マルクス経済学 第4章
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岩井克人『資本主義を語る』
http://tetsusala.seesaa.net/article/400611103.html
(「貨幣の起源」に関して、柄谷行人氏との対談「貨幣・言語・数」の中で、岩井氏は次のよう
なことを語っています。)文庫版197-9頁
《柄谷 …震撼させられたという思いがしたのは、マルクスではなくて、鈴木鴻一郎の『経済学
原理論』だった。…ぼくのマルクスの読み方は、宇野弘蔵よりも鈴木鴻一郎を経由しているもので、
はじめから「信用」の問題なんです。
岩井 ぼくは、鈴木鴻一郎の講義を一度聞いて、マルクス経済学をやめたんですよ(笑)。
柄谷 ぼくは、講義なんか一度も出ていないもの(笑)。…
岩井 …ぼくがやったというのは、結局、鈴木鴻一郎のいう信用過程が終わって後ろからすべてを
見直して、信用過程を最初の流通過程にくり込んだということな のかもしれません。マルクスの
場合、「労働価値説」という不可能性のコアをもっていて、「真理」への到達がつねに遅れてしまう
から、どうしても俗な意味で の「弁証法的」な展開をしてしまうわけです。ぼくの場合は、その
「労働価値説」という不可能性のコアがないから、無限の時間を、無限そのものを今ここで実
体化している「貨幣」の問題の一つの派生的な問題として処理することができたわけです。…》 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20090605
柄谷行人 政治を語る
作者: 柄谷行人,小嵐九八郎 出版社/メーカー: 図書新聞
発売日: 2009/04
[試験のために読んだ]鈴木鴻一郎の『経済学原理』で、はじめてその体系性がわかったのです。
ふつう『資本論』というと、第一巻・第二巻しか読まないですね。ルカーチもアルチュセールも、
第三巻を読んでいない。少なくとも精読していないということは明らかです。じつは僕もそうだった。
試験があるから、精読してはじめて『資本論』が体系的な著作であることに気づいたのです。
第三巻は信用過程を論じています。第一巻・第二巻しか読まないと、『資本論』が、資本主義経済
が「信用の体系」だということを論じていることがわからないのです。ふつうは、第一巻を読んで、
資本は労働者から剰余価値を搾取しているというようなことで、資本主義を理解する。そして、マルクス
はそういうことを書いているのだと思う。しかし、その程度のことなら、マルクス以前のリカード左派
の人たちが書いています。彼らは「搾取」や「賃金奴隷」という言葉も使っていた。マルクスの独自
性は、そういうところにはないのです。
(略)
[宇野の『経済原論』は必須科目、左翼でない者もそれを学んで、官庁や大企業に行った]
宇野がいったのは、君らは何をしてもよい、しかし、資本主義には根本的な弱点がある、恐慌は不可避
的だ、それを覚えておけ、ということです。宇野経済学を学んだ官僚や企業幹部が、その後それをどう
活かしたかは知りませんけど、市場経済万能論を学んだ人たちよりはましでしょうね。いまのように
恐慌が起こると、途端にうろたえ、資本主義が終わる、なんていって騒ぐ人がいますが、資本主義が
自動的に終わることはない。国家と資本は何をしてでも生き延びようとしますから。 >>775
やっぱり柄谷行人ってハッタリだけだなあ >>774
しょうがなく経済学者やってる数学徒崩れが幅きかせてる業界で何をいまさら 数学は学術だがマルクス主義はイデオロギーというかもはや宗教だろ。 マルクスも常勝東洋経済限らないし毒見も大事だ。レヴェルが低いものまで背負っているし。 >>778
宇沢弘文は数学ができるが竹中平蔵は数学すらできない。 >>779
置塩信雄と大西広と松尾匡は数学と宗教を接着させる。 神が存在するという公理から出発して演繹的に矛盾なく構築された宗教ができたとしても
少しも驚かないけどね。 >>775
AI・ロボット化が進み労働者ノンなら労働価値説はなくなるな。 労働価値説って、要するに、たくさん労働しないと作れないものは、少ししか生産できなくて供給が限られてくるから結局、値上がりするっていうだけだよね
逆に簡単な労働で作れるものは大量生産できるから、過剰供給されて、値が下がる
結局、需要と供給が値段を決定するといってるのといっしょじゃん
労働量は、需給の給に影響するってだけでしょ
でも、いくら労働しても、需要がないものは値がつかないから、値段をつける本質的要素じゃないよ
労働者もがんばってるんだ、もっと尊重しろという、アピールのための概念でしょ、労働価値説 おそらくはもっと観想(エッセイ)的な把握だったと思われる。ロンドン郊外に
ストーンヘンジを移設したりピラミッドを新築するような公共事業でさえ価値が
あり国富の拡大につながるとウィリアム・ペティは言ってる。労働価値説といえば
アダムスミスから開始しがちだが、その1世紀前にすでにこういった社会観想が
堂々と述べられていたわけだ。そして政治経済学(現代でいうマクロ経済学・
political economy)はこういった観想を精緻化していく過程で発展してきた。 ペディの視点はおそらく「戦争をすればなんとなく景気がよくなる」といった程度の観想の延長に
「公金を投入して巨大建築に従事させれば景気がよくなる」といった程度の労働価値説の実感や
確信が先にあって、そこから先に踏み込むようなスタンスでは無かったと思われる。
これを個々の商品の「価値」にまで織り込もうとしたのがマルクスで、結局その試みは上手く
行かなかった。主流派マルサスやJSミルはそんな哲学的煩悶とは無縁に、たんに労働契約
を価値の源泉のひとつにおいて最低賃金に注目しはじめ、結局これは国民所得という概念に
集約されていった。労働市場において重要なのは労働契約であって、労働者が何を現実に
作り出すかは雇用主の投資判断であって、それは所得の問題ではなく投資の問題になるのね。
マルクス的労働価値説はその解剖に失敗したといえる。 >>787さん、そこまで考えを巡らせるならばいっそ次のように考えてもよさそうなものを・・・
その需要の多くが資本主義経済では一般に賃労働者の購買力によって支えられているとするならば、
労働者が少なく短く雇われてその社会の総労働時間が減れば減るほど労働者の購買力を下げることに繋がり、
その結果として需要を弱めて価格の下落が避けられなくなる慢性的なデフレーションに陥ってしまい・・・
ところで>>787にIDがないのはなんでだろ? そう考えると、>>786さんの書く労働価値説が無効になるのは、
一般大衆の購買力が賃労働によらず獲得されるような経済システムが支配的になり、
それらが資本主義経済に取って代わられるようになった場合だよね。
