博多人形
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博多に新幹線が通った頃、ブームになった博多人形。
しかし現在は、時代の変化も読めず、衰退の一途を辿るばかり。
後継者も激少。どうなる博多人形。
さあ、ドール系のここで、どこまで伸びるかなっ?
すみません。ずっと読んでしまいました。
このスレ削除しなくてもいいんじゃないでしょうか。
人の考え方は数知れません。貴方と同じ考えの人もいれば
真っ向批判もあって当たり前ですから、でもこんな2ちゃん
でも色々学ぶ話の内容も多いものです。これだけ沢山の人が
見て沢山の意見、考えが聞けるという機会はそうありませんから。
伝統というのは受け継がれるべき大切な資産だと思います。
物作りをする人達はそれぞれに自分なりのポリシーの中で制作を
しているのですから、作家個人個人の考えで「博多人形」を
伝承されれば良いとおもうのです。
私は博多人形は好きです。家の中にも何体も居ますし新作展が
あれば足を運んで見にも行きます。その時感じるのは若い作家さんの
作品が迷いが感じられず伸びやかであるという事。
有名所になると、やはり思考錯誤の作品のように感じられるのです。
それは貴方のいう「日本人形をあまりにも作り慣れている人が
無理して現代っぽいものを作るのはどうかと思う。」という部分と同じです。
デザイン感覚というのはやはり年を追う事に衰えていくものです。
私も物作りに関わる人として新しい風の脅威を実感せざる得ないのです。
でも、それを認めて自分なりの新化をしなければならないというのも物作り
の辛い部分でしょう。 >>72
マジレス大歓迎です。ちょっとびっくり。
私が止めたいと思ったのは、反対意見があるからではなくて、
こちら側の意見を充分聞かないうちに
こちら側を無知であると決めつけて批判しよう、という人々が
2ちゃんには多いのかな、と考えたからです。
そういう事が続くと、いちいち説明しなければならなくて、
ちっともまともな議論になりませんよね。
私は元々、議論してみたくてスレを立てたのですが、やはり博多人形という
ローカルな話(ドールやフィギアと比べて)は、あまり深い議論が
出来ないのかなとも思いました。
一応、下げて書き込んでみます。スレ存続は、話相手がいないと
どうにもならないので、私一人ではどうにもならないようです。
まあ、私のスレの立て方も説明不足で悪かったですね。
ちょっと短気だったかなーと反省してます。 2ちゃんでは色々なスレがありますがホントに真面目なスレも
ありますし、ドール系に「博多人形」のスレは可笑しいとも思いません。
バカな意見を言う人は暇なのでしょう。何でも文句を言う人も多い世の中です。
で真面目な話ですが・・・・・・
博多人形の価値は、はっきりと下がり続けていますよね。
今ではオークションでも\10でも売れない物もありますものね。
でも現代博多人形は結構小ぶりでシックな感じで今風なオブジェドール的な
要素もあって良いと思います。
やっぱり昔の型をそのまんま使い続けても、今に合わなくなってきて
しまうんじゃないでしょうか。キューピーちゃんとか、ミッキーマウスも
昔からある事はあるけれど、時代時代でリニューアルを繰り返している訳で。
現代的な博多人形も良いのが出てきたなーと僕も思います。
ただ、昔ながらの日本人形のものを作り慣れてる人が、
一生懸命作ったんだろうけど、、、
身体は現代ふうの服で、顔が日本人形だと、ちょっとグロいなーというか、
かわいさが半減してしまうように見えるのは、私だけでしょーか。 それぞれの作家さんが、無理しないで伸び伸びと表現されたらいいなーと
思う訳です。伝統っ!とか、現代ものっ!とか、あんまり無理しても、
見る人に伝わるじゃないですか。
なんか、「博多人形」って言っても、訳が分からないくらい、
皆んなバラエティに富んで、自由で、楽しくて、
気が付いたら、「あっ、そういやー何百年も続いてたなー」くらいで、
いいと思います。それくらいで丁度いいというか。
昔ながらのお菓子屋さんみたいに。 昔ふうの作品も良いけれど、、、
新しい風があって、新しい人形が出てきてる事の
PRが足りないのかな。色々あるよ、っていう。
博多人形屋さんで、おばあさんが「もう、自分はたくさん人形を集めたけど、
似たようなものばかりだ」と言っていました。飽きてるんですね。
で、人形屋さんも、「まあ、こんなもんですねー」と。
だから、もっともっと、個性的でバラエティに富んでいいと思いますね。 現代ではたくさんの新しい人形が出てきてるんですけど、
それでも僕は「君は博多人形じゃなくて、個人で出したほうが良い」と
言われてるんです。ある程度、自由に出来る筈なんですけど、
それでもそんな感じです。
まあ、そこまで言われるくらい、自由過ぎるのかもしれないです。
でも、博多人形は、まるで隣人のように心配です。
たくさん書く癖が付いてしまったのか、多めですいません。
今度の新作展にも行くつもりです。
どうも、やっぱり話が深すぎるようです。
もうちょっと、人が来やすいスレにしたほうがいいですね。 ひょっとして人形師の方なんでしょうか。
だとしたら、大変な職業ですね。立体物が不得意な私には
夢のような職業ですが。博多人形を扱っているお店に行くと
作った人が違うのだろうけどどれもそう変わらない様に見える
のですよね。特にオーソドックスな古典物などは。
古典物が得意な大御所辺りは視点を変えて自分なりの古典物
を作れば良いのにと思うのですが。あまりにも作り慣れてしまうと
頭も堅くなってしまうのでしょうね。
確かにおじいちゃんが描いた「ドレミちゃん」的な作品があると
コレは受け狙いで作ったんかー????と思ってしまいます。
無理はいかんです。。。。 これからの時代を作っていく世代の人形師と思ってくれて構わないです。
だから、ここのスレの最初のほうで偉そうに教える感じで言われても、、、
「知ってる!」みたいな。あんまり基本的すぎて、言わなかっただけなんで
すけど、、、。そういや、誰も作ってる人が書くとは思わないですよね。
立体ものは私も最初苦手でしたけど、やってると頭のある部分が
活性化される感じで、気持ち良いです。向き不向きはあるでしょうけど、
ちょっとお勧めですよ。
81さんも、何かものづくりをされてるそうですけど、差し支えなければ
教えて頂けないでしょうか?
