岩城宏之を語ろう
なぜかあまり立たない岩城宏之氏のスレですが語りましょう あと岩城さんで覚えてるのは題名のない音楽会での指揮者泣かせの曲がテーマで
春の祭典の原典版を始めて演奏した時のエピソード。
目まぐるしく変わるリズムが覚えきれず
「アジャパ、アジャ、アジャパ・・・」って覚えたってところ。
知ってる人もいるだろうが、アジャパ―は伴淳三郎のギャグ。
実際にアジャパって叫びながら指揮してみせてたよ。
最後には現代音楽で右手と左手で違う拍子の曲を指揮していた。
岩城さんは題名のない音楽会の出演が多かったから
思い出がある爺も多いんではないか?
思い出したら語って欲しい 「フィルハーモニーの風景」読んだ人多いだろうけど、
オーストラリアでTV中継中にハルサイ振り間違えてオケの演奏が止まったんだな。
正直に俺のせいで止まったって楽員にいったから、信頼関係が特別のものになった。 いろいろ攻めた人生だったと思う
・義理での拍手はやめて欲しいとか、泣く赤ちゃんを連れてる聴衆には
返金するから帰って欲しいと、本番で客席に向かって言う
・日本人作品の初演魔
・OEK創設
・1夜でベートーヴェンの交響曲全曲演奏
etc. 率直な人柄だったのだろう
でも大病して身体が動かなくなってからは、どんどん音楽がつまらなくなった感じする
客観的で冷静な演奏といえば聞こえはいいが、この人の場合力とか熱とか、そういうものも消えてしまった 確か、子供の頃に足が動かなくなる病気になったんだが、チャンバラ映画か何かで切られた武士が傷口に焼酎をかけて治していたのを思い出して、親に頼んで焼酎をかけて貰ったら本当に治ったとか。 >>63
オレが本で読んだ記憶だと、岩城さんがその病気で入院中して
医者からは「もう治らない」と見放されていた。
しかしある夜、岩城さんの夢枕に神様が現れ
焼酎で湿布すると治るとお告げがあった。
医者からは「もう治らないのだから最後は好きにすればいい」と笑われたが、
岩城さんが母親に頼んで焼酎の湿布をしてもらうと
数日後に嘘のように治った・・・というもの。
オレの記憶が曖昧なので他の人の本と混同してるかも知れん オレの記憶では朝鮮人参を焼酎に漬けてエキスを抽出したもので湿布をする、だったと思う
そのお告げをもたらしたのが大好きな観音さまだった、ともあった気がする 岩城が音楽に目覚めたのは木琴奏者の平岡洋一の演奏をラジオで聴いたのがきっかけだったはず。
平岡洋一の木琴はとても小さい頃に市民会館に来たので聴いたことがあるが、どんな演奏だったかは憶えていない。
トークを交えた演奏だったと思う。 下の毛を剃ったら汗が全部足まで流れたって話しか覚えてない 思春期の頃におチンチンに毛が生えるのが恥ずかしくて剃っていたとか。
「剃り」を家族に見られて余計に屈辱的だっとかいう文章があったような記憶がある。 >>68は覚えてる、汗疹に悩んで剃ったという話
でも>>69は知らない…あったっけ?
この人の著作を読んだ人が多いと思うので先に書いとくけど
後になると同じネタの使い回しが多くて閉口する…と以前の岩城スレでも書かれてた 掘られる覚悟で海外の大物に師事した指揮者って誰だろう
なんとなく浮かぶが >>70
あるテレビ番組で岩城宏之が小澤征爾に完敗宣言した話は過去スレで既出? ちらっと見た気はする
でも実際テレビでどんなふうに言ったか、記録も無いからわからない 指揮者 岩城宏之 最後のタクト
BS151朝日で2300から
BS朝日見た。
体調悪いのに客寄せのために担がれて気の毒に。
オザワの元気な姿久しぶりに見た。
時代は変わるものだ。 志ん生vs文楽や三波春夫vs村田英雄のように、永遠のライバルだとか仲が悪いと言われた岩城と小澤
岩城が亡くなった頃から小澤の病気のニュースが増え、急に老け込み出したように思うが、
やはり当人同士の中でもそういうライバル意識というのがあったんじゃないだろうかと思う 逆ならともかく、小澤がそうは意識してないと思う
国際的なキャリアに圧倒的差があるから
歳が三つしか違わないから、同じように老けて体調悪くなっただけだろう
七十も超えたら大きな病気だってするよ 自分はリアルタイムでは知らないけど、1970年代末に出た古い雑誌に
「振ってきました、ウィーン・フィル!!」と題して岩城のインタビュー記事が載ってた
VPOの定期に日本人指揮者として初登場、というので大々的に取り上げられてた
たしか77年にハイティンクがキャンセルした代役で「幻想」振って、翌々79年に再度客演
たしかにこの頃までは岩城、小澤は並び称されれるライバル的存在だったのかもしれない
でもその二度の客演の後、もう岩城が呼ばれることは無かったんじゃないだろうか
デッカへの「幻想」の録音も結局ハイティンクがしたし、代役でちょっと出ただけで終わってしまった岩城
先を越されたものの、その後VPO、BPOを振って録音もDGやPhilipsから多く出した小澤
2002年のニューイヤーのCDがバカ売れしたのはさておいても、もはやこの頃には大きな「格差」があったと思う
岩城のエッセイに度々VPOの古参団員に世話になった挿話が登場するが、その人柄は愛されてたとしても、
指揮者としての評価はあまり高くなかったんだろうなと想像してしまう カラオケで「プレイバックPart2」を歌ってたら、あの空白の部分の長さが
原曲と違っていて、調子が狂ってしまったという話があったな。 >>72-73
これ、憶えてるよ
2002年頃だったと思うが、NHKの何かのトーク番組に岩城がゲストで出たとき
番組の話題が小澤の活躍(ウィーンフィルのニューイヤー登場やウィーン国立歌劇場の音楽監督就任)のことになって、
司会者:岩城さんは、同じく世界で活動されている小澤征爾さんという指揮者をどのようにご覧になってますか?
