数学的な経済学から社会学的な経済学へ
21世紀に顕著な経済学の脱・数学の傾向と、
それに反比例した社会学・心理学への接近について議論しよう。
文系の数学嫌いを罵倒する場ではなく、「最近の若者」を歎く場でもないので、そのような目的での利用は禁止。
あくまでも方法論としての数学的アプローチ、社会学的アプローチの意義と限界を述べるスレッド。 >>199
なんだそのドメスティック思考は。英米には 理系・文系 ってコース分けがないだろ。 昨日から今日にかけて、他の板も含めて一斉に消えていますね。
オカルト版でも相当数のスレッドが消えています。 >>204
経済学が文系かどうかの話にコース分けは関係ないだろ低脳 >>203
いろいろそれに反論はあるが、かといって代替的学問や近代経済学にとってかわるものがあるわけでもなし。はやりの「理系」的思考を導入し経済物理学でもはやらせるか?哲学や心理学で景気を俯瞰できることもあるまいし、やはりメディアのコラムなんて所詮分析でしかないね。 だが民衆の代弁者の言葉は無視出来まい。
というか救いの無いところまで『現実』がキミ等の眼前に迫っているでは
無いか(笑)。日経平均は幾らだね? ドルやユーロは幾らだね? 金の
アホみたいな高騰は何を意味する? 札束刷って借金額増やせば全て解決か?
現実はそれを拒否しているぞ(笑)。それがキミ等が崇める『我等がアメリカ』
の救世主たる(はずだった)髭ジジイ馬鹿南京の『恐慌の専門家』の処方箋の
結果なのさ(嘲笑) 『経済思想のドイツ的伝統』 メンガーの章より
しかし、経済学などの社会科学の特質は、個々の分析的理論に還元されるものではない。
数式的に表現されれば同一になる理論であっても、学者ごとに、
その理論を構成する変数の定義や解釈、妥当範囲などは多様である。
経済理論は、それを現実の経済現象と関連づける、
経済主体とその環境についての理解の枠組みなしには存在しえない。
シュンペーターが言うように、経済分析のツールに注目する場合でも、
その背後にあるビジョンを無視することはできない。(中略)
しかし、メンガーはそのような数学的定式化は、経済理論の性質を誤解させかねないものだと考えていた。
彼にとって、人間の経済行動は、個々人の主観的評価に基づく選択であって、
それを数式で表現すると客観的な決定論になってしまうと危惧していた。 メンガーが経済理論の数学的な定式化を拒否したことは、多くの人を当惑させてきた。
後進の経済学者の中には、メンガーは自分の理論を忘れてしまったのではないかといぶかったものもいるほどである。
しかし、メンガーがジェヴォンズ、ワルラスに端を発する経済理論の数理化におぼえていた危惧は、
20世紀の後半になって、不確実性と意思決定の主観性の問題として再登場した。
市場での行動についての、メンガーおよびその弟子たちの、非決定な領域を残した推論の方が、
完全知識・完全市場を前提した方程式体系よりも現実に近いと考える経済学者たちによって、
メンガーの学派が、「現代オーストリア学派」として再生した。 サイエンスは自然科学だけだからね
もっといえば理学だけ
ソーシャルサイエンスはサイエンスじゃないからw
欧米でも厳然と区別されてるよw しっかし何だぁ。経済学板の落ちぶれようは最早行くところまで行ったっぽい
な。w。『パン』板や『電力』板以下のスレ数なんだぜ。俺も哲学板の方が
まだマシそうだしバイバイ。全てを物語ってるよ。精々税金の無駄遣いで
オマエラの妄想論文書くのは控えてくれな。ただでさえ東電の3次,4次災害で
ダメージでかい日本なんだからさ。その前には屑以下だな。スマン。これは
オレ及びオレ家族が食品製造小売を経営していてオマエラの存在は東電以前に
要らない事実を感じているから。じゃあ。 >>211
バーナンキが適切な処方箋を用意するためには、彼の能力以前に権限が足りない
バーナンキが中央銀行だけの権限で景気回復が出来ると考えていたならアレだけど
強権による適切な資本の集中投下が必要だからね
要するに、有望な産業などに集中的に投資し、慢性赤字な産業は、市場に投資を
強制的に切らせるぐらいの強権が必要なんだよ
資本ストックの不足分は現実には瞬時に補完されないからね それとそれ主語のバーナンキと対象の国のアメリカを他の名詞に変えても成り立つんですけど。 批判をかわすのはうまいよな経済学って
中身がないからひたすら誤魔化しているようにしか見えない その手のぼやきも、結局、経済学を政治に変えても、学問に変えても
成り立つ。あんま意味ないもの。 >>209
なんで?
