>>935
>>939
>>940
スラッファ、およびスラッファ以後

 あらたな次元で考察を展開するにいたったのは――ボルトケヴィッチ自身もそう
であったように――非マルクス経済学系のエコノミストたちであった。問題の地平を
あらためて設定するのに影響力があったのは、まずスラッファの「商品による商品の
生産」論である。
 いま、均一の利潤率(一般利潤率)をおなじくr、くわえて同様に均一の賃金率を
wとしよう。また労働量をLとし、商品の価格をpとする。そのとき、以下の一連の
等式がなりたつものとしてみる。

(Aapa+Bapb+………+ Kapk)(1+ r )+LaW=Apa
(Abpa+Bbpb+………+Kbpk)(1+ r )+Lbw=Bpb 
………………………………………………………
(Akpa+Bkpb+………+Kkpk)(1+ r )+Lkw=Kpk

 たとえば第一行についていえば、左辺のAa, Ba, Ka は、右辺の商品aの産出量Aを
生産する産業部門が、まいとし投入する商品a、b、……kの数量を示す。以下、
商品kまで同様である。
 このように物量体系と価値(価格)体系とを関連づけるとすると、そこで仮定され
た標準体系にあっては、投入される商品と産出される商品の物的構成比がひとしい。
標準体系においては、それゆえ、費用価格を生産価格化したとしても、投入の側に
あらわれる商品と、産出の側にあらわれる商品の双方で、商品の構成比が同等である
ことになる。したがって価値と生産価格との乖離は存在しない(相殺される)はこび
となり、いわゆる総計一致命題が成立するしだいとなるだろう。
 スラッファの標準体系は、こうして、その全体が生産的であり、純生産物のみを
産出する。個々の商品種は別種の商品の生産財であるか、純然たる消費財であって、
そのけっか体系総体は「自己補填状態」にある。このような標準体系によって産出さ
れる、 一種の合成商品がスラッファのいうところの「標準商品」にほかならない。
 スラッファの標準体系モデルは、いわゆる静学的モデルを提供しているだけではなく、
その理論全体がけっきょくフィクショナルな前提にもとづいているようにも見える。
スラッファ以後、問題となったのは、この点である。
 これに対して、たとえば置塩信雄は、(ボルトケヴィッチが継起主義的な方法とし
て斥けた)反復的アルゴリズムを――価値に対応する価格ベクトルRから出発し、
市場生産価格Pへといたる過程をマルコフ過程をもちいて――定式化することで、
総計一致命題(総価値=総生産価格)を導出し、さらにまたモデルそのものの動学化
をはかった。その後マルクスとフォン・ノイマンを接合し、いわゆる「マルクス‐フォン
・ノイマン体系」を構築することで、森嶋通夫が問題に動学的な解決を与えるにいたった
ことも、よく知られているところだろう。