クラシックてキリスト教徒になった方が楽しめる?2
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>>749
キリスト教徒(メソジスト派のプロテスタント)ですが、知識のほかに、
信仰する心を少しだけでも理解していただけると有り難いです。
仏教や神道の信者の方々がキリスト教徒の外国人にそれぞれの
根本となるものを教えるような感じです。
仏教の思想が根本にある文学作品を理解しようと思うならば仏教に
関する知識と、その主人公の信仰心について考えるでしょう。 「クラシックってキリスト教徒になった方が楽しめる?」
キリスト教文化の歴史がないのだから、
日本でクラシックをやるならそれなりの戦略が必要。
キリスト教信仰経由はもっともまずいやり方。
何世代にもわたってあと数千年くらいつづけたら、
成果はあるのかも知れない。
成功例は文献的実証的なやり方であって、
伝統を意識して徹底して研究し模倣した末に創造する。
具体例を挙げると、
ウィーンフィルなどヤマハがなければ楽器が揃わないらしいではないか。 >>753
実際そうでした。
パイプオルガンの奏楽が聴きたくて教会の礼拝に出席したら、
それが続くようになって、牧師から「聖書を学ぶ会」に参加して
みませんかと誘われた。
聖書を学んでいくうちに自分の中に信仰が芽生え、初めて
出席してから約2年後に洗礼を受けた。そのときの牧師は
その後しばらくして急逝した。あの牧師先生がいなければ
僕は信仰を持たなかっただろう。 信仰する心とはなにかを知ることも知識として持つのは必要でしょう。
ただ、自身が信仰するかは別のはなし。 >>754
美とは、エサである。
by Celibidache >>738
神はなぜ沈黙するのか。
いいとこに気がついた。 國學院大學出身の教師に関係ないことで殴られて
関係ないことがわかっても疑われるほうが悪いといわれて以来
神道という宗教が嫌い。 「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
は実践した? 神道ってそれに浸かっている間は気が付かないが
気が付くと相当押し付けがましいヤツや キリスト教も仏教もわりとボランティア活動や慈善活動に
積極的な教会・寺院があるが、神道でボランティアというのは
あまり聞いたことがない。なぜだろう? >>760
まだ殴られていないもので。親父にも。
いや、親父は僕を殴る前に天国に行ったが。 >>761
近代に近い人物が祀られて神格化するのは、新興宗教の教祖様に近いのではないかな。 >>764
神戸の有名な湊川神社は楠木正成が祀られていて、
地元では「楠公さん」と呼ばれている。「この世界の片隅に」
の楠公飯で有名な人。 死人はお金欲しがらないから奉っても問題ないだろ。
残された親族はお金欲しいかもしれないが、奉られる人程には尊敬される事もない。
ヤバいのは生きている教祖様で人助けより、自分を助ける為に人の力を悪用しちゃう奴。 >>764
古代の何とかのミコトと合わせて、近代の人だけじゃないよと
いうことにはしている。 スピリチュアル系の人たちは〇〇神示だとか
今でも盛り上がってて怖い 宗教もそうだけど、歴史も知ってる方が楽しめると思う。というか、理解できるかと。 ウォルター・ペーターは信仰抜きでキリスト教の建築装飾を見ると面白いだろうといったらしいが、
これが美術史における近代のはじまりだということだろう。
キリスト像は単なる美術品になり下がって久しい。
近代以前のヨーロッパ人はもっと崇高なものをそこに見ていただろう。
これは日本における仏像に対する接し方(和辻哲郎以降といってもいいかも)についても同じだ。 自分はそれでもいいと思うよう
人間が崇高なもの、聖なるもの、神を想定したその時、
相対的に下賤なもの、俗なるもの、悪が生じる
これが禅やキリスト教神秘主義の宇宙観だと思うから
仏は糞の中にいるとか、神は無であるとか言ったりするのも
すべてに神を見る心を教えてるのだと思う プロテスタントだけど、カトリック他の人たちが磔刑にされたイエス・キリスト像を
大切に思う気持ちはわかるが、西暦4年にナザレのイエスと呼ばれた人は色白
で中央~北部ヨーロッパにいそうな肌の色はしていなかったと思う。
なので僕が通う教会にはキリスト像は無く、十字架があるだけ。 安土桃山時代の切支丹の増加を見ると、明治以降より日本人はキリスト教を受け入れやすかったのではないかと思わせるものがあるし、江戸時代以降の弾圧において踏み絵を恐れない信仰の強さは驚くべきものがある。 まぁ、単に素朴(innocent = vaka)だっただけ。
当時は、西洋列強の侵略政策の一部。 安土桃山時代の方が明治以降より日本にキリスト教が広まりやすかったという事がもしあるとすれば、それは私は江戸時代に敷かれた檀家制度、それと江戸時代初期、明治時代当初に行われた苛烈な弾圧によるものだと思う。
そこにまた、お上の言うことをよく聞く国民性が現れているのではないかと推察している。 強い国が帝国として勢力・版図を広げるのは世界史の常道であり、ことさらに近代のキリスト教国のそれを悪だという気は私にはない
織田信長が殺されていなければ、秀吉のように無茶な大陸侵攻をすることもなく、かといって家康のように鎖国することもなく、西洋と渡り合いながら交易し、日本を300年早く世界に押し出していたと思う
ちなみに織田政権三代当主の織田秀信はキリシタン大名で弟も信徒
かつ寺社も保護するなど寛容だった 高山右近は領地内の寺社を破壊したと言われている
それは褒められたことではないし、切支丹が嫌われることになった原因の一つかもしれない
でもまあ神道も廃仏毀釈とかやってる >>785はミス。ごめんなさい。
徹底的に廃仏毀釈が行われた薩摩では今なら国宝級の建築物なども
破壊されたという。もったいないが、他の地方では仏教関連のものが
壊されずに済んだところもあり、地域差が激しいなと思う。 明治に入ってもなおキリスト教は弾圧されていた。長崎におけるカトリック教徒の「再発見」に
より、日本にもキリスト教徒がいることが諸外国に知れ渡った。それをまだ弾圧していることに
諸外国から抗議があり、ようやく禁教令が撤廃された。
長崎にはまた行ってみたい。僕はプロテスタントでカトリックではないのだが、日本のキリスト教史
を知ることは讃美歌や日本のキリスト教音楽を知る上で大切なことだと考える。 >>78の3
織田家系は、先進的というより、新しもの好きで変わっていたのでは。 近年、レフトサイドから明治政府をディスる言説が多い。
その際、返す刀で平和な江戸時代が高く評価されることもある。
しかし、明治政府の至上命題は不平等条約の撤廃であって、そのために井上馨、小村寿太郎、陸奥宗光、大隈重信らがどれほど努力し苦労したかはあまり語られない。いや、忘れ去られていると言ってよい。
基本的には武力によらず交渉で撤廃に努めたのであるが、最終的に不平等条約が撤廃されたのは日露戦争の勝利による。
元を立たせば、井伊直弼が結んだ不平等条約に端を発する倒幕運動が明治政府に繋がったのであり、それは広く民衆の支持を得た運動であった。
しかしその井伊直弼も已むを得ず不平等条約を結んだのであり、鎖国により安閑としてきたツケであり、その大きな「歪み」を明治政府が被らざるを得なかった訳である。 江戸時代は確かに郷愁を誘う美しい時代であったかもしれない。それはまた現代にまで続く日本人の心性の大きな部分を形成している。
足の引っ張りあいだったり、理不尽と分かっていても党派の中に閉じこもりがちだったりする島国根性もその中にはある。
それに対し、安土桃山時代というのは相当に開明的な時代だった。日本史家本郷和人の言説は賛成できないことも多いが、彼が織田信長について言ってることについては大いに賛同できる。
私にも江戸時代への郷愁はあるが、あのようにキリスト教を弾圧した時代を信仰者として是認するわけにはいかないのである。 長くなるが引用 wiki利用
