【Disco・ダンスミュージックのトリビア】
CLUB板からのパクリですが( ´_ゝ`) みなさんのレア知識に期待しています。 姉妹スレ【DJやクラブのトリビア 】 http://music3.2ch.net/test/read.cgi/dj/1063180894/ 【Jimmy Jam & Terry Lewis】 元タイムのメンバー。SOSバンドの「On The Rise」を制作中、 大雪のアクシデントのためアトランタに足止めをくらい、 タイムのコンサートに穴をあける事に。 そのことでプリンスの激昂をかい、タイムから解雇される。 以後プロデュース業に専念し、アレクサンダー・オニール、 ジャネット・ジャクソンなどを手がけ、ブラックミュージック界を 代表するプロデューサーとなる。 ↓ソース http://www5c.biglobe.ne.jp/ ~miso/menumusic/jamandlewis.htm 今やヒットメーカーとして知られる元TIMEのJam&lewisに こんな逸話があったとは。人生万事塞翁が(゜д゜)ウマー ・イギリスのプロデューサー、イアン・レヴィンは、 ハイエナジーディスコに引っ掛けたタイトルの曲「High Energy」(byイブリン・トーマス)のヒットで知られているが、 レコードミラー誌のチャートがハイエナジーチャートからユーロビートチャートに変更された時に、 またまた便乗しようと“ユーロビート”に引っ掛けたタイトルの 「You're A Beat」(byイーストバウンド・エキスプレスウェイ) をリリースしたが、コケた。 >>7 分からないけど、日本初のDiscoDJという事は、日本初のDiscoのDJになるね。 日本初のDiscoはどこなんだろう??もちろんバンドではなく、レコードをかけて踊らせるDisco。 良スレだね。 日本初のディスコは「赤坂ムゲン」じゃなかったっけ? 昔「カノッサの屈辱」ってテレビ番組でそんなこといってたような気がするが。気のせいかな? 80年代、福岡のDiscoはどこも宣伝カーを持っていて、MC入りの SOUL、FUNKテープをガンガン鳴らしながら町を走っていた。 ・・・東京に来るまで、全国そうなんだと思っていた(・∀・;) >>11 84へぇ …すごいな。十三ミュージックみたいやw 昭和の時代から、パラパラは存在していたが、 基本的には禁止行為であった。 日本で初めてスクラッチをしたのは・・・ 金沢の「モンチモンタナ」だった マジで。 ∧_∧ ( ´∀`) ( ) >>1 の脳みそは――― | || (___)__) (##) パカッ \ T /)) ( ´∀`) ( ) はい、 | || メロンパン入れになってまーす♪ (___)__) ダイアナ・ロスの超名盤「ダイアナ」は、プロデューサーのシックが発売可能 な形にしていたものを、モータウンがダイアナのイメージに合うよう、別の 人間にいじらせてできたものだったって言うのが、私的にトリビア。 去年?そのシックの元盤を合わせて、スペシャルパッケージで発売されたけど 話題になってたの?ちなみにB面は、断然シックバージョンの方が良い! >>21 ダイアナ・ロス本人がクレームを付けて録り直したと聞いた覚えがあるけど。 どこかにソースないかな? スペシャルパッケージ盤が出た時に買って聴いたけど、 個人的には(聴き慣れてるせいか)発売されたバージョンの方が良いと思う。 シックの曲は、傾向としてヴォーカルの存在が弱い。 全体的にダンスミュージックとして聴かせる作りになってるからだろう。 で、「ダイアナ」のオクラ入りバージョンは、OKバージョンと比較するとヴォーカルが弱いと感じた。 これはダイアナ・ロスにとってはちょっと我慢ならなかったんじゃないかな? ライナーノーツには、モータウン関係者がって書き方だったが。ただ、 ボーカルを録り直しているから、当然ダイアナも納得済だったことは予想 できる。ヴォーカルに関しては音は前に出ているかもしれないが、 シックのバージョンの方がダイアナの歌い方がアグレッシブだし、ヴォーカル が目立つ作りになっていると考える方が妥当ではないだろうか? 個人的におもしろいと感じたのは、大ヒットしたA4が、オリジナルの方が ギターやドラムにアタックを聞かせたミックスになっている。これって、 80年代の裏方としてのナイルの音の作り方なので、ナイルが逆に影響を受け たのかなと感じた。 DJはDisk Jockyの略語だが 和製英語でアメリカに輸出され定着した。 日本初のディスコと噂される「赤坂ムゲン」のオーナーは今・・・・・ 埼玉でカラオケの機械を売っている。 ドリフの名宝<ひげダンス>のあの曲には・・・・・・・ Do Me!という原曲がある。 モーリスホワイトが札幌の某大型店に寄った際・・・ 湿ったホールで転び・・・ 腹いせにPAを蹴飛ばした末、ゲロを吐いた よそのBBSにこんな事が書いてあったのでコピペ。 ソウルイベリカバンド、ギブソンブラザーズ、オッタワンなどを手がけたプロデューサー・ダニエル・ヴァンガードの息子はあのダフト・パンクのメンバーとして活躍しています。名前はトマス・バンガードです。 NORMA SHEFFIELDはA-BEAT CのA.CONTINIの妹らしい(SEB150のDVDで言ってた) アイズレー・ブラザーズは、ウィルソン・ピケットに鉄砲を持って追い回されたことが有る。 sun of a bichti oohasihsi ソー・メニー・メンを歌ったミケール・ブラウンは、トーイ・ボーイを歌ったシニータの母である。 ↑ トリビアでもなんでもない・・・ ユーロヲタなら誰でも知ってることじゃん バ〜カ >>42 まぁほとんどのシニータの曲の入ってるアルバムには記載されてるね。 1987年のマーズのPUMP UP THE VOLUMEはいろんなアーティストの曲を前年に発表されたデジタルサンプラー AKAI−S900を使いサンプリングしまくった曲だが皮肉にもかなりヒットしてしまったせいで 元ネタのアーティストに訴えられてしまい、これが「世界初」のサンプリング裁判になった。この後どうなったかは知らない・・・。 >>41 に便乗ネタ。へぇは少ないかもw ・シニータは「ブレイク・ミー」を歌っていた当時のホット・ゴシップのメンバーだった。 ・そのホット・ゴシップにはあのサラ・ブライトマンも在籍していた(サラ・ブライトマン&ホット・ゴシップとして「遥かなるスターシップ」をリリースしてた) ・ミケール・ブラウンには「ソー・メニー・メン」以前に「愛のシンフォニー」という曲があるが、そのレコードの日本盤では名前が「マイケル・ブラウン」という表記だった。 >>43 誰に訴えられたかが気になる・・・詳しくご存知の方教えて〜〜 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる