サー・ゲオルク・ショルティ15
シカゴ響、ウィーンフィル、コヴェントガーデンなどで
コンサートからオペラまで幅広いレパートリーで多くの
名演を残したショルティについて引き続き語りましょう。 マーラーをこの世に知らしめた功労者がショルティとバーンステイン
この功績は大きいといえる。 全ての楽音を、ヤスリで研いだかのように鳴らしきる
奇をてらわず「楽譜にこう書いてるからこうだ!」という自念は教育者や若者向け
「精神性がぁ〜」というリスナーには向かない指揮者 精神性なんて音楽と無関係な語を持ち出して、それが比喩的にせよ何にせよ何を意味しているのか自分でもさっぱりわかっていないくせに、さかしらぶりながら自分の好みを正当化しようとするジジイ共の戯言には興味ない 30年以上前だけど友達とホテルオークラの喫茶店に入ったら、ショルティ御一行が食事してた。
俺は、失礼かなと思ったけど滅多にないチャンスなので
「すいません、サインしてもらえますか?」
と言ったら、こっちをチラッと見ただけで無視された。
当然だなと思い「食事中に失礼しました」
と言って謝って自分のテーブルに戻り、友達と喋ってた。
帰る時に支払いをしようとしたらウエイトレスのお姉さんが
「ショルティさんが払って帰られましたよ」
と言った。
「えっ・・・」てビックリしたけどメチャメチャ感激したわw いろいろと各国のオケを渡り歩いてきたショルティだが
ようやっとアメリカのシカゴに安住の地をみつけたことはラッキーであった
シカゴでは思う存分自分のやりたいことができたもの
念願のベト全、ブラ全、マラ全も残せたんだから 演歌でいう“こぶし”
ヨーロッパの伝統音楽には、この“こぶし”が必要である。
ショルティ/シカゴsoには、それがない。 >>14
というか、人が歌える音楽じゃない、という稀な人。
普通は民謡なんかのメロディーになるのに。 昔、浅草の縁日の売店でフランク焼いてたショルティにサインを頼んだら髪を鷲掴みにされて引きづり回された苦い経験がある。 >>15
意味がわからないのだが
>>16
その暴君ぶりは見事シカゴサウンドに生かされました もう30年ぐらい前になるが俺の母が飛行機に乗るときに
荷物あげようとしてたらショルティが、あげましょうか?と言って荷物もってくれたのを喜んでた。 ショルティもフルトヴェングラーもわりかし長身だからな
そばにいて良かったねw
カラヤンじゃ無理だし
逆にオーギュスタン・デュメイなら頭ぶつけるかな?w >>14
ヨーロッパ古来の民俗音楽なんかはこぶしいるだろうがいわゆるクラシックの曲目にこぶしがいるって誰が決めたの? >>16
どうせ「おい、ハゲ親父!ぶっといの一本くれや!ついでにサインも」ぐらいのこと言ったんでしょ
そりゃ怒るわな シカゴ響の大阪だかの地方公演で、ショルティ御一行がプロモーターの知人の居酒屋を営業訪問。
「いい店だなあ。演奏会の後で打ち上げに使いたいんですけどいいですか?」
マスターが公演チケットを数枚購入、自分は仕込みがあるから演奏会には行けず常連にプレゼント。
公演終了後、数時間待っても姿を見せなかったショルティ御一行。
4年後、またしても訪れて「いい店だなあ。演奏会の後で打ち上げに・・・」 さぁさぁ寄ってらっしゃ見てらっしゃい!
アキバのイシマルで五万六万は下らないこの指輪!
今日は特別!一万でどおだっ!もってけ泥棒!
ショルティの見事な啖呵売でレコードが売れまくったのを覚えている あたしはショルティさんからラブレターもらったわ
うれしかったけど、、、カラヤンが好だと言って送り返したの
後日、涙と白い液体が届いたけど、送り主が「チンポデッカ」だったので
危険性ゴミの日に捨てたわ むかしショルティにサインを貰った時
ショルティ「お前ら、このサインどうするんだ?」
俺「はい。大事にします!」
ショルティ「馬鹿だな、売りゃあイイじゃねーか。高く売れよ!」
なんか器が違うなぁ
ショルティに売れと言われれば一瞬売らなきゃいかんのかと思ったが
今も大事にしてあります ショルティとバーンステインはフランスのエスプリだけは出せなかったな
カルメン、幻想交響曲などひどいもんだ ブローニュの森の息吹を感じさせないショルティのフランス物は落第だ。 海外ブランドのアンプを使うと素晴らしい演奏に変わる 白樺の森の息吹を感じさせないショルティのロシア物は落第だ。 上野の森の息吹を感じさせないショルティの武満物は落第だ いいね!(笑)
ただそれだと笑点の
〔 ○○の森の息吹を感じさせないショルティの○○物は落第だ 〕
と同じテンプレでしかないのが惜しい >>38
日暮里を「ひぐれさと」と言う
お上り1年目生といっしょかな オペラを得意としたショルティが唯一指揮台に立たなかった歌劇場が
オペラの聖地ミラノ・スカラ座である
レコード会社の契約上、このオペラの殿堂に登場できなかったのは返す返すも残念 >>43
レコード会社の契約と実演は無関係。
契約関係で録音での共演がない歌手も歌劇場ではよく
共演していたからな。 自分「Hey!ジョージ!」
ショルティ「(振り返りウィンク、人差し指を左右にチュッチュッチュッ)、アイ、ライク、ジャパニーズ」
さすがマエストロ、懐が深かった プレヴィンとハイティンクはショルティと同じ爵位(KBE)なのに
肩書を振り回すことはなかった ショルティは、所詮レコード会社の力だろう。
ウィーンフィルの定期で共演していたとは聞かないぞ。
セルは知らんが、ウィーン人が、ハンガリーやチェコに共感を覚えるなんて思えないがな。
だからこそウィーンだろ。 とうとうニューイヤーコンサート振らなかったね。
ザルツブルク音楽祭では演奏したんだろ >>50
>ウィーンフィルの定期で共演していたとは聞かないぞ。
お前が知らないだけ。
何度も共演している。
調べる気、ないんだろ。 「千人の交響曲」は指環と並ぶショルティの金字塔といえる
「宇宙の鳴動」というマーラーの言葉を具現を表現した第二部後半はもちろんだが
弱音部の繊細さも見逃せない
中間部過ぎでハーモニウムとハープ背景にヴァイオリンが清楚に歌うあたりは感動的だ
いっぽうバーンステインは第一部がじつに解りやすくポリフォニックな面白さでは
ショルティを上回っているといえよう。 代わりに俺が振ろうかw
頭ツルツルだけは似てるぞww >>53
いまだに本気で信じてるヤツもいるけどな。 ショルティの「大学祝典序曲」は歯切れよくダイナミックそのもの
まさにシカゴ響の名人芸を存分に発揮させたモダンこのうえない快演になっている
バーンステインはこの晴れやかで祝祭的な気分をよく表した演奏といえよう。 サントリーホールでのサイン会の時ブラ3と大学祝典序曲のCDを差し出したら、ショルティ自身からこれは俺の自信作なんだってこっそり教えてくれたんだよ。 久し振りにシカゴ響との旧録の第9を聴いた
ティパニィのドナルド・コス最高
全般に遅いテンポが心地よい >>62
こんな無知な奴いるんだw
まあシカゴ響のキンキンした弦よりもロンドン響で聴きたい気持ちは痛いほどわかるがw >>61
ベートーベンの第9番 72年録音のことです
マーラー第9番の旧録(LSO)も名演だと思います ベルリンフィルとのロシア集などない!
ロンドン響と間違えているのだ!!!! ドナルド・コスってベトの第9?
マーラ―第9(LSO旧録)のティンパニも確かに凄いけど ショルティの第9っていったらマーラーに決まってるだろ。 ショルティのベートーヴェン第9は演奏時間が長すぎて初期のCD一枚に収まらなかった
だから初めの頃は2 枚組での発売だったよ >>68
第2楽章の反復を省いてどうにか1枚にしたからな
しかし、Vnが外すところはそのままにしたけどな バカみたいに繰り返すのは評価せざるえない。
繰り返しはテープの切り貼りでいいんじゃね、っていうのはグールドだっけ? ショルティとバーンステインはモーツァルトの交響曲に関してはまったくダメだったな。 モオツアルトと云へばベームぢゃよ
フガフガフガ・・・・・・ ショルティのモーツァルトって
ヨーロッパ室内管だよな
歌劇もロンドンかウイーンだよね
シカゴとは何か録音したか? レコ芸脳の昭和のバカ爺だらけだな
モツ38,39はシカゴだ
来日公演では35をやってた ショルティ&デッカの手にかかれば、ウィーンフィルでさえ高音のキンキン音に耳が悩む >>77
オマエんちの装置の問題もあるだろ。
ウチじゃそんなにキンキンしないし。 ロンドンあるある
シュアー系のMMカートリッジで再生すると見事にキンキン >>79
44系か?
あれは完全にジャズロック向けだし
デリカシー求める人はあえてチョイスしないものだよ ショルティまだ生きとるん?
クラ入門した頃知らずにこの使徒のCD買っとったな いまのシカゴの1stVnってキンキンメタリックじゃないの? >>84
おまえ口は達者だけど、SEXはヘタで女にすぐに逃げられるタイプだな ショルティはハゲていたが、バーンステインはハゲなかった
この差は大きい ショルティほどイメージと実物(というかリハのビデオ)が
違う指揮者はいなかったw いや、なんか指揮の前の動作が卓球の選手のレシーブのポーズ
みたいで、、もっとワーグナーっぽい人だと思っていた。 >>86
カラヤン同様に日本では黒田きょういちという評論家の影響強し
これがシカゴ響だったら、が決まり文句。 めったに厳しいことを言うことはなかった wiki
だが、コーホ―と対照的にネチネチとしたイヤミったらしい語り口は
性にあわなかった。 黒田恭一は文体が、初期の村上春樹ぽい
大学も早稲田で、時系列的には逆かもしれない
【黒田恭一】
1938年、東京・神田生まれ。
早稲田大学在学中から、執筆活動を開始。
音楽を中心とした活動はクラシックからジャズ、
ポップスなど音楽全般
2009年逝去。