所謂「大塚史学」は批判的近代主義の立場に立っている。つまり問題関心は日本の近代化の「特殊日本的」とされる在り方である。
従って日本の近代化の特殊性を科学的に認識するために、比較ということを考え出した。歴史は実験できないからである。
それ故「大塚史学」は比較社会経済史学とも呼ばれる(ここでも以降そう呼ぶ)。
比較の対象としては「自生的」に産業革命に到達したとされるイギリスが選ばれた。さらに世界史的位置としてはイギリスの近代
工業の側圧を受けたフランス・ドイツ・アメリカ・(あまり研究はされなかったが)イタリア・ロシアなどが随時比較の対象として
用いられた。また資本主義的発展に適合する経済制度を生み出したものとして、ブルジョワ変革が取り上げられた。すなわち、市
民革命を経験したイギリス・フランス・アメリカ、とブルジョワ的改革に留まったドイツ・イタリア・日本である。
マックス・ウェーバーは現実の無限の多様性を社会科学として認識するための方法論として、理念形を唱えている。無限の多様性
の中で一定部分の有限個の意味あるものを取り出して辻褄の合うように再構成するということである。比較社会経済史に当てはめ
ると理念形がイギリスということである。従って日本の近代化の特殊性を科学的に認識するには、イギリスは現実に比べて抽象化
されることになる。まとめて言えば、日本経済史を社会科学的に認識するためにイギリスを抽象化して比較する、ということであ
る。ウェーバーは現実以上に理念化することを、「非歴史的であることの自由」として承認している。
ここまで来れば、川勝平太氏の「比較社会経済史」「批判」が批判でないことは明らかであろう。明治時代に「キャラコブーム」
など在ったのか?そうではなく治外法権の存在と、自主的関税権がなかった、一方先進国の科学技術は利用可能であった。後は自
明である。