つまり労働価値説がまったく無効になってしまうのは資本主義が終わったときだと。 訂正:それらが資本主義経済に取って代わるようになった場合だよね。 >>791
資本家以外野垂れ死ということが想定される。 >>793
資本家以外野垂れ死ぬことはないでしょ
一般労働者がいなくなったら、一般購買層もいなくなるから商売ができなくなる
労働者は階級対立する存在であると同時に、お客様でもあるんだから
マルクス経済学はどうしても、資本家と労働者を不倶戴天の敵なしたいみたいだけど、実際は協力しあって存在している >>794
資本家自身も分業してるから資本家同士の取引はある。
だけどそれではやっていけない資本家は溢れ落ち野垂れ死する。 金塊の価値の源泉は鉱山からの採掘費用だとする考え方は古典派貨幣理論の基本命題だったので
通貨論に関していえば労働価値説はまったく虚妄な学説だったわけではない。 旧日ソとか古い議論は要らない。新しい事だけ考えて北方4島10兆円で返却
日本の領土になり、平和条約をロシアと組み、ロシアの北方4島の軍事拠点を完全返還。日本は戦争する国ではないからプーチン速く返還しろ。 スレチなうえに日本に何のメリットもないので却下
むしろロシアが長期占領の賠償金を日本に支払うべき 資本家階級にとって労働者階級の再生産が不可欠だということはマルクス経済学も言っている。
マルクス経済学にとって賃金は労働者階級再生産のコストと見なされていることからも分かる。
ただしそれは資本制市場では最低限に抑えられる競争が起こっている。
資本制市場がどの程度までその切り詰めを許容するかというのが格差社会の問題も絡んで問題になっている。 動くともうからない、賃金に拘束されると金が儲かるという経済的な限界を
克服しないと。 >>794さんが言うのはおそらくグラムシやレギュラシオン学派がフォーディズムと呼んだもの。
しかし資本制生産の普遍的な形態ではなかった。新自由主義に取って代われれつつあるし。 マルクスのころの資本家は銀行家のイメージなんだろ
イギリスならせいぜいSirと呼ばれる人々のサークルが資本家 >>787
需要が無いものには価値がないというのはマルクスも言ってる。
労働価値説というのは、ある一定の生産力を前提とした社会において、
ある商品の価値はその商品を生産するために投入される社会的必要労働によって決まるというもの。
需要と供給が均衡する値は社会的必要労働によって規定されているというのが労働価値説と思う。 >>783
”見えざる手”と”公正なる観察者”を批判するのはヤメロ >>803
「社会的必要労働」なんてしょせん抽象的な概念じゃんよ
平均的な社会的必要労働時間をどうやって測定するの? 仕事できる職場とできない職場じゃ、一つの商品の完成時間にだって差は出てくる。
平均っていっても、サンプルを恣意的に集めれば、いくらでも数字を操作できるし
それと市場価格が一致している、規定してるとどうやって証明するの?
マルクス主義経済学の悪い癖だよ
抽象的な概念を振りかざして、議論を煙に巻こうとする
反証可能性がないんだよ
社会的必要労働とか、抽象的人間的労働とか、結局抽象化することによって、多様な労働をムリに均一化しようとしているだけじゃない
熟練の技術が必要な労働も、リスクのある投資活動も、単純作業もみんな一緒くたにしてさ、同じ労働なんだから賃金を同一にしろという悪平等を生み出す理論的根拠になる
労働価値説っていうけど、労働だって、拘束時間だけでなく質の差もいろいろあるんだから、一元化したり、抽象化する必要もないよ マルクス経済学は別にミクロスケールの経済を研究してる訳じゃないから抽象的平均労働でも全く問題ないぞ
マルクス経済学にとって興味があるのは社会全体の生産量であって家計や企業の行動は全く研究の対象外 よく勘違いしてる人がいるんだけどマルクス経済学って言うのは資本主義社会の動態が知りたいだけであってまぁ言えばスーパーマクロ経済学みたいなもんなんだぞ
ミクロ経済学の用を成してないからと言って批判するのは的外れだ スーパーマクロ経済学とかいっても、反証可能性がないのは一緒じゃんよ
フロイトの無意識や夢判断と一緒で、いったもん勝ちの世界だよ スウェーデンの経済学者が労働価値説の実証研究をやっていたな。 >>808
そんなこと言ったら新古典派経済学だって反証可能性無いし だったらマルクス経済学は、経済学というよりも、経済哲学と呼んだほうが正しいな
そういう考え方もありますよ、程度のものだろう
科学だの実践的な理論だのいうから叩かれるんだよ 一般均衡とか神学以外の何物なのよ
一般均衡の「数学的証明」をさせて洗礼を受けさせるのも宗教そのもの うんじゃ、マルクスは小難しい言葉使って、どうしろっていうのよ?
共産主義社会をつくるの? いまどき? 競争性がないとみんな真面目に働かないという当たり前の現象をどうするのよ?
資本家だって、相続税とか累進課税とかで、所得の再配分されるじゃんよ
現在の資本主義社会で、じゅうぶん労働者の困窮を救うというマルクスのいってることはできるじゃん
労働者を守りたいんなら、労働基準法の厳守を推し進めたほうが早いね
ブラック企業の社長をバンバン起訴すればいいんだよ >>813
マルクスが言ったこと
・資本主義はある条件下でのみ成り立つ特殊な経済様式です
・その条件を満たせなければ資本主義は崩壊します
・資本主義社会では一定時間経過すると必ずその条件を満たせなくなります
・資本主義社会では本来商品となってはならないはずの労働が商品として扱われます
以上 だから資本主義なんて崩壊してないじゃんよ
資本主義が崩壊したとしても、代替となる経済体制がないじゃんよ >>815
いつ崩壊するなんて言ってないし
放っておけば普通に資本蓄積によって崩壊するけどそうならないように延命する方策はいくらでもあるし 代替となる経済体制はより生産力の高い何らかの経済体制になります
その一つとして理論上は資本蓄積による生産力向上のストップが起こらない社会主義が挙げられてるけど別にそれ以外でもいい >>816
それっておかしくない?
期限を限定しなくていいのなら、なんでもいつか崩壊するっていい続ければいいじゃんよ
いつか崩壊するっていうのなら、すべては諸行無常なんだから、人類社会だって、地球だって、太陽だって、宇宙だってやがては崩壊するよ
そんな学説に意味はない >>818
いやいや条件はちゃんと示してるから
時間は変数として考えて貰えばよろしい 崩壊って、あんた、せいぜい恐慌が起きるぐらいでしょうに
もう代替体制がない以上、資本主義体制自体がなくなるもんか
せいぜい景気がよくなる悪くなるていどのもんだよ
100年に一度の危機といわれたサブプライムローン問題も、資本主義体制を壊すほどのこともできずにあっさり乗り越えませんでしたっけ?
危機感を煽るだけで、崩壊の定義が曖昧だよ 横レスだけど
資源が枯渇すれば生産力も落ちるし
違った経済体制になるんじゃないかな? 環境史観環境経済学的な視座もマルクス主義には欠いていた。
実際かつての共産圏の公害問題環境問題は相当酷かった。
中国は改革開放以後の方が酷いけどね。 社会主義共産主義は工業技術で言えばスチームパンクディーゼルパンクな世界観丸出しだけど肝心のエントロピーみたいな熱力学という蒸気機関以来の工業動力源の理論的基礎基礎理論についての見識はほとんど見られない。
当然エントロピーは環境論や情報理論にまで繋がる時代的に更に先のあった概念である。 >>820
マルクス経済学では崩壊ってのは生産力がそれ以上向上しなくなることだと定義されている
そして先にも述べた通りそれを回避する方策はいくらでも存在する マルクスが市場そのものの廃止を訴えたというソースをご存知の方はいらっしゃる? 政治経済学(political economics)じたいは道徳哲学から発生したものだから、哲学だの反証可能性がないだのは
まったくその通りだよ。人間が経済人であるという前提を置く時点で反証可能性のない定義なんだから。そうやって
仮定を置いたところ、社会に存在する明らかな道理を説明することができる、というのが政治経済学。むしろ統計
データをつかって反証可能な仮説を置き始めたのはフィッシャーが物価指数とかを提示しはじめた以降の話し。
ケインズのマーシャルのkとかいうのも、あんなの構想(観想)でしかない。じっさい先にアイデアがあって、あとから
統計値が導出され確証されてきた、というのが経済学の発展の歴史だ。 政治経済学はガードマン(夜警)をどのように配置し、どのように機能させれば国家経済がより良く機能し
市場として成立するか、逆にどのように配置することが不合理で市場に障害になっているか、それを
岡目八目(あるいは素人野球監督)の目線で観察し、おもったことをあーだこーだ言い合ってるところから
発生した学問。学問というのは、観察(観想)をもとに、論理立てて説明するから学問(科学)の体裁をもつ
だけのことであって、最初の観察(観想)じたいが偽であればすべてが成立しない、なんて光景はフィリップス
曲線ひとつとっても明らかな話しだろう >>824
たとえ資本主義が生産力の向上が頭打ちになっても、資本主義の崩壊とはいえないね
資本主義自体は続いて行くんだから
日本は少子高齢化でマイナス成長期を迎えたが、だからといってそれを誰も資本主義の崩壊とはいわない
せいぜい資本主義の停滞ていどだろう
私有財産も、自由主義経済も、貨幣制度も、労働力の売買も続いていくさ マルクスの文脈でいう資本主義崩壊の原因は搾取(とそれにともなう労働者の貧困ー最低賃金に固定された)が原因でしょ。
貧困者、困窮者による国際的な連帯、契約の破壊、資産の公有化、そして「資本家による搾取」の解消によって資本主義が
終焉を迎えるという構図。このマルクスの文脈でいえば、労働者が困窮しない範囲で飼い殺ししているかぎり、資本主義は
崩壊しないかもしれないし、崩壊するかもしれない(労働運動の展開次第)。 ありえないんだよ!
資本主義で人類史は終わってるの
「歴史の終わり」だよ
資本主義の崩壊だなんだと、ノストラダムスの大予言みたいなこといわれてもね、資本主義に変わりうる体制が存在しない以上、人類は資本主義を続けていくしかないんだよ
他に選択肢がないの >>827-828
経済学はゲームのルールにどんなのを選ぶのがいいかについての学問だと手短に言えよ。
ゲームの勝ち方やジャッジの人員配置についての学問ではない。
特に言えることは安易な必勝法は独禁法という形で基本的に排除するのが経済学にとって普通だってことだ。 ゲームじゃないよ。道徳哲学。そんな軽々しい響きが生まれたのはむしろ現代なんだから。
法学や哲学と密接に結びついたところから経済学は出てきてるんだ。ひとを殺してはいけない
とかいうのも君に言わせればゲームのルールなんだろうが、あきらかにゲームではない所
から昇華してきた観想や思想が政治経済学の原点なんだ。 >>805
競争が働くことによって商品の価格は社会的必要労働に近づき、
その均衡価格が商品の価値であり、社会的必要労働と等しくなると考えられるのでは。
社会的必要労働より多くの労働を投入する商品は競争により淘汰される。
社会的必要労働より少ない労働を投入する商品は持続可能ではない。
労働の質の違いも競争が答えを教えてくれるのでは。
6時間の労働と3時間の労働が安定的に交換されるのならば
後者の労働は複雑度や強度が2倍とみなす。
泉弘志さんが実証分析をやってたと思う。読んでないけど。 残念ながら資本主義下での競争は独占を生みやすい
需要が少なくなればなおさら
競争が均衡を生むなら独占禁止法など必要ない
ポイントは市場経済と資本主義経済は違うということ
これを判別するために再生産表式が有効 >>834
フェアに感じるルールでゲームしたいだろ普通。 モラルの起源も進化のゲーム理論で語られる時代に馬鹿が弁証法で寝言言いたがる 変数増やして数学で疑似科学やってるのはどうかと思うわ マルクスの労働価値説はまだ実証研究レベルで反証されたとは言えないでしょ。 ただのマルクスの個人的な経済哲学ならどうとでもいえという感じだけど、マルクス主義を標榜して政治に口出すやつらがいるからな
どうしようもない
政治に絡んだら学術的な議論も、中立性を失ってまともにできなくなるし ゲーム理論はゲームのルールを作る権限が誰にあるのかまでゲームに組み込まないと意味のない理論だな。 >>843
詰まんないゲームなら新規参加者もやって来ないし既存の参加者もガンガン脱退してく自由行使するから自然淘汰されるよ。
マル経みたくね。 特異な分野を研究対象にしていれば博士号が得やすいという
現実的な要請によりマル経は滅びんよ。永遠にな!(`・ω・´) 単に富裕層の御用学者になったほうが高い地位も得やすいし、
私腹を肥やしやすいということは誰でも分かること。
やはり経済学界は支配的な経済イデオロギーと深く繋がっている。 >>842
全部がどれよりも新古典派経済学に刺さるな >>836
競争が独占を生む、というのは意味不明。
独占=非競争だから、競争を抑制することが独占を生む、と言うべき。
競争が社会的余剰を最大化する点での均衡をもたらすから、競争を阻害するような行為を法で禁じているわけだし。 >>840
反証を求める前に、正しさの証明が必要だと思うけど 文系の修士は鼻もかめないけど博士号はさすがに色々と
声がかりはあるみたいよ。むろん当人にとっては不本意な
ポスト(Fラン大の講師等)が大半だろうけど >>848
小泉時代に持株会社=ホールディングスを認めてしまったから
株式の奪い合いが始まった