古典ものは、調べるので精魂使ったのかと思うくらい、ただ立ってるだけ
だったりして、もうちょっとどーにか、、、頭堅そーですよねー。
博多人形の美人ものは、大抵悩んだような憂いのある意味深な表情で、
部屋にあると、この人は一体何が悲しいんだろうと気が気でないです。
そんな事ないですか?
私は職業というならシガナイイラストレーターです。
立体は紙物が多く粘土質の物は全くニガテであります。
博多人形は古典物といえば「能」とか多いですよね・・・
でも似たようなポーズか多いのは何故だろう。
美人物も少しはにかんだ笑みのある女性の方がいいのに・・
古典物でも少しづつ変化していくべきですよね。 イラストレーター!そちらも私から見ると夢のようなお仕事ですよ。
能ものは、井上あき子さんが有名ですが、あの方が能ものをされる前は
そんなに能ものは多くなかったそうです。
博多人形界は、けっこう束縛とか、内部同士の中であるみたいですよ。
足の引っ張りあいだとか、、、。横並びにしておきたいんでしょうね。
それで似たようなものが多くなるのでしょうけれど、
結局内部の事情で、買う人は色んなのがあったほうがいいですよね。
少しはにかんだ美人もの。いいですね。参考になりました。
今、売られてるものでも、うっとりした表情は、けっこう好きですよ。 足の引っ張りあいというと悪いですね・・・。
「博多人形」というカテゴリを皆で守ってる感じでしょうか。
大きな変化を好まないようですね。微妙な違いを感じ取ってほしいの
でしょうね。それが、あんまり微妙で、パッと見、同じように見えるという。 なんでもそうですが、暗黙のルールを破ってこその進歩もあると
私は思うのです。ただ世界によっては出る杭は打たれるで・・・
せっかくの新芽も摘まれてしまうという事もあるんですけどね。
「博多人形」界がそうでない事を望みますね。
面倒になってきたので、ななしです・・・。
やっぱり、縦社会ですし、、、難しいですね。
口では「新しい風」が欲しいとか言いつつも、なんとなーく
「新芽」は摘まれがちな気が。そういうつもりはないんでしょうけど、
今までの博多人形の型を破られるのは拒否反応が出るもののようですね。
そう言いつつも、400年しか経ってないんですが。 400年・・・途方も無く長い年月ですよー。
でも自分の作品が後世に残るというのはスゴイ事ですよね。
私の職業は時代に流され流さればかりで作品としては
評価対象にさえならない物ばかりですから。
形として伝えられている「博多人形」はとても素晴らしいと
思いますよ。先日も博多人形師の作品を拝見してきましたが
素晴らしかったです。生命が感じられる作品でした。
魂のこもった物はやはり何でも心打たれる物がありますよね。
ひとつの作品に取り組む姿勢がはっきりした方は、やはり
作品にも現れていますね。それは博多人形に限らずですが。 最近、宇宙の本読むの好きなもんで、、、。400年って言っても、
短く感じちゃうんですよねー。すいません。
今を流れる仕事も、その時々の人々と関わりあえていける、いい仕事だと
思いますよ。うまく言えませんが。
勿論、昔から伝わる人形もすごいんですけど、何十年も前の型から今も
型取りして売ってるそうなんです。どうしてかというと、新しい型を作る
後継者が少ないからで。あんまりこのままだと、活性化しないんですよね。
後継者が作る意味があるような感じだといいんですけど、
あまりにも固定的な空気だと、じゃあ、型取りしていけばいいじゃないか、
という。やる気がなくなっていくかもと心配です。
どうして元は土で、どんな形にもなるのに、
人が、自分達で限りある命なのに同じようなものを作っちゃうのかと
考えてしまいます。まあ、工芸品とか伝統はそういうものかも、、、
そういうある程度の決まりのなかで自分を表現するものなんでしょうね。
魂を込められるように、あたたかい血が流れつづけるように
皆んながんばんないといけないですね・・・。しみじみしてしまいました。
今度の新作展を見にいって、また魂を感じて来ます。
日本の歴史を勉強しようと思って、取った本が、
なんとビッグバンから始まっていたんです。
400年から今とか、今から何百年も先も大事だけど、
今が大事です。
今がなかったら、何百年先なんてのもないです。
今の人と関わりあう事では同じです。 今、あなたと人形が触れ合えてる、その事に少し希望を感じました。
ありがとう。 人形は博多人形に限らずどんなお人形も好きです。
小さな陶人形も着せ替え人形、日本人形、マネキンなど。
色々ありますよね。でも、それぞれに面白いと思うし
皆進化していってますものね。
自分自身も進化していくように周りも全て進化しているのです。
でも少し立ち止まって振り向く事も人生には必要だと思います。
今、博多人形はその時期なんじゃないでしょうか。
あまりに意見が一致していて、議論っぽくないんですけど、
これはこれで面白いかなーと思います。
私も人形をするようになって、どんな形の人形でも見てしまうように
なりました。前はちらっと見て通り過ぎたような、例えば福岡タワーの
郷土人形ミュージアムの中にある、かなり素朴な人形に色々教えられたり
するようになりました。今の博多人形ばかり見て、ちょっと疲れた時だった
ので、その素朴さに安心しました。
本来は、「おもちゃ」や「幸せを願うもの」だったのだと思いました。
そういう素朴な感じは大事にしたほうがいいですね。
これも振り向く事になりますよね。
やっぱり、ちょっと振り向いてみたくなる頃なんですね。 今日は早めに来てみました。
私は陶人形の暖かさがとても好きなのですが、作家物になると
とても高くて何体もは買えないですよね。
佐賀の方で活躍されている持丸さんの陶人形は特に好きです。 博多人形作家協会新作展がアクロスで始まりましたね。
時間を作って見に行ってみたいですね。 持丸さんの人形展、佐賀の雛人形展に行ったときに見ました。
なんていうか・・・柔らかい?暖かい感じですね。
でも、私にはむちゃくちゃ高くてケタが違いすぎました。
私もアクロスに行く予定です。
去年は川崎幸子さんが実演で原形を作られていました。早かったです。
川崎幸子さんは、割とすぐにそれと分かる特徴がありますね。
博多人形の作家さんの中では、好きなほうの作家さんです。
あと、梶原正二さん、齋藤善月さんも好きです。
どっちかというと柔らかいラインの方が好きみたいです。
博多人形はだいたいそうですが、その中でもふわっとした感じがあると
思います。
全然違いますけど、参考に見てたらアニメのフィギアのほうでも、
原型師の片山博喜さんを好きになりました。その方のも、
ふわっとした優しいラインです。さすがにアニメのフィギアは
分からないですよね。すいません。 おおっ!勉強熱心なんですねぇ。
本当に幅広い人形道を研究なさっているみたいですね。
アニメフィギュアですかー海洋堂さんのはどれも緻密ですよね。
でも原型師のお名前までは解らないーー。 井上あき子さんの作品は女性らしい線で私は好きな作家さんです。
作品だけでなく生き方もなんだか素敵ですね。
アニメのフィギアも、最近はかなり見ただけで原型師が当たるように
なったりしてます。ちょっとヤバイ。海洋堂も本買っちゃってるし。
ヤバイ。しかも、ガチャガチャも、最近のは上手で参考になるんで
やってますー。ヤバすぎ!
今日、アクロス行ってきました。
なんだかんだ言って、ここも100になりました。ほとんど私が
独り言で稼いだんですけど・・・。100げっと。
井上あき子さんのインタビュー記事、なんだかすごい人生だなあと思って、
とりあえず取っときました。その頃はまだ人形はあまり分からなかったです。
今もそんなには分かってないでしょうけど。
なんだかリアルさが抜きん出てますよね。今回アクロスで意外だったのが、
井上あき子さんの小さな人形。ネタバレになるといけないので
書きませんが…。まあ、ああいうのも作られるんだなあ、、、と。 アハハ・・100ゲトしそこねた。
確かにガチャも出来が良くなっていますよね。
ついマツレデ上のキャラコーナーへ行ってしまいます。
ということは・・・アナタはお若いのですね。 なんの違和感もなくフィギアコーナーに行けるくらいの若さですが、
あまりのマニアックな空気に最初は入るのが怖かったです。
でも人形の勉強になるので勇気を出して行きました。
よく考えれば、昨日のアクロスも似たような空気でした。
熱心に何かを見てる空気は、はたから見ると怖いものかもしれません。 アクロスの匠ギャラリーには、常設で津屋崎人形も置かれていました。
発祥は博多人形と同じでありながら、どこか違うのは、
堂々としてあっけらかんとした明るさがあるところだと思います。
だいたい、津屋崎人形の説明のときは、
「博多人形は美術品になってしまったけど、津屋崎人形は
素朴な味わいを今に残している」とあります。
今の博多人形のなんだか奥深い味わいも良いけれど、
もう少し明るい作品が見たい気もします。 そうですね。素朴さというのは癒し効果もありますからね。
博多人形にはそんな部分が無くなってしまったのでしょうかね・・・
素朴とは違うのですが、私が好きな博多人形師の小田さんの作品は
少し博多人形の域を越えている感じですが、
それはまたフィギュア的魅力もあって面白いです。
同じモチーフでも視点が違うというか「ほぅ」と思う視点から突っ込んで
いらっしゃるので良い感じです。
小田謙二さんの事でしょうか。ちょっと調べてみました。
確かに、なんとなく違いますね。今までの皆、同じという感じでは
ないです。しかし・・・びっくりしました。値段、高いですねー。
こっちはガチャガチャを我慢して、少し良い人形を買おうかってくらい
ですからねー。
「光りあれ!」は、日展に出品されてるので少し違って当然かもしれませんが、
ちょっとホントに、人形の未来に光が差した感じですね。 わりと1点もの、もう焼物というのでしょうか。
そんな作品が多いみたいですね。大量に制作される作品は
ほとんど無いみたいですね。ホームページは価格帯がスゴイですよね。
でもそんなに高くないのもありましたよ。面白い作品が多いので
見応えありました。というか、ご本人がとにかく面白い方でした。 この方は、確か、少し前に夕方のテレビで見たと思います。
ビデオに撮ってますが、また見てみます。
奥さんが陶芸で、夫が博多人形、という事だったので間違いないと思います。
「糸島おはじき」はひとつ百円からという事なので、行ってみたいです。
テレビでは、陶器でも人形を作られていて、かなり難しいのだというお話
でした。夫婦仲良さそうでした。 ご夫婦仲良しですよ。お子さんがいらっしゃらないので仲が良いのかも・・・
子供がいると夫婦より家族になってしまいますから・・
奥様の方が博多人形師は先だったとか、今は陶芸だけされていますよ。
白岩博多人形工房さんにも何度か行っていますが子供に似せた博多人形を
注文されて制作していますと少し見せて頂きましたが似てました。
童物が可愛い表情ですね。他にも色々博多人形界の話諸々聞かせて頂きましたが
大変みたいですね〜。
今、ビデオ見返しました。めちゃくちゃ夫婦仲良いですね。
かなり理想的です。子供がいないほうが仲良し・・・そういうものかも
しれませんね。
博多人形界は、やっぱり大変なんですねー。
今の人形師さんは何十人もいらっしゃいますけど、
後継者がかなり不足してる状態なので
世代が変わって、例えば20年、40年経ったら、博多人形界も
だいぶ変わってるでしょうね。 私も甥や姪の人形を似せて作ろうとするのですが、
いつも実物に会えばつい忘れて遊んでしまい、
写真を見ればかわいさにハマッてしまいます。
結局、まだ作ってません。まだまだです。
かわいすぎて恐れおおくて作れない・・・。かなり甥姪バカです。
いい加減、ちゃんと作ろうと思いました。 博多人形で検索していたら「そっくり人形」というのがありました。
でも似ているか?と思いましたが・・・安い価格とありましたが安いか?
と・・・今現在4年待ちとか・・・マジですか。
私もそのうち娘の博多人形を誰かに注文してみたいですね。。今は先立つ物
が無い・・・悲しい。 確かにあれは・・・似てるかっつーと、ギモンですねー。
4年も待ったら、結婚式のお祝とか七五三なんかは完全に時期を逃す筈。
結婚するかも、と、あらかじめ頼んでおくものなんでしょうか。
七五三も、もし三才のためだったら・・・。受胎の頃から頼むわけですか。
そんなこたあないですね。
お値段も、誰が頼むんだろうというお値段です。でも、製作に3〜4ヶ月
かかる訳だから、しょうがないですね。一品もので、似せてもらって(?)
の注文製作で、あのお値段は相場で言えば安いでしょうね。 しまった。4年かかって創るわけじゃないんですよね。
4年待ちといっても、創るのは3〜4ヶ月だから、
七五三なんかは問題ないですね。 まー、でも七五三だとやっぱり受胎の頃から頼むわけですね・・・。
博多人形のカタログ(千円)はお持ちでしょうか。
あれはかなりジャンル分けされてて勉強になりました。でも、
作家別じゃないんで、作家さんで探すときは苦労するんですよね。
博多人形って、やたらと美人もの、武者もの、ジャンル分けして
言う気がします。で、「〜もの」の中でひとつに決めて創っていったほうが
伸びると言う作家さんがいたんですけど、そういう自分を固めていったり、
わざわざ枠にはめるような体質が、博多人形の体質なのかなー
などと、ちょっと気がついてきました。 それは勿論、人間の限りある命を自由に燃やすのとは違うけど、
枠にはめて創ったり、その枠の「お約束」の中で鑑賞を楽しんだりするのが
「通」なのかなーと。
しかし、私にはちょっとそういう、枠で創るのは耐えらんないですねー。
その辺で根底が違うんですね。分かってきたかも。
博多人形に違和感を抱いていた何かが。 とか言って、今の博多人形業界も「これでいい」とは思ってないんですよね。
進化はしていくんだろうけど、一般人から見ると、
かなりゆるやかな進化を遂げていくと思います。
やっぱり、30年後に期待。
結局、人間が人形になっちゃいけないと思う。
人間が人形を創ったのに、人形に捕われて操られて創ったら
人間が人形になってしまう。
そしたらきっと幸せでない。そういう事だと思う。
でもきっとこういう考えは「伝統芸術」とかいってその世界を守る人にとっては
敵だ。守ることがその世界の地位を確保していて、日々の暮らしを保証する。
けどそこにはいつも人間の根本が「違う」と叫ぶ。その繰り返しなんだ。 30年後に期待>う〜ん・・・私はその頃もう御年寄の域にいますなぁ。
カタログなんかあるんですねぇ知りませんでした。
私は編集員なんかもやっていたりするので、博多人形師さんとのお話の機会
があるのですが、前に出てきた小田さんは考えも博多人形の域にいない方のようで
博多人形の価値について話されていましたが「安すぎる」と言うのです。
確かに陶器と比べるとどんなに素晴らしい作品でも博多人形だから、この価格
までですね。というのだそうで。
そう考えれば、そうでしょうね。有田や伊万里の陶器の人形ならいくら値がつくか
しれないような1点ものも博多人形という大きな括りでまとめられている。
博多人形は美術品であっても芸術品としての価値が低い訳です。
素焼きに絵付けだからでしょうか、でもそうとも限らないのです。
ちゃんと最終工程の本焼きまでの作品でさえ博多人形師が作れば博多人形と
いう作品としての価値の中にしか評価されないのですよね。
なんだか可笑しな話ですね。
話はずれますが祖母の実家は陶器の製造元なので一括りの「陶器」という中でも
ネームバリューというのか強いですよね。有田やらの有名窯元の皿に絵付けを
したものがウン十万ですが、その窯名を裏に入れず同じ物で絵付け師の名の皿
はウン千円なんですからね。これまた可笑しな話ですわ。
一体物の価値は誰が決めとるっちゅーねん。 そうしてその世界の内部はあくまで変わりなく行くつもりでも、
外部からの人間の本能が何かを駆り立てて、伝統の文化は
普通の文化よりもゆるやかに進歩していくものなんだと思う。
あるいは一人の人間のなかで守り、破壊していく相反する作用が働いて
進化していく。
だから、伝統って言葉が出たとき、人は守るほうの本能が働いて、
それに携わった事のない人でも世界を壊される気がして、まるで自分の
領土を誰かが踏み荒らして来た気がして、怒るんだ。
でも全く同じ事を続けている訳じゃなく、少しずつ実は伝統と呼ばれるものを
創る本人達が壊して新しく創っている。
多分、怒る人は、あまりにも緩やかな進化なので何も変わらずに
ずっとずっと来て、ここに有ると思ってるんだろう。
伝統は破壊の繰り返しで、破壊したくなる要素を持つほどに魅力的なんだ。
その足跡を伝統と呼んでる。 どうも、同じ時間に書きこんだみたいで、無視したみたいな形になって
すいません。また走ってしまいました。
陶器に詳しそうだと思ったら、やっぱり親戚関係の方がそうだったんですね。
うーん、私は今の博多人形でも充分高い。って、ビンボーなだけか。
芸術品として見れば、確かに安いですよね。
でも、博多人形師さんが、「博多人形は芸術じゃない。工芸品だ」って、
ご自分でおっしゃってたので、微妙なところですね。 芸術は博多人形とは、ちょっと違うと思います。
博多人形はもうかなりの市場になってしまっています。ひとりの人間として
自由に創作していけば、土があんなに皆、同じようなものになる訳がない。
博多人形も芸術運動のひとつと考えるとすると、もっと人の心を
「あら、いいわねー」「きれい」では済まされない、ひどく心を
かきたてるものになっていて、もっとうねっている筈です。
でも、割かし人の日常に入り込んでいて、心地よくそこに有るという事は、
芸術品としてはどうでしょうか。やっぱり美術品だと思います。 で、美術品としての価値、値段は、やっぱり相場でしょうね。
もともと売れなくなってきてるのに、更に高くしたら、
ますます博多人形は先行きがあやしいですよ?
それで買う人がいるかどうか、ですよね。
試しに博多人形の値段を全部いっぺんにつり上げてみたら、
価値が高くなったと思って買う人が増えたりして。 うむむ、博多人形という一括りが「美術・美を表現する芸術品」と
「芸術・美を表現する創作活動」の枠を作っているのでしょうか。
でも行きつくところ同じなんですけどね。
個々の博多人形の価値が並んで釣りあがるのは良くないと思うのですが
良い作品はそれ相当の価値があって当たり前だと私は思うのです。
叔父は博物館館長をやっているのですが、叔父曰く、芸術家というのは
結局色々な美術展などで賞を取り名をあげて価値が付くものなんだと。
私にも出展しろと煩かったので暫くは色々出展し賞も取りましたが、その後
美術界の派閥などが煩わしく今は出展もしなくなってしまいました。
博多人形師の方も賞を取ってなんぼの世界だと聞きましたが、やはり疲れる
という事をおっしゃっていました。結局その方も出展せず楽しく作りたいから
と今の自由の方が良いとか。。まあ、人形師さんにも色々と個々の考えが
ありますから、どうこう言えないのですが、世界は違えども派閥と名誉は
価値に値するという事でしょうか。
馬鹿馬鹿しいけど、まさにそういう世界だと、ある人形師さんが
おっしゃってました。その方は、出品して賞を取られたり、
売れセンも創られたりするのですが、それ以外のものは割と
好きに創られていて、毎日とても不思議なくらい楽しそうです。
そういうバランスで創られてると、日々の暮らしにも困らず、
好きなものも創れて、とても良い感じですね。
人形の価値は、ひとつの人形として素晴らしくても、
「博多人形」というもののなかで考えたときの価格帯はだいたい決まって
るんですよね。購入する側も、だいたいの相場で考えてるでしょうし。
何より、一人だけ値段を高くしたら、組合との付き合いとかが
大変になると思います。市場がおかしくなってくるとかいって、
要するにそこでまた同じ並びにしとこうという。派閥ですよね。
私もかなり良い作品でも、だいたい博多人形は120万円だとかで、
あんまり200万円は聞いたことないですね。そこはやっぱり
博多人形に価値を見い出して、購入する人が増えたりすれば
だんだん変わっていくんじゃないでしょうか。 しかし・・・親戚にすごい人多いんですね。
御自身も賞を取られたりしてて。って、そういうところで、
やっぱり人は「すごーい」と思うとこもあるんですよね。
賞を取ってるんだ、じゃあ、価値を上げよう。それはどこの世界も
仕方なくあるものだと思います。本当に良い作品を創る人なら、
賞も取るだろうし。あーでも、賞を取るための作品ってのも疲れますね。 あ、その毎日楽しそうな人形師さんは、かなり値段の高い、
見た目にはすごいものも創られてるんですけど、
そういうのは実は「何にもならん」とかいって、
本当に自分の今までの一番の良い作品は、六千円の手のひらサイズの
人形でした。三分で出来たとか。本当はそういうものだと思います。 しかし・・・親戚にすごい人多いんですね。>普通ですよ。
そうですよねぇ、賞取り作品は作ってて楽しくないですよね。
審査員受けの良い作品でしかないですからね。
私が以前大賞にならない訳というのを審査員の先生から聞きましたが
アナタは美術展向きじゃないね・・・と。
もっと審査員の作風を研究して似た作品を作る事だねと。
そういえば私は我が道を行く方なので作品として突拍子も無いという
感じだったかもしれません。そしてイラストレーターという職業について
クライアントの要求する物を描くという屈辱的気分もありーので。
作風というのは超有名であるからこそ出来る物で私の様にシガナイ立場では
何でもどんな風にも描けるというのが絶対条件な訳でして。
そういう点から言えば博多人形師さんというのは、やはり羨ましい職業。
大半は自分の個性で製作出来る訳ですよね。
でも代表作を作るというのは難しいですよね。。。やはり。 博多人形師さんも、そんなに創りたいものを創ってるわけではないと
思いますよ。あらかじめだいたいジャンル分けされた「〜もの」の中で、
やっぱり売れる作品を創っていかないと生きていけない訳ですから。
私も前、ちらっとデザイナーしてたんですけど、言いなりみたいな感じで。
どーにもノイローゼ気味になりまして。やっぱりちょっとは違うみたいですね。
グラフィック的な世界と、工芸の世界は。
ちなみに私の親戚は医者と教師ばっかしです。固いですよお。 そろそろ賞に向けた作品にとりかかるんですけど、、、、
なんだか進みません!やばーい。でもやんなきゃ。
我が道を行くタイプだそうですから、そういう人はどこかで突破口を見つけたら
どんどん行くんじゃないでしょうか?自分なりの作風をあたためて、
じわじわ出していく訳にはいかないでしょうか。無理ならどこかの
賞(また賞か…)にあたためた作風で出して新風を巻き起こすとか。 作品を造るという時間がとれませーん。24時間フル可動な感じでっす。
仕事だけじゃなく家庭がありますもんで・・・大変っす。
で、賞に向けた・・・・おおっ何のでしょう。取れるといいですね。
ちなみに私の親戚は医者と教師ばっかしです。固いですよお。
>うわ、頭良さげな家系ですね。
ちらっとデザイナーとかされてたのですね、嫌な仕事ですよね。
私は精神的に参って病院通いしていました。今はその点フリーで楽っす。
うーん、やっぱし忙しくて時間取れないんですね。
アクロスの新作展には、行けましたか?
しかし、ここまで見事に2人だけで続くスレというのも、珍しいですね。
親戚に頭いいのが多いと、頭痛くなるんですよね。
で、頭痛を抑えるためにやたらとマンガとか美術の本を見たりしてたら
そっちに行ってしまいました。固すぎるのも、逆効果ですね。 しかし、デザイナーの何が嫌かって、目の前に自分が携わったものが、
何百も刷られて並べられたのを見たとき。
なんてひどい事をしているんだろう、と。
環境破壊に人より敏感なのかもしれないですけど、もう、
すっごい悪い気がして、死んだほうがいいんじゃないかと思いました。
幸い、人形は土で、塗るのも天然のものを使うこともやろうと思えば
出来るし、少しマシです。ただ、焼くとき、地球温暖化が促進されるなあ、
などと考えてしまいます。
土も、同じ処からいつまでも出る訳じゃないでしょうし、
手に付いた土でも何でも、水に溶かして上澄みを捨てて使いますが、、、、
なんか、ビンボくさいなあ。 確かに2人でのスレってーのも珍しいですよね。
しかし、地球環境に優しいお方なのですねぇ。スゴイ。
アクロスも実は遂に時間が取れずに行けませんでしたー。
先日は家のホルムアルデヒドやらなんやらの出ないという
環境マンションやらコダテやらの設計者の講演など聴いて
あ゛ー家はめちゃ悪い所に住んでいるのぉと・・・
すっかり話が人形からずれてますな・・・。 うーむ。パソコン使ってる時点で、既に環境にやさしい人ではないような。
最近の普通のおもちゃよりは、博多人形は環境にやさしいですよね。
家は、だいたい木造でない限り、何か化学物質は使ってそうですもんね。
ちょっとコワイ。
アクロス行けなかったんですね。井上あき子さんの意外だった作品とは、
実は河童でした。なぜか、河童が魚釣りをしているという。 おおっソレ見たかったなぁ。井上さんの河童・・・
河童の魚釣り自体はオーソドックスな形態ですが
井上さんが作るとどんなだったのかなぁ、興味ありますね。
うー、まあ、別に河童ですよ。井上さんの工房に行かれたら、たぶん
見れるんじゃないでしょうか。
でも、よー考えたら河童はわざわざ釣りしなくても、魚を手づかみで
捕れそうな気がしますよね。 河童といえば、長崎の外海町の作家さんも作られていて結構有名ですね。
私はあの河童がすごく好きです。福岡でも何度も個展があっています。
後は福岡市内では陶芸の恵山窯も河童を作られていますね。
なんか、妙に生きてる感がある河童ですね・・・。
私は河童というと、すぐ佐賀のミイラとか、筑後の手だけのミイラを
思い出します。それに前に住んでた町は、たまに河童をやたらとアピール
する町があるじゃないですか。そういう所だったので、町に普通に河童が
いましたね。あ、もちろん石像で。でも、「いる」って感じでした。
河童は町に普通にいるもんだという感覚も、今考えるとおかしなもんですね。 今日はフラリと大宰府へ行き参道の土産店で「幸子作」という
博多人形を見ました。優しい表情のお人形でした。
その店で七五三の女の子と思われるとても可愛らしい博多人形が
ありました。若い作家さんの作品なんだろうか・・・・
誰だったのでしょう。小さな作品でしたが、とても良い作品でした。 太宰府は、本殿の向こうにある菅公歴史館に行く予定です。奇遇ですねー。
昔の博多人形の手法で、人形に服を着せて作った
装着博多人形があるそうなのです。まあ、そのまんまでしょうけども。
いっぺん見といたほうがいいかなと。
「幸子作」というのは、川崎幸子さんでしょうね…。うちにも一つあります。
七五三の女の子は、どこの店なんでしょうか?探してみたいです。
神社に向かって左側に、昔の博多人形のギャラリーが奥にある店があるんです
けど、そちらには行かれましたか?かなり古い人形も、いいものですね。
今は今で良いけども、古くなるとなぜかじんわりしてきます。 七五三の女の子人形は参道を向かって右手のちょっと良い感じのお店に
いました。 菅公歴史館へは前を通っただけで入れませんでした。
いや・・・子供がその裏の「だざいふえん」へ直行したので・・・
幸子作の作家さんは川崎幸子さんなんですね。女性の作家さんの作品は
どことなく優しいですね。柔かい感じで良いですね。
昔の博多人形のギャラリーのある店には入ったことが無いです。
今度探してみようと思います。 七五三のお店、教えてくれて有難うございます。
子供さん連れならではのお話ですねー。ださいふえん。
私も、高校ぐらいまではなんとなくまだ入りたかったですが…。
昔の博多人形ギャラリーは、参道に向って左側でした。とても小さな入り口
だったように思います。入場料は、確か200円〜400円。
いいかげんで、すいません。 来月また行くのでその時に探して見ます。
佐賀玉屋をウロウロしていたら博多人形コーナーがあり
見てみましたが、どれも「う〜ん・・・」という感じがして
博多人形は過去の飾り物・・・という感じがしてしまいました。
デパートには少しでも今の住宅事情に合った斬新な物を
置いて欲しいものですね。 博多人形は過去の飾りもの…。とうとう言われてしまったー。
人形師さんは、色々とこだわりがあるようですが、やっぱり現在の人と
合う人形を作らないと、言われてしまいますねー。難しい。
現代的なのも有ることは有っても、実際デパートでは昔ながらのものが
売られていると、買う人はそこを見てしまいますよね。
佐賀玉屋にも、博多人形が売ってるんですねー。意外。
いやいや・・・言い方悪かったですね。反省。
そこに置いていた博多人形はどれも大きくて
今の住宅事情にはそぐわない感じだったのです。
デザインも古典過ぎて・・・美人も良いのですが
もう少し小ぶりで色目も地味な感じなら良いかも・・
なんですけどね。 私の家も近代住宅なので、美人ものなんかは、何処に置いたらいいか
考えてしまいますねー。狭いアパートに住んでる人は、置き場所困るで
しょうね。かといって、小さめのものは、かわいい系が多くてちょっと
片寄ってる気もしますし。開発の余地ありっ。てことは、楽しみでもあり。 小さいオブジェチックな博多人形なんてどうです?
狭い玄関に置いても、ちょっと良い感じの土物っぽい色合いの
人形とか・・・博多人形って少し色目がカラフル過ぎてて
置く場所を選びますよね。あとは大きさ・・・。 オブジェちーっく。うー、見事なまでに考える事が似てるう。
それとも時代の要請なのか。
確かに博多人形って、カラフルで置くとこ困りますよね。
日常のなかに溶け込みつつ、癒されるもの…。課題ですね。
しかも、ちいさめのもの。
博多人形が全体的に大きめなのは、昔の家が大きかったって事でしょうか。 大きいのは型抜きが容易だからでは・・・
でも大きいもので形がわりと凹凸無く緩やかな物は
沢山抜いても型が崩れにくいと聞きましたよ。
小さくて複雑な物は型作りも大変で抜く数も少ないと
言われてました。だから、採算の事を考えると
大きくて生産性が高く値段もボチボチな物が沢山に
なっちゃうのでしょうか・・・。 うーん。型取りの難易度は、サイズにはあまり関係ないようですね。
どれだけ複雑な形かが、型取りの難易度に関係するようです。
例えば、あの大きい津屋崎人形でさえ二枚型だそうです。
かと思えば、手のひらサイズの博多人形は型が3つだったり。
モノによってまちまちです。
でも、大きいもののほうが、値段はだいたい高めになりますよね。
美人ものの大きい博多人形を見ると、日本住宅の広い畳み敷をイメージ
します。最近はフィギアが隆盛を極めてますね。あと、ガチャガチャ。
あれは、ほどほどにちいさいという、サイズも関係していると思いますね。
なんだか分かりにくかったかもしれないです。ごめんなさい。
大きいと型取りが容易なのではなくて、凸凹が少ないものが、容易なのです。
フィギアも色々すごいのがあって大好きだけど、それでも土の人形に
魅力を感じるのは、地球から生まれた自然な素材だからですね。
フィギアは固くて、細かな髪の表現などが可能です。土だと、とても
難しいような髪の跳ねなどが出来ているのを見ると、やってみたい衝動に
駆られるのも事実です。でも、土を触っていて少し自分の思うかたちに
なってくると、もう少しコイツは言うことを聞いてくれるかも、と
おしゃべりしてみてる感じです。独り言でした。。。。 製作に集中する為、2ちゃんねる自体にあまり来なくなります。
ごめんなさい…。
ここのスレでは、参考になるお話がたくさん聞けて、
自分はまだまだだと自覚し、実生活での創作への意欲が湧いてきました。
本当に、有難うございます。
あちこち出掛けたり、色々なものを見たり、たくさん創ったりして、
人の心に何か伝えられる作品を創りたいです。 何かを作り夢や心地よさを与える職業の人は、絶対進歩しつづけなくては
いけないのだと思います。
いつも使っている宿で経営者の方が「こんな仕事しているとどこにも行けない」
とぼやいていましたが、それでは他の宿と比べられないし今自分の宿が
どんな評判なのかも知れない・・・はっきり言うと数年前からすると
その宿は心地よさが半減しているのです。リピーターも少なくなっているはず
でも新規のお客が多く入る事でその事が解らないようです。
食事も味・質ともに落ちたと感じます。それは常連客のみ知る事なんですが。
新規の客からは「良かった」と評判を受けているけれど常連からは・・・・
どちらにしても、慣れはいけないですね。
自分自身を振り返っても思う事ですが、もっともっと目を肥やす勉強が必要
だと最近つくづく感じます。美術館へ行き1つ1つジックリ絵画を
観賞してきました。何気なく見るというのと、じっくり時間をかけて見る
というのは感じ方も全く違いとても吸収する物が多かった・・
自分もまだまだ進化しつづけて今の仕事の中でも自分なりの何かを見つけよう
と思います。一生のうちに自分で納得のいく素晴らしい仕事が数え切れなく
なるほど。過去に残らない作品だけれど、今の仕事に少し希望が持てました。
良かった。
お互いの進歩の励ましになって、これから頑張っていくんですね。
創り続けることは、時々辛いけれど、進歩し続けられる仕事、
楽しいものですね。
頑張って、楽しくやっていけたら良いですよね。良かったです。 なんだか〆のようですが・・・
最後に、いつかどこかで私も貴方の作品に出会えているのかもしれませんね。
私の携った仕事にも街中で沢山出会えている事と思います。
こうしてここで異業種の方とお話出来て面白かったです。
異業種でも同じような考えや悩みがあると知り新たな発見でした。
私は家庭があり子供があり大黒柱という重圧に(藁
絶えながらも今の仕事に何らかの夢を持って頑張ろうと決意新たに。
貴方はこれからの博多人形界を担う若手人形師として頑張って下さい。
きっと2〜30代なんでしょうね・・・・。
私はもう40も過ぎて初老の域です。でも心は若者。
いつか貴方を取材した編集に出会うかもしれないですね。楽しみにしています。
いつかどこかで遭いましょう。遭っても、分からないかもしれないけど。
なんだか、不思議な感じですね。
家庭を持って仕事をするのって、大変ですね。子供さんとご自分を
大切にされてお仕事されて下さいね。いつまでも心は若者で。
頑張ります。私も、楽しみにしています。 もうレスは無いとおもうのですが・・・
松井誠さんという劇団「誠」の座長の博多人形を
井上あきこさんが製作し先日受け渡しが行われました。
「生きる博多人形」とよばれる女形がとても美しい
俳優さんです。人形も50センチと大きく迫力ある
良く特徴を捉えられた素晴らしい出来です。
全国の方に「博多人形」をアピールしていきますとの事
なので嬉しいですね。
来年3月の新歌舞伎座公演ではロビーに初披露です。
皆さんの感想などお聞きしたいですね。 久々にチェックしてみたら、レス付いててびっくり。
松井誠さんの人形、見れたら見に行きます。
ううっ、せっかくカッコ良く去ったのに、書いてしまった。
おまぬけだなあ…。 まだ書きこんでいいですかあ
先日初めて博多人形買いました
といっても僕の買ったのはのらくろですけど
結構高くて僕にとっては清水の舞台から飛び降りたという位でした
高くなるのかなあ・・
博多駅のショーケースの中にいた博多人形のヒツジが
未年の妹にそっくりで思わずワロタ。
大半のヒツジはぽや〜んとしてるのに
その宝物を守ってるヒツジだけ鼻っ柱が強そうで
「寄らば蹴る!!」って感じだったんだも〜ん。 最後に。
僕は、「博多人形師」じゃない。隣人のようなものだ。
でも、土人形師だ。
これから、儲かりはしないかもしれない。ごめん、ばあちゃん。
金儲けの為の人形を創ったら、その想念が、きっと人々に伝わって、
世の中の為に悪いんだ。だから、僕は人の為だけに創る。ごめん。
独り言でした。ごめんなさい。
P.s. このスレに書き込んでくださった皆さん、有難うございました。
少なくとも、人形に対しては、悪い感情は皆さんが持っていない事が
分かり、励みになりました。僕のスレ立てが未熟で皆さんに不快な
思いをさせてしまった事を心からお詫びします。 さようなら。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています