>>32
 馬鹿。フォーレの場合は、耳が聞こえなくなってからピアノ使わずに作曲した作品には、
確かに重要なものがあるが。ちなみにかのバッハは、楽器無しで作曲できない人間には才能が
ないと思って、軽蔑していたらしい。まあ確かに、楽器に頼らなければ作曲出来ない凡人程度に、
あんな神業とも言える対位法は処理できるわけがないが。また、本当に楽器無しで作曲できる
ようにするには、音の高さだけでなく、聴いている調性も判別できるようにする事。自分はその
能力を持っているが、それが出来ないのに芸術音楽の作曲家になった人間が多すぎる。それで
もって今の芸術音楽は、人類史上最低レヴェルに落ちた。

>>62
 その言葉はちょっと違う。「本当の自由は束縛や制約を乗り越えたあとにある」。
現代の作曲家は、あまりにも制約から逃げすぎてる。というか、楽器無しに作曲できない
以上は、そこに天才がいるとは考えられない。バロック時代には、特にフランスで楽器無しに
作曲できた作曲家が多かったらしいが(またそれに見合う優れたものがありながら、今日
極めて不当に低い評価を受けている)、今の時代はそれが出来ないのばかり故に、現代音楽の
作曲家はバロック時代とは比較にならないぐらいに能力が低くなった。その意味では、今の
時代程本質的に才能がない作曲家が横行する時代はないとも言える。


>>65
 そうは言ってもねえ、未開地の音楽に出さえ、しばしば音階らしきものはある。
つまり音階とは、人間が猿から進化して得た音楽の本質であり、それを根底から否定
するのは、言わば猿に先祖返りするのと同じ。世にある現代音楽は、正に猿の音楽ばかり。
ちなみに自分も楽器無しに紙の上だけで無調音楽を書いたが、それが真の作曲=自分の
精神の中で音を構築する、というものでは断じてない事を理解した。これこそ本当に
形式主義の音楽だし、それに調性音楽の場合には、その中に特殊音階を組み込んで変化を
与えられるが、無調は無調以外の響きを全く作れない。それこそ芸術的根拠の全くない、
無意味な束縛に過ぎない。つまり、調性や禁則から逃げるという皮相な自由を求める事が、
逆に真の束縛に陥ったとも言える。もっとひどい言い方をすれば、才能がない人間が、
訳のわからないかでたらめでもって「芸術的だ、哲学的だ」などと言って、のさばるために
出てきたのが無調音楽だとも言える。こんな方法、過去の真の天才は絶対に選ばない。