マルクス経済学 第4章
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◇過去ログ マルクス経済学 第3章 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/economics/1504824267/ マルクス経済学 第2章 http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/economics/1407899652/ ◇資本論の主な翻訳 ・岡崎次郎訳『資本論』(大月書店、1972年) ・資本論翻訳委員会訳『資本論』(新日本出版社、1982年) ※分担訳 ・中山元訳『資本論』(日経BP、2011年) ※第1部のみを訳出したもの ・今村仁司ら訳『資本論』(筑摩書房、2005年) ※第1部のみを訳出したもの なお、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫、1969年)がよく読まれているが、これは上述した岡崎次郎が翻訳したものを、向坂逸郎の名で出版したもの。 このスレ的にはケインズってどうよ?? あるマル経学者が「3大経済学者といえば、マルクスとけいんずとシュンペーターだ」とか言っていたが。 『ケインズ「一般理論」形成史』(浅野栄一135~6頁)によると、1933年末には ケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据えることを明示的に表明す るに至ったという。 全集第29巻に収められた[1933年『一般理論』草稿#2]では、 ケインズはさらに、有効需要問題を処理する際の彼の新しい分析視角のひとつ を明確化している。 1933年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは、経済学説史に関す る著書『価値論と景気循環』を出版したが、たぶんみずからの理論の想源を調 べていたケインズはただちにこれを読み、そのなかのマルクス理論の解説部分 からヒントを得て、草稿でつぎのように書いていた。 《協同体経済と企業家経済の間の区別はカール・マルクスによってなされた意 味深長な観察と若干の関係をもっている。》 それによると、マルクスは、現実世界の生産の性格が、経済学者たちがしばし ば想定しているようなC一M−C′(商品一貨幣一他の商品という交換)のケ ース――これは私的消費者の観点からのものである一一ではなく、M−C一M ′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース――これが事業の態度 である――であることを指摘したが、この指摘はケインズの想定する企業家経 済を分析する際の重要な視点を提供している、というのである。 この商品と貨幣との交換過程に関する範式は、もともとマクラッケンが、剰 余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を、 『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解 説したものであり、マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用して いたのであるが、ケインズは、この範式に独自の解釈を施し、それにマクラッ ケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関 する分析の内容を盛り込んで、つぎのように主張する。それによれば、前者の 範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり、そこでは、 《企業家の生産過程開始への意欲は、彼の取り分となると期待されるものの生 産物表示での価値量に依存する、すなわち、彼に帰属するより多くの生産物へ の期待のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる》 と考えられている。しかし、 《企業家経済の下では、これは企業打算の性格についての間違った分析である 。企業家の関心は、彼の取り分となる生産物の量ではなく、貨幣の量にある。 彼は、産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができ ると期待するならば、たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとし ても、その産出量を増加させるであろう。》 (参照:ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,p. 81~2) マルクスのケインズへの影響はカレツキと似ている。バーナード・ショーへの 手紙におけるマルクス批判*(邦訳ケインズ全集28巻)などは擬態だったということ になる。邦訳を望む。 (13,14の補遺だから29はそのあとか。14は2016年邦訳が出た。) * 邦訳ケインズ全集28:55頁より バーナード・ショー宛て、1934年12月2日 … 私の『資本論(Das Kapital)』についての感じ方は、『コーラン』についてのそれと同じです。私は、そ れが歴史的に重要であることを承知しており、また多くの人々ーーそのすべてが馬鹿者ではありませんが、そこ に或る種の「千年の岩(Rock of Ages)」(訳注:賛美歌)と霊感の内包を見出していることも知っています。しかもなおそれに目 を通すとき、それがこのような効果を持ち得ると自らに説明することが出来ないのです。その退屈で時代遅れのアカ デミックな議論は、目的のための材料として、余りにも不適切なように見えます。それにしても、私が申し上げたよ うに、『コーラン』についてと正に同じものを感じます。いったい如何にして、これらの書物の双方が、世界の半ば をめぐって、戦禍を齎(もたら)し得たのでしようか? そのことが、私に衝撃を与えます。私の理解には、明らかに、或る種 の欠陥があるでしよう。あなたは、『資本論』と『コーラン』の双方を信じますか。或いは「資本論」だけですか。 しかし、後者の社会学的価値がどうあれ、その現代的な経済学的価値は(時折の、しかし非建設的で非連続的な洞察 のひらめきは別として)ゼロです。あなたは、それを読み直す約束をされますか、もし私がそうするとして....? ご健康を念じつつ。 常にあなたの J・M・ K ** 以下、61~2頁より ジヨージ・バーナード・ショウ宛て、1935年1月1日 親愛なるバーナード・ショウ お手紙ありがとうございます、私は努力してあなたの言葉を心に留めましよう。あなたが言われることにはーー通 常そうですから何かがあるに違いありません。しかし、私は、先週、出版されたばかりのマルクスーエンゲルス 往復書簡集を読みつつ、昔のカール・マルクスに別の光を当ててみたのですが、大きな進展はありませんでした。私 は二人の中ではエンゲルスの方を好みます。私は、彼らが研究遂行の或る方法と執筆上のひどい仕方ーーその双方を、 彼らの後継者たちが忠実に維持してきたのですがーーを発明したのを見ることができます。しかし、もしあなたが私 に、彼らは経済の難問に対する解決の手がかりを発見したのだとおっしやるなら、やはり私は困惑しますーー私は時 代遅れの議論以外の何ものをも見出し得ないのです。 しかしながら、私の心境を理解して頂くためには、私が、世界の人々の経済問題についての考え方を恐らく今 ただちにではなく、向こう10年間のうちに大きく変革すると思われる経済理論に関する書物を書いていると自 ら確信していることを、あなたに知って頂かなければなりません。私の新しい理論が正しく理解され、政治や感情や 情熱と混ぜ合わされたとき、行動や事象に及ぼす影響において、どのような最終的結果を齎すか、予見することはで きません。しかし大きな変化が起こるでしょうし、なかんずく、マルクシズムのリカード的基礎は打ち壊されるで しょう。私は、このことを、現時点であなたが、或いは他の人々が、信じて下さるとは期待し得ません。しかし、私 自身としては、私の言っていることは単なる希望ではないと思っていますーー心中、私は完全に確信しているのです。 リディアが、あなたとシャーロットによろしく、と。 常にあなたの J・M・ K 参考: 《…カレツキは、以上みた論文Kalecki[1968]*の最後の部分において、マルクスの『資本論』第3巻、第15章のい わゆる「剰余価値の実現」の問題を論じた一節「直接的搾取の諸条件と剰余価値の実現の諸条件とは同一で はない。‥‥‥‥」を引用して、「マルクスは、明らかに、資本主義の動態に対する有効需要の影響を深く認 識していた」としつつも、「彼は、彼の再生産表式によって叙述されている過程を、有効需要の問題の帰結 として資本主義に内在する矛盾という観点から体系的に吟味することをしなかった」と、マルクスにおける 『資本論』第3巻の「剰余価値の実現」の問題=「有効需要の問題」と第2巻の再生産表式論との関連の未 展開を批判する。》 