ある日本人の作曲家(故人)が「ウェーベルンという人は、肌触りは
シューマンに近い」と言っていた。実際に彼の調性音楽時代の作品
を聞いてみたら、どちらかと言うとシューベルトに近いと感じた。
 ドイツ・ロマン派の天賦の才能を持ちながら、自分自身の本質を否
定するような音列音楽の路を歩まざるを得なかったのは、彼が生きた
時代のためとはいえ、気の毒になった。
 進取の精神を持った人だから、リヒャルト・シュトラウスのように「時
代遅れでもロマン派!何が何でもロマン派!死んでもロマン派!」と
いう選択は出来なかったのだろう。
 もっと遅く生まれていたら、非ロマン派的な天分を持って生まれ、彼
の才能と反ロマン派的な音楽作法とが一致していただろうに。