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YOSHIKI…ロックとクラを融合させた現代音楽家
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00017分74秒
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2009/07/23(木) 14:50:28ID:fACjrRfk
今や世界が認めるYOSHIKI。今後の現代音楽家としての活動が注目されます。
それでは、YOSHIKIさんが現代音楽界に与えた多大な影響について語り合ういましょう。
05867分74秒
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2012/05/03(木) 08:31:15.22ID:+zMnEQ1T
ロックとクラッシックの融合
水野修孝とかエニスン・デニソフとか?
野平一郎の協奏曲はエレキギターというよりオンド・マルトノの延長線みたいな扱いだったなw
05877分74秒
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2012/05/20(日) 19:01:08.46ID:32jm0bHk
ヨシキはエリートビジネスマン
ヤンキーニートから世界のロックスターまで成り上がった
05897分74秒
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2012/06/09(土) 22:53:20.71ID:DCs0v4dB
坂本龍一には足元にも及ばない
05907分74秒
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2012/06/11(月) 22:22:49.54ID:cRsOSTNP
それは言えてる
05917分74秒
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2012/08/10(金) 23:45:23.56ID:ugawdeOF
ロックとクラの融合なんて珍しくもなんともない。
40年以上前からやっていることだ。
05927分74秒
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2012/08/25(土) 19:22:10.46ID:CsjUAeA+
まあね
05937分74秒
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2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:b1idy3u/
へぇ
05947分74秒
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2014/02/06(木) 02:39:41.98ID:8HME/Sna
良スレ
05957分74秒
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2014/02/06(木) 02:56:52.73ID:LcMjZmu6
サムラゴーチがゴースト発覚
YOSHIKIさんは大丈夫かな?
05967分74秒
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2014/02/08(土) 13:37:04.54ID:wSp/Ytqd
佐村河内氏はヒゲを剃ると、TOSHlにクリソツだから、
X japanのメンバーに加えたらいいと思う。

遅作のYOSHIKIに代わって作曲しまくる。
もちろん、佐村河内氏のゴーストが良質な曲を量産。
これで問題なしでしょ。
05977分74秒
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2014/09/10(水) 20:06:11.05ID:aqX6Uxvc
ヲタのオナニーに過ぎないコーネリアスよりは上だわ
0598◆qvr8unSsWk
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2014/10/10(金) 00:32:27.60ID:EKB15KxB
BABYMETALを観て聴いて感性に響かない奴、
またはロックを常々聴く者でもBMの音楽性を批判的に捉えている奴、
そいつらは糞だ。
ロックに反応する受容体が完全に欠落している偽物野郎だ。
それを骨の髄まで自覚しろ。
   
私は今までに世界中の音楽に幾万と触れ、その世界で仕事もし、自らも制作をしてきた
何が良いもので何が良いものでないか、その目利きだけには自信がある
その自分がここまで陶酔できた日本の音楽、エンターテイメントは殆ど記憶にない
BABYMETALの衝撃は日本の大衆音楽史上最も大きな事象だろう

RCでもブルーハーツでもBOOWYでもXJAPANでもエレカシでもない
BABYMETALが日本史上最高のロックでありエンターテイメントだ
05997分74秒
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2014/11/06(木) 09:35:48.28ID:+5jWSC3O
良スレ
06007分74秒
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2014/11/07(金) 16:53:30.39ID:sKtg27UM
       外国人に生活保護は当然ニダ  ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;     掛け金無しで年金も寄こせ!
                         vymyvwymyvymyvy、
     日本に移住してやるニダ MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、  駅前の土地をよこすニダ
       差別ニダ       Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^Λ_ヘ
    謝罪しろニダ       ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ウリはパチンコ屋をするニダ!
   賠償しろニダ __,.ヘ /ヽ_ /ヽ__,.ヘ /ヽ__,.ヘ _,.ヘ ,.ヘ  コネで朝日新聞や電通に入社するニダ
    /\___/ヽ   /\___ /\___/ヽ _/ヽ /\___/ヽ
   /''''''   '''''':::::::\/''''''   '''/''''''   '''''':::::::\   /''''''   '''''':::::::\ ニダニダ  警察は韓国人に弱いニダ
  . |  \丶,  、/、 ...:| \,    .|  \,   、/ 、.:|、/ |  \,    、/、.:|
  |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|   ,,ノ(、_, )|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|_, )|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|  強盗&レイプし放題ニダ 
.   |   `-=ニ=- ' .:::::::|   `-=ニ= |   `-=ニ=- ' .:::::::|ニ=|   `-=ニ=- ' .:::::::|
   \  `ニニ´  .:::::/\  `ニニ \  `ニニ´  .:::::/ニ´ \  `ニニ´  .:::::/ メディアは全部押さえてるニダ
  /`ー‐--‐‐―´\ /`ー‐-  /`ー‐--‐‐―´\-‐‐ /`ー‐--‐‐―´\
                  日本人は奴隷ニダ ウェーッハッハッハッハ!!     税金なんて当然払わないニダ
                   