http://www.unotheory.org/news_II_8 栗田康之 :カレツキの資本主義経済論―マルクスおよび宇野理論との関連で―(PDF形式:563KB) *("The Marxian equations of reproduction and modern economics"1968 「マルクスの再生産の方程式と近代経済学」1968,1991未邦訳 (簡単に言えば、カレツキはマルクス再生産表式の生産手段(生産財)部門をさらに二つ にわけることで有効需要の概念をケインズに先駆けて定式化した。マルクスの表式のままだと 2階級間の階級闘争しか見えてこない) 参考文献: 「ケインズ革命」の群像―現代経済学の課題 中公新書(1991/7) 根井 雅弘 (著) カレツキを紹介した第4章「『一般理論』の同時発見?」が重要。 わかる現代経済学 (朝日新書)2007/12/13 根井 雅弘 (編集) 現代イギリス経済学の群像―正統から異端へ 単行本(1989/4/27) 根井 雅弘 (著) 国有企業なんてフレーム無理さ。国債運用の方がお得。 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳 法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は 国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます 法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25) https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB (続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10) https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V >>101 ケインズはいいけどシュンペーターをイノベーションとかで持ち上げてるやつは何やらせてもダメな子 ケインズの代表作とされる 雇用・利子および貨幣の一般理論は、現代的妥当性がどれだけあるのか? >>98 中国共産党は「走資派」が実権を取り戻した後は 資本主義を急進的にバックアップしてきたよ。 もちろんある部分は社会主義的にコントロールされているが、 べつの部分では時としてネオリベだとすら言われるくらい。 そこで走資派政権への反発として毛沢東派がくすぐっていたりする。 ケインズはマルクスに対して冷ややかな言動しか遺していない。 そこを深読み・裏読みすればいろいろな解釈がありうるが、少なくとも言動的にはそう。 それに対してシュンペーターはマルクスに対してそこそこ好意的な言動を遺している。 労働価値説は長時間労働是正に役立ちそうな気がするんだがどう思う? シュンペーターは新訳が出たから読んだけど冒頭がちょっと簡単なぐらいであとはかなり難解でよく分からなかった >>114 実証的見地と規範的見地を混同したらダメだよ マルクスとケインズはケインズ本人よりもポストケインズ派とのつながりの方が大きいね カレツキとかロビンソンとかスラッファ(withグラムシ)とか イタリア、フランスの貨幣循環学派とか カレツキがやったようにマルクス再生産表式から有効需要の原理は導き出せるのだから マルクス経済学と近代経済学との間にたいした齟齬はない 限界効用理論との対立もそれぞれ微分と積分に対応するに過ぎない ただし労働組合の意義をどう捉えるかが問題でこれには素朴な集合力理論に立ち還る 必要がある 協同組合と労働組合の齟齬などはラッセルは指摘しているのにマルクス主義者は無自覚だ 代替案を提示していない プルードンとマルクスを対立関係に捉えない柄谷行人に唯一の希望がある >>119 レオンチェフの産業連関表を再生産表式から考案した。 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳 法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は 国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます 法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25) https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB (続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10) https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V 労働価値説は資本主義システムを支えている性質であって、 共産革命は労働価値説を終わらせるための革命になるはずだ、 とマルクスかエンゲルスが考えていたとしたら、 あるいはマルクス主義者のどなたかが考えていたとしたら、 なかなか面白い。 >>122 「共産主義革命後の社会でも価値法則は通用するか?」という問題がソ連で1920年代に論争になったことがある。 結局、「価値法則は消滅する」と言った連中は肉体的に消滅させられ、「通用する」と主張したスターリンが勝った。 北海道で社会問題化しつつある中国人による土地買い占めの現状を 中国の首相がわざわざ北海道を訪れることで正当化しようという ナチスヒトラーのような悪の狙いがある 北海道知事はもっと真剣に中国人による土地買い占め問題を解決しなさい! 産業関連表や産業関連分析について詳しく網羅的に書いてる本を教えてください 英語か日本語の本でお願いします >>126 宮沢健一先生か新飯田宏先生の「産業連関分析入門」 計画的に生産すると、食材の男女差、年代差、洋品洋服の買い違えが増え 時間的な経済的なロスとなりました。自由な選択肢がないために、 届かない商品を、どう保存調理するか、製品のリメークや血統的価値を高める 何かがあるので、まだ経済学は続きます。他人を受け入れず自分でいる 自由資本主義経済も必要ということです。 それでいても限界効用説は難問中の難問でしょうね。経済分野以外の古典に残る。 >>126 filetype:pdf Wassily Leontief input-output contents edition filetype:pdf input-output analysis contents edition などでググってみるんだ。 総務省 産業連関表 http://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/data/io/index.htm Good luck with your study. Python向けにPyIOというモジュールがあるらしいね。フリーで。 何だっけ? 資本主義的生産と消費の矛盾つまり商品の過剰、もしくは資本の過剰か、といったプレトラを軸に景気循環(好況、不況、停滞)を説く方法があったよね。 されどマルクス|日本評論社 https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7742.html 定価:税込 1,296円(本体価格 1,200円) 発刊年月 2018.05 判型 B5判 124ページ 内容紹介 2018年はマルクス生誕200周年の記念イヤー。いまマルクス経済学およびマルクス主義的な アプローチの魅力と有用性を問う。 【日本評論社創業100年記念出版】 目次 1 対談:現代の経済学とマルクス 佐々木宏夫(早稲田大学) × 吉原直毅(マサチューセッツ大学) 2 総論:マルクスと現代 1. 労働価値説讃歌 サイモン・モハン(ロンドン大学クイーン・メアリー名誉教授、訳:斎藤幸平(大阪市立大学) 2. マルクスの経済成長及び所得分配に関する理論の重要性 アミタバ・K・ダット(ノートルダム 大学政治学部) 訳:村上弘毅(中央大学) 3. マルクスと現代ミクロ経済学 サミュエル・ボウルズ(サンタフェ研究所)訳:金子創(大分大学) 3 マルクスと現代的政治経済学 4. 搾取理論 吉原直毅(マサチューセッツ大学) 5. 資本理論と要素所得分配論 黒瀬一弘(東北大学) 6. 景気循環論 大野隆(同志社大学) 7. 経済成長と所得分配 新古典派成長理論とポスト・ケインズ派成長理論 佐々木 啓明(京都大学) 8. MEGA研究から見える新たなマルクス象 佐々木隆治(立教大学) 9. フェアトレードとマルクス経済学 大野敦(立命館大学) 10. マルクス主義哲学における規範理論の展開 松井暁(専修大学) 11. 行動マルクス経済学の可能性 川越敏司(公立はこだて未来大学) 4 マルクスと現代資本主義論 12. 金融資本主義論:西部忠(専修大学) 13. レギュラシオン理論:マルクスとケインズを超えて 植村博恭(横浜国立大学) 14. グローバル経済論:グローバル金融危機・経済危機と「グローバル恐慌」論 河村哲二(法政大学) 15. 世界システム論:資本主義の脱問題化に抗して 山下範久(立命館大学) ゲゼルマネーにつながる認識 中期マルクスに可能性はある?? マルクス『経済学批判』第一部 資本について 貴金属 http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/DME/KeiHi1.html#KEIHI1124 … 貴金属の高い価値比重、恒久力をもち、相対的意味では破壊されず、空気にふれても 酸化しないという性質、とくに金のばあいは王水以外の酸には溶解しないという性質、こうし たいっさいの自然的属性が、貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料たらしめている。