柄谷行人は以下のように述べている。

《マルクスが経済的な下部構造を重視したのは、人間をまず自然との関係において見
るという観点をとったからです。そのために彼は、人間が自然に働きかけて財を作り
出す「生産」を重視した。さらに、彼は、生産が人間と人間の関係を通してなされる
こと、いいかえれば、一定の生産関係の下で生産がなされることを見た。それが生産
様式という概念です。
 本来、生産様式とは、生産が一定の交換や分配の形態でなされる形態を意味します。
つまり、生産があって、そののちに交換・分配がなされるのではない。ところが、
「生産様式」という表現をとると、交換や分配が二次的なものとみなされてしまいます。
 たとえば、原始的氏族的生産様式という場合、それは狩猟採集というようなこと〜
人間と自然の関係〜を指すのではありません。それは、生産物が互酬によって全員に
配分されるような生産の様式〜人間と人間の関係〜を指します。であれば、それは
生産様式というよりも、「交換様式」と呼ぶべきだと思います。》『世界共和国へ』より

ちなみにマルクスが1850年代からとった経済学的アプローチは、プルードンの影響だ。
プルードンはマルクスとの往復書簡(1846年)で以下のように述べる。

《私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出さ
れる富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。》

あるいは、
《政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する》
(プルードン「連合の原理」原著1863年,三一書房版選集第三巻339頁、定本『トランス
クリティーク』274頁 、現代文庫版267頁より孫引き)