          在日韓国人に対するヘイトスピーチのみ規制するニダ! レイシスト反対〜〜ニダw!

   チョッパリ!韓日友好ニダ!  はやく参政権よこすニダ!!  ウリの為にパチンコ一生してろニダ!
  
     警察・裁判官・弁護士・教師・医者・役人・芸能人 あらゆる機関に在日&帰化人沢山いるニダ!!

 在日帰化議員大勢いるニダ 民主、維新、公明、共産は韓国の為に働いてくれるニダ 自民にも少しいるニダ

      ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!! トンスル最高ニダ!
0601 【東電 56.1 %】
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2014/11/24(月) 03:56:32.72ID:QthlY0Fj
>>598
に、質問。今日こそは答えてもらおうじゃないか!キミはいつもそんなんだよね…ったく…じゃあ、あの件を聴くよ


神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。

http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&;sns=em


キミのことは一応評価はしてるんやで。朝はしっかり歯を磨くんだよ。
0602憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ
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2015/01/21(水) 08:52:11.03ID:gT999B6F
toshiさんの寄稿を交えた、洗脳のなんちゃらという本が出てますけど
在日の工作本です。騙されないでね。
TOSHIさんが騙されたうえに、我々も騙されるのでは、あまりにも情けない。
カルト宗教の大半は、間違いなく在日主導ですよ。

【朗報】自民党「憲法のせいで特定の宗教を解散させられない」
http://www.log-channel.net/bbs/poverty/1386937136/
>そのオウムを解散させられない今の司法と憲法は問題と思われませんか?

※オウムのサリン事件のときに、自民党だけがオウムに破防法を適用しようとし、
共謀罪(テロを未然に防ぐ法律、またこの法律があれば、麻原を共謀者として殺人罪に問えた。)
も制定しようとしたが、自民党以外すべてが反対で、ボツ
これが、表向きの偽装とは裏腹に、自民党以外の政党・議員が、みんな仲間どうし(在日?)である
証拠ではないでしょうか。。
※自公の連立前まで、創価の政教一致を批判してたのは自民のみ。
現在の民主党や共産党による批判は、自公解消を阻止するための「釣り」「偽装」と思われる。
0603憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ
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2015/01/21(水) 08:55:26.15ID:gT999B6F
テレビや書籍で政治・経済を語る言論人が、朝鮮人スパイや、在日宗教/組織の信者
(自覚のないスパイ?)だらけになってることに、気付いてる人も多いと思います。
そしてこれらスパイが、子供向けの本をたくさん書いたり、一流大学で教鞭をとり、
生徒を隣国都合で洗脳するなど、日本の言論・学問・教育は危機的状況。

自民党の憲法改正案には、

「公益及び公の秩序に反しない限り」という言葉が、たくさん条文に盛り込まれてる。
 (これまでなかった、犯罪「被害者の」人権擁護も条文に明記されてる。また、
  大震災などの災害対策も追加している。マスコミは、なぜかこの点には触れず。)

これに反するのは、パチンコ業界 AV業界 アダルトサイト ソシャゲ 詐欺ビジネス
募金ビジネス、ヤクザ、日教組や革マル、中核派、朝鮮カルト宗教、
自作自演のヘイトスピーチ団体等、腐るほどある成りすましの市民団体(=対日工作団体)、
在日外国人や犯罪「加害者」の人権ばかり擁護してる在日弁護士・判事、
そして、他国や在日同胞へ便宜を図ってきたスパイ政党と、
そこへの投票を促す言論人も、対象になるのではないでしょうか。

自民党は、日本のモラルを破壊しつつ荒稼ぎしている在日朝鮮人の権益や
スパイを意識して、改正しようとしていると思います。
ただし、自民以外の帰化朝鮮勢力?に釣られる人、選挙に行かない人が一定数いる限り、
自公の解消ができないため、公明党に骨抜きにされると考えられます。

「日本人なら何人も殺そうと思った」生野区通り魔事件 韓国籍の男を不起訴に
http://blog.liveDoor.jp/societynews/archives/1108674.html
心神喪失だから無罪" 狭い道を車で暴走、「悪魔に命令された!」と
男女5人を次々はねて殺傷した男に、2審も無罪判決★3
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214323638/
0604憲法に守られる在日スパイ・創価・ヤクザ
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2015/01/21(水) 09:00:37.77ID:gT999B6F
マスコミの自民「圧勝」報道は、公明党の存在を意識させないための印象操作。
自民「単独」で320議席(2/3)に満たなかった昨年の選挙は、公明党(在日&韓国)の勝利
=自民党(日本)の敗北。

自民党「衆院3分の2」で安倍首相が公明党を捨てる日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/155748/

公明党は韓国政府同様、集団的自衛権の解釈変更も、憲法改正も、自民党の政策に反対!

「決められない政治」「ねじれ」の原因も、首相をコロコロ替えさせてきたのも公明党!

韓国と通じてる創価/公明党↓

池田大作名誉会長 韓国から特別顕彰牌w
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1394674716/
【韓国】公明党の新人議員5人きょう来韓 国会議員らと会談[07/29]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1406608165/
【政治】河野談話の見直しけん制=公明幹事長  ← 韓国政府と同じスタンス!!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1392962732/
【政治】公明党・山口代表、朝日新聞による従軍慰安婦記事の国会検証に慎重姿勢
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1407330074/  

【政治】 公明・太田氏「誰のおかげで総理になれたと思ってるんだ!」「福田と同じになるぞ!」
と脅すも、麻生首相は解散言及せず★3
http://logmemo.org/mamono.2ch.net/newsplus/1225254733/
06057分74秒
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2015/04/10(金) 23:08:13.66ID:RWGg3/xe
……。
06067分74秒
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2015/07/02(木) 12:06:37.44ID:OeJva0hU
うんコーネリアス小山田圭吾よりも、
遥かに人気も知名度も財力も、人を感動させて共感を得る素質や魅力も高いわな。
06077分74秒
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2015/12/27(日) 20:47:56.41ID:HjYsTqJN
良スレ
06087分74秒
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2015/12/28(月) 02:19:03.11ID:xXeJyi82
良スレ
06097分74秒
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2015/12/29(火) 16:05:09.59ID:8RUIBWHL
良スレ
06107分74秒
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2015/12/30(水) 11:07:03.51ID:+LtiZ+9V
良スレ
06117分74秒
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2016/01/05(火) 19:02:06.81ID:Lcv+SKg1
良スレ
06127分74秒
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2016/01/07(木) 09:57:23.23ID:u6Pjirbu
良スレ
06137分74秒
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2016/01/15(金) 21:05:55.83ID:9+f2wKMn
良スレ
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2016/01/19(火) 19:27:09.71ID:r7t43hOQ
良スレ
06157分74秒
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2016/02/07(日) 12:56:35.33ID:q/ZIV5IG
良スレ
06177分74秒
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2016/03/18(金) 14:30:03.77ID:hfzMBZ8j
ドラマーとしての評価はどうなの?
06187分74秒
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2016/03/19(土) 07:32:57.90ID:RTRk0GpR
こんなバカ才能ゼロ!
ピアノも下手くそ!
作曲デタラメ!
世界中が笑ってる!
死んでくれ!
06197分74秒
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2016/03/20(日) 15:49:57.81ID:JJios8i6
あげ
06207分74秒
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2016/03/20(日) 17:15:34.45ID:b+YHYs5l
とにかく音楽の才能ない!
ゼロ!
日本の恥!
死んだらいい!
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2016/03/26(土) 04:17:55.09ID:P4VennCU
おいよ!よしきなんてゴミだよ!
音楽なんてっ全然だ目!
フザッケンナ!
才能ゼロ!
ヤクザだ!
耳ついてない!恥!死ね!
06237分74秒
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2016/04/05(火) 07:57:56.43ID:p5vPPkx8
ヨシキハゴミ!
才能ゼロ!ふざけるな!
死ね!
耳がついてない!
こいつは山口組だ!
06247分74秒
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2016/04/05(火) 08:00:47.11ID:p5vPPkx8
阪本はいいがヨシキハゴミ!
才能ゼロ!阪本もクラシックは無理。
だからロックに逃げた!
ヨシキハゴミ!才能ゼロ!ふざけるな!死ね!耳がついてない!こいつは山口組だ!
06257分74秒
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2016/04/05(火) 20:08:40.99ID:fjJ3Iu4c
ヨシキハゴミ!バイエルも引けない!
譜面も読めない!
06267分74秒
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2016/04/07(木) 08:52:15.23ID:MPekpj7W
才能ゼロ!ふざけるな!死ね!耳がついてない!こいつは山口組だ!立ち上がれ!
06277分74秒
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2016/04/09(土) 21:09:40.22ID:xKWbMxuP
よしきは才能ゼロ!
06287分74秒
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2016/07/03(日) 08:30:06.02ID:7AnweOuJ
良スレ
06297分74秒
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2016/07/03(日) 20:48:34.12ID:x6P4ccOy
マイナンバー反対同盟作るべきだろう。TiР埋め込み義務付け前に。
06307分74秒
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2016/11/03(木) 13:00:55.80ID:AwhO5vWQ
保守
06327分74秒
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2016/11/21(月) 19:43:48.92ID:W1USIq1D
あげ
06337分74秒
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2016/12/14(水) 08:05:07.32ID:uLsn1Qvb
YOSHIKIは神
06357分74秒
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2016/12/22(木) 04:28:00.27ID:2SFJVR2M
YOSHIKIと、新垣隆の助けを借りない佐村河内守がほぼ同等の作曲能力だと思う
06367分74秒
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2017/01/24(火) 20:17:01.92ID:NZCLk355
明日緊急発表があるらしい
06407分74秒
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2017/01/27(金) 08:25:58.72ID:cHI4NcNl
うんこ
06417分74秒
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2017/05/11(木) 06:17:09.46ID:RupdZEqU
ヨシキはラジオでなんで音楽活動を今でもがんばって続けるのかその意味を語ってるね
その理由に聞いてて感動した

