>>93 国によって経済学が違って当然ということを理解しているのだろうか?
基軸通貨国とそうでない国では経済学が違う 資源国とそうでない国でも経済学が違うはずなのである
例えば発展途上国で自国通貨が下落すれば致命的だが 日本では自国通貨が安くなるのを喜んでいる
技術力の差でも経済学が変わる 結局国ごとの経済学がなければおかしい
それに同じ国でも立場によって経済学の考え方が違う 例えば量的緩和はだれのためか?
国を救うため政府は言うが決してそうは思えない アメリカの投資家を儲けさせるためにやっているとも思える
マクロ経済学など政府の立場の人間に都合がいいだけとも思える 
江戸時代は過剰な競争を防いで経済を安定させていた かならず経済停滞していたと批判が出るが
確かに物がない時代はたくさん物を作るシステムを作ったものが勝ち 豊かになったが
現代は生産はもう十分なのである しかし今日も飢え死にする人がどこかにいる
一方で国家予算並みの所得を持つ者もいる 経済発展をするためには多少は飢え死にする人がいても
仕方ないのか? 現代は経済発展より有効な分配方法を考えるべきだが
経済成長が現代の経済学の中心だ 分配ができないのに経済発展を信仰するべきではない
経済発展しないと経済が回らないという神話にしばられている 別に経済発展しなくても経済は回る
江戸時代を調べてみろ ただ物がなかった時代だから今より貧しく厳しいが 決して不幸な時代ではなかった
のではないか?