クラシックてキリスト教徒になった方が楽しめる?2
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キリスト教である必要はないよ。
どっちかというと、言語とか文化の理解でないか?
ウィーンやハプスブルク家を中心にみると、勉強しなきゃのスコープは狭くなって楽な気はする。
オーストリア=ハンガリー帝国はけっこう大きいし。 キリスト教を知る必要は有るが、
信者になる必要はないない(・∀・)ノ >>1
昨今のコロナ禍で久しくご無沙汰だけど、
妻vs俺と単独さん3〜4人でちょくちょくやりますよ。
マンコはスキン必着だけどアナルと口は生&射精okの3穴同時。
マンコ担当がはっきり言って一番大変かな?
俺は妻が犯されているのを見てるのと口が一番好きw
妻のアナルと口から他人精子が溢れだす様は
本当に興奮する。
早くコロナ収まんないかな・・・ ビートたけしさんが乗る車襲われる 鈍器のようなもの持った男を確保
2021年9月5日 1時18分
4日午後11時40分ごろ、東京都港区のTBS敷地内で、
タレントで映画監督のビートたけし(本名・バッハ武)さん(74)が乗った車が
鈍器のようなものを持った男に襲われた。 電車の前の席に座った美貌のJKがうとうとし始めて、微妙に膝が開いてスカートの中が覗いている キリスト教徒にならずしてクラシック楽しめないだろ? >>9
おめ!
洗礼受けないとクラシックの理解は無理だよね。ただ聴き流す感じになってしまう。 >>10
神と自分との対話を作曲家が後押ししてくれる感じです。キリスト教音楽は神、主イエスキリストとの対話です。 キリスト教徒になるよりも、西洋の近代史を勉強した方がもっと楽しめる。 昨今の演奏家にアジア人が増えているところを見ると、
地理的制約のみならず、文化的制約も、クラシック音楽は超えてきている。
宗教もそうだろう 別に関係ないだろ
アブデルラーマン エルバシャがキリスト教徒とは思えないし、
キーシンはユダヤ教徒だし 信仰するかどうかの判断は冷静に…
決してキリスト者の意見だけを聞いたり、聖書やキリスト者の書いた本だけを読んで決めてしまってはいけないよ
例えばドーキンスの『神は妄想である』のような正反対の本もあえて読んで判断した方が、自分のためにもなるよ
それでも信仰への渇望が消えないのなら本物かも知れない
あのマザーテレサでさえ、神への不信という試練に長年苦しんだのだから
ちなみに数学者の岡潔も仏教に帰依していたけど、
晩年には仏教もキリスト教も完全否定したことはあまり知られていない カトリックとプロテスタントで殺し合いしたんだがなぁ・・
ユダヤ人のメンデルスゾーンは一族でプロテスタントに改宗し、
宗教改革とルターを讃えるために作曲した交響曲第5番「宗教
改革」は、当時から現代まで演奏を拒絶する人がいる。
例えば、ユダヤ人指揮者のクレンペラーは、スコットランドと
イタリアを録音しているが宗教改革は録音しなかった。
フルトヴェングラーも、メンデルスゾーンはヴァイオリン協奏曲
やフィンガルの洞窟ぐらいしか演奏していない。
一方で、イタリア人(もちろんカトリック)のトスカニーニは
メンデルゾーンの交響曲を得意にしており、録音も残している。
キリスト教徒か否、というような二者択一では割り切れない。 カトリックによって異端扱いされて殺された人はヨーロッパでも数知れないよね
カタリ派とか色々あるよね
キリスト教の内部だけならまだしも、世界各地で愛の名の下に先住民族を迫害して文化を破壊してきた歴史には凄まじいものがある
勿論一般信徒にはそんなこと責任ないし、慈善事業とかも一番やってきた宗教でもあるけどさ >>19
マグダラのマリアを聖女と崇めたせいで
売春撲滅運動にせいをだす宗派もあるw カトリックが他文化や他宗教を認めたのは第2バチカン公会議でしょ
まだ50年ちょっとしか経ってない
ある意味でまだ若い、これからの宗教だと言えるよね >>20
. 彡≡≡ミ
ω□-□ω
( 皿 )
,人 l⌒l、
/ \,ゝヽr' \ 濡れよ、この処女よ濡れよ♪
/ |:| ヽ 明日なんか来ると、思わずに挿れろ♪
l l /´功 l !