https://www.youtube.com/watch?v=i4iW7x628tI
06427分74秒
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2017/05/22(月) 04:05:10.33ID:wU6lEXTs
世界の恥さらし!
よしき!
カーネギーホールを金で買収
よしき!才能ない。ゼロ!
だ!坂本龍一
06437分74秒
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2017/08/11(金) 07:10:39.92ID:fqmICWM2
ヨシキおはよう
06447分74秒
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2017/09/08(金) 22:26:26.56ID:i2cY+tQs
【社会】「猫殺した容疑者に懲役刑を」3万7千人分の署名集まる 東京地検に提出★10 [無断転載禁止]©2ch.net (822レス)
上下前次1-新

1(43): ばーど ★ 09/08(金)10:51 ID:CAP_USER9(1) AAS
猫に熱湯をかけるなどして殺したとして、動物愛護法違反の疑いで警視庁に逮捕された
50代の税理士の男=さいたま市=について、農園カフェ勤務の綿引静香さん(44)が6日、
懲役刑を求刑するよう求める約3万7千人分の署名を東京地検に提出した。

動物愛護法は犬や猫などの愛護動物を殺傷した場合、2年以下の懲役か200万円以下の罰金を科すと定める。
法務省によると、2016年に検察が扱った同法違反事件は90件。
起訴された事件は33件あり、このうち29件が罰金刑を求めた略式起訴だった。
裁判が開かれ懲役刑が求刑されたケースもある。

綿引さんは自宅で猫5匹を飼っている。
男の逮捕が報道された8月末から、ネット上で懲役刑の求刑を求める署名を呼びかけたという。
「男の残酷な行為をネットで支持する人たちがいる。男が厳しい刑を受けることで動物虐待の抑止になれば」と話した。

男は埼玉県深谷市の廃屋周辺で昨年4月〜今年4月、
猫3匹に熱湯を浴びせたり、ガスバーナーで焼いたりして殺した疑いで今年8月に逮捕された。
警視庁に対し、今年4月までに少なくとも13匹の猫に同様の行為をしたことを認めたほか、
その様子を撮った映像をネット上に投稿していたという。
06457分74秒
垢版 |
2017/11/24(金) 13:53:41.39ID:oqtp8G+K
yoshikiが影響を受けた、または好きな作曲家って誰なの?
06477分74秒
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2017/12/05(火) 16:45:02.09ID:Y19IV/Mz
2017.12.04.

