宇野理論が学べる大学
現在高校3年ですが、センターで失敗したので、ほぼ浪人確定してます。 経済学部で宇野学派の理論を学びたいのですが、どこがいいでしょうか? 来年の受験はそこに絞りたいので・・・ ちなみに、親父が30年近く前に首都圏の某大学の経済学部卒業なんですが、 その頃なら東京大学・東北大学・法政大学・筑波大学だったと言ってますが、今は分からないそうです。 ちなみに、親父の書棚には、宇野弘蔵著作集、鈴木鴻一郎教授、伊藤誠教授、大内秀明教授、降旗節雄教授、大内力教授、侘美光彦教授、櫻井毅教授、日高普教授等の著作が200冊あまりあります。 いずれも故人だったり教壇から去られていたりといった状況ですので、どなたかご教示ください。 ちなみに、将来は理論分野で大学院まで学びたいと思っております。 >>81 だから企画の情報だよ。情報は道具だからね労働価値説では量れない。 君にはこの逸話を進呈しよう。 星形のマークを切り取って売る経済があるとする。 はさみじゃないと旨く切り取れないから、 労働だけじゃなくハサミの使用価値は価格になってるんだ。 素手では綺麗に切り取れない。 労働価値説も労働だけの経済なら成り立つけど 労働以外の要素が関わればアウトだね。 >>83 2点指摘しとく。 ひとつは労働の概念。 労働というのは交換価値を生み出す人間の行為すべてのこと。 もうひとつは情報の概念。 情報というのは交換価値となるものであれば商品。 企業内で活用されるものは事務用品と同じで生産手段。 だから生産手段そのものが労働とは別個に価格を形成するのでその作用を 解明しようとするのが資本経済学 >>86 生産手段も行き着くところは労働。 生産手段も労働により生産された。 >>83 の例を使えば、「ハサミ」も労働により生産されたもの。 >生産手段そのものが労働とは別個に価格を形成する 単に労働により生産された生産手段を使用して(新たな労働を加えて)商品にしただけだろ? 「資本経済学」というのは知らないから、どういうものかわからない。 マルクス経済学は学んだことないけど、剰余価値は全部搾取されてて、資本からは全く価値を生み出さないというのは よくわからないんだけど >>87 労働じゃないだろ。行き着くところはビックバンか無の揺らぎだろう。 そう言う過去に遡る考えが社会的ルールになってるならビックバン価値説 でも労働価値説でもあり得るね。ところが残念だけどそう言うルールは今は ないんだな。 ハサミの話はハサミの切れ味そのもの我商品になりもはや人間の手の元を 離れていることがみそだよ。 >>90 生産手段としての商品はそれを使う(労働する)ことによって生産手段となる。 置いとくだけならただの場所ふさぎ。 自然物はそのままではなんの価値ももたらさない。 木の実を拾うとか人間がなんらかの働きかけ(労働)をすることではじめて使用価値が生れる。 だけどのハサミの切れ味なきゃ商品にならないでしょ. >自然物はそのままではなんの価値ももたらさない。 木の実を拾うとか人間がなんらかの働きかけ(労働)をすることではじめて使用価値が生れる。 そう言うルールで市場は動いてないね。 木の実は拾わないままならば、そもそも市場で取引されることもないだろう。 >>93 一つの因果関係からはそれは正しい。 だが全部の因果関係で市場は動いてない。 あたかも労働なしで木の実の味だけで評価されることもまた市場の限定情報性 価格や価値を過大評価してないかな? >>94 >市場の限定情報性 >価格や価値を過大評価 ちょっとまともに答えるレスじゃないな。 宇野経済学(マルクス経済学)というのは資本主義経済の原理を追求するもの。 目先の儲け話を探してるわけじゃないから。 個別の価格や株の上下はその時々の需給によるだけ。 まあ市場の理解がその程度ならもう語る意義ないから打ち切りでいいね 経済物理学のおかげで需給理論も変わるだろうし。 >>1 宇野経済学(マルクス経済学)は、根本的に間違っている。 そんなものを専攻してどうする? アッフォー! 資本主義の限界が露呈したいまこそ宇野経済学が見直されつつある 労働力商品化の無理に早くから着目した宇野先生の慧眼には脱帽せざるを得ない マルクスは間違っていたのだ、 その証拠に、マルクス経済学に基づいていたソ連邦、東欧諸国は崩壊した。 >>100 そうすると、やっぱりアメリカの原理資本主義が正しい、と? ソ連東欧はマルクス経済学に基づいてないよ。 そもそも、資本論は資本主義が分析対象とする本。 もちろん、資本主義の分析が社会主義・共産主義の分析につながることはあるだろうけど、 主眼は資本主義分析。 ゴータ綱領批判にしても、社会主義・共産主義がどのような社会であるか明示していない。 計画経済が社会主義とさえ書いていると言い難い。 労働力の商品化は政治的運動 むしろ市場も含めた剰余の運動を見つめることからマルクスは逃げたんだ。 それを野郎というのが資本経済学 >>103 >労働力の商品化は政治的運動 意味不明なんだが。 労働力の商品化は単なる資本主義(資本制)経済の経済学的原理のひとつだろ? 資本主義徒は飛行機を飛ばすような物 その社会が労働力の商品化であれ 航空力学には影響を及ぼさないと言う事。 >>106 もっと意味不明。 変なたとえはやめて、宇野の一番簡単?な「経済原論」の(2−1−2)価値形成増殖過程とかのどこが政治的運動なのか教えてくれよ。 宇野の原論は売っちまったので応えようがない。 マルクスにそって言うと 労働力の商品化とは政治的に労働力が資本化に逆らえないこと。 その描写 でも市場の運動とは金儲けの市場も問題にしなければ労働力問題だけでは 原理にならないと言う事。 >>108 その市場の運動の原理は資本論第3巻第4、5篇あたりとどういう風に違うんだ? >>108 ああ、もうひとつ。 >労働力の商品化 >は影響を及ぼさない と書いたんじゃなかったっけ? >労働力問題だけでは原理にならない というとのと矛盾しないの? 原理のひとつと認めてるような書き方に見えるけど。 まず質問の一つ目 価値に必ずしも制約されない 二つ目 これは俺の間違い 原理原則の一つであるが、それだけではないと言うこと もっと複雑怪奇な市場を問題にしなければならない。 >>111 主旨はわかったけど、経済の現実の動きと原理を混同しているんじゃないかと。 宇野経済学は熟知してると思うが原理、段階、現状に分けるところがみそ。 その上で原理を考えるときには、なにが根源的なものなのかを見きわめないといけない。 大きな意味で宇野理論を否定する立場もあるだろうが、それならそれで、たとえば経済に原理はない、とかいうことを説明しないといけないんじゃないかと思う。 俺から逆に質問しよう マーケティングは富を生み出すが 原理になぜはいらない? 現状だから? では何故その原理なのか? >>113 >マーケティングは富を生み出す 流通過程が富を生み出すことはない、というのがマルクスや宇野の考え。 個別に損得はあっても全体としての富は生み出さない。 いわば偏るだけ。 偏った結果として、それが事業に投資されることによって生産手段に転化する。 それが富の根源。 資本制経済の原理としてはこの根源を見る。 こんなとこかな。 >>113 マーケティングという言葉はあいまいなので金融市場とさせてもらった。 >>113 もしマーケティングというのが付加価値的なものをイメージしてるなら、付加価値を加える行為全般は労働。 >>114 そこが理解しがたいところさ 生産手段と流通手段なんて差はないよ。 この世の全てがモノならね。 流通というモノを生み出しているに過ぎない。 唯物論が徹底してないんだよ。 宇野は労働価値説からは抜け出したが剰余価値説 がマルクスの流れだからね。 まあ今日はこのくらいで。 >>117 >流通というモノを生み出している ちょっと意味が取れないな。 もちろん流通にかかわる事業(資本、労働)は存在するし、価値を付け加える。 それと原理的な流通過程の問題とは別。 宇野理論の把握も違うと思うが、これ以上こんなことこでやりとりするのはちょっと無理だろうな。 >>118 もし、それが言いたかったのなら、宇野でもマルクスでも読み返したほうがいい。 観念的な使用価値も使用価値のひとつとして扱われてる。 >>119 販売はモノだろう? 全て原子に還元できる。 宇野は確かに理解は怪しいが。 >>120 ゴーダを読んでごちゃごちゃ言うのは飽きた。 >>121 それを言うなら ゴーダを読んでゴダゴダ言うのは とか ゴーダを読んでああだゴーダ言うのは じゃないと >>102 >ソ連東欧はマルクス経済学に基づいてないよ。 