黛敏郎は大天才!
誰も知らないと思うけど『月曜日のユカ』っていう映画の劇判まじやばいよ 深い まあ「古事記」は物語だからな。論文に音楽付けたようなオサレ・ゲソオペにはならんわな。 なるほど。映画音楽の延長線上にあるように聴こえた。 石塚潤一 ? @jishizuka
私は「涅槃交響曲」には才気溢れる前衛作曲家が、プレモダンへと退行していく様相が
刻印されていると思っているので、黛敏郎の「古事記」には「やっぱりこうなるか」
という感想しかない。
黛せんせいはアニメの音楽とか書いてないの? 三善せんせいみたいに。 米TIME盤(オノ・ヨーコのジャケデザイン)の涅槃ってシュヒター・N響のクレジットがあるんだけど、何だか違う気がする。
擬似ステレオっぽくないし。 NHK-FM 乞食 金隠しキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ そうか。
黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 1997年4月10日)。
日本の音楽界は黛を無視しちゃあいけねえぜ。 >>16
へぇ〜聴いてみたいですが、CD廃盤ですわね・・・。 http://music.e-onkyo.com/goods/detail.asp?goods_id=nynn00054
黛敏郎:涅槃交響曲(東京コラリアーズ/NHK交響楽団/岩城宏之)(1958)
24bit/192kHz
買ってみたがなかなかに熱い演奏でよい。
モノラルでドロップアウトもあるけど。 全国1000万人の黛ファンのみなさま。
とうとうNHK FMで涅槃交響曲が放送されます。
わたしこのコンサート聴いてきましたが、たいへん感動的でした。
2012年8月12日(日) 午後7:20〜午後8:20(60分
− 東フィル 第68回東京オペラシティ定期シリーズから −
「オリンピック・カンパノロジー」 黛敏郎・作曲
(3分22秒)
<SOUND3 OUOADM0101
(制作)NHK電子音楽スタジオ>
「涅槃交響曲」 黛敏郎・作曲
(39分21秒)
(合唱)東京混声合唱団
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団
(指揮)広上淳一
〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜
>>30ベルント・アロイス・チンマーマンの「ユビュ王」のぱっくり。
「KOJIKI」はヨークへラーの「Der Meister und Margarita」そっくりの音響構成。
「21世紀のレクイエム」はクロード・ヴィヴィエの後期様式に似ているが、途中の電子メディアサウンドはローラント・カインそっくり。
(これは作曲委嘱を与えた「ローランド」と「ローラント」をかけた、彼一流のジョークだったのではないか?)
「g線上のアリア」では最初にヴァイオリンソロのノイズから始まるが、これもラッヘンマンが元ネタである。
ラッヘンマンは民族主義的な作曲家を多く弟子に持つことになるが、黛はこれを最初に指摘した。この手のノイズは民族派の方が受ける、と。
黛はどこの研究者も指摘していないが、ドイツ音楽に帰依していた。
このことはどこの著書でも読んだことがない。
日本の研究者は黛の周辺の作曲家のことなど何も知らない。だから、この程度のネタ暴きも出来ない。
その一方でシェルシやバーンスタインに強烈な影響を与え、シェッフェルの著書に引用されるなど、最初から「国際派」だった。
シェルシの「pfhat」は涅槃なくしてありえない。曼荼羅交響曲は「konx - om -pax」の遥かな先取り。
岩城や鈴木による「黛は結局輸入やさんでした」というのは、後期黛の作品のイメージが強いからだろう。初期はそうでもない。 http://www.youtube.com/watch?v=cmp60YAhIBo
これに至ってはigor stravinsky「三楽章の交響曲」のでだしからまったく一緒。
しかし、3小節目でいきなりロシアの同郷の作曲家フレンニコフに変わるというのが彼らしい。
終止の和声感が妙にドイツ的なのは、まだ東京音楽学校がドイツ和声だったからかもしれない。
ストラビンスキーは保守でも前衛でもなかったにもかかわらず、
20世紀前半の音楽語法の発明はほとんどが彼だったという天才だった。
その彼は熱心にリムスキー=コルサコフの下で、調性音楽の基礎を勉強した。
黛も芥川賞の審査では、妙に保守的な作曲家を推していたのはそのためである。
学習段階の作曲家に価値をうんぬんするのは早過ぎ、という考え方。
これはハンスヴェルナーヘンツェやボリスブラッハーの教育姿勢と一致する。 >>31
引用しているからユビュ王なんですか?
晩年の黛がヘラーのオペラをどこで聴いたか?可能性は低い。
しかし、ヘラーが金閣寺の初演を聴いた可能性は高い。
ヴィヴィエの後期様式って、具体的にどの曲?
カインにそっくりって、具体的にどの曲?
>>33
出だしから、ではなく出だしが、ですね。
フレンニコフの何という曲のどの部分に変わるかの指摘がない、 >>34 フレンニコフの交響曲だよ。何番だったかな。三番かな。
フレンニコフの交響曲を知らない>>34とは、ちょっと会話は出来ない。それはソビエト音楽史では「必修」レヴェルだからね。
フレンニコフは教育も鋭かったし、今でも弟子は教授だ。
ヴァインベルグも必修レヴェルに入ったかな、という感じだね。
へラーは日本にはすでに知られてた。アンサンブル・アンテルコンテンポランのやったarcusとか。LPで出てたでしょ。
意外なようだが、日本は現代音楽のある程度の著名な人は全部入っているんですよ。LPで出てた作曲家は、日本に入ってるよ。
問題なのは「音盤化されなかった」作曲家の扱いだね。ディートリヒは90年代以降の作品がディスク化されてないので、入ってない
でも、それ以前のディートリヒは知ってる人も多い。あの賞歴だったから入ったんだよ。
(ピアノ音楽だけは確かにディスク化されたが、あんな間違いだらけの譜読みでは報われない。)
それを「入れるか入れないか」は楽壇の意向かもしれんがね。
トータルユニゾンを使用する作曲家は多いが、それを思想にしてしまったのはヴィヴィエだけだろう。
ピッチまで限った作品だと、ヴィヴィエの何になるかな。
http://www.youtube.com/watch?v=WGSBNevgPeg
これの中盤とか、ユニゾンだけでなくピッチも全部Gだもんね。それでスピードを上げる。「21世紀へのラプソディ」そっくりだー。
カインは作品数が膨大なので、特定の作品をさして「これ」とはいえない。
ただ、タイムスパンの長さはカイン中期に共通するんじゃないの? www.youtube.com/watch?v=FaySk-dYMcE
フレンニコフが日本に紹介されるのが早かったのは、芥川のおかげだ。
芥川経由でフレンニコフ・イディオムを吸収したのは興味深い。
よく考えると、フレンニコフの生き様と黛の生き様は奇妙なほどにかよる。
それぞれ「国家の顔」として露出し続け、初期には傑作を乱発し、
中期から後期に入ってからはスピードもパワーも衰えた点が共通する。「シロフォンの使い方」が上手。
二人とも「ピアノがうまい」という点が、あるじゃないか。
あと「トーン・プロレム」という「芯の入ったマッチョな音」という趣味まで一緒。
違うのは寿命だけだ。ドイツ和声からフランス近代を一年で修め、そこからロシア近代とアメリカンアカデミズムを吸収し、
ISCMも「当時の日本記録では」最年少通過。もらえるものは全部もらえー!というこの態度は木山光にも似ている。 >>35
フレンニコフの3番って、
交響曲第3番 イ長調 作品22(1973)
ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品28(1983-84)
なんですけど。
黛のほうが作曲年代はやいよ。
ドイツ和声からフランス近代を一年ってのも、池内に習った時間を無視している。
また、「アメリカンアカデミズムを吸収」についての言及がないですが、具体例をあげて頂けますか? >37なにも「フレンニコフからのぱっくり」とは言っていない。
八分音符をある程度連ねた後の十六分音符の連なるパターンについて言及しただけ。
交響曲第二番は43年だし、芥川から情報はもらえる立場にいる。
>ドイツ和声からフランス近代を一年ってのも、池内に習った時間を無視している。>
池内先生は確かにフランス近代、ってことになってるんだけど
絶版になった「和声構成音」ってのを読み返すと、いろいろとおかしい、、
フランス和声はこんな風に解決しない。池内先生も最初はドイツ和声だったんじゃないのか、とおもう。
いまはデュボワやデュラン、ルベル、ジェヴァエルとかすぐ手に入るし読めるからね。違ってることは誰でもわかるよ。