1%でも持株が多ければ勝者全取りの世界
現場の労働者は関係なくなる
これが資本主義
市場経済とは言えない
株主の権利が法的に大きすぎるのだ
ただしこれは昔からアメリカではあった
これをカレツキやサミュエルソンやスティグリッツが分析した
これでうまくいったのは市場が海外にもあり需要が多かった時だけ
需要が少なければ独占となり既得権の弊害だけが生まれる 競争は必要だがフェアな競争のための条件が整ってない
ドルの覇権がその最大のもの
改善策としてはケインズの超国家通貨案バンコールしかない
(ゲゼルの超国家通貨案IVAの剽窃だが) 経済学における独占、寡占、完全競争は
需要の大小が大きく関わる
https://lh5.googleusercontent.com/-wKC2bQ16dT8/VOK09QSptwI/AAAAAAAAqtQ/mD1vfB4D6v0/s640/blogger-image-1089094960.jpg
(サミュエルソン経済学より)
需要が多くないと完全競争にはならない
(サミュエルソンは平均費用上昇を重視するが)
人口が減少する先進国ではこれは大きな問題だ
無理に海外進出をすることで失敗例も多くなる
これらは政治学的アプローチだけでは不十分なのだ スウィージー『独占資本』もカレツキを参照していた
カレツキの功績は独占度合い表す数式を明らかにしたことだ
資本主義万歳でも国家計画経済万歳のどちらでもない
検証可能にしたということだ
鍋島直樹論考
カレツキアンの経済学とカレツキの経済学資本主義の長期発展理論をめぐって
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshet1963/36/36/36_36_77/_pdf
カレツキは, 資本主義経済においては, 寡占ないしは不完全競争が通常の状態であるということをかなり
早い時期から認識していた。「独占は, 資本主義体制の本質に深く根ざしているように思われる。自由競争は,
1つの仮定としてならば, 一定の研究の初期の段階においては有用であろう。しかし, 資本主義経済の通常の状態の
描写としては, それは単なる神話にすぎない」(Kalecki [1939]P. 252, ページは『カレツキ全集』(Kalecki [1990,
1991, 1997])による。以下同)というのが, 彼の一貫した見解であった。こうして彼は, 新古典派経済学における
完全競争という仮定の非現実性を衝いたのだった。
…
この1938年論文において, カレツキは, 産業の多くの部門はしだいに寡占的となり, さらに寡占はカルテルへと展開
してゆくので, 集中が進行することによって独占度は疑いなく上昇傾向をもつであろうという見解を示している。さら
に, 独占度の上昇の影響が原材料価格の低下によって相殺されつづけるのは必ずしも確実なことではなく, もしそうで
ない場合には, 肉体労働者の相対的分け前は低下しつづけることになるであろうと言う(ibid, pp. 17-8)。独占度が歴史的に
上昇する傾向にあるというのは, 価格と分配の独占度理論を構築する途上にあった初期から晩年にいたるまでカレツキ
が一貫して保持しつづけた見解である2)。
以下では, カレツキの独占度理論の代表的説明と一般に見なされている『経済変動の理論』(Kalecki [1954]ch. 2)に
したがって, その理論的構造をみてゆくことにしよう。まず, ある産業における付加価値, すなわち生産物価値マイナス
原材料費は, 賃金・共通費・利潤の合計に等しい。ここで, 賃金総額をW, 原材料費総額をM, 総主要費用(賃金総額プラス
原材料費総額)に対する総売上高の比率をkで表せば,
共通費+利潤=(k-1)(W+M)
という式を得る。これより, 1産業における付加価値に占める賃金の相対的分け前は, 次のように表現される。
w=W/{W+(k-1)(W+M)}
ここで, 賃金総額に対する原材料費の比率をj で表せば, 次式を得る。
w=1/{1+(k-1)(j+1)}
したがって, 付加価値に占める賃金の相対的分け前は, kに反映される独占度と, 賃金総額に対する原材料費の比率で
あるjとによって決定されることが分かる。さらに, 製造業全体に占める特定の産業の重要性の変化を除去するような
調整を行なえば, 製造業全体についての公式を得ることができる。… >>852
アベノミクスみたいに政府・日銀・年金の持ち株数を増やしそれ故に多額の配当を要求したら。 >>856 生計のために博士号とるならまだしも研究活動の足がかりとして
ポストを持つというのは悪い話しではあるまい。マル経でとりあえずポストを
確保して、あとは好きなだけ政治活動なり市民活動になり反日活動なり励めば
よろしい(´・ω・`) 外国人技能実習生、黒人、シリア人拒否、閣議決定、アジア人はOK 【嘘HK】 放射能と無関係を装って「心筋梗塞激増」
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhk/1541301264/l50
< < < 東 日 本 大 虐 殺 で は ? > > >
2008年 12808万人 + 5万 △
2009年 12803万人 − 5万 ▼
2010年 12806万人 + 3万 △
2011年 12780万人 −26万 ▼▼▼ ▼▼▼▼▼▼
2012年 12752万人 −28万 ▼▼▼ ▼▼▼▼▼▼
2013年 12730万人 −22万 ▼▼▼ ▼▼▼▼
2014年 12709万人 −21万 ▼▼▼ ▼▼▼▼
https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a618afaa0113f2a33fbc495f48a2b8c4
【アマルガム】 有毒廃棄物として処理される水銀を、口の中ならOK、と歯に詰めた歯科医を逮捕すべき
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1544495072/l50 >>859
Fランでさえ現代経済学の講義が多くマルクス経済学の講義は少ない。
非常勤でさえ相当な倍率。 >>484
意味不明ではない。方法とその帰結を区別すればいいだけ。
競争は競争の帰結まで責任をとらない。競争の帰結が競争の促進になるとはかぎらない。
マタイ効果(マシュー効果)を考えれば容易にわかること。 ちょっと考えれば分かりそうなものを。
第一に、競争というのは競争者間の平等(フェアな関係)を前提にしている。
一方が戦車に乗りもう一方が裸で素手で闘う格闘技の結果はやらなくてもほぼわかる。
独占というのはこういう状態を指していることはわかるよね?
