1905 ジャチント・シェルシ 1988
ピアノ組曲9番"TTAI"
久々に聴いたら感動しちまった・・・て書こうと思たらスレ無いじゃん!
で建てたぞ(゚Д゚)ゴルァ! 乙。
以前クラ板に流石兄弟の過去スレがあったはず。 とりあえずウィキペディアのリンクを貼っておく。
ジャチント・シェルシ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B7 >>4
>湯浅譲二の言う「未聴感」への飽くなき探求は、創作当初から一貫していたとも言える。
あんたが書いたのか。ここはいただけないね。
リンク先の「ギデオン・クラインがアルバン・ベルクを彷彿」云々も首をかしげるばかりだ。 >>4
これはひどいね。これだからウィキペディアの質がおつる。シェルシがついたのはギデオン・クラインじゃなくて
ヴァルター・クラインだったはずだ。どうしてテレジンの作曲家がここにでてくるのかね? > 作曲内幕暴露
まずアシスタント全員が生きているうちは無理。
最年少がカスタニョリ(らしい)し。 >>6-7
いや少なくとも漏れはその辺については書いていない。
漏れが書いたのはシェルシとグリゼー・ミュライユの出会いの部分など。
多分履歴を詳しく追えばわかるだろうが、普通はそこまでしないだろうし。
よく見直してみると「未聴感」の単語は唐突な気もする。 揚げ足取りかもしれないけど。
「結構なハイペース」「驚異的なペース」と書かれても、
ネット上のシェルシ作品表を見る限り、そんな風には見えない。
作品リストに載っていない他の仕事がいっぱいあれば別だけど。
アシスタントが何人か(何十人か?)いるんだから、逆に「当然」
のことにも見えてしまう。
関係ないけど、「あまりに自己の語法とかけ離れた音列の
操作のため精神的な病を得て」というくだりがすごい。
とても信じがたいが、音列操作で人は病気になったりするのか。
12音技法を強制されたわけでもあるまい。
作品制作は自分の意志でやってると思われるのに。
他の要因を考慮せず、「〜のため」と断定しちゃうのも驚き。 いや、うちはあれでかなりハイペースと思う。
常人ではピアノ組曲11曲も作れないよ(全曲ライヴ完奏者は一人だけ) ピアノ組曲というジャンルに力を注ぐのは不思議なことなのか。
10曲以上も書く人は他にいないのかもしれないけど。
ハイペースというと、ミヨーやセーゲルスタムのような人を想像する。
いつから協力者が出現したのか知らないけど、何人もいれば
ハイペースになっても当たり前だし、逆にそうでなければアシを
つける意味が薄れる。
晩年の松本清張がこの手法をとったのもペースアップのため。 >常人ではピアノ組曲11曲も作れないよ
意味不明
クープランは何十曲もあるぜよ > ミヨーやセーゲルスタム
そりゃ、多作できる体制を整えちゃったかたがたな訳で、、
あれ、いちいちシェルシがピアノの上で即興したのを書き留めているわけだから
手間暇はかかってるのでは。想像の上でしかないが。 シェルシの書き方では
アシスタントが居てもそれほどペースが上がらない様式のような気がするが
気のせいか?
ベリオとかはアシを使って量産していたけど、これは納得がいく
野田憲太郎の脳内ソースはタイシタモンダw
Wikiの大方はこんなんだろうな〜(呆) >>18
あれ。シェルシも「多作できる体制を整えちゃった」一人に入るのでは?
「多数のアシスタントを迎えて」んだから。
【だから】我々(少なくともなっち)には「驚異的」に見えない。
彼は演奏活動、教育、講演、執筆、あるいは映画やテレビの音楽と
いったものにエネルギーをあまり、もしくはまったく割いていないと思う。
作曲のための時間は、他の人気作曲家よりもたくさんあっただろう。
ともあれ、シェルシの作曲法の中身を皆まで知っている人は
このスレにはいないわけだ。「3つのラテン語の祈り」と「ウアク
サクタム」とで、制作手順が同一だとは思えない。
前者でさえも、誰かがいないとダメだったの? まぁ
はやくかける様式とそうでない様式があるということで ディヴェルティメント3番に感動
こんないい曲がセリエル原理主義者のせいで放置されていたとは 2006-02-25
07:05-08:00 23.05-00.00 ORF Zeit-Ton
ジャチント・シェルシ Komponist/Komponistin: Giacinto Scelsi
* Titel: TRILOGY (1956-65) "Die drei Lebensabschnitte des Menschen":
o 1. Triphon: Jugend-Energie-Drama
o 2. Dithome: Reife-Energie-Gedanke
o 3. Igghur: Alter-Erinnerung-Katharsis- Befreiung
Solist/Solistin: Frances-Marie Uitti, Violoncello solo; aufgenommen am 26.11.2005 im Wiener "Odeon" im Rahmen der Reihe "Hommage a Scelsi" des Festivals "Wien Modern 2005"
Label: Salabert L?nge: 42:41 min シェルシというなら、『新ドイツ零年』のシェルシ。
初めて聞いたのは、この映画でである。 ___
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