KLFなんかに影響されて、自費で「とれまレコード」第1弾の12インチを作った
田中フミヤは、当時ダンスミュージックを扱っていた東京のレコード店に売り込んだが
ことごとく断られたってエピソードがある。
で、田中フミヤは日本のディストリビューションに頼らず海外に売り込んだ。
そこで火がついて、輸出したはずの12インチが逆に日本に輸入される事態が起きた。

曲の出来はともかく、輸入物メインの日本のレコ屋業界の差別意識って相当あるんだよ。
だから、まとまる場所がほとんど無い。今は少しマシにはなったけれど。
90年代はSONYがテクノを広めようとしたけれど、結局セールス的に失敗して手を引いた。
ちょこちょこ小さなレーベルも日本で出来たけれど、生き残っている所は少ないし。