第二に、利己的な主体はそもそも競争を好まない。むしろ独占を好む。
利己的な主体が目指すのは永続的な競争関係ではなく、自らが独占者・独裁者になること。
競争関係の中でできるだけ優位な立場に立って、自らの支配を貫徹することを目指している。
競争が必然的に格差を生じさせるとしたら、格差の頂点に立つものが独占を確保して
競争を終わらせようとするだろう。それが合理的な利己的個人というもの。
第三に、マタイ効果(マシュー効果)というのがある。資本主義はこれに貢献する。 そりゃ、差がつけば、だんだん加速度的に差はついていくものさ
だけど、そりゃ、普通に所得の再配分でいいじゃないか
格差が悪いんじゃない。格差が固定化してしまうのがいけないんだ。
自然放任主義は、長期的に見ればまちがいじゃない
格差が広がって、1%の金持ちと99%の貧困者に分離したら、購買力のある一般市民が育たないから資本家も没落する。
結局格差は是正される
しかし、それでは時間がかかりすぎるし、そうなる前に対策をとらないといけない
そのために累進課税と相続税がある
世の中は不平等に見えても、けっこう平等にできている
なぜならば、成功者は必ず嫉妬を買うからだ
嫉妬を買う以上、貧困者からの攻撃に晒され、いやがおうにも格差是正に協力せざるを得ない
社会というものはそうやってバランスがとれているんだよ
自由主義経済で競争性と生産性と効率性を高め、政治で所得を再配分して貧困者の嫉妬を抑える
これで充分対処できたし、これからも対処できる
マルクス経済学は経済学だけで考えるからおかしな方向に行くんだよ
社会には経済的要素以外にもさまざまな要素があって、それでバランスをとっているんだ >>852
事業持株会社はずっと前からあったし、純粋持株会社を認めたのも小泉政権期ではないよ。
大株主が会社を支配できるのも、株式会社そのものの特徴だし…
「競争」において重要なのは、財・サービス市場での競争であって、企業所有者が分散していることではない。
ちょっと問題を混同しているようだね。 >>854
その図で示されているのは、個別の財・サービスへの需要供給なんだよね。
人口減少云々というのは総需要総供給の話だから、これは全くの別問題。 >>854
その図で示されているのは、個別の財・サービスへの需要供給なんだよね。
人口減少云々というのは総需要総供給の話だから、これは全くの別問題。 >>870
日本でも地方は人口減少で需要が減りそれがさらに供給不足を生む負のスパイラルに陥っている
それを一般均衡で見るから矛盾が見えなくなる
同じことが世界的規模で起こっている >>868
正確には純粋持株会社と書くべきだったがホールディングス、ホールディングカンパニーで理解できるはず
金融ビッグバンの一環で1997年に解禁された
以下wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E6%A0%AA%E4%BC%9A%E7%A4%BE
日本では、戦前の財閥本社が純粋持株会社の形態を採っていた。しかし、戦後に制定された過度経済力
集中排除法によって財閥解体が行われ、また、独禁法によって、持株会社たる会社の設立及び既存の
会社の持株会社化が禁止された。その後、金融ビッグバンの一環で1997年に同法改正によって
純粋持株会社が解禁された。 個々のノードが見えなくなるのは実はマルクス主義の欠点でもある
敵に対抗するために敵と同じ構造を持ってしまうのはよくあることだ
カレツキは国家計画経済の側にいたが両方の視点を持っていた
マルクス主義の方が個々の事例に細かく対応できると思っていた
資本主義下では経済危機には労働者解雇で対応するしかないが
マルクス主義下ではワークシェアが可能だと言うのだ
カレツキはさすがにワークシェアという言葉は使っていないが
ケインズに批判されたピグーとは別のレベルで厚生経済を考えていた >>867
お決まりのトリクルダウン・セオリーかいw
それらの負のフィードバックは競争市場から半ば必然的に帰結するの?
資本家同士も競争しているならば、ある資本家が労働者報酬を上げる選択をすると
それがその資本家の利得になればいいが、競争市場はそうはならないんじゃないか?
むしろ労働者報酬を上げない選択をした資本家の利得になってしまう。
そのほうがよっぽど有り得そうな市場競争ゲームの帰結だが。 >>876
資本家は労働者0で儲かるなら究極のAI・ロボット化をする。 >>876
賃金を上げない選択をした企業からは、労働者が離れていく。
賃金を上げすぎると企業の利潤も少なくなってしまう。
だからその中間として、賃金は労働者の限界生産性によって決定される。
市場競争が十分に働けば、労働者はその働きに見合った賃金を受け取ることになる。 >>877
労働者が不要になれば、国民総資本家の時代になるかもね。
まあ労働者がゼロ、ってのはそうそうないだろうけど。 川越敏司が「行動マルク経済学の可能性」(『されどマルクス』2018所収)脚注で指摘していたが、
デヴィッド・ハーヴェイは『資本主義の終焉』2017(Harvey,David:Seventeen Contradictions and the End of Capitalism 2014)第2章でゲゼルを引用している。その引用箇所は以下、
《 貨幣は国家を必要とする。国家なしには、いかなる貨幣も考えられない。否、貨幣の導入とともに国家建設が始ま
るとも言うことができるだろう。なぜなら、貨幣は人民のもっとも自然な、そしてもっとも強力な結合手段になるか
らである。実際、世界ローマ帝国を強固に結合させたのは、ローマの軍隊によるよりもローマの貨幣によるものだっ
た。だが 金鉱や銀鉱が枯渇し、もはやいかなる錛貨の製造がなされなくなった時、この世界帝国は崩壊したのだっ
た。
貨幣の不可欠性と貨幣に対する国家監督の不可欠性ということから、国家は貨幣に対する無制限の権力を手に入れ
る。国家のこの無制限な権力に比較すれば、鋳貨の金属含有量による保証などといったものは風によってすぐに吹き
飛ばされてしまう塵芥の如き存在でしかない。
それゆえに、貨幣に対する国家権力の誤った使用がなされた場合、貨幣素材によっても貨幣を守ることができない。
それは、国家の憲法を書いた羊皮紙をもちだしても独裁を阻止できないのと同じことである。
貨幣をいかさま師、詐欺師そして盜賊から守ることができるのは,国家と権力者(独裁者ないし国民議会)の意志
だけである。それは、もちろん権力者が自らの権力を目的意識的に使用するという前提条件のもとでしかない。しか
しながら、残念なことに、これまでそのような前提条件がみたされたことはどこであれ一度もなかったのである。》