>アメリカンアカデミズム
BUNRAKUやROKUDANは、アメリカンアカデミズムの書式に似せて書いている。だから英文字、しかも大文字。
こんなことも指摘できない研究者。
私もこれらの作品群は独自の探求かと思ってたらまるっきり違った。
BUNRAKUも今聞くと、ロイハリスやアランホヴァネスの書き方に似ている。
黛はヴァレーズからの影響より、ヴォルター・ピストンとかの作曲家からの影響のほうが強いはずだ。
さっきのニュースのテーマもファンファーレのあとにヴァイオリンの第一と第二のユニゾンでメロディーがなる。
この鳴らし方はピストンだね。
ヴァレーズから影響を受けたと胸を張っていえるのは湯浅先生だけでしょう。 まだ、いろいろな影響をブレンドできる黛は幸福だった。
ブレンドの仕方を知らなかった人に松下眞一がいる。
最初はブレーズとニルソン、その後はシュトックハウゼンとペンデレツキ、その後はディートリヒとゴルトマン。
個性をブレンドして巧みに時間を練り合わせることが、一切出来なかった。
松下は人と話すときも一方的だったようで、その性格は書式の構成の仕方にも現れている。
この人は「日本人はドイツ和声でやってきたんだから、フランス和声にいまさら鞍替えしたっていいものは出来ない」という主張だった。
これは日本人の和声法テキストがフランスとドイツのちゃんぽんでつかいものにならない、ということなのだろうと思う。
それには深く同意できる。
ドイツ和声はフランス和声と異なり、短期の転調を一切認めない。フランス和声にはドッペルドミナントという概念すらない。
だから両方やるのがいい、ということで坂本龍一あたりの世代は両方やったそうだ。
坂本は「僕の最初の先生はヒンデミットの弟子でドイツ和声だった、らしいんですけど、松本門下になってからはフランス和声でした、高校のころに島岡本が出たんですが、もうそのころは和声実習にはいってたんじゃないかなー」と。 「動物のお医者さん」の漆原教授のライバルであるM大の磯貝教授が黛敏郎にソックリ 1月19(土) 4:00pm
第2回 京都仏教音楽祭〜平和の祈りを世界へ〜 黛敏郎:星まつり前奏曲
黛敏郎:慈母観音讃歌
黛敏郎:般若心経
黛敏郎:交響詩「輪廻(さむさーら)」
黛敏郎:大佛讃歌
びわ湖ホール・大ホール
湯浅 卓雄(指揮)
京響コーラス、阿含宗修験一統(法螺) 黛の曲でこれだけは絶対に聴いとけって曲、1〜3つ挙げるなら何? 涅槃交響曲
全日本プロレス中継のテーマ スポーツ行進曲
きょうの出来事 NNNニュースのテーマ
まあこれが順当なところだろう。 長文連投を読んだ
書いてる本人はまじめなんだろうけど
たぶん数年経ったら恥ずかしくて頭抱えることになるだろうな 思想、言動で損してるよね?
できることなら全集を作って欲しい作曲家だ ごく普通の保守主義者だろ、左に偏ってる音楽界の方が変なんだよ 生前に市民大学みたいなので黛の講演聞いたことあるけど、講演後の質疑応答で
いかにも右翼なのが「黛先生のご講和に感動いたしましたっ!」みたいなのがあって
イメージついちゃってるなあ 題名のない音楽会の司会を聴く限り、ちゃんと色々な立場の人や音楽を
理解して分け隔てなくセレクトしてたと思う。
たまにガリガリ右翼チックな回があったりするのはご愛嬌。 聖飢魔Uの悪魔組曲作品666を紹介したりもしてたな その回かは定かでないが
テノールがどうのこうのと閣下を褒めてたな
「美しき反逆」かなにか歌った気がする やっぱり作曲家って自分の思想なんて喋ったり本にしないで、黙々と作曲だけに打ち込むべきなのか? 封建制の下バリバリの共和主義者で
キリストなんかただ磔になったユダヤ人じゃないか
などとのたまった御仁がその昔 こんなとこで破綻した長文書いてる人ってノダとかそういう人なの? こんなとこで「東京芸大不合格」になって「坂本弁護士一家殺害事件」
に関与した2chのオーナー浜美ってそういうひとなんですね。 そういや古事記初演したリンツ歌劇場て初演の資料のこしてないのな。