>>78ふむふむ。
「結果がこれか」という僕に対して、
「いや、過程なんだ」てことだな。
ケージ作品は(多くを知らないけど)「xとは何か」そのものであると。

そのスタンス自体は、僕は未だに作家として「逸脱」だと思う。
で、悪いことには、彼の場合さらに、逸脱しかないのです。
あるいはそうでないもの、例えばさっき「四季」とか「プリペイド(ryのソナタと(ry」
とか、比較的耳当たりのよいものを聞きましたが、これらはZEN、chance..の採用者
ケージの作として一応独特であるけど、これらでケージを判断するのは、甘いなあという感じ。
だからin a landscapeは残念ながら知らないけど、そりゃ多分、僕も聞きたいんじゃないかなぁ。
けどそれは別に、上で言った意味では独特だけどケージでなくてもよい。
知ってるかな、チェルハだったりとかでもよかったわけです。

意味ある議論に現れるケージは、作家として完全な「逸脱」に淫している方。
「彼」は作家の意図した意匠の前提なくしては聞かれない、という事態を呼びまくる。
なので・・それは>>78自身が、
「あらかじめ了解されたものしか 聴けない」ようなのと何ら変わりない。

勿論、「あらかじめ了解されたもの」なんてのが退屈もいい所なのは衆知の事実。
僕は「ちょろっと逸脱」、と言った。ということは、
音楽の中にちゃんと地図があり、またよく見るとそれがとても穴だらけ、てことなんだ。
で、穴だけでは地図にも何にもならないよ、どこにもいけないよ、ということだっす。