ソ連の大学で使っていた経済学の教科書をもってるんやけど、明らかにマル経だ。w ソ連邦が崩壊し、東欧が自由主義化しても、まだマルクスを信じていたいアッフォー がいるんだな ---- オウム真理教とそっくりだな。 問題はそこじゃないから 労働価値説の不適用 剰余価値説の異様さ。 ここがポイント >>124 その教科書は思想に重点置かれてんの? それともレオンチェフの産業投入分析やパレート分布みたいに理論的、技術的に書かれてるの? >>124 だからさ、そもそもレーニン自体、ソ連を社会主義だとは認めてないんだよ。 自分の孫の代くらいになるだろうって。 ソ連東欧は社会主義でなく、国家資本主義。特殊な資本主義。 マルクス経済学についてはよく知らないんですけど、 ロシアや中国での社会主義革命って生産関係の変革ではなくて マルクス主義思想という上部構造が突き動かしたのであって、 もうこの時点でマルクスの史的唯物刊歴史観って否定されないんですか? >>131 ロシアや支那の社会主義革命は経済構造だけを変革したんじゃない? 民間人が所有していた生産手段を国家(または共同)所有に変えただけだろ? ということで>>130 に1票。 宇野弘蔵はマルクスを理解していなかった。宇野理論を反面教師として『資本論』を読むのはいいが。 残念ながら、経済学部でマルクス経済学をちゃんと学べるところは少なくなっている。 むしろ哲学とか政治学のほうがいいかも。 そして大学院でCentre for Social and Political Thought, University of SussexかThe New School for Social Researchに留学する。 >>133 宇野がマルクスを理解してない部分はどこ? >134ほとんど。 まず最初の価値形態論からわかっていない。 そして資本主義経済の運動を「永遠に繰り返すがごとくに」叙述する、といって、資本主義の終わりを証明しようとしたマルクスの方法を完全に抹殺している。 さらに賃金騰貴恐慌論という絵空事の世界。 宇野原論は最初から最後までマルクスをゆがめるもの。 >>135 マルクスの理論から、資本主義の終わりと言ったイデオロギー的にゆがめられた 部分を排除し、理論として止揚したのが宇野の功績。 景気の循環にしてもいわゆるニューエコノミーが夢物語とわかった現在 むしろ説得力を増している。 >>134 = 正統派 >>135 = 宇野派 だな。 間違えた。 >>135 = 正統派 >>136 = 宇野派 だな。 >>138 なるほど。 それにしても資本論第3巻というのはやっぱりエンゲルスなんだな、と思うのは俺だけじゃないだろうな。 >>135 たしか宇野は自分が死んだら天国でマルクスと価値について議論したい、なんていってたよね。 東大情報学環の須藤修とか、その弟子で武蔵大の杉本伸が宇野派だろ? 今でも東京大学経済学部だったら宇野理論は本格的に学べるのではないか。 >>1 ですごい宇野派の大家が列挙されてますが、現在、原理論では小幡道昭教授、段階論は石見徹教授・柴田徳太郎教授がいます。 小幡氏と石見氏は>>1 の大家の弟子です(伊藤誠名誉教授と侘美光彦名誉教授の科目は私も取りました。)。 財政でも制度は宇野の方式で教える先生もいます。近経の財政は「財政政策」です。 金融も(「金融制度」という科目になりますが)宇野の方式です。(金融も財政も実際は宇野派の方は制度の勉強ですが) あと「恐慌論」という科目もあります。宇野段階論の真髄を学べると思います。 3年からゼミを取ります。第2ゼミも可能なようです。 >>142 スレ違いですけど、簡単に説明します。一口で言うとIS=LM分析を「ケインズ経済学の矮小化」だとしたこと。 確かにIS=LM分析は難解なケインズ理論を高校生にでもわかるようにしました。その点ヒックスは偉大です。 しかし、IS=LM分析は均衡を前提としていますが、ケインズは一般理論でそんなこと全然言っていません。むしろ均衡状態に向かわないかもしれないとケインズ経済学の徹底的な動学化を宇沢氏は主張したのです。 