だからチョ コレートが非常に好きであったらしいペテル・マルティルは、メキシコの貨幣の一種であった 袋入りのココアについて、つぎのようにのべている。「おお、いみじくもよき貨幣よ、おまえは 人類に甘美にして滋養のある飲物をあたえ、その罪のない所有者を、貪欲という業病から まもってくれる。なぜならば、おまえは、地中に埋蔵されることも、長く保蔵されることもでき ないのだから。」(『新世界について』《アルカラ、一五三〇年、第五編、第四章》。) … 最後に、金銀が、鋳貨の形態から地金形態に、地金形態から奢侈品の形態に、またその 逆の方向に転化されうること、それゆえひとたびあたえられた一定の使用形態にしばられ ないという、ほかの商品よりすぐれた点をもっていること、このことは、金銀を、貨幣という たえずひとつの形態規定性から他の形態規定性に転じなければならないものの自然的な 材料たらしめるのである。… (前半を『されどマルクス』2018,94頁で実験経済学の川越敏司が引用している) 855 :考える名無しさん:2014/04/23(水) 02:22:55.80 0 最後に、親愛なるカルヴィーノ(引用者注:イタリアの著名な小説家)、君にひとつ言っておきたい、 モラリストとしてではなく、分析者として。わたしの主張に対する『メッサッジューロ』紙上の君の性急 な答えのなかに、二重に不幸な一言が思わず漏れている。この一節だ。「今日の若いファシストをわたしは 知らないし、かれらと知り合う機会が訪れないように願っている」しかし、当然ながら、君にはこう いった機会は訪れないだろう。これは、列車のコンパートメントや店の行列で、路上で、パーティーで、君 が若いファシストと出会ったとしても、"君がかれらを認識しない"からでもある。若いファシストと 一度も出会わないことを願うのは冒漬的だ。なぜなら、反対に我々はかれらを見つけだし、出会うために あらゆることをしなければならないからだ。かれらは宿命として予定された〈悪〉の代弁者ではない。 "かれらはファシストになるために生まれてきたのではないのだ"。だれも----かれらが青年になって、 どんなものかはわからないが、なにかの理由、あるいは必要性にしたがって選択できる状態になった とき----かれらに民族主義者としてファシストの格印を押すものはいなかった。ひとりの若者をこう いった選択に走らせるのは、絶望と焦燥の残忍な形なのだ。そしておそらくかれの運命を違ったもの にするには、かれの人生におけるささいな別の経験、たったひとつの出会いだけで、十分だったことだろう。 (パゾリーニ「海賊評論(一)"68年"その後」『現代詩手帳』大辻康子訳、1998.7より) 数式の暗唱が苦手だから筆記理論死に遅れ先行から後塵排したのか? オマエ後二度トクレーム一切無インダロ?後積ンデル死 虐待薬害死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ 100件以上介護保険税金泥棒マダ殺ッテマス100 森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難 郡大老害モヤシテ違反重々ヤット麻薬王振戦ストレス足ダシ爆発公害山口炉ウドモヤンキーノ種死ネ世 https://potato.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1450587285 >>69 馬鹿だから文章を書くのが下手なだけとも言えるし 逆に分かりやすい文章を書いたらアホが一発でばれちゃうかもと警戒してるんだよ 良く分からんが小難しい事言ってるらしいなと大衆を騙して金を巻き上げる詐欺師なんだよ 投資詐欺と一緒 >>136 松井暁86,7頁 史的唯物論: 上部構造A 上部構造B ↑ ↑(3) 生産関係=土台A 生産関係=土台B 生産様式{ ↑ ↑(2) 生産力=A → 生産力=B (1) 社会発展の過程: 上部構造 F F F K K K C 生産関係 F F K K K C C 生産力 F K K K C C C 社会構成体 mF lF eK mK lK S C F:封建主義、K:資本主義、S:社会主義、C:共産主義 e:前期、m:中期、l:後期 https://twitter.com/toshijikawagoe/status/945164117182103552 ToshijiKawagoe (@ToshijiKawagoe) 2017/12/25 14:27 『経済セミナー』増刊号「されどマルクス(仮)」のための原稿「行動マルクス経済学の可能性」が ついに完成しました! たぶん、実験・行動経済学の観点でマルクス経済学を考察した世界で初 めての試みだと思います。