〓近代〓現代〓 定義と境界と作曲家はは? 〓
>>12の定義に則れば、そうでつ。
死んだらもはや改定も破棄もできない、要するにFA。
存命中は不確定要素もりもり。
近代と現代の分水嶺は案外そういうことかもね。 クセナキスはもう近代でいいじゃん。
ポストクセナキスってのがあるわけだから。 近代と現代ねえ。
日本文学だと
芥川竜之介が生まれた日から現代、
死んだ日から現代、
最初の作品を発表した日から現代、
最後の作品を発表した日から現代、
大正元年から現代、
昭和元年から現代、
と学者によって違う。
一応学校の教科書では大正元年の作品から現代ということになっている。
そこで俺はドビッシーの死んだ日から現代ということにする。 生きてる作曲家=現代でいいんじゃないの。
メシアンみたいに死んでからも頻繁に演奏されるのは、立派なCLASSICだから
これらは近代音楽に分類。 ジャン・ミシェル・ダマーズも、マルコム・アーノルドも、伊福部昭
も、吉松隆も現代音楽。生きてるから。 >>16
なるほど、Debussyの死んだ日から現代音楽か。
言い得て妙だな。 ドビーの命日は1918年3月25日だっけ?
WW@の終結が同年11月11日。
まあ確かに象徴的といえよう チケット売るのに苦労するのが現代。
そうでもないのが近代。 >>27
禿堂
>>12
>>14
>>17
以上に身もふたもない代わりに曖昧さもない割り方はないと思われ >>16
晩年のサン=サーンスは現代作曲家の1人だったのか!! >>19
ダマーズはエコールノルマルの学長をしている。
作曲の修了試験も毎年彼が審査員の一人として見ているわけだが、
案の定と言うか近年生徒の作品がどんどん保守系に固まって行く気がする。
平義久も亡くなった。後任のエディット・ルジェは面倒見が良いそうだが、
いくらリゲティやベリオの分析をしたところで小手先は器用になるだろうが、
前衛の精神を植え付けなければ作曲の教育としては根本的な意味がないと思う。 あ、エコールノルマル「音楽院」ね。念のため。
エコールノルマルとだけ言うと別の超エリート学校のことを指すので
フランス人の前では下手にド・ミュジークを略さない方が良い。 前衛の精神を学校で教えるってのも何か矛盾みたいな気が… >>42
まあそれもそうなんだけどさ。
でもそこに気づかせないと、エクリチュールをいくら学ばせたところで
作曲を教えると言う意味はないわけで。
まあ大多数の学生は小手先のエクリチュールを学ぶ方に魅力を感じてしまうわけだが。 この手の話は、知人の音楽学者や演奏家、指揮者、作曲家などと
ここ10年くらいことあるごとに話題になりまして、しまいには
音楽学の限界や、個人の立場の問題にまでなるので、積極的に
議論は避けているところです(^_^;)。先日も朝の3時まで新宿で
話していたし・・・・・・
拝見していると、全く新しい機軸のご意見は残念ながら拝見できませんし、
やはり簡単には結論が出ないことは明白です。むりやり思い込むことで
逃げている人はいますが(^_^;)。 ブレーズの「ソナチネ」以前、以後で十分じゃん。もうそれにしよう。
(最初にこれを言い出したのはP・グリフィス) 20世紀以前と以後で十分じゃん。もうそれにしよう。 ゲソオソ君が絶賛するのがゲソヲソ
それ以外の20世紀以降成功した音楽はゲソヲソではないと。(含 坂本龍一) 20世紀以降成功した音楽というと、シュトックハウゼンやクセナキスとか? シュトックハウゼンが大衆化に成功するとしたらこれからなのでは? >>2
現代→三羽烏から って、メシアン、ジョリベ 、デュティユ?
芥川、まゆずみ、団?
西村、新美、吉松? わかった!ブーレーズ、シュトックハウゼン、ノーノか! クラシックでサイレンは使わないからここでいいんじゃない?
