お名前:斎藤果林

興味もないでしょうが、どうして僕が露天マスターになって行ったのかという
僕のプチ自伝です。

僕の場合、幼稚園の頃からデパートに行くとマネキンのスカートを捲り上げて中を確認したりそんな特殊な子供でした。
小学校時代には既にクラスのかわいい子の自宅風呂を夜な夜な覗きに出かけたりT撮エリートとして少年期を駆け抜けて行きます。

ちょうど中学校にあがった頃本屋でふと手にした美坂哲夫氏の『山のいで湯行脚』という本に影響され「各地の温泉を巡るという行為」そのものに興味を持ちました。
本には「1600湯巡った!」と書かれており日本には温泉が多いなぁと子供ながらに感激するのです。

もっともこの本に出あう前から、そもそもつげ義春の鄙びた温泉ネタに強い興味を示していた僕でしたが、
この「山のいで湯行脚」に出あうことによりさらに「温泉行脚」に強い憧れを抱き始めた恰好でした。
そうこうしているうちに美坂哲夫氏の著書で『諸国のいで湯案内』という新刊が発売される事になります。
この本が僕の行く道を大きく左右します。
最初に見た『山のいで湯行脚』はオールモノクロの文章中心の書物でしたが、あとから出た『諸国のいで湯案内』のほうはほとんどがカラーの本で湯船の写真が満載されていました。
で、当時は大らかな時代でしたからその写真の中に素人女性客の裸などもちょこちょこと写り込んでしまっており、中には乳輪も見えてしまっている女性も数名いました!
幼稚園の頃から覗きに興味があった僕は、この湯船の全裸姿の女性の写真に衝撃を受け自分でも温泉に来た女性の裸を見てみたい願望がいよいよ強くなってしまったのです。

高校になるとスポーツ自転車が手に入ったので100km以上離れた隣の県の温泉地まで出向いて家族風呂をのぞいたりいろいろなチャレンジをするようになります。
成長につれバイク・クルマを手に入れる度に僕のT撮行脚の範囲はどんどん広くなっていったわけです。
25歳くらいまでには全国1000個所程度の温泉は既に回っていたと思います。
温泉巡りを趣味とする人は数あれども、「覗き目線というコンセプト」で全国津々浦々の温泉地を回ったという意味ではたぶん僕が第一人者なのではなどと密かに思っております^^