来年は、この内容を敷衍して本にしたいところですね。岩波書店さん とかどうですか? https://twitter.com/toshijikawagoe/status/998773474616262658 ToshijiKawagoe (@ToshijiKawagoe) 2018/05/22 12:52 経済セミナー増刊「されどマルクス」に寄稿した「行動マルクス経済学の可能性」は、 ちょっとサービス精神旺盛に書きすぎた気がする。 また、脱経済したよ、凄いペースで、家計が小さくなっていく、快感や 家計の個別化、小型化に成功したら、その状態から、自然観を用いて更に質素かつ最大の幸福を目指すのだ。 統合失調症は経済学の敵だ 金もちになると、毒を買う可能性も増えるよ。 カケナケレバ、ウシナウモノハナイ プロレタリアは革命において鉄鎖のほか失うべきものを持たない。 川越敏司には、『現代の金融と地域経済 下平尾勲退官記念論集』( 新評論,2003)所収 「非耐久財は貨幣となりうるか?実験研究によるアプローチ」なる論考がある。 この川越敏司の論考はほとんど地域通貨の基礎理論に読める。 効用/生産コストなる指標はよくわからない。 擬似貨幣を所持している間にいかに生産力を上げるかということだろう。 《つまり、メキシコではココアのような耐久性のない財が貨幣として用いられていたのである。 しかし、マルクスは、自分自身が挙げている貨幣となる財が備えるべき条件のうち、特に耐 久性という側面について劣ったココアのような財がなぜ貨幣になりえたのか、そのための 条件は何か、といった問題には深入りしていない。》151頁 川越敏司が主に参照したのは以下、 Nobuhiro Kiyotaki and Randall Wright,“On money as a medium of exchange,"Journal of Political Economy,Vol.97,1989,pp.927‐954 https://pdfs.semanticscholar.org/18cc/744c0c60869ae32b80a453542dcd126e8574.pdf ココアみたいな目くらまし使わなくても江戸期の米穀で十分だろう。 仕事してるふりは恥ずかしいからやめようず(´・ω・`) >>147 @研究にいそがしいので実業に手をだすひまがない Aマクロ経済(国富)に興味があり、自分自身の経済的境遇に興味がない Bじっさいカネモチである このいずれかだね >>153 実験経済学は解釈するだけではなく実際にまず実験をして新たな経済を創り出す 近代経済学におけるフォイエルバッハテーゼみたいなものだ 当事者が実験を自覚しているから歴史上民衆を実験台にしてきた権力者とは違う 米本位制は優れていたがそれは再現できないし、数値的に検証されていない (効用/生産コストが明確ではない) 佐藤優などが証言するタバコ本位制なども価値形態論的には 多くの示唆を持つが数値的に検証されていない 川越敏司の言う行動マルクス経済学に刮目する価値はある 結論はゲゼルマネーの有効性ということになると思うが (その前に信用組合、社倉などが整備されるべきだろう) 第12章非耐久財は貨幣となりうるか? 実験研究によるアプローチ 《…これまでの歴史上、耐久的ではない財が貨幣として用いられた例が幾つか報告されて いる。例えば、ガテマラの卵、ノルウェーのバター、アメリカ合衆国のタバコ、米、肉、エンド ウ豆などである(3)。こうした現象に果たして経済学な根拠があったのか否かを探求する ことは興味深いことであると思われる。 本論では、サーチ・モデルによって交換手段としての貨幣の発生について研究したKiyotaki and Wrightのモデル(4)をもとに、耐久性のない財がどのような条件で貨幣になりうるのかを 探求したCuadras-Moratoのモデル(5)について実験室実験を行い、耐久性のない財が実際に 貨幣になりうるのか否かを実証した実験結果を報告する。》 (3)Paul Einzig,Primitiwe Money,Oxford:Pergamon Press,1966 (4) Nobuhiro Kiyotaki and Randall Wright,“On money as a medium of exchange,"Journal of Political Economy,Vol.97,1989,pp.927‐954 https://pdfs.semanticscholar.org/18cc/744c0c60869ae32b80a453542dcd126e8574.pdf (5)Xavier Cuadra-Morato,“Can ice cream be money?:perishable medium of exchange,'' Journal of Economics ,Vol.66,1997,pp 103-125. https://www.researchgate.net/profile/Xavier_Cuadras-Morato/publication/5150086_Can_ice_cream_be_money_Perishable_medium_of_exchange/links/0fcfd5135cd530b45b000000/Can-ice-cream-be-money-Perishable-medium-of-exchange.pdf?origin=publication_detail >>147 それは杉本栄一先生が著書「近代経済学の解明」の緒言の中で取り上げている話だ。 先生曰く「うちのお隣の奥さんに『先生は経済学者なんだからお金儲けはお手のもんでしょう?』と聞かれてそれを否定するのに困った。お金儲けと経済学は違うんだ。」と。 >>144 マルクスとキリスト教てのは寄生虫みたいにいろんな思想を取り込むよな そんなんだから情報商材のねずみ講って言われるんだよ 日本大学商学部経営02クラスの男子にストーカーされてます。いつでもこっちを見てきて話題にしてきます。 どうすればいいですか?きもい 納税者とはいうが、借金がある状態で税金を納めても、本質てきには、融資しているものの金で税金を納めているわけであり、もともと本人の金ではない。 税とは、作ったもののことである。 >>167 あくまでも、嘘なんだけどね。 法律上の正論のゴリ押しは、左翼、右翼を作り出してしまうことだろうから。 スベテノ、タテモノワ、ロウゴクトカス。 しかし、多くの人間は、これが最も強くて権威があるズルい稼ぎかただと言う触れ込みで、法律を知ろうとし始めるだろう。 彼らにとっては休日すら、牢屋かも知れない。 働かなくても、食っていけるようになって感じたことは、ただ尊重したい他者の近所に住んでたいだけという欲求が残り、もの、能力、などはどうでもいい それが全部というわけでわないのだが、人格で他者を見る、普通の世界に帰って来た フリードマン、ルーカス、ケインズってそんなに大きく距離があるんだろうか? 距離がないからニューケインジアンが存在できるんだよね? 《「フリードマン教授が新ケインズ派との決定的な理論的相違だと考えるものを知って,わたしは 大いに驚いた」*.フリードマンはたった1つ「欠けていた方程式」を新ケインズ派のIS-LMモデル にのせただけだった.生産と価格の短期的な関係を示す式だ.同じように,マクロ経済学の 合理的期待形成革命は,マクロ計量経済モデルにはほとんど影響を与えないことが多く,単に 自分のモデルの合理的期待形成「変種」を提示しただけだった》 アカロフ アニマルスピリット はじめに 注4より トービンの引用 * Tobin, James. 1972a. “Friedman's Theoretical Framework.” Journal of Political Economy 80 《ケビン・フーバーがフリードマンの業績をマーシャル的、ルーカスの業績をワルラス的という ように方法論的に区別したのは、全体として正しいと思う。》 フリードマン自身の証言 http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20080707/1215429146 『マクロ経済学はどこまで進んだか』より (価格の変動を通して、需給が均衡することをワルラス安定といい。 均衡への収束が生じないケースはこれに反してワルラス不安定と呼ばれる。) ただしケインズとともにフィッシャーが重要 貨幣数量説はフィッシャーの実体重視に立ち戻るべきだ またケインズが『「一般理論」形成史』(浅野栄一135~6頁)にあるように、 ケインズが間接的にマルクスの影響を受けているのは事実だと思う >>175 うん、難解でクセがあり過ぎてハマる人と拒絶反応示す人とに二分されるよ。 最近の単著は「マルクスはいかに考えたか」 > 本書は、難解である自分の理論をあろうことか少年少女向けに語ろうとの破天荒な試み・・・から始まっている。 なので、最初のうちは、太郎と花子との物語を例にとるという工夫(?)