YOSHIKI どこに行くにも持ち運ぶのはピアノ…ホテルにもクレーンで

 ロックバンドX JAPANのYOSHIKIが4日、日本テレビ系「しゃべくり007SP」に出演し、「いつも持ち歩いているものは」との番組からの問いに「ピアノ」と答えた。
同番組の収録のためにも局内に「YOSHIKI KAWAI」と書かれたピアノを持ち込んだことを明かした。

 2泊や3泊の移動でもピアノを持ち運ぶそうで、その理由は「練習するため」。

 キーボードではダメなのかと聞かれるとYOSHIKIは「最悪アップライトピアノ。たまにホテルで、クレーンを使って入れたりするんですけどどうしてもグランドピアノが入らないときは」と仰天すぎる返答に、しゃべくりメンバーはひたすら驚いた。

 YOSHIKIは「ピアノは8時間でも10時間でもひくことができる。でもキーボードは10分くらいで手首が痛くなる」とピアノのクッションの重要性を訴えた。

 ピアノが持ち込まれたスタジオには「yoshikitty」と名付けられたハローキティとのコラボぬいぐるみあり、YOSHIKIは「スタッフがお守りみたいに。コンサート前とかいらいらしても、あの顔を見ると怒れなくなる。なごむ」と話した。
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2017/12/30(土) 16:25:56.19ID:1r8TIDqy
紅白楽しみ
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2017/12/30(土) 21:21:30.41ID:1r8TIDqy
ヨシキ可愛い
06507分74秒
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2017/12/30(土) 22:28:23.69ID:LjiOMiNl

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 554 -> 494:Get subject.txt OK:Check subject.txt 554 -> 554:Overwrite OK)2.55, 2.10, 2.03
age subject:554 dat:494 rebuild OK!
06517分74秒
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2018/01/02(火) 17:37:46.15ID:WUUxngIM
格付けチェック面白かったなぁ
06537分74秒
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2018/01/03(水) 18:25:41.71ID:F0PpqEYE
X JAPANが4月13日(現地時間)よりアメリカ・カリフォルニア州インディオで行われる野外ロックフェスティバル「Coachella 2018」に出演する。

「Coachella 2018」は4月13〜15日、4月20〜22日の2週にわたって開催。同フェス初参加となるX JAPANは、4月14日と21日公演にラインナップされている。また「Coachella 2018」のヘッドライナーはザ・ウィークエンド、ビヨンセ、エミネムが務める。
06557分74秒
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2018/01/09(火) 14:21:51.15ID:HYl/Vwnc

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 557 -> 495:Get subject.txt OK:Check subject.txt 557 -> 557:Overwrite OK)1.85, 1.75, 1.78
age subject:557 dat:495 rebuild OK!
06567分74秒
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2018/01/10(水) 11:36:11.70ID:0SJnSXXK
ピアノソロアルバムとか聴いてみたい
06577分74秒
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2018/01/10(水) 22:00:39.44ID:p4SppQ2y

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 558 -> 497:Get subject.txt OK:Check subject.txt 558 -> 558:Overwrite OK)2.34, 2.44, 2.40
age subject:558 dat:497 rebuild OK!
06587分74秒
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2018/01/11(木) 23:50:54.61ID:IJrrDlDt

板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 559 -> 499:Get subject.txt OK:Check subject.txt 559 -> 559:Overwrite OK)1.54, 1.92, 2.02
age subject:559 dat:499 rebuild OK!
06597分74秒
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2018/01/13(土) 02:19:09.73ID:WpHEMaQW
1/12(金) 22:48

YOSHIKI、20年前のHIDEの死で「僕も弱っていてミュージシャンを辞めようと」

 ロックバンド「X JAPAN」のリーダー・YOSHIKIが12日放送のフジテレビ系「ダウンタウンなう」(金曜・後9時55分)に出演。「X JAPAN」の解散やToshlの洗脳騒動の真相、ギタリストのHIDEの突然の死について赤裸々に語った。

 1997年に洗脳騒動の渦中にいたToshlの突然の脱退で9月に「X JAPAN」解散。翌年5月には中心メンバーだったHIDEが急死した。
Toshlの脱退について「厳しかったですよ。メンバーというより子どもの頃から知っている家族が崩壊した感じで辛かったです」と振り返ったYOSHIKI。

 「(洗脳騒動の)その時は僕の知っているToshlではなかった。あの頃、僕らは日本では大スターでも海外では英語もしゃべれない何でもない存在だった。壁にぶち当たった中で自分自身を失いかけていた。
僕が強引に成功するんだとみんなを引っ張っていく中でメンバーも自分も疲れていて…僕もバンドから離れたかったんです」と本音を漏らした。

 翌年のHIDEの死についても「僕も弱っていて、ミュージシャンを辞めようと思いました。ToshlとHIDEの件で自分を責めていたんです」と率直に話した。

 完全に引退の危機だったが、99年、天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典で奉祝曲「Anniversary」を演奏したことで立ち直ったというYOSHIKI。
「大役なので、自分がそれを引き受けていいか、お母さんに相談して。『光栄なことなのでやったら』と言われたので、引き受けました」と、こちらも今だから話せる秘話を明かし、共演の「ダウンタウン」松本人志(54)、浜田雅功(54)、坂上忍(50)らを驚かせていた。
06607分74秒
垢版 |
2018/03/24(土) 21:37:42.57ID:XHawwtGe
あげ
06617分74秒
垢版 |
2018/04/28(土) 08:58:04.04ID:kVc5lKNr
ユニークで個性的な副業情報ドットコム
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

52OZD
06627分74秒
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2018/05/25(金) 02:05:33.17ID:C/ECpuTb
YOSHIKIもいいけどhideが大好きだったなぁ
06637分74秒
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2018/06/20(水) 09:11:04.65ID:iItUbdkU
YOSHIKI、というかXの面々は
みんな憎めない良いキャラクターだった
06647分74秒
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2018/06/27(水) 21:46:55.35ID:Kke9mvs+
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
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QPF
06657分74秒
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2018/06/28(木) 19:58:36.59ID:UNbQy/XY
331 :For 74 seconds for seven minutes: At 01:02:51 of 2008/02/01
(Friday) The ID:uraCrKnu 37 2007 January 05, year 23:02.
M. F.

> Tamae Tokioka
I am sorry for late the answer.

Boulez..Japan..Boulez..music..speech..situation..have..dissatisfied..chiefly..at
least..in general..wide..circulate..one..for..a little..pedantically..level..
discussion..a lot..score..substantial..content..depress..one..hardly..provide..
thing..understand.

Certainly, a theoretical description is hardly seen in Boulez's writing since a
certain time. This is personally one of the big dissatisfaction though three works
that use the live electronics cannot buy even the score. Peel..after this..say..
almost all..for instance..include.

However, if the memory is correct (Though it is not because of looking at me
and having heard it), Boulez thinks that it had gone occasionally in the
lecture concerning making by oneself since the '70 age. When will obtaining
time become unnecessary (Except whether to have a mind to do) though he makes
it a character?

On the other hand..nowadays..Japan..Boulez..relate..remark..quality..low..one..hold..
problem..fact..deliberate..examination..lack..score..analysis..know..level..Japanese..
reference..Boulez..writing..material..hit..thing..originate..think..writer..
responsibility..think.

I feel either by finding an appropriate explanation for general even of the side
that can talk when correlating with other arts about the music of the 20th century
including Boulez or should talk the situation nowadays that should be supplemented
for myself because it is rare (He is type that avoids an immediate reference, and
because understanding is not easy alone though there is a Mr. word that Boulez dusts
of course) is indescribably inconvenient.

For the time being though it is not thought that it becomes an answer so much.
06667分74秒
垢版 |
2018/06/29(金) 19:23:36.57ID:RDlAlj71
おまいらの口車に乗せられてサントリーホールまで足を運んだおいらが来ましたよ、と。
客席になんだか女子中高生が多かった気がしたのは堤先生のご威光によるものなのか、野平
先生のピアノの弟子筋が大挙して来ていたのか。

前半の野平作品はみんなよく寝ていただけました。俺はピアニストとしての先生の名人芸と
頭髪には全く称賛を惜しまない者だが、残念ながら作曲の方はご縁がなかったらしい。前の
方で盲導犬が大人しく(当然か)聴いて居たが、あやつの評価を訊いてみたく思った。

んなことはいい。ブーレーズだ。
アンサンブルアンポンタンだかなんだかのディスクでかつて聴いた印象とは大分違った。
チャンスオペレーションによるものなのか改訂によるものなのかは不明。どうせ楽譜見たって
わからんだろうし。都響はよく頑張っていたと思う。

ただ、アンサンブルインテルミラノだかなんだかの演奏では「ミュルティプル」に入った途端
音楽が水彩色になって鮮やかに集散し出したとの印象があったのだが、あれは録音のマジック
だったのかそれとも今回の楽譜が改訂ならぬ改悪だったのか、今いちぱっとしない感じだった。
演奏者が指揮者の左手の数字のサイン(割と順番に出していた気がしたけど)を緊張して見て
いたのがわかったが、番号がかわる都度音楽が滞ったように思えたのはどんなもんかね。