|___l ノ ,イ !__,}
{ '´ / l {
ヽ__,/ | l
| | l
|_____,|=h
! l l ! | {
! l l ! K_〉 イエスを認めず洗礼者ヨハネを教組とする宗派まだあるんだな
マンダ教とかいうらしい
凄いねえ
もともと洗礼者ヨハネとイエスは、エッセネ派という終末観の中で財産共有の共同生活を送るユダヤ教の一派に属していたという説があるというが説得力があると思う
エッセネ派はwikiにも詳しく書かれている
ヨセフス『ユダヤ古代史』に詳述されているのがwikiに箇条書きにされている
マンダ教徒はこのエッセネ派のうちイエス教団に合流しなかった者たちの末裔という事だろうな レクイエムなんてクリスチャンじゃないと実感できないよな。 レクイエムは煉獄にいる者達が安らかなようにって歌だっけ
煉獄というのはカトリック独自の概念だよね イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団員は全員ユダヤ教徒という事実をどう見る? >>27
だからワーグナーやドイツ・レクイエムは
演奏しない。
メータやバーンスタインと来日公演した時
大阪では一時期マーラーオンリーだったな・・・ ・ブラームス:ドイツ・レクィエム
チェン・レイス(ソプラノ)
ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(バリトン)
ガリー・ベルティーニ・イスラエル合唱団(合唱指揮:ローネン・ボルシェフスキー)
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
ズービン・メータ(指揮)
録音時期:2009年10月10,17日
録音場所:テルアビブ、マン・オーディトリウム
録音方式:デジタル(ライヴ)
ゾロアスター教徒のメータがイスラエル・フィルを指揮してプロテスタント音楽のドイツレクイエム >>1
欧米の演奏家や聴衆がみんなキリスト教徒なわけじゃないし、
クラシックを楽しむためにキリスト教徒になるなんて、どこか奇妙な感じがするけど…
向こうの人たちにはキリスト教的な文化や雰囲気が身体に染み込んでるのだろうけど、それとガチの信仰はまた別の話だろうし…
日本人は日本の自然風土の中で、お米やら味噌汁やら納豆で育ったんだから、
信仰の有無よりもそっちの方が感受性に強く影響してる気がするけどね
そのままの自分が素直に感じたことが唯一の真実っていうか… いらんいらん
クラシックのために何かやるなら楽器と理論 歴史を知らなくたって上手な家事は出来るし
クラシックだって歴史を知らなくても100%楽しめるよ
もし曲名や作曲家の名前すら知らない状態で聴いて感動出来たら、それは究極の音楽体験かも知れない
禅の境地みたいな
キリスト教だって突き詰めればそうなると思う それは間違い、精神的にも人間として成長できない
宗教観は、必須 >>35
別に知識は否定しないし大切なんだけど、
家事でも何でも一生懸命やれば人間は大いに成長するよ
家事が芸術行為より下等とか無いし、要はその人次第だよね
宗教もはじめは聖典を必死で学んだりする段階は必須だけど、
境地が深まるにつれて言葉や概念は消滅していく
あとには実践と体験しか残らない 家事だって愛を込めてやれば神聖なものなので宗教行為と変わらない
音楽だってそう
知識や文脈を知る前の最初の純粋な感動こそが最も宗教の本質に近い
勿論それは宗教体験と音楽体験という観点でそうなるという話で、
知識を深めて知的に鑑賞したり、色々な楽しみ方があることは勿論素晴らしいことです 音を楽しむだけなら問題ない
しかし、それは理解とは違う
未知の民族の葬式の歌を聴いて「祝いの歌」と勝手に思うことも有り得る このID変えてる人みたいなのは禅やマインドフルネスかじった人にありがちな価値観
全ての宗教が目指しているのは同じところ的な たまたま他宗教間で似ている部分があると手を叩いて「同じだ!」 >>38
「理解」とは難しい問題ですが、
音楽とはまず、音それ自体の連なりを聴取して何かを感じる時間的体験だと私は思います
本当にその曲が素晴らしくて、無我夢中の感動の中にいる時、自分が消えている感覚になったりしませんか?