が見られるのだが、筆者自身も告白しているとおり、そんなことは不可能であることが早々に自覚され、 途中からわかりやすさはかなぐり捨てられて、研究者でもほとんどちんぷんかんぷんないつもの有井節が炸裂する内容になっている。 わろた。読める気がしない >>176 フリードマンはヘリコプターマネーとか負の所得税とか右派でなく左派じゃないか? 金本位制を前提に設計されたケインズ理論をうけついで管理通貨制度のもとで 拡張していかなくっちゃいけなかったわけだから、理論的にはいろいろと混乱して いるところがあるのはしょうがない。ましてや為替制度もフリードマンの初期の ころはドルペッグだったわけで。制度が変われば前提となる理論も変わらざるを えないのに、経済学のばあいはまだ実施されて定評のえられていない段階から どうなるかを予測して論証することが求められるわけだから難しい。 金本位制の時代なら中央銀行が政府公債を買い入れて紙幣を発行するなんて ありえない選択肢だったし、変動相場制のもとで政府が赤字国債を増発したら 通貨高になって金利は上がらないとかケインズの文脈からは読み取れるはずが ない。そんな制度はケインズの時代には実施されてなかったんだから。 >>136 日本のPolitical Economy研究者ってモデラーばっかりな印象 >>176 距離がないんなら「反ケインズ革命」と呼ばれるわけがないやろ ニューケインジアンは新しい古典派と共通点が大きくて前者はもはやケインジアンとゆーよりただ後者に政府介入的要素を加味しただけの代物やろ New Neoclassical Synthesisなんやから >>180 ヘリコプターマネーは財政政策ではなく金融政策 政府を介在させずばら撒こうとしている 貨幣数量説の完徹であり政府を否定するもの だからベーシックインカムとも違う ちなみにイラク強硬派ネオコンがトロツキストの生き残りだから左右の レッテル貼りは国内感覚に依拠するとずれる >>187 政府紙幣で負の所得税をやりましょう。(潜在生産力−需要)分だけ紙幣は刷れる。 >>187 > ちなみにイラク強硬派ネオコンがトロツキストの生き残りだから トロツキー自身は彼らを批判したんじゃなかったかな。 で、その論争で決裂してネオコンへと転向した「転向組」だから 「トロキストの生き残り」という言い方はどうかなあ? それを言い出したら、日本の戦後の保守論客の中には元左翼、 元共産党系の転向組がいるはずだよ。 新しい歴史教科書をつくる会の創始者の一人、藤岡信勝さんは元共産党員だったんでしょ? だからって新しい歴史教科書をつくる会は共産主義の一派だということになるのかな? ネオコンそのものがトロキズムに起源をもつというのはかなり誇張した言説で 違う政治的意図に促されたもののように思える。 例えばウィキペディアのネオコンの項目でPeopleとして挙げられている中で 元トロキストはJames BurnhamとIrving Kristolという人物といわれている。 James Burnhamは典型的な自主的転向組で、マルクス主義の理論は誤りだと宣言して トロツキーと袂を分かっている。 Max Shachtmanの名もある。彼の思想的後継者の多くがネオコンになったとある。 https://en.wikipedia.org/wiki/Neoconservatism トロツキー自身が遺した言葉の一つにこんなのがある。 「マックス・シャークトマンは報道陣の前で「トロキスト」と自称したが、 彼がトロキストであるならば、私はトロキストではない」と。 本当か否かしらんが、マルクス自身も「(巷に現れたマルクス主義者にたいして)私はマルクス主義者ではない」 と言ったとか。 >>189 戦後どころか戦前にもいた。赤松克麿とか。 戦前の転向は、思想警察に投獄された上での思想改造によるものじゃないかな? ごめんね。脳腫瘍のせい(?)でヒューマンエラー連発だわ。お恥ずかしい。 >>195 赤松は第1次共産党の時だから思想改造はそれほどなかったのでは? 思想改造は第2次の鍋山貞親や佐野学とか。 >>190 マルクスが私はマルクス主義者ではないと言ったのと同じだろ トロツキーはそれをそのまま猿真似しただけで何の意味もない代物 マルクスのあの名言使えるチャンスが使う日を毎日うかがっていたトロツキーらしいアホさ >>192 エンゲルスは資本家だからな マルクスも労働者を影で馬鹿にしながら利用してた この二人は貧困ビジネスを主催してただけ 情報教材売ってるねずみ講と何も変わらない 資本論もマルクスが書いた箇所は意味不明のエッセイみたいなもので エンゲルスの書いた第2部でようやく経済学書としての体裁がととのったという ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる