インパール作戦

多くの新兵によって編成された陸軍107部隊が終戦後の14日間に渡って地獄の戦闘を
強いられた逸話に触れましたが、同じく、この菊兵団のケースでも、三八式歩兵銃に
ついての不満の声が当時の兵士から挙がっている。明治時代に開発された三八式は、
5発装填できるが単発式の銃であり、しかも銃剣をセットしているが、銃剣をセット
した三八式歩兵銃の全長は1メートル60センチにも及び、重量も約4キログラムであ
り、とても密林には不向きな装備であったという。密林の中を行軍するには重すぎる
上に、決定的にダメなのは1メートル60センチも銃身がある為にフーコン地区のよう
な密林では銃が木々に引っ掛かって邪魔になっていたという。

しかも相手は「まるでオモチャ」のように連続して弾丸を発射する自動小銃であり、
どのように戦えばいいのか、兵士たちは途方に暮れたという。兵士の一人は三八式歩
兵銃について、「あんなのは日露戦争の頃に活躍した銃だ」と怒りを隠さない。

1944年3月、インド東端とビルマとの国境近くにある都市インパールへの進攻が立
案、実施された。それは世にいう「インパール作戦」であった。陸軍は援蒋ルートを
巡って劣勢になりつつあったビルマ戦線で、起死回生のインパール作戦を展開させ
た。インパールに総攻撃をかけて一気に形勢逆転を狙ったという大作戦であった。陸
軍はインパール作戦に10万もの兵士を集めた大規模な作戦であったが、その為に死の
谷・フーコン地区で闘っている菊兵団に対しての補給は滞ったという。(このイン
パール作戦は失敗する。)

三八式歩兵銃は今のRの技術だと思うよ。
技術力が低下すれば、営業も開発も士気が低下する。

この作戦を執っていたのは、平成の牟田口=混同