邦訳ゲゼル『自然的経済秩序』263~4頁
http://www.naturalmoney.org/NaturalEconomicOrder.pdf 英訳81頁
ハーヴェイはゲゼルが『自然的…』冒頭でプルードンについて書いた部分も読んでいるはずなので、その反応が知りたい。
『資本主義の終焉』#13でプルードンはその他大勢として名が挙がるだけである。 >>885
訂正→いかなる鋳貨
川越論考はマルクスの可能性を開くもので興味深い。川越はマルクス『経済学批判』を引用している、
《「 貴金属の高い価値比重、恒久力をもち、相対的意味では破壊されず、空気にふれても
酸化しないという性質、とくに金のばあいは王水以外の酸には溶解しないという性質、こうし
た一切の自然的属性が、貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料たらしめている。だからチョ
コレートが非常に好きであったらしいペテル・マルティルは、メキシコの貨幣の一種であった
袋入りのココアについて、つぎのように述べている。『おお、いみじくもよき貨幣よ、おまえは
人類に甘美にして滋養のある飲物をあたえ、その罪のない所有者を、貪欲という業病から
まもってくれる。なぜならば、おまえは、地中に埋蔵されることも、長く保蔵されることもでき
ないのだから。』」[『新世界について』《アルカラ、一五三〇年、第五編、第四章》]
(マルクス1956[岩波文庫『経済学批判』]、第5章4節、202~203ページ)》
これについて川越はこう述べる。
《つまり、メキシコではココアのような耐久性のない財が貨幣として用いられており、それが
貨幣蓄蔵という貪欲さへの抑止力となっていたことが指摘されている。実験においても、非耐久財が
貨幣になる可能性があることが示されている(川越2003☆ ; Kawagoe 2009)。》『されどマルクス』94頁
☆
『現代の金融と地域経済 下平尾勲退官記念論集』所収
「非耐久財は貨幣となりうるか?実験研究によるアプローチ」川越敏司 >>881
そのモデルは現実をあまりにも単純化しすぎている。
現実的には、労働の市場と財の市場とでは
価格に対する反応の自由度(弾力性)に大きな格差があると想定するのが自然。
消費者がいつも買っていた商品を別の商品に選び替えるのに大したコストやリスクは要らない。
でも、労働者が転職するとなるとそのコストやリスクはそれなりに大きいものになる。
現在はネット通販があるからますますそうなっている。
一方、労働力のネット雇用化はすすんでいない。
想像してみてよ、消費者が価格ドットコムなどである商品の価格を比較していちばん安い価格で
その商品を買う労力と、労働者が仕事を探して転職するのにかかる労力との間には
現実問題として大きな格差や時差があるのがふつう。 >>867
> 自然放任主義は、長期的に見ればまちがいじゃない
> 格差が広がって、1%の金持ちと99%の貧困者に分離したら、購買力のある一般市民が育たないから資本家も没落する。
1%の資本家に富が集中し、その他の99%の購買力が下がったとしよう。
その場合、1%の資本家は困るだろうか?
彼らがそれ以上の利潤を望んでリスクを犯す動機がいったいどこにあるんだろうか?
どの程度の格差になったら負のフィードバックが働いて拡大が収束するんだろうか? >>883
> 労働者が不要になれば、国民総資本家の時代になるかもね。
資本制の市場メカニズムの中でどうやって全ての人が資本家になれるのか
さっぱり分からない。 >>873
特定の労働者を解雇する方法だけじゃなくて
商品の品質や量を減らしたり
被用者全体の賃金を下げる手だってあるんじゃないの? >>887
それは労働市場が硬直的だと労働者の不利益になる、って話でしょ。
>>867が競争が賃金抑制になるみたいなことを言っていたから、それへの反論として競争が十分なら生産性に見合った賃金が払われるよ、と言ったんだよ。 >>889
どの家計も企業株式を保有するようになれば、資本の共有が進むだろうね。
日本では全然進んでないけど。 共産主義も計画経済も、大恐慌の発生によって勢いを増した。
現代の福祉国家も、自由放任の資本主義を修正して大量失業に対応する必要がある、ということで生まれてきた。
だから、自由放任vs何らかの統制経済を論ずるなら、大量失業が自由放任主義とは切り離せないものなのか、それとも自由放任の枠組みの中で解決可能なものなのか、が重要な論点になると思うな。 >>892
株を所有できるのは富裕層のみ。貯金0の家計に株は持てない。 >>891
激しい競争にグローバルに曝されている企業と
そうでない独占的・寡占的な企業とを比較したとすれば、
前者のほうが高い労働賃金を労働者に払う傾向にあるだろうということ?
それは果たして自明だろうか?
そういう話をしているんだけどね。 だいたい格差格差だと、相も変わらず喚き立てるけどさ、下流層もいまと昔じゃぜんぜんちがうでしょ
昔のプロレタリアートはたしかに生きていくだけで必死だったよ
でもいまの下級層は、みんなエアコンも携帯もパソコンも持ってるよ
飢えよりも、メタボリックのほうを心配してるよ
資本主義で一番大事なのは技術革新だよ
技術が進んで生産性が上がれば、下流層も豊かになる
生産性の向上が一番で、格差是正なんてその次でしょ
1%の金持ちと99%の貧困者みたいな、極端な例を持ち出されて、過剰に格差を問題視されても困るよ 階級格差の固定化
格差間の拡大
これには今から手を打つ必要がある
なぜなら全ての国家を資本主義が飲み込みつつあるから
昔は戦争でインフレに出来たが現代では疑わしい
国家がコントロール出来なくなっている 貧困そのものよりも所得格差こそが犯罪率と強い相関がある
というデータがいくつかある。 >>854
>経済学における独占、寡占、完全競争は
>需要の大小が大きく関わる
PCの需要は大きいのにOS市場はWindowsとMac
スマホならAndroidとiOSの二つが寡占してるのはなぜ? 戦争のインフレは金が降ってくるぐらい良兆のことも多い。 労働者が頻繁に転職することが多い(流動性が高い)労働市場では
一般に労働者全体の待遇がいいんだろうか? 【ロイヤルニート警備員】 たかだか22人の皇族を警備するために、年間72億円も、税金ジャブジャブ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1544839801/l50
日本のチベット問題、皇室の日本私物化を許すな! >>896
労働市場での買い手同士の競争、という視点から見ればわかりやすいかな?
