けっきょく何らかのロジックの再生はやはりあくまで再生であって
どうしても遅れたり目の前の現実(他のラインとか「空気嫁」の空気とか)とぶつかるんだと思う
譜面を再生する再生音楽のクラシックが探求していく方向
例えばレコードがあればライブは要らないだろとか

再生の塊で出来上がったものは存在そのものがワザトラシクなるのが自然
ブルースサンプラーのスティービー・レイボーンなんか自分の目からはもう全身ワザトラシサの塊に見えるし
トモ藤田って人はブログの文章でしか知らない音を知らないけど
日本人として嬉しいとともにいろいろ考えさせられる
ジョン・メイヤーの弾くジミヘンとか上手いんだけど何かが猛烈にワザトラシイんだよね
ブルースだのジャズだのクラシックロックだのはたしかにクラシック化してるんだなと
アメリカはただただ垢にまみれてくのかな