現代・・・かな。 アイヴズのスレが立ってるが、あれは現代音楽なのか? ストラヴィンスキーが現代音楽扱いされる場合もあるからねえ・・・
困ったもんだ。 人によってはベートーベンの後は全部げんだいおn(ry そこまで行かなくてもハルサイ以後はゲソと思っている人は結構多そうな… >>63
ゲーテがいったんだっけ?あれは音楽ではないそうな
>>64
俺の周りにもいるねぇ、そういうの。初演して何年たつと思ってんだろ・・・
まあでもファジィ的な見方をすればハルサイもベートーヴェンも"いくらか現代"という事になるのかな。 イケベ先生はよく「モーツァルトもベートーヴェンも、作曲された当時は
現代音楽だったんですよ」って言ってるけど、あれムカツクな。 アイヴスは富田もカヴァーした代表作のunanswered question聞くかぎり充分現代。とマヂレ酢 >>67
66じゃないけど、池辺先生が自分を正当化してるように聞こえるからかな。
まあ先生の作品はとても「現代(≒先端)」には聴こえないけど。 >>69
池辺の世代だと、前衛音楽全盛期は学生で、職業音楽家になってからはゆり戻してきた時代だから 簡単だよ
現代とはコンテンポラリー = 同時代。
現役でで活躍しているのがちらほら見受けられるのが同時代の境界。
つまり、ブーレーズ以降が現代音楽。
>>73
そうか。
じゃあバーンスタインは現代音楽だな 「現代」と「前衛」を区別するならバーンスタインもフレンニコフも現代。 クラシックの後継じゃない音楽は音楽とは言えないね。
だからつんくは音楽じゃない。たんなる現代の何かだ。
>>1-81
めんどうだから、全部まとめて現代でいいよ。 現代音楽の定義は
戦後から隆盛した技法による音楽
および、
新ウィーン楽派、アイヴス、ヴァレーズ
および、それらの技法に直接的影響を受けている音楽。
この定義でいいだろ?
これなら何の矛盾もない
雰囲気的には、違うとわかるが・・・。
両者を明確に二分するような定義には耐えられないと思われ。 基本はクラシックながら不協和音が使用されているのが近代音楽。
メロディ自体が崩壊しているのが現代音楽。 ジェズアルドはどう解釈すんのよ。
アウトサイダーは例外か。じゃあスクリャービンも例外だな。 最近作曲された作品にはむしろ近代音楽の方が多いみたいだね。
現代音楽はクラシック界における一時の心の迷いだったということか!?
>>93
>最近作曲された作品にはむしろ近代音楽の方が多いみたいだね。
こう思う根拠をあげてほしいです。 >>93
>最近作曲された作品にはむしろ近代音楽の方が多いみたいだね。
>>94
>こう思う根拠をあげてほしいです。
93に同意。
いわゆる「ゲンダイオンガク」的な曲がめっきり少なくなった。
代わりに調性・旋法を忌避しない曲や作曲家が増えたことが
その根拠として挙げられるだろう。
>現代音楽はクラシック界における一時の心の迷いだったということか!?
実際その通りだろうね。
歴史の流れを見る限りは。 前衛(的)でないと現代音楽ではない?
ンなこたない。 >>100
この板のトップにも
「クラシック音楽のうち第二次世界大戦後(1945)以降に前衛的な視点で書かれた音楽」
と書いてあろうが。
100おめ。 よくわからん
19世紀の作品であるサティの一連のもの(特にヴェクサシオン)は充分に現代音楽的だし
逆に20世紀以降の作品で現代音楽的ではないものはたくさんある
境界線は無い
むずかしい 現在、存命かつ権威がある=現代
現在、死亡しており権威がある=近代
現在、生きていようと死んでいようと権威が無い=凡庸かつ時代遅れ 20世紀に書かれた曲はもう全部クラシック扱いでよくね? 音楽には他によらずに持っている秘密の価値がある、
そして新しいものはよいことだし、ヨーロッパはエラいし、
人間頑張れば何でもできる。
たとえば、こんなことを考えて曲つくってる人が近代の作曲家。 佐村河内守の交響曲第1番も新垣隆さんの作品だってバレちゃったね ユニークで個性的な副業情報ドットコム
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