本郷和人は、外交をし、交易を盛んにすることは、まさに信長の望みであり、「日本を統一した暁に、信長が海外に派兵した可能性は大いにある」「物流や交易を重視する信長ならば、おそらくは海外に進出しただろう」として、
信長であれば、秀吉のように領土の獲得に固執するのではなく、ポルトガルのゴア、スペインのマニラのように「点」の獲得を目指し、しかるべき都市を入手してそこを城塞化し、貿易拠点を築くようなことをしたのではないかと指摘している。
結果、信長がもう少し生きていれば、日本にとって良い結果を生むか、悪い方に転ぶかは分からないが、日本はもっと早く国際化したのではないだろうか、と指摘している。 一人の人間としてのイエスの生涯、聖書の世界は物語として面白い。
しかし一神教の神はここ日本では全く信仰の対象にはならない。
バッハはイエスの死後、千何百年も経過してキリスト教が権力を確立してからの音楽だから素直に喜べない。 聖書もキリスト自身が編集した訳では無いし
後世の弟子たちが(ある特定の方向性に沿って)取捨選択したものでしょう
トマス福音書など聖書外伝は山のようにあるし、グノーシス派の文献まで慎重に考慮するなら、
新訳聖書だけがキリストの言行録とするのは、現代においてはかなり無理があるよね 教会が権力を得てからどのような犯罪が行われたかを知れば、バッハの音楽はその権威の補強に見えてしまう。 >>798
神道のラスボスは誰なんだろう?
多神教といえどもメインキャラが上に立てば実質的に一神教ではないか? >>801
アマテラスだな
カトリックはマテラスの解放を企んでいるよ 古事記では
アメノミナカヌシが最初に生まれた神様
アマテラスはもう少し後だよ
だからといって神道ではどっちが格上とかラスボスとか特に決めてない
理由はみんな血が繋がってるからで、好きな神様を拝めば同じという発想だと思う ティンコマムコが変わらない限り
人間は昔から今まで同じだ
宗教、音楽の刺激への対応化学物質の根本に
大した違いはない
暮らしている社会の影響で違うと思い込むだけ
誰が最高神とかはないが、歴史的にはアマテラスと伊勢神宮が特別扱いされてきたのは事実 頭の悪さを聞きかじり知識でカバーしようとする性格の悪さ
これが5ちゃんねる教徒のあるべき姿、ダナ
いいぞー、ドンドン続けてくれ ただで教えてもらおうという腐れ根性、乙
一生アホで幸せそうだねw . 彡≡≡ミ
ω□-□ω
( 皿 )
,人 l⌒l、
/ \,ゝヽr' \ BBAは、知っててもぉー♪
/ |:| ヽ
l l /´功 l ! それだけぇーじゃ、困りますっ!♪
|___l ノ ,イ !__,}
{ '´ / l {
ヽ__,/ | l
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|_____,|=h
! l l ! | {
! l l ! K_〉 禅の話だろ
ID:xHy5hSKbみたいな知恵遅れって生きてて幸せなのかね? フランシスコ・ザビエル以後日本民族滅亡を目的とする侵略戦争を開始したキリスト教会(ローマ・カトリック)が、火薬と引きかえに、約五十万人の日本の女性を性奴隷としてヨーロッパに運搬し、そこで「消耗品」キリシタンとした。
その状況を九州の現地で認識した豊臣秀吉は、切支丹パテレン追放令を発した。
その後、徳川家康、家光による切支丹完全排除体制が出来上がってしまうと、日本は、それ以上、西洋の奴隷制についての宗教的、歴史的追究をしない。 軍国時代の日本をみると、事実上一神教だろう。
さてカトリックは諸王より上だから、やっぱり将来的な対決は避けられないな。 権力はさておき敬われる順は、神>法皇≒カイザー>キングじゃないの。 「クラシックってキリスト教徒になった方が楽しめる?」
日本人のためにいってやろう。
ウォルター・ペイターは周知の通り「ルネッサンス」を著した。
