結局、稲作が中心の農村は周りとの呼吸が大事だったんだよ。
自分本位じゃなく村の人達との呼吸が合うかどうかなんだよ。
コメ作りに必要な灌漑やその維持は個人じゃできないからね。
馬鹿みたいに空気の読めない奴は村八分にされるからね?
そのポイントが理解出来ないと瑞穂の国では生きていけないんだよね。
そういった意味では70年代の東京の踊り場も肥溜臭い田舎も価値観や感性は一緒だからね。