滝廉太郎
23歳という若さで死去した、明治期の日本を代表する作曲家で、
「花」「荒城の月」「お正月」といった歌曲、童謡が親しまれている滝廉太郎(1879-1903)について語ろう。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E 前スレらしきもの(15レスで即死)
滝廉太郎スレッド
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/doyo/1207184495/
もう1年以上たちますが、類似のものがなかったので立てました。 滝廉太郎の没年は、
ドヴォルザーク、グリーグ、サンサーンス、フォーレなどよりも
早かったんだね。
滝廉太郎の没後数年後にショスタコーヴィチが生まれている。
弱冠二十歳にして
「春高楼の・・・」の詩の内容を理解してあの曲を作り出すのは、現在なら考えられない。 滝廉太郎の真髄を聴きたければ遺作となった「恨み」を聴け
余命幾ばくもない死に直面した本人の無念さ、悔しさ、虚しさが叩きつけられた作品だ。
滝廉太郎がもう少しでも長生きしていれば、どれだけの名作を残すことができたであろうか
かえすがえすも残念といえる。
明治時代にはどれだけの将来性溢れる才人が若くして命を散らしたことか
その頃、近代医学が発達していればどれだけ命を救われたか、ほんとうに無念である。 「憾み」は初めて聴きました。
死の直前というのを知った後だったせいか泣いているように思えた。
何回か聴くと印象がその都度違うなあと思いました。
詩の無い廉太郎は初めてだったのでとても印象深かったです。
どうもありがとう。
今ピアノでメヌエット練習しています。
ピアノ習っていた人なら初見で弾けそうだけどねw
ロ短調に戻ってきたときのヨナ抜き旋法の使い方が滝廉太郎!!って感じがしていいね!! 箱根の山は、天下の嶮
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈の山、千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)へ、後方(しりへ)にささふ
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き杉の並木
羊腸の小徑は苔滑らか
一夫關に当たるや、萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣の武士(もののふ)
大刀腰に足駄がけ
八里の?根(いはね)踏みならす、
かくこそありしか、往時の武士
うちの中学校の校歌作った人、というくらいしか知らなかった・・・。
滝廉太郎さんすごい人なんだな 186462402343749
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http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256707678/
455291748046874 箱根八里は、二番カッとしないでくれ〜。セットでこそ生きる歌詞の対比がいい。
かくこそありしか往時の武士
かくこそありけれ近時の益荒男
すばらしいじゃないか。