ツィンバロンが調子の狂った箏曲のような歌を突然奏でたり様々な色や大きさの粒子を一斉に
ぶちまけたりと部分部分でははっとさせられる場面が多いのだが、これを無限に変奏し続ける
意味があるのかは正直疑問に感じた。というか終盤は飽きた。永遠に未完の音楽を創り続ける
俺カコイイというブー先生とはお付き合いしきれんと思った。四の五の言わせずきっちり完成
させる厳しいママンがいたらいいのにと思った。ピエール瀧はふつうの俳優になったら嫌だと
思った。

あと全ステージを通じて鍵盤の前に大井浩明のようなガタイのいい坊っちゃんカットの奏者が
いたのであるが、月末に指先を思いっきし酷使するシュトックハウゼンの演奏会を控えている
大井浩明がこんな場所にいるはずがないので目の錯覚だと思った。ちょっとしたお得感。
長くてすまんね。以上。
06677分74秒
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2018/06/30(土) 00:10:28.89ID:OfVuPohA
Q:作品の題名のことで、まるでグレゴリオ聖歌か何かを思わせるような題名を数多く採用されているのには
ご自身の音楽の中に何かそういった宗教的な内容を含めようとされてのことなのでしょうか。

A:いえ、そういうわけではないのです。西洋クラシックの音楽には典型的なタイトルがあって
それぞれある意味を内包したものです。すなわち交響曲とか協奏曲などがそれです。
私も若いときにはソナチネやソナタなどというタイトルを自作に用いていました。
しかし、ある時期からそうした決まりきった意味を内包するタイトルと私の作風が合致しないという風に思い始めました。
たとえば主題を展開していくような音楽ではなく響きの構造を表した音楽を書いたときにはそのタイトルがソナタというのでは意図が十分に伝わらないというようなことです。
レポンとは応対するという意味ですが、そのタイトルがこの作品に私が込めた意味を内包しているということはもちろん、その意味をそれとして限定的なものにしない、
ある程度自由な解釈のできる言葉だということでと、まさしくぴったりの題名だと思っています。
06687分74秒
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2018/06/30(土) 01:23:30.11ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
06697分74秒
垢版 |
2018/06/30(土) 01:25:47.38ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
06707分74秒
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2018/06/30(土) 01:25:57.08ID:SRy6O3QF
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二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
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生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
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2018/06/30(土) 01:26:06.15ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
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その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/06/30(土) 01:26:13.50ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
06737分74秒
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2018/06/30(土) 01:26:23.01ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
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かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

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当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
06747分74秒
垢版 |
2018/06/30(土) 01:26:31.17ID:SRy6O3QF
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信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
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東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
06757分74秒
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2018/06/30(土) 01:26:41.59ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/06/30(土) 01:26:51.80ID:SRy6O3QF
ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道電話も無エ 瓦斯も無エバスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだハァギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた見だごとア無エ喫茶も無エ 集いも無エまったぐ若者ア俺一人婆さんと 爺さんと数珠を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エたまに来るのは紙芝居俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で馬車引くだ
ハァディスコも無エ のぞきも無エレーザー・ディスクは何者だ?カラオケはあるけれどかける機械を見だごと無エ新聞も無エ 雑誌も無エたまに来るのは回覧板
信号無エ ある訳無エ俺らの村には電気が無エ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 銀座に山買うだ俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら銭コア貯めで 東京で牛飼うだ67 自分:47の素敵な(やわらか銀行)@無断転
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2018/06/30(土) 01:27:03.32ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
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「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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ハァテレビも無エ ラジオも無エ自動車もそれほど走って無エピアノも無エ バーも無エ巡査 毎日ぐーるぐる朝起ぎて 牛連れて
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デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
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スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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2018/06/30(土) 01:28:01.76ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
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『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
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私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
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その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
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当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

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デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
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06847分74秒
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2018/06/30(土) 01:28:15.13ID:SRy6O3QF
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2018/06/30(土) 01:28:26.15ID:+2EzOckV
デルモア・シュワルツは、『夢の中で責任が始まる』という短篇小説によってアメリカ文学史に燦然と輝いている作家である。

 この短篇は、一九八八年に刊行された村上春樹訳編の『and Other Stories とっておきのアメリカ小説12篇』(文藝春秋)の中に、『夢で責任が始まる』という題で収録されている。
訳者の畑中佳樹は次のように書いている。

「たった一発の狙いすました弾丸でたった一つの的を射ぬき、あとは一切余計なことをせずに死んでいった作家――デルモア・シュウォーツを、ぼくはそんな風に感じている。
その一発の弾丸とは、一つの短篇小説である。そのタイトルが、まるで伝説のように、アメリカ小説愛好家の間で囁かれつづけてきた。」

『夢の中で責任が始まる』が長く語り継がれる伝説の作品となった理由のひとつは、たぶん、それが「映画」と「夢」の親密な関わりについて書かれた最初の、そして最高の小説だからだ。

時は、一九〇九年。主人公の「僕」は映画館でスクリーンを見つめている。映っているのは古いサイレント映画で、そこに登場する男女は、若き日の「僕」の父と母だ。
父は母を連れ出して、コニーアイランドへ出かける。浜辺を散歩し、メリーゴーランドに乗り、いちばん高級な店で食事をとる。
そこで父は母にプロポーズする。母はうれしさのあまりすすり泣く。
すると、「僕」は席から立ち上がり、
スクリーンに向かって
「結婚しちゃいけない! まだ間に合う、考え直すんだ、二人とも。いいことなんて何も待ってないぞ。後悔とにくしみと醜聞と、それからおそろしい性格の子供が二人、それだけさ!」と叫ぶ――。

かつて、ジャン・コクトーは、
「映画とは現在進行形の死をとらえた芸術だ」と書いたが、
そんな映画というものの特異さ、そして映画館でスクリーンに魅入っている時の混濁した深層心理、夢想とも妄想ともつかない昏い惑乱状態をこれほど繊細に掬い取った作品はない。

『夢の中で責任が始まる』は、一九三七年に復刊された「パーティザン・レヴュー」の巻頭を飾ったが、当時、二十四歳だったデルモア・シュワルツは、一躍、若手世代の文化英雄となった。
文芸批評家のアルフレッド・ケイジンが「『夢の中で責任が始まる』は、率直で、美しく、忘れられないものだった。
……〈われわれの経験〉についてその後読むことになったもののなかで、最高の寓話だった」と回想しているのは、そのひとつの例証だ。

私が、デルモア・シュワルツの名前をふたたび強く意識するようになったのは、
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』の2001年12月号で「坪内祐三 いつも読書中」という特集が組まれ、その中で坪内祐三がデルモア・シュワルツの『スクリーノ』という短篇を翻訳し、
「必敗者シュワルツ」という刺激的なエッセーを寄せていたからである。

この『スクリーノ』も「映画」と「映画館」が主題になっていた。

坪内祐三さんは、その後、2007年に『変死するアメリカ作家たち』を上梓する。
この本は、一九九一年から未来社のPR誌『未来』に断続的に連載された20世紀のアメリカ文学で変死したマイナー作家たちを描いたポルトレがもとになっており、
その巻頭を置かれていたのがデルモア・シュワルツだった。
そのほかにハリー・クロスビー、ナサニェル・ウエスト、ロス・ロックリッジ、ウェルドン・キースというシブい名前が並んでいる。

坪内さんによれば、
当初は、さらにジェイムズ・エイジーとリング・ラードナーのふたりの作家を加えて一冊にまとめる構想があったようで、本来なら最初の彼の著作になるはずであったという。

この頃、神田神保町の北沢書店のバーゲンだったかで、五百円ぐらいで『Selected Essays of Delmore Schwartz』を見つけた。
デルモア・シュワルツの詩作と小説以外の評論、エッセイを集成した大部のハードカバーで、私は、拾い読みしているうちに、
デルモア・シュワルツは、ほぼ同世代のジェイムス・エイジーにどこか似ているなと思った。

ジェイムズ・エイジーは、アメリカが生んだ最高の映画批評家であり、優れた詩人、作家、シナリオライターでもあったが、デルモア・シュワルツと同様、
過度のアルコール中毒と憂鬱症のために、やはり〈変死〉している。
ピューリッツァー賞を獲ったエイジーの唯一の長篇小説『家族の中の死』も自伝的な作品で、父親とチャップリンの映画を見に行った幼少時の場面が印象的に描かれていた。 

デルモア・シュワルツも、T・S・エリオット、エズラ・パウンド、W・H・オーデンをめぐる詩論、ヘミングウェイ、フォークナー、ジイドについての作家論などのほかに、
映画評論も手がけている。
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