今日では基礎的な間違いもたくさん指摘されているので学問的にはとっくに過去の遺物だが、
その影響は計り知れない。対象物に対する情熱と言語化する能力の高さは芸術史上に残り続ける。
さてそのペイターの本心はこうだった。「何一つ信じないで聖職者になるのは面白いだろう」
どうせ日本人はキリスト教の信仰は身につかないから、
ペイターに倣って「何一つ信じないで」クラシックを探求していく方が
面白いものをキリスト教文化圏に提供できると思われる。 何ひとつ信じないで己の内にある声だけを信じるがいい。 そういえば、塩野七生が古代ローマを著すにあたって、すでに他にいくつもある古代ローマ史の本の上にさらに加えるのに意味があるとすれば、非キリスト教文化圏の人間としての視点だと語っているね。 キリスト教の知識はあったほうがいいけど、キリスト教徒になったら、他の宗派の音楽が楽しめなくなるよ >>827
インドやバリ、ケルトの音楽も好きだが? >>827
曼荼羅交響曲もすきだが、、、
涅槃交響曲もw カトリックの人は、ルターの思想でいっぱいのバッハのカンタータを素直に聴けるの?
プロテスタントの人は、使徒伝来の唯一のカトリックの教会を信じる、と歌うミサ曲を素直に聴けるの? >>825
俺もそれだけでいいと思います
その声にキリストとかブッダとかクリシュナとかタオとか
違う名前を付けたのが宗教の本質かなと思います >>825
その声が悪魔の声の可能性もあるので、それを防ぐためのものという側面もある 神=善(悪と対立するもの)じゃないと思う
最終的には善からも悪からも離れないと神はわからないと読んだことある キリスト教徒になると、そういう考え方は許されなくなる
神や教会が命令することは理解できようとできまいと善であり従うべきものとなり、
それに従わないものは悪であり異教徒であり悔い改めるかさもなければ排除される キリスト教徒は、何で科学より宗教の方信じてるの?
悪い事をすると神様が見ている系の教えは道徳的には有益と思うが、祈るよ、というのも千羽鶴を贈るよ並みに死にかけている人の前では役に立たないのだが。 >>836
そんなことはないよ
死にかけてる人がいるなら科学や医療に当然頼るし、排斥し合うものでは全くないです
その点で近年よく話題になるマザーテレサについては正直よくわかりません
あと仏教にも念仏、読経、慈悲の瞑想、(病気快癒のための)加持祈祷と言ったキリスト教の祈りに近い行為は沢山あると思う 人の猿知恵(科学も含む)は全能でもないし完全でもないし間違いもある、という考え方が根底にあるから 神はおまえらの都合でなにかするわけではなく、神自身の都合でのみなにかするので、おまえらにどうこうできることではない、ということ おまえとこの美しい世界を作った神を畏れ敬い感謝し、
ひとり子を通して至らない欠点だらけのお前を救う道を示してくださったことに感謝し、
そのお言葉に従い謙虚にひれ伏すこと 別に神様はいていいんだけどね。
存在確認すらできないのに信じろって言ってくる宗教はおかしいと思うのよ。
何を根拠に神様の心を推測してるん?っていう。 聖書を読めば分かるが、神に対して根拠や証拠を見せろという人物は、思い上がった馬鹿者であり、最大限の悪のひとつで、滅ぶべきものと描かれている 聖書書いたの人間だから、どこにも神さん関与してなくね? 古来からの神について書かれた文書の内、これは神の意志が著者に書かせた、と教会が認定した文書が、聖書に収録されている 聖書の正典と外典の事なら、神様の意思を人間様が決めたやつやがな。
キリスト以後の預言者を認めない宗教が、何故キリストの死後に作られた文書の虚偽が判定できるの? 聖書を定めた教会が、キリストから教会設立と布教の権限を与えられた弟子によって設立された教会なので、キリストに与えられた権限に基づいて認定している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています