70年代の初頭、
新宿の街で地元の頭の悪い高校生相手に商売しようと考えた大人が
10年遅れでアメリカのダサい高校生のステップパーティー文化をパクって
自らディスコ幼稚園と名乗り田舎モンの従業員が振り付けた東京創作盆踊り大会を始めたら
それがウケてガキが小遣い握りしめて通いだしてそこそこ流行ったが
ソウルブームが来なかったのと、若者にとってソウルがロックやポップスやフォークのように
親しまれていなかったこともあり、また、当時はソウルで踊って夜遊びをする事自体敷居が高く
やって来るのは一部のチョイ悪高校生だけだったので
チョイ悪高校生がゲットステップ、窓辺のデイト、可愛い人よなどのお遊戯を
夜な夜な集団で嬉々として踊るという異様な光景が繰り広げられた

今の人からしたらセンター街のマンバ同様一刻東京という一地域にだけ生息した変な人達であり大笑であるが
それが当時の東京の高校生の思い描く都会らしさであって
仲間内でもリーダー格になれたりハクがついたのであーる

昭和の青春の一ページ(赤面)

しかしコギャルやパラパラのように全国にフォロワーが生まれることもなく
75年頃以降はバンプやオールドマンの様な舶来の踊りをブラザーが持ち込んだり
ファンキーフルーツが流行りだし、ディスコ界の状況が変わってく中で
そういう箱のあのノリは一時の勢いがなくなり衰退していった

爆笑ゲットおじさんたち青春 新宿物語の終焉(泣)