会場に集まった少数の聴
衆を迎え、私たちはベートーヴェンの作品ばかりの演奏会を感慨深く終えることがで
きた。
 ウイルス感染の危険がありながら、我々はマスクをし手を消毒し人込みを避けなが
ら、生活用品の買い出しに出かける。具合が悪ければ医者に出かけるだろう。それら
の活動は「不要不急ではない」とされている。では、その他の活動は「不要不急」な
のであろうか。全て自粛すべきなのか。そこで私は大きな憤懣を覚える。普段、我々
は不要不急なものにいそしみ、生業としてきたのか。芸術というのは不要不急、ベー
トーヴェンの音楽は不要不急であるのか。
 そんなことはあるまい。我々の肉体の生存が不要不急でない、つまり不可欠の問題
であるなら、我々の精神というものもまた不可欠の問題なのだ。そして芸術は精神の
糧である。どうして不要不急であると言えようか。
 今や外出を自粛した人たちが、インターネットを使って話し合ったり、楽器を奏で
て合奏したり、面白い映像を載せて楽しんだりすることも、それなりに有意義である
とは思う。しかし、それは本当の芸術にはならない。不完全な代替物であるにすぎな
い。技術的なレベルが問題なのではない。それら一見「芸術的な」営みは、もはや安
全な場所に避難しての憂さ晴らしであり、本当にしたいことを封印しての戯れであり、
時には自己満足であるからだ。