しかし競争とのトレードオフというのはどういうことだろうか?
競争がもっとも加熱した状態が最良であると仮定しよう。
そのためには人びとはどれだけ平等であればいいのだろうか?

新自由主義者は、人びとが平等であるほど競争が犠牲になるという。
それに対して平等主義者は、人びとが平等でないほど競争が犠牲になるという。

おそらくこの均衡点は、すべての人が社会人になって市場に参加するときに
あらゆる資本を等しく持っているということ(機会の均等)になるだろう。
そういう意味では機会の均等すら実現から遠いのが資本主義の常態のようだ。