・だから「所有の自由」を無条件で認めては駄目なんだって、
所有するのが国家だろうが企業体だろうが「権力をもつ自由」
 を認めるということは「他人の自由を抑圧する自由」を認める
 ということだよ。だから「所有権」は定期的にリセットしなきゃ
 行けないんだよ。
・人々がどんなに勉強や訓練して、「技術」や「知識」を伸ばしたとしても
それを「評価」するのは現状「所有者」なんだぜ?
・その時にどう言う基準で「評価」するかっていったら
 「自分にとってどれだけ利益になってくれるか?」だよ。
 「社会全体」にとってとか、「国家にとって」
 「この地域」「このコミュニティ」「この業界全体」がより良くなる
  ためではなくて、
 「(株)山田」とか「(有)鈴木」にとってどれだけ
  利益になるか。という「不特定のある1私人」がどれだけ利益になるのか
  が問われるんだよ。
  サラリーマンはそんなもののために努力しなければならない。
これが「癒着」だよ。
・だから人々の努力の方向が「特定個人」に向かないように国家はそう言った
  全ての「癒着」を積極的に排除しなければならない。
  別に国家自体が全て管理するんじゃなくて、
その「特定個人」が固定化しないように定期的に壊して入れ替える必要は
 あるってこと。そのときに「所有権」が邪魔になるわけだから、
 そもそも「所有権」なんて言うものは絶対的に尊守される
 ものではない。という前提にしないといけない。