経済学が(学問としてではなく)どちらのコースに属すか、って話だよ。 違うよ
経済学が自然科学か社会科学又は人文科学かの話だよ 数年前に、「経済学は日本以外では理系」とか言い出すカスが沸いて叩き捲くったが
そのカスが理系である根拠が数理経済学だってw
数理経済学は社会科学である経済学の一分野ですよwwwwwwwwwww
Fラン経済学徒はそんな事も理解してないw それ以上に今の主流派経済学で経済学を存続できるのか クルーグマン
「過去30年間のマクロ経済学の大部分は控えめに言ってもとんだ役立たず、悪く言うと明瞭に有害」
ロバート・ソロー
「マクロ経済学はデータに厳密な注意をほとんど払っていないことが顕著で・・・
このモデルの経験的な実績には穏やかな懐疑でも乗り越えれそうなものは何も無い。
もっと確かなことは、重大な政策の分析について、こうしたモデルに依拠する正当な根拠は何もない。」 ロナルド・コース
「既存の経済学は根拠もなく漂う理論上のシステムで、この世で実際に起こることとはほとんど関係ない」
フィッシャー・ブラック
「理論が現実に受け入れられるのは、それが従来型の実験的テストによって確認されたからではなく、
研究者が互いにその理論が正しくて適切であることを納得したからだ」
ロジャー・ブードル
「現代の経済学は現代版の中世スコラ哲学――人間や獣には役に立てず利益もない」 >>231
むしろ政治学を避けているから曖昧に言葉を濁すしかできなくなる。 >>231
理系コンプが紛れ込むから衒学的になるのかな。 フィッシャー・ブラック
「理論が現実に受け入れられるのは、それが従来型の実験的テストによって確認されたからではなく、
研究者が互いにその理論が正しくて適切であることを納得したからだ」
まさに数理ファイナンスそのものだな
効用理論とかそういうのを経済学から排したらもしかしたら上手くいくんじゃないの? ヴィルフレド・パレート
「人間の行動はイデオロギーで正当化されるが非合理の欲求によって動かされる。」
>>212のメンガーもそうですが数学で業績を残している人が
後年自分の業績に否定的になっているのが興味深い >>237
なら効用理論を排して上手くいくものを作ってみたら? >>239
言いだしっぺのお前が作ればいいんじゃね? 経済学は前提からして実証されてないオナニー学問だからな まぁ前提自体が実証される必要はないよ
そんの前提から導きだされるモデルなり理論なりが現実を説明する能力を有するかが重要
厳密にしようと前提が多すぎてゴミみたいになっている
厳密な前提を置くことが目的でなく、現実をうまく説明するのが学問のはず
データを使って実証しようにも存在しない変数を取り扱っていたり(例えば、技術進歩率)
データの取扱が難しい変数ばかりで何一つ確かなことが言えない 技術進歩率wwwwww
例えば猿人が火を起こす事を発明した段階を1としたら,石炭の使用は数で言うと
何になるの?wwwwwww >>243 >>244
>データを使って実証しようにも存在しない変数を取り扱っていたり(例えば、技術進歩率)
全要素生産性ぐらい勉強しとこうやw さらしあげ
そう言われてもあまり勉強したく無いなぁ・・
だって『全要素』って歴史的にどの時代にどれだけの財が存在したって
どうやって解るの? オレなりの言葉からの解釈だけどさ。まさにスコラ
哲学(笑)。 農業だったら生産性は自然に左右されるぞ
工業でも流通が滞れば生産性は落とすし
あてになんねーよ この世界のどこかに経済学徒だけの村があるとしよう
そこがトマスモアの言うところろのユートピアだ >>246
全要素生産性はたしかにうさんくさいね。
資本や労働では計測しきれない残差でしかないのに、
モデル(&結論)ありきで「全要素生産性が低いから日本経済は停滞している」、
「だからイノベーションを起こせ!」とおかしな政策提言につながっている。
全要素生産性はよくわからない部分なのだから(=操作可能な政策変数ではない)、
次にすべきことは、資本と労働の質の考慮、無形資産の計測など、
生産関数の関数形と計測の両面での精緻化ではないかな(実際、その方向であるが)。 経済学自体がうさんくさい
数字なんて人工物なんだよ
それ自体が自然のなかに存在している訳じゃない
経済学者はデフレだ、成長率だって騒ぐけど
こいつら自身が定義して計測して作り出したものなんだよ
それを見てあーでもないこーでもないって議論して
ワケわからん数式まで持ち出してバカバカ言い合って
変な派閥つくって争いにあけくれている
お前ら一体何やってんの?
