PRESIDENT 2020年5.29号
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日本よ、対経済ショックは過去の大失敗から学ぶんだ ◇高橋洋一・嘉悦大学教授

 城山三郎著『男子の本懐』で濱口首相は、東京駅で銃撃され、非業の死を遂げた英雄として描かれている。
その大前提として、立派な経済政策を遂行したことがある。
 筆者は、40年前、大蔵省(現財務省・金融庁)に入省したが、新人研修においてこの本を読み、感想文を
書かされている。筆者以外の同僚は、信念に基づき命をかけてまで打ち込むことは素晴らしいというものだった。
しかし筆者は、金解禁つまり金本位制への復帰をなぜ行ったのかが理解できなかった。そのため、正しいか
どうかわからない政策に命をかけるのはいかがなものかという感想文を書いた。その当時に金本位制に復帰
することはすなわち金融引き締め政策であり、緊縮財政とセットで行う「しばきあげ」政策は、失業を増加させ、
マクロ経済運営において問題となったはずだからだ。ユニークな感想だったため、筆者は同僚の前で先輩教官に
面罵された。この教官はその後事務次官になった。さすが、緊縮財政の権化である財務省ならではの人事だ。

 2008年のリーマンショックでは、不良債権に端を発する金融機関の倒産によって、需要が一気に飛んだ。
日本では、国内金融機関の痛手は少なかったが、海外の需要減により輸出減少となった。これは需要ショック
で、同時に一般物価の低下、失業の増加があった。こうしたショックに対しては、総需要を増加させるような
財政政策と金融政策の一体発動が世界各国で行われた。ただし、日本では、十分な財政出動・減税が行われず、
金融緩和も不十分だった。とりわけ、日本だけが金融緩和されなかったので、一方的な円高が進み、輸出が
減少し、内需増加の効果を外需減少で相殺してしまった。
 これはまさに需要ショックであるので、このとき求められていたのは、財政政策と金融政策の同時発動だった。
 まず、財政政策では思い切った積極財政がとれなかった。その典型例が、麻生政権での定額給付金だ。

 リーマンショック時には、アメリカを含む各国でも現金給付・所得税還付が行われたが、アメリカでは日本より
1桁多かった。麻生氏は、バラマキと批判されたというが、日本で効果がないとすれば、後述する現金給付の
遅れを除けば、金額が足りなかっただけだ。

 筆者は、その当時の責任を問いただすために、白川氏に対し、いかなる時期・条件でも受けるとして第三者の
仲介により公開討論を申し入れている。なお、白川氏の返答は多忙で対応できないとのことだ。
 日銀だけが世界の中央銀行の中で金融緩和しなかったので、円には希少価値が生まれ、猛烈な円高になって
しまった。これは、海外に依存する多くの日本企業を苦しめた。結果として、輸出産業として生きていけずに、
海外進出せざるをえなくなった。
 リーマンショックでは、日本は震源地がほど遠かったにもかかわらず、世界で一番被害を受け、GDP減少は
大きかった。これは、財政政策と金融政策の失敗があったからだ。その後、日本経済は低迷し、10年にはGDPで
日本は中国に抜かれ、世界第3位に落ちてしまった。
 そこへ、11年の東日本大震災だ。東日本の一部の生産設備に打撃があった。電力などの供給がネックになり、
供給力は落ちると一部の経済学者は考え、供給ショックであるとした。となれば、総需要を増加させる政策は
適切ではない。
 しかし、東日本大震災では、供給側への政策はほとんど影響を与えず、生産収縮を見越した需要減少が一気
に生じた。要するに、供給源とともにそれを上回る需要減があったのだ。このときに必要だったのは、積極財政と
金融緩和だったが、それと真逆である復興増税が行われた。そうした提言は、一部の学者が、東日本大震災が
供給ショックであると勘違いし、消費増税を目論む財務省が復興増税を消費税増税のための第一歩として利用
したことによる。

 しかし、実際の東日本大震災では、復興対策費用は復興増税で賄われ、長期国債は発行されずに、課税標準
化理論は無視された。しかも、日本の主流派経済学者たちは、東日本大震災後の復興増税に賛成していた。
その賛同者リストは恥ずかしいものだが、今でもインターネットで見ることができる。この愚策のため、今や
日本の大学の経済学講義でまともなことを教えられなくなってしまった。