マルクスはユダヤ人差別も宗教問題も政治的に解決しないといけないと考え
さらにその政治も経済が解決すると考えた
政治的解決=経済的解決なのだ
ここで国家と経済という異なる原理が混同された

ウェーバーはそこに精神的要素を加えた
マルクスの経済決定論に対してウェーバーのそれは精神決定論とも言える
(ウェーバーは精神の優位をとなえたのであって国家の優位をとなえたのではない)

(哲学的にはスピノザまで回帰するべきだが)
柄谷はこれらの錯綜する問題意識を交換というタームを使って上手くときほぐしたと思う
計量経済学的にはカレツキのような手続きが必要だろうが