ヒックス氏はケインズが一般理論で均衡状態を前提にはしていないということを十分判っていたと思われますが、エピゴーネンマクロ経済学とIS=LM分析を同一視するものが多数現れるようになってしまったのです。 それへの警笛を発した人の中では世界で最初の頃の人に宇沢氏はあたると言って良いと思います。 宇野原論は、東京だと確か東京経済大、専修大ぐらいだろうか? 法政にも宇野学派がいっぱいいたが、退任したりして今は経済史と労働経済学, 、アメリカ経済論位か…? 東大経済はある意味スゴイな! で、経済史辺りは講座派(正統派)だしね。 法政なんか、マル経崩れが近経と共謀して大部分、潰したもんな! 現総長なんか、実に怪しい。 色々なそれらしき人はいるにしても、宇野理論を理解し継承しているとは到底思えない。 ほとんどの人がマル経ですらないような怪しげな理論を振り回しているに過ぎないように思うが。 現在のところ、大学で意味のある経済学を学ぼうと言うのはちと無理があるので はないかな。独学したほうが余計な時間とお金の節約になるだろう。 私が1970年初期に、マルクス経済学を学ぶ目的で法政大学の門をくぐった頃は、経済学部のゼミは、はっきりと、宇野系、労農派(社会党系)、 講座派(日共系)に分かれていたと記憶する。もち論、ゼミの名称に○○系などと管板が掛かっているわけではないが、教授の名前などから、およそ 推察がついた。法政大学は元総長が大内兵衛であった事からも分かる様に、当時は労農派が主流であったと思われるが、 宇野理論を取り入れる学者もいて、次第に宇野経済学派の存在感が大きくなる時代の端緒だったと思う。 もっとも私は、大学に入った途端に運動の方が忙しく、内ゲバにも巻き込まれ、ほとんど授業にも出席していなかったから(→そのまま大学は退めた)、 「学問的世界」でそれらの理論がどんな風に【アウフヘーベンされた】のかさっぱり知らない。 降旗節夫とか、鎌倉孝夫とか、大内秀明等のいわば「宇野学派」名前を聞くようになるのは、その後だったような気がする。 もう法政経済もある意味で、お終いかな? 社会経済学派などは、とっくに少数派だし後継なんて居るわけがない。 そもそも、法政は院生を育てて、学内に採用するという事を避けてきた… まあ、出身大学がバラエティに富んでいるのは、面白いかともいえるが。 しかしアメリカで、Ph.D取ってきた奴ばかり採用するのはいい加減止めて欲しい。 こないだ、足利日赤循内部長 高橋暁行の尻穴 舐めてあげてたら なんか白い1cm幅位の紐みたいなのが出て きてさ。ビックリしたよ。慌てて口濯いだ。 蟯虫でしょ。こっちの舌で卵 舐めて取ってあげて、お腹に貰ったって ことでしょ。本人に言わなかったけどさ。 やんわりと別れたよ。んで、即効 病院に駆除剤貰いにいったよ。 もう絶対アナル好きとは付き合いたくない。 とてつもないトラウマ残しやがって。 恨んでやる。 降旗さんの『宇野理論の解明』(全集の第二巻だったかな)はおすすめ。 論争的な文章なので逆にわかりやすい。 あと哲学畑だけど清水正徳(宇野派唯一の哲学者)の疎外論。 宇野の「経済学は役に立たない」という言はまさに的を射ている。「価値形態論、資本の概念規定、恐慌論」等々、「商売の役」にはまったく立たないんだよね。シカゴボーイズにかぶれたMBAやFPなど…実に役立つなぁw いろんな意味でw エンゲルスを批判的に論ずる人が多いけれど初期エンゲルスの『国民経済学批判大綱』を読んでみなされ。これが資本論の根っこの部分だと思う。 すごい論文だよ。 代々木も宇野系もスルーしてるけど… >>156 でも日本の文脈では、非常に逆説的に宇野を読んだ人たちのケインズ主義的政策や 宇野的分析をベースにした経営が、一時期それなりに機能したという経緯が… >>158 「宇野的分析をベースにした経営が、一時期それなりに機能したという経緯」というのは不勉強なのでよくわかりませんが、大内力さんの国独資論は宇野恐慌論的アプローチとケインジアンの折衷というイメージです。 原論と段階論のテキストは持ってますが 現状分析の名著があったら教えてください。 『経済原論』は読んでます。 >>1 とは別ですが一橋志望の高校生です。 マルクス経済学は学説史を研究するもの以外は実際の経済政策にほとんど無関係 です。いわば、資本主義本質論の一つの考え方で、それがどうしたと言われれば それだけのことです。