自分等の作り出した数字で喧嘩しあって
バカらしくならんの?
糞の役にも立たない 林先生とプレスコットによれば、日本の失われた10年はTFP の低下によるという。しかしバーナンキの論文によれば、大恐慌期に何故かTFP が低下していたという。そうすると果たしてTFP がそもそも景気停滞の原因なのかというね。 胡散臭いってなんだよ
生産性ってのは紐解けば、技術と効率の問題だろ 胡散臭いと言うなら社会現象を完全に説明できるモデルでもつくってから言えばいいのに だからその『進歩率』って何よ。
そもそも何時の時点から資本主義が始まったと規定する訳?
そしてその後の様々な生産様式は如何にして関数化するの?
想像しただけでも腹抱えて笑いそうw >>253
何でモデルを作るのが目的なんだよ?
俺初めてフィリップス曲線みた時吹き出しそうになったわ
あれで科学かよwって!あれは星座かなんかだろw
精度の高いモデルが出来れば経済問題全て解決できると思っているのか?
永遠にそんなものできない可能性だってあるし
経済学は政策提言でその成果を評価する学問でいいじゃね?
やっぱ政治経済学だよ フィリップスカーブは星座だよ
なんでここまで注目されるようになったかと言えば、星座が航海に利用可能なように
昔の学者は政策メニューとして有効なのではないかと考え始めたから
ここまでは科学じゃない
やがてその星座の見方を誤っていることを科学的に考え始める学者が出てくる 『従って史的システムの資本主義とは,諸所の生産活動を統合する場であり,時間
と空間の限定された具体的な存在なのである。そこでは,あくまで資本蓄積こそ
が重要な経済活動のすべてを支配する目標ないしは『法則』となっている。
それはまた,はじめからこの法則に沿って活動してきた人々が社会全体に決定的な
影響力を及ぼし,他のひとびとにしても,彼らの行動パターンに従うほかはない
状況をつくり出した。そうしない限り,報復を受けることは必至となったので
ある。史的システムの資本主義とは,こうした法則-価値法則‐の貫徹する
範囲がどんどん拡大していき,それを強制する人びとが益々威丈高になって
ゆくような社会システムなのだ・・・(中略)・・・私見ではこの史的システムは
15世紀末のヨーロッパに誕生した・・・(略)』(ウォーラーステイン,史的システム
としての資本主義)
前半部分について彼の意見に意義を挟む者はそういないと思うが(何故なら
異議をすればそれは資本主義は史的に存在しなかったという反証をする必要
がある』,彼は『資本主義』の成立は15世紀末と考えていたようだ(イタリアか?)
され,『技術進歩率』,『全要素生産性』を支持するキミ,
1 まずは『何時』資本主義は始まり(証拠を述べよ)
2 時代時代の財がどれだけ存在し,どのような生産形式であったか。又それを
定義する個々の関数を作るにあたっての土台。
3 そしてそれらが連関する『システム』及び『進歩』としての『技術進歩率』
を1〜3まで澱みなく答えてくれないか? 野中宣誓はご病気につき論文に同意しないと切れるからご注意 http://www5.hp-ez.com/hp/siyoukeizai/page17
天才の前にひざまずけ
野中先生はご病気。
同意のみが真実
反論は理解してないと認めない
絵は幼稚園児 >>258
新古典派の『技術進歩率』『全要素生産性』は、
生産関数から導出されるものなので、
資本主義の始まりとは関係がありません。
価値法則が貫徹する範囲の拡大を資本主義と呼ぶならば、
社会主義も市場主義も資本主義の兄弟として定義されそうですね。 オマエラって文章読めないのな・・・
ここで彼が言っている『価値法則』とは
>>資本蓄積こそ
が重要な経済活動のすべてを支配する目標ないしは『法則』となっている。
>>他のひとびとにしても,彼らの行動パターンに従うほかはない
状況をつくり出した。そうしない限り,報復を受けることは必至となったので
ある。
要は資本蓄積が社会的に『資本家』(彼はこのように本ではくくりをつけて
述べる)に強制させるシステムを言ってるだけ。実際そうじゃね? 他人の文章をロクに読まずに
「とにかくよくわからん意見は全部叩いとけ」
みたいな条件反射的な批判しかできないのは経済学部生の悪い癖かもね >>264
そうだよ。そもそも、ワルラスは社会主義者だし、一般均衡理論の世界は
社会主義の世界。ランゲ以来の市場社会主義論もあるしね。
もちろん、それは違うという見解もあるだろうけど。 だから価値ってそもそもなんだよ? もっと笑わせてくれ。 資本ん蓄積されるだけなら誰もわらわねーツーの
労働価値だの剰余価値だの自分のアイディアを全部代なしにしたマルクスおじさんが滑稽だっつーの >>267,269
そうですよね。新古典派(ラムゼーモデル)によれば、258のいう「生産様式」、
つまり、社会主義(計画経済)であれ市場主義(分権経済)であれ、
生産関数は定義されうるし、(集計すれば)資本蓄積の最適経路も一致しますよね。
つまり、生産関数(と導出される技術進歩率や全要素生産性)は、
資本主義のはじまりや生産様式の違いとは無関係に定義されると思います。
価値法則を269のいうような労働価値や限界価値と考える場合。
経済モデル上では、それは生産(関数)ではなく、分配に影響してきそうですね。
数理マルクスのモデルでは生産や分配をどうモデル化してるのでしょうか…。
ちなみに、価値法則の強制的な全面展開については、ウォーラーステインよりも、
それを「近代化」と呼んだウェーバーの方がずっと面白いと思います。 限界価値じゃない剰余価値。もうけのこと。
俺なら労働価値説は全面放棄
剰余価値説は剰余価格説にして百科辞典的に記述するがな
マル経信者は気合いが足りない。 俺学部レベルしか両方理解してないけど
マルクスの方が面白かったな
価値や資本など数少ない要素から
社会、経済を無機的に記述しようとするのは
スッキリしていて科学的だと感じます
若手経済学者のブログにマルクスなんて
勉強したこともするつもりもないです
なんて得意気に書いてあったのは
違和感があります 価値のどこが科学だ。
確かに仕事いやという実感をマルクスは成功してるけど
あとはがらくた >>272
たしかに違和感ありますよね…。
現在の私は新古典派の理論にもとづく研究をしていますが、
学部生の頃は、マル経、経済史、社会学も勉強しました。
(ゆえにうろうろして業績も上がらない始末ですが…)
マル経の疎外や価値形態論などはいまでも有効ですよね。
かつての慶應や一橋では近経・マル経が原論T、原論Uと並列されて、
学部1・2年生はその両方を履修したものですが、
現在はどうなっているんでしょうね…。 >>258が言ってることは要するに以下のことだ。
