数学的な経済学から社会学的な経済学へ
21世紀に顕著な経済学の脱・数学の傾向と、
それに反比例した社会学・心理学への接近について議論しよう。
文系の数学嫌いを罵倒する場ではなく、「最近の若者」を歎く場でもないので、そのような目的での利用は禁止。
あくまでも方法論としての数学的アプローチ、社会学的アプローチの意義と限界を述べるスレッド。 根井雅弘『物語現代経済学』の「エピローグ」でも読め。 遡ること50年は昔、ベッカーの時代から家族や結婚、犯罪について取り扱っとるがな
最近ではレヴィットがその流れで計量経済をやっているな 心理的要因加えるにしても、結局は理論モデルを立式して、実証モデルに落とさなくてはならないからどちらにせよ数学は必要。上記のベッカーやレヴィットも同様の手法。
経済学で必要な数学なんて、やれば誰でも出来るんだからつべこべ言わずにやれ。 >経済学で必要な数学なんて、やれば誰でも出来るんだからつべこべ言わずにやれ。
理系にありがちな典型的な決め付け脳。 理系じゃないよ。数学なんて入院決まってから勉強といえる勉強したけど、それでも十分コースワークついていけたよ。私大経済学部からの外部の人もついてったよ。努力不足でしょ、経済学で使う数学が分からないなんて。 >努力不足でしょ、経済学で使う数学が分からないなんて。
このスレのいつどこで誰が「数学が分からない」なんて主張をしたの?
あんた理系じゃないのにその読解力ならそれこそ深刻だよ? 社会学的アプローチなんてもんがあると思ってるのがあほ。
統計データの扱いなんか社会学も経済学も一緒。
文学が社会学の顔して偉そうにしてるのは日本くらい。それもそのうち滅びる。 >>11
社会学の顔した文学ってたとえば?
あ、間違ってもエコノミストの名前とか挙げないでね ?東大?R
?BHG?ラミ
?センター?マセマ
?バーチャ?ウイイレ 面白そうなスレ発見!
その頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従して威張ったものです。
だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆
是なりと云いたいくらいごろごろしていました。他の悪口ではありません。
こういう私が現にそれだったのです。
たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、
その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、
むやみにその評を触れ散らかすのです。
つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、
とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔
わがものがおにしゃべって歩くのです。
しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。
私の個人主義・夏目漱石より
経済学っていつから数学かぶれになったのでしょうか?
後年、経済学の数学かぶれ化or日本人学者はアメリカの権威になぜ弱いのかを
研究をする社会学者が現れると思いますw
欧米人は論理が好きなだけで、数学は手段にすぎないんだよね。
日本人はそこを取り違えてる。数学使ったら偉いみたいな風潮。 >>1
>反比例した社会学・心理学への接近
ってなんじゃ? 欧米人は全体的には数学がものすごく苦手
GMATやってみりゃその辺の日本人でもアメリカトップクラスの成績取れる