少数の企業しか選択肢にない場合は、労働者は厳しい労働条件でも呑まざるを得なくなる。
いくつもの企業が選択肢にあれば、労働者はその中から最もよい条件を選ぶことができる。 >>902
生産性に見合った賃金が支払われやすいだろうね。 >>904
AさんとBさんとCさんがいて3人共乗馬をしている。
ただし、BさんとCさんは馬に乗って競争をしなければならない。
その競争に負けたら乗馬をする権利を剥奪されてしまうとする。
競争をする必要のないAさんにはその心配はない。
Aさんが乗っている馬とBさんとCさんが乗っている馬。
より酷使される馬はどっちだろうか? その比喩はおかしい。馬は乗馬されないことを選択できないが
労働者は労働市場から撤退できる。労働者は奴隷ではない。 経済学はつねに現実の観察(観想)にもとづいて議論すべきであって
まったく見当違いの比喩をもって「説明」してみせようとしても、その
比喩がよほどうまく「説明」できていないかぎり、かえって聞き手の
批判を受けたり不審を招いたりするものだ。その論法は止めたほうがいい。 馬車馬のように働くという比喩があるくらいだから上は許容範囲だろう
むしろ複数の馬が方向性を合わせることで力を発揮すると考えられるという点で
馬車馬の比喩の方が有意義かも知れない
(マルクスは集合力を相対的剰余価値として二次的なものに位置付けたがこれが誤解の元だった…)
フロイトは無意識を暴れ馬に喩えたが
生産中心主義にとってむしろ無意識は消費者かも知れない
(経営者を擁護するわけではないが乗り手が馬の餌を用意するのであれば乗り手の苦労も大変だ)
どちらにせよ生産の現場での変革は難しい
ちなみにカントの父は馬具職人だった >>907
馬が乗る人を選択できることにしてもいいよ。
ただし、Aさんを選択することはできない。
馬が選択できるのは競争関係に置かれているBさんかCさんね。
で、Aさんの馬とBさんとCさんの馬のどちらが酷使されにくいか。 A, B, C, D, E, Fというプロ騎手がいる。
Aという騎手は1人でレースをやる。競争相手がいないので常に1位。
他の騎手は5人でレースをやる。
最下位になると降格してプロ騎手の資格を剥奪されてしまう。
馬はBからFの騎手を選ぶことができる。
ただしBからFのいずれかの騎手を選ばないと馬も察処分されてしまう。
さて、Aの馬とBからFの馬たちと、どちらが酷使されないだろうか? 市場を独占していて顧客を他企業に奪われる心配のない企業A
常に顧客の奪い合いをして激しい生き残り競争に曝されている企業B
Aの企業とBの企業、どちらのほうが労働者を酷使するインセンティブを
より強く持つだろうか? 企業Bのほうはもちろん複数形。
B1, B2, B3, B4, ....という複数の企業が存在している。
しかしいずれの企業も生き残りをかけて競争を強いられている点は同じ。
それに対してAの企業はその心配がない。
もちろん労働者側から見ればBの企業は複数の中から1つを選ぶことができる。
しかしAの企業は1社しかない。
この場合、Bの企業に勤めている労働者たちのほうがAの企業に勤めている労働者よりも
良い待遇を期待できるというのは自明だろうか。 AIによって労働が無くなるというのは、まあ幻想だと思います
人間の維持・管理コストって思っている以上に高いので
暇になった労働者は何をするの?という問題もあります
比較的ありそうなのが犯罪率等の上昇でしょうか 追記:マルクスはやはり絶対的剰余価値の比喩に馬を使っている。
《…人間は、二四時間からなる一自然日のあいだには、一定分量の生命力しか支出できない。
馬は日々八時間しか労働しえないようなものである。》資本論1:8(労働日):1より それは比喩というより比較だな。説明のためのレトリックの範囲にある限りは適切といえる。
ところが人間を馬車馬と仮定して議論し始めると、これは見当違いの設定であり、前提と
した仮定に対する不審から聞き手を混乱させることになる。 人間は経済的存在であると仮定する、人間は合理的存在であると仮定する、失業は存在しないものと仮定する
こういったところから信用されない経済理論が紡ぎ出される。一部の馬鹿はこの手の理論に熱狂し、そして
社会政策を混乱させることになる 地球規模の競争相手を持ち、外国人労働者がどんどん入ってくる市場を想定してほしい。
そういう市場で激しい生き残り競争に曝されている企業ほど
労働者の待遇をよくする競争によって高い賃金で労働者を雇い入れるようになっていくのだろうか?
だとしたら外国人労働者の激しい移動やグローバルな市場競争は、労働者の賃金を上げる圧力になる。 賃金の明らかに安い国(未開発国)から先進諸国に移民が大量に流出するのがまさにその局面だね。
むろんその結果として未開発国が労働力不足となれば、当然に賃金上昇圧力になるだろう。だが
それは先進諸国の賃金引下げ圧力に連結しているという事実をどう考えるかは別の話しだ。 労働者たちが自由に転職することが賃金の上昇圧力になるならば、
グローバルな市場においてもグローバルな労働者の転職が行われなければならないはず。 また「競争コスト」というのも見逃せない。
競争市場においては独占していたときには必要なかったコストが
企業側にも労働者側にもまた生じる。
これによって労働者に負の効用が生じていることも計算に入れないといけない。 >>920
別の話といってもそれらをすべて考慮に入れたモデルにしないと
モデルは現実を模倣したものにならない。
また労働者の賃金が上がったとしてもそれは
労働者の再生産に必要な競争コストが高騰していることを意味するだけかもしれない。
例えば、昔の労働者は自分の子を小学校や中学校まで通わせればよかったが、
今の労働者は高校や大学まで通わせなければまともな就職先がない、という意味で。 最低賃金の固定と定期的な引き上げ自体は道徳哲学として理想的で
おれはネトウヨ諸氏が侮辱するほどには韓国の最低賃金引き上げ政策は
そこほど非常識なものではないのではないかと思う派ではあるな。
すくなくとも低開発諸国からの移民は促進されることになるのだろう。
元住民がそれをどう思うかは知らないが。 >>911
・馬は賃金をもらえない。
・餌はもらうが、良い馬だからといって多くの餌がもらえる訳でもない(そもそも食べられる量にも限界がある。)
以上の2点から、馬を労働者の例えに用いるのは適切ではないね。
騎手を企業、馬を労働力、馬の飼い主を労働者に見立てて、飼い主が馬を騎手に売るというケースを考えてみるといいよ。 >>925
その場合でも、競争コストを余分に負っている騎手たちと
競争を強いられていない騎手がいたとして、
馬主に対してできるだけいい馬をできるだけ低価格で手に入れようとする
誘因・動機付けをより強く負っているのは前者と考えられるでしょう。
競争コストを余分に負っている旗手たちのほうが馬の価格を
できるだけ値切ろうとする。そういうインセンティブを強く持っている。 つまり、労働者は激しい競争を強いられていつ潰れるかも分からない企業に
就職するよりは独占企業に就職したほうが得かもしれないよね。
激しい生き残り競争の最中にある企業は高い賃金で有能な労働者を取りたいものの、
そうすると経営を圧迫するから、できるだけ値切ろうとする動機を持っている。
いいものを安く買おうとする動機が強く働いている。 自由主義か共産主義かというむつかしい論題やね
困窮を容易に免れ得る社会なら自由主義でもええけど
貧窮がそく生命に直結する社会なら共産主義が最善 また、労働市場をいくら流動化しても、
労働者が転職するのにかかるコストはそれなりに高くつく。
消費者が馴染みの商品を別の商品に選び替えるのにかかるコストは低い。
そのため企業は労働者が離れていくよりもはるかに早いペースで
自社の商品が売れないという現実に直面する。
そうすると労働者の報酬もますます下げざるをえないので悪循環が生じる。
競争を強いられている企業は商品の売上を労働者以上に気にかける誘因をもっている。 主流派の経済学には「競争コスト」という概念がないんじゃないかな?
競争によって労働者たちが精神的に負う様々な負の効用を軽視していないか? 競争的な市場では、労働者も自分の有能さを高めたりアピールするためにかかる
労力や精神的プレッシャを含めた競争コストをその競争の激しさのぶんだけ負っている。
そうしたマイナスの効用も計算に入れなければならない。 競争を強いられている騎手に馬を売る馬主たちAと
競争を強いられていない騎手に馬を売る馬主たちBがいたとする。
競争を強いられている騎手たちはその競争のぶんだけ
馬主たちに非常に厳しい要求を持つと考えるのが自然で合理的。
馬主たちAはいい馬を育てる労力をそれだけ強いられるし、
いい馬を育てたにもかかわらず騎手たちから値切られるハメになる。 より重要なことは、競争市場では、企業の経営者や投資家らを含めた資本家が
仮に個人的に社会主義思想や共産主義思想の持ち主だったとしても、
自らの企業の生き残りをかけて労働者に対するプレッシャーを高めざるをえない、
そういう選択しか自由がない、ということ。 日本のマル経パーマネントなんて国際競争力皆無だからなあ。 >>926
騎手同士が良い馬を手に入れようと競争している場合には、馬の能力に見合った価格が馬主に支払われる。
買手が競争にさらされていない騎手なら、どんな馬でも競争に勝ててしまうから、馬主に支払われる金額は非常に低くなるだろう。
(わざわざ高い価格で良い馬を買うインセンティブがない) >>927
独占企業は効率が悪いし、市場支配力を利用して高価格で商品を売るので、結局は労働者全体にダメージを与えることになる。
また企業は労働者の限界生産と賃金とを比較して、限界生産≧賃金なら雇おうとするが、企業同士が競争をしている場合には、賃金はより限界生産に近い値になる。 >>929
労働者が賃金を気にして、企業が売上(あるいは利益)を気にかけるのは自然でしょう。 >>932
独占市場では、無能で何のアピールもしない人が高賃金をもらえると思っているの?? TV局はその他の市場に比べると寡占的、各地域でほぼ独占的だが、
TV局に勤める社員はふつう高給取り。 Googleはネット広告市場の88%を占めていると言われるが、
そうなったことで社員の給料を下げることに成功したか? >>937
上のほうで1%の富裕層に富が集中すれば、99%が購買力を失って富裕層も損をするのだから
トリクルダウンせざるをえないという主張があった。
その理屈からすれば、企業も労働者の賃金を下げれば商品の買い手がいなくなるのだから儲けが下がる。
つまり、独占企業が高価格で商品を売るならばそれに見合った高価格の賃金を労働者に支払わなければならない、と。
いわゆるフォーディズムの理屈に近いが。 共産主義的独占資本ならそれで行けるんだけど、多数企業の参入を促進する自由競争だと
ソレが上手く行かなくなるのよね。価格支配力のない企業はつねに不確実性に晒されるので
従業員を搾取しざるを得なくなる。ジレンマやね(´・ω・`) 日本だと資本の論理よりも組織防衛に走るだけだからなあ
名目値のマネーが運動するより組織の自己肥大化って感じが丸出し >>942
馬の例を見ればわかるかもしれませんが、労働市場での話です。 >>943
1%の〜という主張をしたのは別の人ですが
いちおう指摘だけしておきます。
・外国経済が存在していて、輸出可能な財を生産している独占企業なら、労働者の賃金を抑えつつ、輸出で儲けるのが合理的。
・どのような商品を生産するかは企業の自由であるから、独占利潤を資本家に分配しつつ、資本家向けの商品を生産することが可能。この場合には労働者の購買力が少なくても問題ない。 >>944
独占企業は不確実性に晒されないからこそ、効率性を改善するインセンティブが少なく、経済全体の効率性も低下させてしまうとも言える。 テレビ局やGoogleも労働市場では買い手として競争してるんじゃないの? これまでの話の文脈上からして、
財市場での激しい競争が労働市場での競争にとってその企業に不利になる
という話をしていたはずだけどなあ。
他の業界に人材が奪われないほどの賃金水準ではある必要があるかもしれないけど、
競争上の理由でテレビ業界がそこまでとび抜けて高い賃金水準である必要があるのかなあ。 >大阪府三島郡島本町のいじめはいじめられた本人が悪い
>みんなそう思ってる
>誰もいじめの被害者に同情しない
>はよ死ねイジメられるクズ
↑
島本町民以外の皆さん
いじめを隠ぺいするのは学校や加害者側に後ろめたい気持ちがあるからですが
いじめを認めたうえで被害者に責任をなすりつけるなんて最低最悪ですね
他人事だと思わず気を付けてくださいよ >>951
業界ごとで生産性が違うから、◯◯業界の賃金と▲▲業界の賃金みたいな形での比較は無意味だと思うな。
付加価値に占める賃金割合(労働分配率)とかなら比較可能かもしれないけど。 マルクスに勝っている経済学者 いや学者は歴史に消される運命なのか。
しかし執筆だけが学者の要素じゃないし、ま、マルクスも空いていないと勉強がしにくさはあるから、勢力を乱数で分散させて、本物の経済学者を探すところからはじめるといいよ。 自分のついていく著者や先生、教授を決めるわけだな。 学問板で950は早いよスレッガーさん
下手したら新スレ落ちんで(´・ω・`) >>953
テレビ局に勤める社員がそれほど労働生産性が高いということをおっしゃりたい? 学術知識のネットによる社会共有が進むとマル経の既得権益脅かす一方だからなあ。 修行するぞ瞑想する修行するぞ瞑想するぞ瞑想するぞ修行するぞ このスレッドは1000を超えました。
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