岩城:まあハッキリ言ってしまえば、彼がデビュー以降、彼にはずっと負け続けですよね。そういう指揮者です
↑
こんな感じのやり取りだった
まあ、潔いというか何と言うかw
視聴者が密かに思ってることを、ズバッと直球勝負で自分から言ってしまう当たりが、この人らしいな~、と、変に感心してしまったのを憶えてる >>82
NHKの番組でベルリンフィルとウィーンフィルの違いを言ってた
ベルリンは世界一うまいがカラヤンのような指揮者が世界中からうまいやつを
集めて鍛えれば作れる
一方ウィーンは全く別で式台に立って音が出た瞬間
まるで巨大な生き物のように感じて背中がぞくぞくしたとか ご本人は「九段坂から」を出版したのが失敗だったとその後告白されておられるね
自分の首の手術をテーマにした「九段坂から」を出版した後、
ヨーロッパの主要なオーケストラから契約を切られたと
首の病気のことは完全に隠しておくべきだったと後悔したことを、
週刊金曜日の連載コラムで書いていた
ひょっとしたらそういった病気のことを隠していたら、
その後ウィーンフィルを振る機会もあったのかもしれない >>82
亡くなる四年前で先を悟ったから出てきた言葉かなぁ
もうこれから最後の大逆転は無いな、決着ついたなと
指揮者は最晩年に急に評価高まったりするから、その時まではそういう望み持ってたのかも
>>84も本人の言葉とはいえ本当かどうか 指揮者は首を傷めるけど、程度は人それぞれ
あんな大きな手術したと知れたから仕事が無くなった、
と本人は言うけどどうだかねぇ このご時世何が原因で辞めさせられるかわからないよね
下見れば頂点目指してたくさんの指揮者が這い上がろうとしてるわけだし
功労者でもそれなら簡単に切られるよ やあ小澤君、久しぶりだね。とか言ってるのかな?
御大の笑顔が懐かしい >>89
おっと金聖響の話はそこまでだ
デュトワ「余裕だよね余裕」 >>87
カラヤンの背骨手術は現役当時でも報道されていた
脳梗塞は伏せられていた >>92
カラヤンは晩年に、ハエの卵が皮下に産まれるという皮膚病になったというのをどこかで読んだ記憶があるが、今ググっても全然ヒットしない 岩城がN響と録音した運命、未完成のLPは日本のオケとして初の公式ステレオ録音
当時のレコ芸では世界に誇れる演奏とお世辞で推薦盤にしていた
なにしろ洋楽盤(コロムビア)と同じ扱いで2000円で販売された >>90
岩城と小澤が(番組等で)直接会ったのって滅多に無かったらしいし、オーケストラがやって来たで1回あったか位じゃない?
だとしたら4、50年ぶりかw
この世では言えないこともあの世では何でも言い合えてるのだろうか 大喧嘩して片方この世に落っこって来てくれんだろうか 一昨日のOEK演奏会の休憩時間中に、ホワイエでは髭を生やした広上が
座席では団員がバケツを持って回ってた
何でも大災害があると義援金を募るのが習わしなんだそうだけど、
言い出しっぺは岩城
使ってるバケツは初代のままなのだそう… 1970年代の中頃、自分がちょうどクラシックに興味を持ち始めたとき、
NHKで「岩城さんと語ろう」みたいな番組があって、それをその後ずっと憶えてた
確か一般の人がスタジオで岩城さんを囲んで色々話をする番組で、1つだけ憶えてるのは、
フライング拍手する客のことを岩城さんがからかって笑い話にしていたこと
先日、この番組の放送日付がいつだったのだろう?と、ふと思ってNHKクロニクルのページで検索してみたら、
1976年5月24日で、正しい番組名は「この人と語ろう」だった
そして司会は、先日亡くなった鈴木健二アナウンサー、これは憶えてなかった
近々鈴木健二さんの追悼番組があるのかも知らないが、もう50年ほど前のこの番組のVTRなんて残ってないんだろうな その頃はテープを使い回ししてた時代だから
残ってないかもな 武満徹 管弦楽曲集 メルボルン響
選曲、演奏、ジャケ写真、すべていい