麻原彰晃の三女アーチャリー“何もわからない”から謝罪なし?娘の中の真実とは?
2015.03.28

麻原彰晃
■著者が受けた、サリン事件をめぐる悪影響
 そして、彼女も社会から隔絶された環境に身を置くことになる。幼稚園の途中で船橋から上九一色村のサティアンへと引っ越す。一時、地域の幼稚園へ通ったが、小学校へは一度も行っていない。
勉強は幹部たちが家庭教師についていたようだが、10歳近くになっても、ひらがな・カタカナの読み書きもままならない状態であったという。
 学力の低さは、のちのちまで影響する。麻原の逮捕後、彼女は勉強を含め身の回りの世話をしてくれる信者の女性と、福島県のいわき市に移り住む。
当時、中学2年であったものの、テストの結果、小学5年への編入が妥当と判断される。本書には彼女の当時の日記も引用されているが、実際、ひらがなだらけである。
さらに地域では入学拒否を求める運動を起こされてしまった。
 勉強だけではない。彼女はこの時点で、同世代の人間との交流が一切ないのだ。
しかも、教団において彼女は高い役職にある正大師であり、信者にとってみれば、悩みを相談し、崇め奉る対象とされている。とてもいびつな関係である。

 本書に対する批判として、地下鉄サリン事件をはじめ、多くの被害者たちへの謝罪がないというものがある。
そこには彼女が、一連の犯罪が麻原の指示であったかについて判断を留保している点が関係しているのだろう。
http://tocana.jp/2015/03/post_6085_entry.html