経済の目的は人々の生活に必要な様々な資材を生産に分配し消費するということ。
一人ですべてはできないから、大勢の人々が分業し協業してこの目的を達成している。
しかし資本主義が成立して以降、経済がこの目的を逸脱し、資本蓄積それ自体が自己目的化してしまって暴走している。
必要以上の財貨を人々に買わせ、利潤獲得のために経済活動の規模を際限なく増大させようとしている。
そしてこれは誰かが意図的にやっているというわけではなく、
資本主義というシステムそれ自体が我々をそうせざるを得ない状況に追い立てているということを「価値法則の貫徹」と呼んでいるのだろう。
まあ、以上はマルクス経済学の問題意識だろう。言葉が雑駁で科学的検証に耐えれるような代物ではないが、この問題意識はいまの資本主義社会のあり様を端的に表現しているように感じる。
新古典派にはこういう問題意識はない。反批判としては次の二つの戦略がある。
@こういう問題意識自体が事実に反する妄想であることを論証・実証すること
A問題意識を認めたうえで、これを分析できるモデルや理論なりを作ること
>>274
今ではさすがに近経・マル経の並列は上位大学ではないです。
マル経自身が看板を下ろして、「政治経済学」と名称を変えてしまっています。
講義内容も、毒にも薬にもならない当たり前のことを述べたてているだけのようです。
何よりも人材が枯渇してしまったのが大きい。ろくな人がいなくなった。
私自身はマルクス経済学が大学の講義であっていいと思う一人ですが、それはまともなマル経の場合。
いまのような政治経済学なぞ大学で講義する資格もないし、全員消えてしまっても一向に構わないと思っています。
まあ、あと20年ぐらいで大学から全て消滅するでしょうがね。 >>275
2行目:その経済の目的って誰が決めたの?
4行目:暴走してしまってるって、何をもって暴走しているっていってるの?
勝手に目的決められて、勝手に暴走しているって言われてもなあ
なんかトンデモ本読んでいる気分だ 目的は誰が決めたわけでもない。
仮にそれが目的とすれば、資本主義は逸脱している。
それ以上の生産・消費を拡大してしまう傾向があるということ。
資本蓄積は本来我々の生活を充足させるために行うべきなのに、それ自身が自己目的化しているということだ。
資本蓄積のための資本蓄積になってしまっているということ。
そのために労働も細分化され、自己実現の手段ではなくなり、疎外が生まれるなどなど。
色々な社会問題が発生する。それを暴走と表現している。
>なんかトンデモ本読んでいる気分だ
言葉が雑駁で科学的検証に耐えれるような代物ではないが、
と私も書いている。
君らが>>258をまともに理解できてないから少し助言したまでだよ。
いっとくが私はマルクス的問題意識を積極擁護するつもりなどはない。
極めて懐疑的だ。
何やらゴルフから帰ってきたら嫌に伸びてるな。w さて,嫌味に聞こえる
かもしれないが折角トリも付けてあるのだし追っていけば解るが私自身は
完全に『資本家』階級に属する。が,人間社会的地位等上がれば上がるほど
『カネ』を追う事の下らなさに嫌気がさしてくるもので,少なくともオレ
自身は何か公共的な貢献でもしたいと最近切に思うようになってきた。
さてそれはともかく,質問のあった『価値』について私見(殆どマルクス
により影響を受けているが)を述べて質問に答えよう。
価値を為すものの基本(特別剰余価値はあえて除く)
使用価値-(分離不可)-交換価値(労働が必ず付されていなければならない。
又疎外下では『貨幣』により主として計量される)
1. 使用価値-『万物が『商品』と化した資本主義経済においては』
『他人にとって』,必ず『有用である事』であるモノ(サービス等も
含む。
2. 交換価値 上記1,『使用価値』(他人にとって有用である事)を
あくまでも成し遂げる事が大前提で(何故なら不要なものは自己
満足に過ぎないから(マルクス的表現を使えば『命掛けの飛躍』を
遂げた商品。),かつ労働が付加されたモノ。(これは後々説明)
ただ『疎外状況=資本主義経済下』ではあくまで対象化された
唯一神『カネ』により計量されるモノ。
何故労働が不可されなければならないか?
前にも話したが『空気』は全人類に今の歴史的段階においては
『使用価値を持つ』。すなわち他人にとって,否誰にとっても有用
である。
だが今『空気』は『価格』(カネにより計量された値)がつくか?
これが例えば何らかの異常気象等により上でも述べたが酸素ボンベ
でも作らなければならない状況になれば(=すなわち労働(=脳髄,肉体
の支出)が付加されたら『価格』は疎外下にある資本主義ではつくで
あろう。この使用価値-交換価値(あくまで有用である事が前提の労働
が付された価値),これら2間不可分なモノが付された『商品』こそが
価値であろう。
まあキミ等『俗流経済学』は楽観的に自慰的にモデルの構築に邁進
したマエ(苦笑)。オレはステインがいうような『資本の蓄積』に嫌が
おうでも社会的に強制される立場,さもなければ個別資本としての死
(ある意味社会的義務さえ生じる)立場にいるからオマエラの使えない
『モデル化』はもうマジ飽き飽き。
後ちなみに『マルクスおじさん』の書いた本はドストエフスキーと並んで
キミ等のゴミ論文より何千万冊と売れた本です。惜しむらくは彼の死以前に
それらの版権収入が入らなかった事ですが(笑)。まあせいぜい小金を追って
下さい。しかも税金というオレラから搾取したモノで。(苦笑) 例えばオレが役員としてゴルフ三昧の挙句取締役としての義務をないがしろに
して(かつ大株主だから訴えられる事も無い)会社が傾いたとする。そりゃオレには
ある程度の財産はある。だが何百人といる従業員はどうなる?(今日はたまたま,
明日会社)。そこら辺問題意識持たないの? 全てオナニーでモデル化すれば
いい訳? しかも何ら景気回復してないし。何なのオマエラ? まあ今日は使えんのが出てるから俺もこの名前使っちゃう。
価値は本当に下らん。
バカが知ったかぶりするのは醜いな。
まあ資本と労働力の商品化だけはいいアイディアだ。
協業とか機械とかは一面的すぎる。
もっと効用もあるもの
その矛盾を記述できないマルクスは所詮二流。
労働価値説と剰余価値説はねソープに行って賃下で挿入しましたってそういう感じ。
あーアカポスの座がワーキングプアーに近いんで断念したら
網生き甲斐が消えたよー。
女買っても無理だな。 経済学知らないから景気回復とかいってんだろ?
できっこねー記述も規範もしめせねー
せいぜい前進できればいい程度だ
其れが市場の二重の失敗で
俺がアカポスにつけず其れもできんとは
マジ死にタイヨー 自己中心的な考えも行き過ぎると感情を露わにしてその考えを人に押し付けるようになる
誰も受け入れないけど。 >>283
息災で何よりだ。やはりお前だったか。
>>275,>>276,>>278は誰が書いたか、お前ならわかるだろう?
久しぶりに覗いてみて、面白そうなのがあったので、書いてみた。 >>288
お久しぶりです。
自分はあのあとミクシイで丸の親切な大学院生のもと資本論を読み
労働価値説と剰余価値説に決定的な矛盾を覚えました。
また資本論は別スレ氏がゴルフで楽しんだが虚しいと言うように
功罪併せ持ったところを描き切れていないところがダメだと思います。
近経では奥野のミクロ〈優しいほう)、斉藤他のマクロ半知半解と言うところです。
ただ組織の経済学に触れ限定合理性でこんなにモデル化できるのかと感激し
10年後で役所を辞めて大学院進学博士号、何でもいいから喰えるアカポス
と思ったのですが、博士出の悲惨な経済状況を見て夢破れました。
自分はメンヘルは夜も薬なしでぐっすり寝れて役所も休まず勤務できるまでの回復しましたが
夢破れたのでプチ鬱です。 俺がマルが下らんと思うところと評価できないところは
別スレ氏のように1スノビズムとして其れを読み、其れをステイタス
にする2論理を理解して矛盾を指摘できない
輩が非常に多くうんざりするところだ。ここでマル廃絶話が出てくるし
俺も荒らしてやるのだ。
だがマルの優れたところは
1労働が嫌だ的なリアリティ
2資本
3社会の総商品化
と言うリアリティを感じさせるところだ。
たとえば俺の状況も上記のリアリティ全ては金次第と言う事で
良く表されている。でも俺に言わせればそれ以外は論理的には
がらくたのマルクスの思考は問題提起にすぎないのであって
其れは理論発展させなければならないとかみしめるためのモノで
ステータスにしてる奴らはよっぽど頭の悪い勘違いに過ぎず
滅んで当然といえよう。
だが上記のマルのリアリティを深めれば再生、マルクスの再生ではなく
其れを超える論理を産む問題提起としての再生は可能だといえよう。 あとリアリティを求めるなら経営学の入門でも読めばよい。
そこでは価格理論だけでなくブランド、製品そのもの、サービス
を加味した購買決定の理論がある。俺は経営楽の理論で
ミクロ経済学を組み直す「趣味」をやっているがミクシイで展開してるので
見つけ出せるなら見つけてミロ。 『スノビズム』か・・・(笑)
何だか下の文を読む限り自分の不遇を転化して逆恨みしている雰囲気も
感じるが,前面否定は出来ないだろうな(笑)。そもそもマルクス,エンゲルス
さえ出自がブルジョアないし貴族階級出身だし。
とまれオレが『スノビズム』ならここに集う経済学徒は恐らく『労働貴族』
(しかも『労働』してない(=『我々の』税金で勉強)))だろうな。
ていうかこの国『労働貴族』多すぎだよ。何ら自己の発言,行動に責任を
負わない。好き勝手に言って言うだけ言って後は何も無し。その点オレは
自己の判断を間違えれば,ステイン曰く『資本主義経済下における『資本家』
のもっとも恐ろしい競争に負けた場合の結末たる『破産』』(原文では無い)
を受け入れるしか無いのだがな(笑)。 いっとくけど、俺は労働貴族じゃねーぞ。気が狂うまで働かされて
気が狂っても働けだからな。自分のカネで本買って勉強。奨学金
〈大学の)も税金も滞納してない。
お前はお前の会社の経営には責任を持つがマルクス的発言に対しては
丸っきり無責任だろう。其れで飯食ってない。 この板に来る学生だって研究者はほとんどいないよ。何夢見てんの? くろしろーのような奴は何人か知ってる。
奨学金もらって院に進学できたなら、そりゃおれから見たら貴族ぐらい幸運だぞ?
普通は院なんぞに進学するのはあきらめて、はたらかないといけない。
そして、うんと働いて金をためてから院にいくわけだ。年とってから。そうだろ?
くろしろーのような奴は被害妄想ばかりというか、責任転嫁ばかりしてるような気がする。
あと、苦労して成功した者に対する妬みがすごい場合がある。
コネで教授になったわけではなく、実業の世界で苦労して稼いだ人間に
対しても、すごく妬みを抱くのじゃないかね?
実力で稼いだ人に対して妬みをいだいて悪口をいったりすると、
おまえのような奴は悲惨なめにあうよ?
どうして実力で稼いだ人を妬むと悲惨なめにあうかわかるかね?
ま、それがわからいから、2chなんぞで吠えてるんだろうけど。
奨学金は大學時代のモノ。俺は院に行けるけどそのあとがないのであきらめて役所暮らしだよ。 別スレは苦労して成功した奴はこんなにバカじゃないだろ?
同族会社の金持ちレベルだ接してればわかる。 ごめん
別スレは苦労して成功した訳じゃないだろ?
そういう苦労して成功した奴はこんなにバカじゃないだろ?
同族会社の金持ちレベルだ接してればわかる。
大学教授も苦労してなった奴と利権に絡んだ奴がいるんじゃないのかね?
文科省ノ利権の構造は俺は知らないが。公務員倫理法以前の利権はすさまじかった。 >普通は院なんぞに進学するのはあきらめて、はたらかないといけない。
そして、うんと働いて金をためてから院にいくわけだ。年とってから。そうだろ?
これをやろうとしたんだがあきらめたというわけ。
就職率低すぎだろ。