推測するまでもなく本人の言葉通りという線が一番確かな気はする。
整合性が取れてないからキレたんじゃなくて、ベテラン勢が顔を揃えた芝居で、手抜きの本と演出を堂々と出して来たからキレたという。
それがまかり通る稽古場が普通にいい稽古場のはずはない、という考え。
その責任を演出家に問おうとして、書きすぎたという流れ。
主張してることは単純明快だよ。

手抜きというのもご本人の考えだが、客演揃えて人数もいる芝居で、プロットも書かずに脚本書いて、
それが論理的にひどい出来だと説明できるほどひどいなら、それは手抜きと批難されても仕方ないだろうなと。
それを作品から見抜いたのなら、怒る気持ちは分かる。批評を見れば、見抜ける人であっても違和感はない。

http://piroshikiman.blog.shinobi.jp/Date/20180312/

演出家インタビューを見たら、確かに創作姿勢には疑問を感じざるを得ない。
役者が揃ってから書き始めるのにプロットを書かない。
短時間で書き上げる必要があるなら、粗が目立つものになるのは当たり前のこと。
稽古開始日が近づいてくると小説や映画を見るという、演出をパクる気満々と取れる発言。
それを観客に向けて喋る演出の意識の低さ。
それを掲載する劇団の意識の低さ。

これを読んだら俺も見に行く気が失せる。かなり芝居を舐めてる感がある。
この調子で作ったものを長くやってる人が見たら、見抜けるものはあるのかもね。

普通のお客さんは仮に手抜きでも気づかないだろう。
だから細かく講評して自分の見立てへの信頼性を上げて、公に批判したんじゃないか。
手抜きは分かってるぞ、お客さんは騙せたかもしれないが、作り手の俺は見抜いてるぞ、舐めるなと。
作り手目線で怒りを表したのも、怒りの元と分析が作り手として感じたことだったからかと。

ご本人の主張と行動通りに解釈してみた。
個人的には、そこまでひどいなら見てみたいとも思った。
藤井啓子氏、篠田昌人氏、みかんひろし氏の発言を見ていると、金を出してまで見たくはないが。