効用とやら(満足度)は足し算や引き算できるのか?
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まして微積などできるのか? 価格や数量ができるのはわかるが・・。 自然科学の生物学でも生態系扱う場合にも進化的安定戦略ESSという名前のナッシュ均衡使うんだけどね 不動点定理は存在定理として強力なので「価格」があるのかどうかにも使える。 >>43 複雑怪奇というより単純化しすぎのトイモデルに過ぎるってご批判のほうが多い。 ワルラスの一般均衡は事実の描写としては壮大だけれども 人間界の演算力をもってしては使いようが無いというのも 似たような話しだね。 年収が上がるとか、働きによって?企業の母体がよければ、他企業の方が儲かるかも知れない点。労働をみな違うことをやっているのに年収だけをくらべ合って、金銭的に同 ことをやっていることは経済の限界だ。 ブータンの国民が得ている総効用よりも 日本の国民が得ている総効用のほうが大きい とは客観的にはなんら言えないということ? >>43 経済学批判は何度も聞いたことがあるけれど数学者達からの批判は聞いたことがないな 何かソースはある? >>49 ノイマン氏あたりがワルラス経済学のことを指して二流の数学だ云々・・・ ゲーム理論こそが真に数学の応用だと言っていたとかなんとかいうのは有名な話だね? 最近では主流派経済学を批判している応用数学者のデイヴィッド・オレル氏がいる。 経済学者が数式をしばしば権威付けとして利用していることを批判している どなたかの言葉を彼は引用していた記憶がある。 要するに、ゲーム理論こそが真に最初の数学の経済学的応用といえるものであって それ以外の数理経済学の類は数学を用いなくてもいいことに数学を用いてきただけだ みたいな。 >>52 おっ、いいこと言うねえ 俺も経済学者帝国主義以上にゲーム理論帝国主義者だから。 さすがにマクロ経済や金融・財政理論じゃ数学は20世紀前半からは確実に役にたっとるよ。 物価水準の推計一つとったって数学なんだし。ただ経済学はあくまで基礎にあるのは倫理哲学 だから、数学者にいわせれば前提がフニャフニャすぎてデタラメすぎるように見えるのだろう。 >>51 > 経済学者が数式をしばしば権威付けとして利用していることを批判している > どなたかの言葉を彼は引用していた記憶がある。 それって内生的成長理論で有名なポール・ローマー? 効用を満足度と定義するなら測定不能だから足し算引き算はできない そこで序数的効用という発想が生まれたがこれもまだ不完全である、なぜなら序数的効用は選好の変化を考慮に入れていないから 私は選好を確率分布で表現する確率的序数的効用を提案する どう精巧に数学的モデルを作っても それが客観的にちゃんと検証される手段がないんじゃ 科学的な意味がないんじゃ? 科学には必須の条件として 事実・現実を誰もが共通する観察対象として確認できる手段(測量法など) が不可欠。 それがないと、仮説として提唱された法則をいくら数式や論理でエレガントに、 あるいは精巧に表すことができたとしても、それを客観的に検証する手段がない。 再現可能性云々の話って哲学や倫理学なんかもっと厳しいし科学の必須条件みたいになっているのはかわいそうだなって思わなくはない それがないと効用理論が演繹的にどこまでがっちり組み立てられていようとも、 矛盾のない整然とした美しい数学モデルだねえと芸術的に感心することはできても、 事実や現実との関係で反証可能性が成り立たなければ、科学的な評価ができない。 なるほど、美しい数学アートだね、と評する以外にないw >>63 計量経済的な推計でまあまあフィットしていたらいいんじゃないの? 実験ミクロ経済学 小川 一仁 https://www.amazon.co.jp/dp/4492314288/ 実験マクロ経済学 川越 敏司 https://www.amazon.co.jp/dp/4492314512/ 実験経済学とか手を付ける前にオーソドックスな近経の話ぐらい納得できなくても一通り抑えてから文句言い出してくれ。 ゲーム理論が基数的になれるのは全体が閉じているからだ 限界効用は閉じていないから序数的になる 限界効用は一般的になりすぎたので批判も一般的に広まった ウェーバー客観性論文1904より、メンガーへの嫌み (メンガーは限界効用の提唱者でドイツ歴史学派を批判した。客観性論文はメンガーへの反論。) 《…たとえば、現在の「抽象理論」が今後どこまで展開せられねばならぬかという疑問は、結局に は、科学的研究の経済の問題でもある。科学的研究にたいしては、ほかに諸問題も解決をせま って待ちかまえているのが実情なのであるから。「限界効用理論」もまた、「限界効用の法則」 にしたがうというわけである。──》 (ワイド版 世界の大思想U-12 ウェーバー 政治・社会論集 二〇一三年十一月三〇日 河出書房新社) 限界効用の肝は多様性が大事という結論である。この認識を忘れると危機の増大に気づかなくなる。 「われわれの欲求は、量よりはむしろ多様性を目ざすことは明瞭である」 シーニョア (邦訳ジェボンズ『経済学の理論』41頁より孫引き) An Outline of the Science of Political Economy - 133 ページ Nassau William Senior - 1836 - [シーニョア 経済学概説 1836] 《It is obvious, however, that our desires do not aim so much at quantity as at diversity. Not only are there limits. 