>>79 亀ですが。
「逸脱」ってよりもむしろ「拡大」というのが僕のイメージ。「音楽の解釈の
拡大」といったほうがいいか。
ケージ以降、音楽は作れなくなったとかいうのをよく聞くけど、それは無駄。
武満徹がケージといっしょにケージのある偶然性の音楽の演奏(曲名忘れた)を
コンサート会場で見ていたら、ある曲の前に、「次の曲はとっても美しいんだ。
僕も大好きなんだ」と武満にケージが耳打ちしたとか。チャンス・オペレーション
なのに美しいもなにもないっていうか、どうしてそんなこといえるんだ?って
武満はびっくりしたそうな(雑誌New Music Todayで読んだ)。
ケージはオーソドックスな音楽的態度へのアイロニーと受け取るのが適当かと。
あとはむしろ、演奏者の問題かな。

>>97 音楽がイデオロギーなんじゃなくて、音楽を支えているさまざまなものに
イデオロギーが含まれていると考えたほうがいいでしょう。
そもそも>>70がどういう意味で「イデオロギー」って使っているのかいまいち
不明だし。

>音楽学の限界や、個人の立場の問題にまでなるので、積極的に
>議論は避けているところです
これがネタなのかコピペなのかよく知らないけど、もし本来がマジなカキコなら
日本の音楽界は相当腐ってると思っていいでしょうね。まさに、そういうことを
考える必要があるのに。ようするにだ、どっかの大学かなんかに就職しちゃえれば、
あとは適当に鼻ほじって学生に教えて、税金で留学して、それでオッケーなんだよ、
あいつらは。そもそも「社会に開かれる」ことなんて、まったく必要としてないん
だから。むしろ、「社会に放っておいてほしい」と思ってるはずだよ。
日本の国公立の音大なんて、みんななくしちゃばいいんじゃないか?w