思考や知識も消えて、音楽と一体化している状態になるのではないでしょうか
そこに前提となる予備知識は必要ない気がします
それこそ音楽の持つ力だからです
その感動の後で、意味を調べたり、分析的に聴いて理解を深めることはできますし、
作者がその曲に込めた想い、意味、その背景、文脈、技法などを知る意義は勿論あると思います
でもこのスレに即して宗教的に言えば、
小さな自分を捨て去り、空っぽの状態にして、音楽そのものに明け渡す理解の仕方もあるのではないでしょうか
勿論、どちらが正しいとかでは無いです
長文ごめんなさい だね
人間同士は、所詮理解し合えない。宗教が違えば、無理。
キリスト教哲学を理解しないと、クラシックは理解できないだろう。 そこに本質があるからだ。
上辺だけの理解では済まない。 >>39
キリスト教を背景にしたクラシック曲を、他宗教者や無神論者が楽しんでも全然いいと思うんです
そこに真理が現れているのなら、ごく一般的なクリスチャンより敬虔なイスラム教徒の方が深く理解できるなんてことも、もしかしたらあるのかも知れません >>41
理解度が低いことを覚悟せよ
実に勿体無いことだ >>45
それは同意です
中世音楽や古いところの宗教音楽ですら音として楽しめますしね >>39
だね
人間同士は、所詮理解し合えない。宗教が違えば、無理。
キリスト教哲学を理解しないと、クラシックは理解できないだろう。 バッハのカンタータや受難曲などは、聖書などキリスト教の素養があった方が理解は深まる
歌詞のドイツ語やラテン語なども分れば、なお好ましいと思う
10年位イタリア語を勉強してるが、バチカンがあるからイタリアはカトリック教徒が極めて多い
ヨーロッパ諸国はキリスト教の色彩が濃いのだから、西洋音楽もキリスト教との繋がりは深い 他宗教でも構わないのだが
マルキスト=唯物論者=無神論者の宗教曲はダメだ
決定的に浅い 敬虔なロシア正教徒だったストラヴィンスキー
「春の祭典」はクリスチャンの立場から描いた野蛮人の儀式 >>52
無宗教者が宗教曲を書くって
誰のことを言ってるの? 無神論者って言うとサンサーンスやヴェルディやディーリアス? >>51
キリスト教より先にラテン語の発音覚えて、意味がわかって歌える方が先な気がした >>58
学生時代、セザール・フランクに凝ってた時期が
あったので天使のパンをカタカナ系ラテン語(笑)
で歌える・・・ カタカナ系ドイツ語で第九歌えるのを思い出した。
あと、ハレルヤも得意だぞ。 >>59
死語だし正しい発音なんてあるの?
教会ラテン語はありそうだけど ここを見ると素人でも発音できそう、という楽しさがあるんだよ。
阿部寛になったつもりで発音してみる。
https://aeneis.jp/?p=79 フランクいいね
クリスチャンじゃない自分でも、フランクを聴くと何だか敬虔な気持ちが伝わってくる
バッハやモーツァルトの宗教曲は完成度は高いのかも知れないけど、あまりそういう気持ちにはならないかも クラシック聴くならまず仏教からでしょ。
心を無にしてひたすら聴く境地を開くべき。
キリスト教からクラシックを始めると、
心に雑念を抱いたまま聴きやすい曲しか聞かなくなって
大海が小川のように狭くなる恐れがあるよ。
仏教的境地が開けたら、カンタータ78番でも聴いて
イエスを救世主として受け入れれば一人前の迷える子羊だよ。 奥村一郎神父の本おすすめ
この人は禅の修行をしながら東大の宗教学部で学んだ人で
修士論文でキリスト教を禅の立場から完全論破しようとしてたのに
気づいたらカルメル会の神父になっててフランスの修道院にいたというw
キリスト教と仏教の両方に精通してるから著作はどれも示唆に富んでる 奥村一郎さんの「祈り」という本を読んだことある
同じ禅出身の神父の門脇佳吉さんの方が好き 入信して秘蹟を受けないと聖書読んでも何も分からないぞ。 >>68
門脇住吉さんの本もいいね
少し硬いというか真面目過ぎる感じは受けるけど シモーヌ・ヴェイユの「神を待ち望む」も素晴らしい本
最後まで受洗しなかったんだよね >>67
亀谷凌雲という人に似てるな
この人は真宗王国北陸の富山に浄土真宗の寺の長男として生まれ、東大哲学科に学びつつ仏教系の求道学舎に入寮して仏教を学んでいたが、ある日、救世軍の山室軍平の説教に感動したという。
中学教師を経て実家を継いで住職になるが、一方で聖書の学びも続けており、ついに洗礼を受けるに至った。キリスト教の信仰を持ちつつ住職の務めも果たそうと考えたこともあったが、それではいけない、僧侶をやめて牧師になると発起し、周囲の大反対にあうもこれを説得して近江兄弟社聖書学校に学び牧師になった。
寺は次男に頼み次男が引き受けもらうことになり、これを檀家にも説明しそれならと了解を得たと言う。
地元に新たな教会を建て、そこで終生牧師を務めた。
『仏教から基督へ―溢るゝ恩寵の記―』
私はしばしばこれを開いて読む。 >>73
>寺は次男に頼み次男が引き受けもらうことになり、これを檀家にも説明しそれならと了解を得たと言う。
ここは日本語おかしいな
寺は弟に頼んで引き受けてもらうことになったということね 浄土真宗の得度も受けていたが、破門されたと言う事で、その破門状の写真も著書に載せられている 笑 >>69
聖書といっても旧約聖書と新約聖書が
あるからなぁ。
我が家には、兄がプロテスタント系の
学校に通い、その母体が経営する予備校
の講師をやってたせいで英語訳新約聖書
があり、一通り読んだことがある。
そのせいで「ガメラ対レギオン」の劇中の
「我が名はレギオン。我々は、大勢であるがゆえに」
というセリフがツボにハマって笑いをこらえる
羽目になったけど。 >>72
シモーヌヴェイユは…
クリスチャンは彼女の思想や生涯を一体どう感じるんだろうね?
無視できない存在だと思うけど、面倒臭くて触れたくも無い感じなのでしょうか
自分的には十字架の聖ヨハネと近いものを感じたけど、彼女はアシジの聖フランシスコやカタリ派が好きだったんですよね シモーヌヴェイユは自意識過剰すぎない?
「私は教会の前で人々を集めるために鳴る鐘である」みたいなセリフとか ヴェイユは超頭良いと思うけど、自意識過剰だったのは否定しづらいかも
・神の恩寵を遮るのは私という自意識や人格である
・私が消え去れば何も汚さずに済む
・そのため私には極限の不幸が必要である(=心の貧しいものは幸いである)→餓死
・結論 : キリスト教の本質は奴隷の宗教である
彼女の思想をまとめるとこんな感じでしょうか… 己を無にしてキリストを迎え入れるしかない
神がキリストのおいて自己否定したように 俺の死んだ兄の未亡人は、キリスト教系
カルト宗教として有名な「エホバの証人」の
信者になったのだが、一方的に他宗教は
邪教徒なので、今後一切の親戚付き合いを
お断りします!と一方的に絶縁された。
未だにどんな教義かは知らんのだけど・・ プロテスタント教会の教会員です。礼拝では教会オルガニストの方々が交代で奉仕されています。オルガン曲を生で聴くのも礼拝の楽しみです。 >>85
教会とオルガンと言えば、大阪では
玉造の聖マリア大聖堂、シンフォニー
ホールができるまで、大阪市で唯一
パイプオルガンの演奏を生で聴けた。
初恋の女性が信者だったので、ほろ苦い
思い出として記憶されてるけど・・・・ >>86
僕は大阪の住友生命いずみホールでオルガン曲を聴きに行きます。 >>81
自己否定ではない
人間に愚かさを教えるためのキリストの死
忘れてはならぬ 前衛音楽の闘士だったブーレーズも信心深いクリスチャンとして死んだ。
https://mobile.twitter.com/holysmoke/status/687703168944357376
聖人になったの?とまで言われてるし。
なんだかんだ言ってキリスト教はヨーロッパ人の母胎なんだな。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) アフガニスタン支援活動中に亡くなられた中村哲医師もクリスチャンだったね
大のクラシック好き&オーディオマニアで、現地では移動中にモーツァルトをいつも聴いていたんだって 今のローマ法王はクラシックが好きで、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンを特に好むそう。
自分の誕生日にホール中央の特等席でモーツァルトをたしなむ前法王ベネディクト16世。
かつてのザルツブルク大司教コロレド猊下はかくやと思わせる圧倒的な貫禄。
https://www.youtube.com/watch?v=IhQAtkXOK6o
ベネディクト16世の実兄ゲオルク・ラッツィンガーはレーゲンスブルク大聖堂の合唱指揮者だった。
クラシックの大元はカトリックの宗教音楽だから、カトリック関係者がクラシックに縁が深いのは当然か。 学生時代プロテスタントの教会に通っていたが、洗礼を受けるに至らず、社会人になって教会から足が遠のいた。
が、聖書は読み続けているし、気持ちとしてはイエスを主として仰いでいる。
また教会に通いたいが、カトリックにしたい気持ちもあり迷っている。
とりあえず明日カトリックのミサに出てみるつもり。 現ローマ法王は仏教を全く理解できてないくせに批判的なことを書いて、スリランカやタイの仏教徒から猛抗議されたんだよね
キリスト教にも友好的だった仏教指導者の故ティクナットハン やダライ ラマ14世の爪の垢でも煎じて飲めばいいのに カトリックを信仰しようと思って勉強したり祈ったりしたけど自分には向いてなかったみたい 誰に誘われたわけでもなく、礼拝に行くようになって3年目に洗礼を受けた。不真面目なプロテスタントです。 誰に誘われたわけでもなく、礼拝に行くようになって3年目に洗礼を受けた。不真面目なエホ証です。 99ですが、通っている教会は設立130年を超える歴史があります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています