簿記から経済を語るスレ
単なる1級持ちだが決算書作成,仕訳その他一応経理には慣れている俺が
簿記から経済を説く.突込み歓迎.
基本擁護 損益計算書 ⇒ 『継続企業の前提』(=企業が永続的に
存在するという仮定(前提))を基に永続的には報告書は作成出来ない
のである期間に区切って(日本では大体年度初4月〜次年度末3月)
その期間内の『収益』『費用』を誘導法により(=ぐぐって)網羅した
もの.
貸借対照表 前述の恣意的に決められた年度の末における資産,
負債,その差額たる純資産を網羅した物.
製造原価報告書 ⇒ 主にメーカー等でアウトプットを算出
する為に投ぜられた原材料,賃金,給与,経費その他雑経費等を
網羅した物.メーカーでは損益計算書の『売上原価』にほぼ
相当.
次回は思いついた時に. >>1
お前どこのバカか知らないけど相当恥ずかしいぞ。
ブログにでも書いとけよボケ
板汚しだから消えろ >>33
おおそうだったなw企業会計基準か財規だか忘れたが営業循環過程によって
『固定資産購入未払金』等の項目にしなきゃなw
でもマル経にとっては『営業循環過程』なんぞはっきり言ってどうでも
ええのだがwwwww >>1
頭悪過ぎる。
オンバランスとオフバランスの違いわかりますか?(笑) そもそもキミはオンバランスの対象でさえ無いからw
無理にオンバランスするとこうかな
貴方 1円 / 国家のゴミ(負債の部)
貴方除却損 1円 / 貴方 1円
wwwww
今未だ単純再生産のところでつまづいてるのだがやっぱエンゲルスは
エンゲルスだよな.明らかにマルクスが書いていたら別の分析を
していたかもしれない.ただ時折物凄い核心を突くような言葉はくよね.
・・・『・・・その価値は,その固定要素とは別個に,完全に貨幣で補填されて,
存在する.・・・(略)・・・●従って,この貨幣は,不変資本価値の
一部分の,その固定部分の,貨幣形態である.(→ここ重要)したがって
この退蔵貨幣形成は,それ自体,資本主義的再生産過程の一要素
である・・・』
すなわちエンゲルスもマルクスと同じように大量生産の必須の条件たる
機械化の進行そのものが資本主義的性格を帯びているのであり,同時に
機械化=貨幣の退蔵=物神崇拝ともつながっている事を見抜いているワケ.
管理会計的に言えば機械化が進めば進む程損益分岐点が高くなる.
『ある日突然『市場の撹乱要因によって』売上げが落ちると途端に
企業の業績は悪化』する訳だ.機械化の進行そのものが,市場=疎外態
に影響を受ける事でより『疾風怒濤の資本主義社会』(マルクス)
世の中めちゃくちゃになっていく事を見抜いてるんだな.
これはリーマン以降のトヨタでも何でもいいが見れば解る.
『資本主義者』マルクス(エンゲルス?)はさすがだな. どーでもいいけど
原価計算にミクロ入ってる今日
なぜわざわざマルクスw オマエラ『主流派経済学』は『疎外』を問題視しないからw
アレこそまさに『哲学の根本命題』であるのにオマエラは『まさに眼前
にある』モノしか見ないからw 金融を語る際に簿記の知識は知ってほしいよね。
特に銀行簿記。
マネーサプライを論じるときに、銀行簿記と信用創造の仕組みを知らない
連中が多すぎる。
やっとこさ単純再生産から外国貿易(=全世界的な「商品」取引への道)が開ける所
まで来た.ただ後から拡大再生産の所で又出てくるんだろうが単純再生産の
部分における機械の比率による恐慌の可能性の示唆は少し何か甘いな.ただ
「人間は道具を作る動物である」(=機械を作る事)である事だけは貫かれているな.
後は全然飛ぶがやはり「特別剰余価値」は「いつ,(特に)誰が,どのような必然性を
持って」生まれるか非常に興味あるけど1970年位で分析止まってそうだぞw 「資本論」はマルクス自身が言うように「全てを疑え」に従いかなり厳密にトートロジーに
陥っていないかどうか調べながら読めば誠に示唆に富む本で御座いまする.
どこかのチョン酸党系のなんだかのように教条主義的に読む人は頭悪いと思いまする.
やはり「機械」はマルクス哲学及び分業及び何故個別資本が登場せざるを得ないか
を貫く重要なキーワードですな.アーサークラークが示唆したように,まず
人間はある日動物の骨を拾って何かにぶつけてみた所,対象物が破壊された.
何回か繰り返していく内に猿の脳の中のシナプスでも広がったのかやがて
それが「道具」としてみなされるようになった.そして人間は「道具を作る」
ものとなったように同時に「集住」も始めたんですな.そしてキリストは
恐らくそれが人間にいずれ諸混乱及び対立を生む事を見抜いていたのかも・・・ 資産と資本がごっちゃで、誤解も生まれてる気がする〜。
資産と純資産という言葉に変わった意味が初めてわかった気がするw
日本のB/SとP/L、CFも作ろうって板?
そういや会計士から会計学者は居ても、会計士から経済学者って聞いたことないな。
実際に社会に出て、いろんな会社を見て回った経験とかから、何か経済学に生かせるものが得られててもよさそうなもんだが。 経済学者とは、会計士になるための十分なる人格を持たなかった者である。 しかし会計士を目指すことを決意するのと、
経済学者になることを目指すことを決意するのと、
どちらがより勇気がいるかといえば後者だと思う。
会計士は今は就職悪いけど、実務で使える知識であることには間違いないし、
食いっぱぐれる可能性は低い。
経済学者になるには、相当の努力に加えてセンスと運が必要だし、
うまくいかなければ食いっぱぐれる可能性がある。 会計は資格とって事務所に行くしか道はない
やり手なら儲かるが個人商店と同じ
経済はつぶしがきく
会計は企業という経済の一主体の財務を記録するのみの道具なので経済を語るのは無理
信用創造の説明に使うことはあるが限界がある 経済学と会計学がそれぞれ何を語ることができるかということと、
経済学修士(or博士)と会計士どちらが食っていくのに有利かというのは全然別の話。 >>52
>会計士なんてつまらね
財の稀少性が失われた時代に機械・設備みたいな「固定資産」の価値なんか
あるわけないじゃん。こんなものは「資産」どころか維持費用を要する「負債」
でしかないよ。「減価償却」なんてもっともらしい嘘でしかないよ。民法を少し
勉強した時に「譲渡担保」というのがあることを知ったが、現実の世界ではこんな
ものは観念論でしかない。「譲渡担保」が無効なのは、ひとえに「財の稀少性」が
現代では失われたから。
「財の稀少性」を回復するには、経済行為に「許可制」を横行させ、中世のギルド
を復活させるしかない。一定の利益が保証された世界でこそ、「固定資産」はまさしく
資産足り得るのであって、簿記は現実でも有効なものとなる。
複式簿記なんて過去の遺物に依存している会計学なんて、馬鹿らしくて勉強する気にも
なれないね。
別に会計学は知らなくてもいいだろうが、社会に出ると
財務諸表ぐらいは読めないと恥ずかしいな 機会費用なんて算出するのは難しいだろうなぁ
よっぽど計量に詳しくないと ついには減価償却まで否定し始めるキチ外が出始めたのか・・・
さてマル経に拠って経つならばマルクスは多くの部分で『固定資本の
磨耗』として減価償却を取り扱っている。『命掛けの飛躍』を無視するなら
減価償却なんて無視出来るだろう。でも廃人レベル,実務で無用レベルだな。
さらに奥をつけば『減価償却』による生産部門のリニューアルの
為の貨幣蓄積が消費と生産(=生産の為の生産)分離を生むだのが・・・
まあ総じて言うならば費用収益対応の原則はともかく減価償却
自体を否定する猿は自然採集の時代にでも戻ってろって事。
こいつ「命がけの飛躍」「命がけの飛躍」バカじゃねーの
むしろ一定の食料とかの必要財は「実は必ず売れなきゃ消費者が死ぬ」
ってのが本質じゃないの。勿論必要性を巡って競争はあるけども。 自給自足っていう手段があってだな
市場がなくても生きていけるんだよ 無理だよ市場の生産性がないと全人類は養えない。
お前一人なら大丈夫だな 食料が「売れなければ」消費者が死ぬは
「本質」じゃないだろ
その反例として自給自足をあげてんの
物々交換でやりとりしたっていいんだぞ
「農業なめんな」って言いたいのか?
生産性はここでの議論と無関係じゃね? だから『命掛けの飛躍』は企業側の論理なんだよ。
知らないんなら喋んなよ! 何時誰がどこで『商品は『命掛けの飛躍』を
担保にして生産される事を『資本主義社会』では強制される』』を
『消費者は困る』にオレは摩り替えた???? 解らないなら喋んな。 『経済学バカは最後に自分の言葉で終わらせないと満足しない』(笑) 資本論で消費者理論切り捨てたのは〈二巻の再生産表式のぞく)単なるマルクスの
都合、本来消費と供給はセットで語られるもの。そうすれば供給の側でも命がけにしては
産地偽装とかずいぶんなめたまねしてくれる情報の非対称性や東電の「消費者にとって命がけの」
福島原発の押し売りも見えてくるはずだ。こういう事がわからんバカを増やすから
資本と言う概念は面白いが資本論はつまらない。 んなの当たり前だろ?
『命掛けの飛躍』=『万物が商品化した社会では『消費者にとって使用価値
を持つ事が担保』として成り立つ』んだから。何逝ってんの今更。 消費者にとって命がげと使用価値があるじゃだいぶ違うと思うが だから読んでないから意味わかんねーんだよ。
喋んなバカ。
あえてバカに教えてやるとマルクスの『命懸の飛躍』とは生産された
『モノ』が『交換価値』すなわち疎外下にある資本主義経済の下では
貨幣を得る為に『他人にとって有用である事』,これを資本主義下
の『命懸けの飛躍』と彼は読んだ。
オマエは『命懸け』という言葉にただ単に印象を捻じ曲げて勝手に
あたかも消費者が買う行為が命賭けであるかのように誤解してるだけ。
『沈黙は金』だろう? 経済学徒ならその辺解らないだろう。 その思い込みがバカだと言ってるのだが命がけの飛躍をマルクスがどう
他人にとっての使用価値泊まるクスが一緒にしたわけ? バカはもういいよ 例えば今の時代だって『見込み生産』は企業は行うだろう?
株価の変動が物凄いブイテクノロジーなんかを見れば解るが(=当該会社は
半導体危機装置の設計受注請負:コード7717),リーマンショック以前と以降では
『命懸け』を得た商品は雲泥の差がある。前期だったかどうか知らんが(もう
眼中に無いから)物凄い赤字。『このまま好調が続いて引き続き受注予定だった』
のに突然振って沸いた『市場』の『調整』により『命賭け』なし得た商品は
ごく僅かになってしまった。一方購買者たる消費者にとって見れば(生産
手段を買う部門であれ,所謂『一般消費者』であれ)そんなの『命懸け』でも
何でも無い。解ってないなら喋るな。 使用価値が無いモノを生産する=単なる自慰行為>>74
以上。 例え言わなくても自明。『他人にとって使用価値』が無いモノを
『資本主義』経済下において生産している企業はバカを超えた自己
満足だろう? 故に交換価値も無い。 だからマルクスは他人にとっての使用価値という意味では「命がけの飛躍」
と言ってない。資本論一巻第三章第二節
商品所有者が購買に失敗するとダメージを受けると言ってるのであって。
この命がけの飛躍で話をつかんで、そこから商品のの説明で他人にとっての使用価値
を説明している 同じ意味だろ?
ダメージ受ける=『商品所有者』(=『資本家』)は貨幣を得られない。
何故解らない? 働いた事無いだろう? むしろ交換価値の一面制を言ってるのだが
繰り返すが主婦は「命がけの購買」をしているのであり、市場の両義性
を語っていない。
そもそもがまっるクスのモデルは100V+100C+100M
など売れるのが当然のモデルにいつの間にか単純化される。 じゃあオマエは『資本主義経済』下にある企業が『使用価値を持たない』モノ,
すなわち『他人にとって有用では無いモノ』を生産しても『交換価値』=(資本主義
経済下では『貨幣』)を得られるという理論を展開せよ。 ダメージを受けるのは販売者だけではない購入者もだ。 >>85
だからダメージを受ける話が販売者だけではなく購入者
である事もあることだと何度言えばわかる?
話したく無いからこのスレ廃止しよ。
以降スルーで宜しく。バカすぎる。 まずダメージを受ける−>生産側の一面制を俺は批判しているのだ こいついっつもすぐめげるね。めげちゃんと名付けよう めげちゃんマル経わかってないから。
3代前まで赤い僕とは違うゴルフ野郎だから 会計の視点でみた経済学というものをみてみたかった。
瑣末な間違いを指摘して意見や議論を潰す行為よりもそのほうが遥かに価値があるよ。
なぜならば前者は知的な創造行為であり後者は頭でっかちのただのオナニーだからね。 お前マル系の素養はあるか?
マル経の独自解釈のオナニーを見せつけられるだけだぞ
まあすぐ多々亡くなっちゃうからなめげチャンは だからさ,
例えば「新技術」が出現してより「生産性」の高い機械が現れたとする
じゃん? それでもより同じ時間に多くの商品が作られるだけであって
基本的には原価削減により価格が同じ場合,PLにて利益が「会計理論上」
出るわね?
でいっぽう「その機械が誰により作られたか」を考えてみた場合,仮に
単体企業内の某職員だったら,倫理的にはその職員,ないしそれに係わった
全ての労働者に利益は帰すわね? ところが企業自体はそれでは貸借
一致の原理により利益なんか出ないから基本,「人件費」から掠め
取っているか,あるいは原価+α=価格によって利益を出すしかないわな?
で,最終消費者に何でもいいけど超旨い餃子を作る機械を作る会社を
A,それらに諸部品を供給する会社B,C,D,Eが存在したとしたら,
B,C,D,Eも「資本主義社会」においては利益を出さなければならないので
+αを付けるか人件費をカットするしかない(通常前者である事が多いが)
ところがこれらが総合してB,C,D,Eの4社のαを付加されたモノを仕入れた
A社もさらに利益を売る為に最終消費者に+αを付けなければならないよね?
既にこの段階で歪みが生じている訳で,その最終消費者たる「とある
市場」の消費者が受け取る賃金の量総額とA,B,C,D,Eが付加した+αの
部分には差額が生じるよね? これって既にこの段階で消費と企業の
内部留保(=利益の溜り)に分離が生じていて早くも混乱をもたらす
原因とならないかな? 基本会社A,B,C,D,Eは「資本主義社会」という
強制的競争社会では内部留保は未来への投資へ使われる。その投資が
全て人件費に当てられるわけでも無いので一部は原始から始まる
原材料へも投資されなければならない。この「投資効果」を見ても
貸借一致の原理がある限り必ず需要不足になる事は目に見えてこないか? >>35
うーんw上からの流れが違うような
そもそも
現金預金(買掛金〜)ということにはならないんだよ
これだと、支払ってるのか支払っていないのかわらかないじゃん
現金だと支払ってるし、支払っていないのなら、商品ではないから未払金になるだけ
現金なら、現金だけでいいんだよ。それだと未払いではなく支払ってることになるから >>54
文章通りだろうね。
それは昔のやり方で考えてるよね。
>>1の内容を理解していないとその結論になる。
>>58の文章ではわかりにくいだろうが、58の言う通り。
腹式簿記なんだよね。費用収益から誘導してるにすぎない。
簡単に1つだけ説明すると
100万で機械装置を買いました。
その機械装置を使って、商品を作り販売するわけだ。
ということは、その売上に対する機械装置の費用というのを計算に入れないと
損益計算書における収益と費用の対応がおこなわれなくなる。
>>13
それは貸借対照表だから利益の計算ではなく
財産状態を示しているだけ
>>14
ん?これはなんだ??
ちなみに利益の計算は損益計算書で企業の経営成績を示すので
売上から経費を差し引いていく。
あれ?なんか勘違いしたw
無条件でってことかw
経済活動しないと利益はうまれないよ
前の文章をきちんと読んでなかったw
資産負債アプローチ法で捉えた場合。
貸借対照表において、借方の負債と純資産で資本の調達源泉(+弁済義務を負うもの)
を示し、それをどのように運用したかを借方で示している(資本の運用形態)
>>31
たしかに耐用年数の変更の場合は違う時だよね。
ただ、耐用年数の変更ではなく減価償却の変更というのは
市場の変化等により、妥当であれば変更は可能。
簡単に考えて定額法よりも定率の方が早い段階で
減価償却を通して、投下資本を回収できる。
企業によってはV字回復とかあるけど、それは減価償却等を変更したことが要因ということも多々ある。 あれ、反応がある
書き込みしてるのを近くで観察してるのか? 悪い悪い。
株式会社シエンプレなる所から虚を突かれて2チャンネルの書き込み消しますよ
何ていう半ば相手の弱みに付け込んだ本社が賃料13万円の(笑)会社(親会社は
レイスという,ググっみ,面白いで(笑),最近はどこぞのアンダーグランド系?
も上納金集めに大変なのかな(笑))から,書き込み禁止の技やられて書き込め
なかったわ。
それはそうと本題に戻るとぶっちゃけ100-105みたいな企業会計審議会が
出しているような簿記の細かい細則などをここでは問題にしているのでは
無い,大まかにいってPLから見た場合『際限無く競争を強いられるこの
『資本主義』という社会』においては利潤を出す為に,それが未来への生き残り
の為の投資であろうが何だろうが,個々の資本が利潤を生み出す方法は所謂
投下資本(不変資本+可変資本)を上回る何かを付けるか(マークアップ)か
可変資本部分を削らざるを得ない事は特別剰余価値を除いて貸借一致の
原理からその2択しか考えられず,『総体的に見た場合』,そのどちらの
2択しかなくなり結果『絶えず機械を作り続けていく人間社会』にとっては
この方式だといづれ需要不足になる事は己ずと自然に予想しうると思う
からだ。 しかしながらマルクスでは無い,エンゲルスは第3巻で重大な間違いを
起こしている事に気づいた。
『マルクス』は第1巻でその商品が何であろうが『命掛けの飛躍』を
遂げた時(=売れた時=貨幣化された時),その商品が『資本主義生産
様式の元』では初めて『社会的に有用な労働と認められ』ると言って
おり,この段階で売れなければ剰余価値を出す為の労働をしようが何だろう
が結局つまる所『その労働は社会的に否認された(=不要であった』
のだ。
ところが『エンゲルス』はこれを無視して第3巻で剰余価値を生む
個別資本内での行動が『社会的に受け入れられる』(=貨幣化が
なされる事)を自明の理として論を展開しており,価格=投下資本+
剰余価値を自明の理として展開している。
ところがその『価格』が上下する事が問題なのだが幾ら競争の
結果『価格』が下がる事に拠って『資本家』が安売りをせまられ
ようともそれはその段階でもうその資本主義的生産様式の元では
その『価格』が例え投下資本+剰余価値を下回っても『社会的に
』その『価格』分しか他人には認められなかったのだ。つまり
剰余価値を生む工程を個別資本が内部でしてようがしていまいが,
その『価格』の分だけしか投下資本+剰余価値以下にしか売れなかった
場合『マルクス的には』『その価格こそ』が『社会的に有用』な
労働なのだ。しかし逆に『価格』>>投下資本+剰余価値となった場合
それは初めて『社会的に認められ』,それを『搾取』と呼ぼうが
呼ばないだろうが構わないが剰余価値労働搾取運動=搾取は初めて
成立ちうる。3巻は究極の疎外態である『市場』『価格』を
1巻で述べている『社会的有用性』=『命掛けの飛躍の必要性』を
無視して展開されており,これはかなりの致命傷だ。
∧_∧ ハァハァ
シコ ( ´Д`/"lヽ
/´ ( ,人)
シコ ( ) ゚ ゚| | はぁはぁ…マクロにミクロに簿記ヤッてりゃああ、俺の肉棒は♪キンコンカンコン…
\ \__,| ⊂llll
\_つ ⊂llll
( ノ ノ
| (__人_) \
「バランスシート不況」という言葉がひとつも出てきてないって・・・ コメントすすんでねーなwwww
>Y2G3nCr+
は自分のコメントだww
101〜106コメントねw
面倒だから1〜100コメントは確認してないけどw
8か月間すすんでねーなwww
懐かしいw いちおうはまともなコメントしてるからなw
101〜105を読めばわかるだろ?w
あれからIP変えてると思うけどw
最後を見れば地域が同じだからわかるだろうけどw 過疎過ぎて無理かもしれないが・・・・・・
知っているか、推論でもよいが。
「国家会計(日本・中共)が複式簿記でない(法規と実態で)理由を説明してもらえないか?」
出来れば、欧米のそれが「複式簿記」になった、時期と理由も教えてほしい。 ゴメン。まずは最初の質問だが日本が複式簿記を採用していないとか
就職活動で言ったら笑われるぞ。学生サンなら。今元の請求書とかから例えば
1000万円売上上げましたとしたら現金商売では無く仕訳は
売掛金 1000万円/売上 1000万円。複式簿記は既に15世紀のイタリアにはあったようです。ググッて下さい。
後偶々ベトナムの簿記状況なら知ってるが(超いい加減複式簿記),中国も
複式簿記。でないと上場なんか出来ない(笑)。 >120
「国家会計」国または、自治体とその他関連団体。 1さんは、現在東京都が試行中の「行政の会計を複式簿記でする」をご存じないようだ。
個人的には、警視庁の会計で「裏金」をどう計上するか?興味深々なのだが。 ああ公会計ね。すまん解らん。ぶっちゃけ国家が最大の搾取態=再分配機能だからどうでもいいんじゃね?w
ってか東京都のページ見たら一応歳入,歳出で複式になってんじゃん。
細かい勘定科目が無いだけでw。裏金は適当に消えてるんじゃね。
お隣の国は簿外かもなw。っていうかお上>金融庁>企業会計審議会なんだから企業会計審議会が
お上を監査出来ないとも考えられる? 財務省が一応、国家の貸借貸借表も作成しているよ。
財務省のホームページで公開されている。 >124
それは、知っています。
だが、それの法的根拠が問題。旧軍部の「大本営発表」並みの運用をされたら・・・・・ >123
石原前都知事の本によると、形式的に「株式会社」である日本銀行の元総裁でも
その程度の認識らしい。
さすがに、トヨタとキャノンの元社長たちは、「複式簿記・会計」になっていないことを
「信じられない」といったらしい。
1さんは、1級もちだそうですが、では欧米と旧ソビエトですら、複式簿記・会計を法制度で
規定・実行するのはなぜか?と疑問に感じたことはないんですか。
あと、ベトナムの「公会計」はどうだか知りませんか?精度はともかくフランスの植民地
だったから、おそらく複式簿記・会計だと推測してるんですが。 簿記を通じてマクロ経済、特に国際収支と国家経済と貿易乗数の関係をよく理解できる。 ゲーテの言は有名だがその他ゾンバルトやシュンペーターさえも簿記の
完全性を讃えている。
シュンペーター。『資本主義は貨幣単位(それ自体なにも資本主義の産物ではないが)を計算単位にまで高める。
すなわち、資本主義的行動は貨幣単位を合理的費用=利潤計算の用具に転化せしめる。>>>複式簿記こそはその高くそびえる記念塔である。<<<
いまはこの点に立ち入ることをしないで、ただ次のことを注意しておこう。それは、第一義的には経済的合理性の発展の
申し子たる費用=利潤数量的な具象化と明確化とをつうじて強力に企業の論理を推進せしめることである。かくのごとく
経済部門において明確化され数量化された型の論理、態度、方法は、次には人間の道具や哲学、あるいは医療方法、あるいはまた宇宙観、人生観のみならず、
美、正義、精神的抱負の概念を含む実際上いっさいのものを隷属させる(合理化する)征服者街道に乗り出すのである』。 >127
加えて、正確性・即時性・これは運用次第だが「透明性」がある。
シカゴのギャングも、フランスのヤクザも、イタリヤのマフィアも「複式簿記・会計」らしい。
日本のヤクザ屋も案外そうではないかな?
会計事態に、思想・信条・宗教・階層・性別の対立はない。筈なんだがなあ・・・・・ >129
あれ?
複式簿記は、数学を必要としない。だよね。算数で充分でしょ。 >128
追加です。
出店は、わからないが、レーニンも称賛していたはず・
「複式簿記は、資本主義における最大の発明である」
1さんが、中国も複式簿記だといわれたが、これはソビエトから習得したのでなく、
90年代に主に日本の学者等から習得したものらしい。公会計もそうしているか?
その精度はどうか?
ソビエトといい、アメリカが占領期に公会計に複式簿記を日本に強制しなかった事を考えると、
何らかの「悪意」を感じるのだが。どうだろう? 貸借一致の原理は不変の原理故,その完全性故に逆に無味乾燥すぎてつまらないモノとなっているとも誰か言いましたね。マルクスが言うよに『資本主義の発展と共に簿記の重要性も更に増す』(資本論3巻どこかw)で,
日本の会計制度も連結財務諸表の開示,一部時価会計の採用,キャッシュフロー計算書の開示,
注記事項の更なる複雑化,とどんどん細かくなっていってます。
はともかくソ連等?が複雑簿記を採用してなかった理由?(本当?)は知りません。wゴルバチョフさんにでも直接聞いて下さい。wっていうか採用してなかったらどう把握していたんでしょう…無理な気が…。
単に杜撰,大ざっぱで秘密にしていただけなんじゃ…? 1さん。
国際公会計基準(IPSAS)に準拠した公会計を総務省が研究しているが、導入に賛成ですか?
どうも、本気ではなくアリバイ作りか遅延工作ではと思われるが・・・・・