マクロ経済学理論、マクロ金融理論、などのほうが実践的 ですよ。 >>! >経済学部で宇野学派の理論を学びたいのですが、どこがいいでしょうか? マルクスdデモ経済学のその亜流が学びたいんだとよ、止めれ。(^o^) >>161 現状分析の名著…、あるのかな?そんなのw 宇野経済学に限らず、マル経の一番の苦手分野だと思うw とりあえず、降旗節雄先生、伊藤誠先生の2000年以降の本は現状分析。 とくに伊藤先生は変革のアソシエでも継続的に講義されているので、 マル経のアクチュアリティがわかるとおもます NP完全問題を解く量子コンピューターのアルゴリズム研究はどこまで進んでいるの? ジョブコンダクトの吉川隆二について語るスレ 吉川隆二さんのセミナーに行かれた方や行くご予定の方 ジョブコンダクトについてご存知の方や働いている方など 吉川隆二さんの魅力について語りましょう(^.^) "An Essay on Marxian Economics" by Joan Robinson >>162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/11(土) 06:25:59.08 ID:A+GR+B4b 『経済原論』は読んでます。 >>1 とは別ですが一橋志望の高校生です。 "Economics" by Paul A Samuelson と "An Essay on Marxian Economics" by Joan Robinson を読むことを薦める。邦訳も出ているが、拙訳だ。原書に★挑戦★せよ。。 http://www.age.ne.jp/x/eurms/ >>162 一橋に宇野派の伝統はない、わりと古風な正統派か、その数理派的バージョンだね 旧帝大クラスだと、いまや宇野派は東大ぐらいしか残ってないのかな サミュエルソンとかロピンソンとかは近代経済学でも古いよ 上掲の、サミュエルソンとロビンソンで、充分、事は足りる。 経済的だ。(^o^) マルクスについては『経済学批判』を読むことを薦める。 おれは「経哲草稿」はまだまともだと思うが、それはこういう訳だ。 今認知行動療法という心理療法を注目してるが、本になったのは人間の 自己効力感の実験なんだ。つまり主体性を感じること。難しいだろう がいわゆる疎外の部分的解消は経済厚生問題になるだろうよ。 それに経鉄では流通の剰余が否定されていない。 資本論の一番のミステイクは流通剰余の否定ドグマだ。 それで剰余理論が搾取理論になってしまったが企業努力・運の要素 を組み合わせて生産手段の自己増殖過程と衰退仮定も問題意識と 世界変容性、外部性を考えれば資本経済学の問題意識に追いつけるだろう。 >衰退仮定も問題意識と 世界変容性、外部性を考えれば資本経済学の問題意識に追いつけるだろう。 衰退仮定と 世界変容性、外部性を考えれば資本経済学の問題意識に追いつけるだろう。 >>172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 20:42:45.16 ID:/2G4z61s >> 拙訳?? 訳が、直訳調で、こなれた日本語になっていない!!!! こなれた日本語で拙訳と言ったら自分自身の翻訳のことジャマイカ? いちいち日本語に訳して詠むんじゃダメなんだ。 直読直解を志すんだ。 宇野経済学は国文学 近代経済学は英米文学 日本人なんだから国文学をやるべき >>176 なんだ、君の日本語能力がおかしいだけだったのか。 宇野は本当に頭悪いな こんなヤツを教祖にするなんて、東大は馬鹿ばかり 嘆かわしいわ 宇野学派をはじめマルクス経済学が隆盛を誇った時期もあったが、ベルリンの壁、ソ連邦崩壊以後はなりを潜めておったが、バブル崩壊以降再び息を吹き返した感じ。 現状では、宇野理論の流れをくむ現役教師が固まって在籍と言う大学は存在しない。思い付くまま羅列する。 武蔵大学2 清水敦教授、横川信治教授 東京大学1 小幡道昭教授 京都大学1 大黒弘慈大学院准教授 茨城大学1 新田滋教授 以上、出典は『宇野理論の現在と論点』(2010.7)より。 read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる