新宿の街で地元の頭の悪い高校生相手に商売しようと考えた大人が
10年遅れでアメリカのダサい高校生のステップパーティー文化をパクって
自らディスコ幼稚園と名乗り田舎モンの従業員が振り付けた東京創作盆踊り大会を始めた

昼の3時過ぎからオープンしてコーラかオレンジジュース一杯で ずっと踊ってられて11時半で終わる
お子様向けの感覚で大人の遊びを求める人には 到底満足できない環境のディスコですから
ゆっくり酒も飲めず女も口説けず 明るい照明の中でただただ踊るだけのお店だったが
それがウケてガキが小遣い握りしめて通いだして流行った

当時はソウルで踊って夜遊びをする事自体敷居が高く
やって来るのはチョイ悪高校生だけだったので
チョイ悪高校生がゲットステップ、窓辺のデイト、可愛い人よなどのお遊戯を
夜な夜な集団で嬉々として踊るという異様な光景が繰り広げられた

今の人からしたら変な人達であり大笑であるが
それが当時の東京の高校生の思い描く都会らしさであって
仲間内でもリーダー格になれたりハクがついたのである

このディスコ学園的なジアザー〜GETの流れが当時の東京の都会派の流れの代表で、
ゲットは踊り場の歴史に残る店だし、名門で格も違う「当時の東京を代表する確立された文化」だった
ジアザー〜GETの従業員と客の高校生こそが間違いなく東京の都会派の主流だった

当時の水商売に務めてた連中なんて田舎モンが多くて、喫茶店のあんちゃん、キャバレーのボーイ、ピンサロの呼び込み
ディスコの従業員、みんな似たり寄ったり横並びの職業で、ゲットもスタッフなんてそんなもんだが、
そこらも東京の代表と呼べるもので、従業員お兄さんたちは踊り上手いし、シャレていると新宿で遊んでいた当時の自称都会派高校生は思っていた。

しかし75年頃以降はバンプやオールドマンの様な舶来の踊りをブラザーが持ち込んだり
ファンキーフルーツが流行りだし、ディスコ界の状況が変わってく中で
そういう箱のあのノリは一時の勢いがなくなり衰退していった
そもそも当時の東京の都会派を代表していた新宿のお子様っぽい空気感はギンギンのファンクやらブラザー好みの店には合わないし、
あの時期に新宿で遊んでた客にはついてこれなかった

爆笑ゲットおじさんたち青春 新宿物語の終焉(泣)

チョイ悪の悪ぶってる不良のガキから本悪のヤクザ予備軍の高校生が粋がって夜な夜なお遊戯を踊るのが当時の東京のご自慢の昭和の都会的センス(爆)
今となっては絶滅危惧種の爆笑ゲットおじさんにしかわからない「分かる奴だけが分かる」世界。