》 エンゲルス執筆の箇所ですが、 「…共産主義社会では、各人は一つの排他的な活動範域をもたず、 各〔範域〕を任意の各部門で自己形成をとげることができるのだが、共産 主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそのゆえに可能に なることなのだが、私は今日はこれを、明日はあれをし、朝はそして昼には 午後には庭師、夕方には俳優になる、〔私の気のおもむくままに〕狩りをし、 午後には漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする−狩師、漁夫、 あるいは牧夫あるいは批判家〔という固定的な専門家〕になることなく、私の 気のおもむくままにそうすることができるようになるのである。」 (廣松渉版 ドイツイデオロギー邦訳テキスト篇p.34) https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/17054/2/010081091.pdf 経済学の効用は、ゲーム理論の利得同様、 人間の心理とは何の関係もない純粋に数学的モデル。 満足度という言い方は混乱を招く。 どっちみち人間という動物の心理が形成された過程の進化も経済とおんなじゲーム理論で そのプレイ主体が遺伝子として解析されるに決まり切ってるので ゲーム理論帝国主義は揺らぎがない。 ネオ・ダーウィニスト理論(主として自然淘汰)は宇宙の原理だからね。 (経済学史家ブローグによると)ジェボンズはフロイトとも親交のあったフェーヒナーから限界効用のアイデアを得た。 ヴェーバー‐フェヒナーの法則(ヴェーバー‐フェヒナーのほうそく、英: Weber–Fechner law)とは、感覚に関する 精神物理学の基本法則で、中等度の刺激について五感のすべてに近似を与えることが知られている。wikiより 「…フェヒナーの法則と呼ばれることも多いが、ヴェーバーの法則から導出したことからヴェーバー・フェヒナーの 法則とも呼ばれる。たとえば、100の刺激が倍に増加して200になるときの感覚量と、200の刺激が倍に増加して400に なるときの感覚量の変化は等しい。」 例:(逆に同じ数だけ増えても110から120増えた人より10から20に増えた人の方が多くなったと感じる。) 10 110 _______________ _______________ | | | ・・・・・・・・・・・| | | | ・・・・・・・・ ・・ | | ・・ | |・・・・・ ・・・・・ | | | |・・・・・・・・・・ | | ・ | |・・・・・・・・・・ | | ・ ・ | | ・ ・・・・・・・・ | | | |・・・・・・・・・・ | | ・ ・ | |・・・・・・・・・・ | | ・ ・ | | ・・・・・・・・・・ | | ・ | | ・・・・・・・・・・| | | |・・・・・・・ ・・・| |_______________| |_______________| ↓ ↓ 20 120 _______________ _______________ | | | ・・・・・・・・・・・・| | ・ | | ・・・・・・・・ ・・ | | ・・ | |・・・・・ ・・・・・ | | ・ ・ ・ | |・・・・・・・・・・ ・ | | ・ | |・・・・・・・・・・ ・ | | ・ ・ ・ | | ・ ・・・・・・・・・ | | ・ | |・・・・・・・・・・ ・ | | ・ ・ ・ | |・・・・・・・・・・ ・ | | ・ ・ | | ・・・・・・・・・・・ | | ・ ・ ・ | | ・ ・・・・・・・・・・| | ・ | |・・・・・・・ ・・・・・| |_______________| |_______________| 左右同じ数だけ増えていても左の方が多くなったと感じる。 https://en.m.wikipedia.org/wiki/Weber%E2%80%93Fechner_law https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Weber-Fechner_law_demo_-_dots.png An illustration of the Weber–Fechner law. >>71 企業、家庭、個人、生物個体のすべてがゲーム理論なんて知らなくても 暗黙理のうちに、その脳や遺伝子にゲーム理論を組み込んでいて ゲーム理論がするのと同じ計算を行って意思決定や行動決定をしていると? そういう仮説? あなた方は知らず知らずのうちにゲーム理論の習熟者であると。 しかしそうは思えないなあ。 むしろ経済学は生物に内在する意思決定法則やら行動法則を見いだそうとしているよりも、 もっと違うことをやっている。 どちらかというと神の意思決定の法則を説いているように思える。 つまり、神ならこうする。人間もそうすべきだと。経済学は科学というよりは規範理論として機能している。 要するに、経済学のモデルが現実と一致しないことがあっても それは経済学のモデルに誤りが含まれるからではなく、 現実の人間や人間社会が愚かなためだ、 すべての個人、経済主体は、経済学の理論を学んで経済学のモデルのように意思決定をすべきだ、 そうすれば万事うまくいく、と。 経済学は自然科学というよりは一種の規範工学であり、経済学のモデルが真であるのは 経済学を身につけた経済主体がそのとおりに意思決定をし、行動するべきだからだ、と。 このことはどういう帰結をもたらすだろうか。 そう。そのとおり。 経済学の理論を組み込んだ人工知能にすべての経済上の意思決定を任せることだ。 そうすることによって市場は完全に機能するようになる、というモデルだ。 人工知能は人間主体のように愚かではない。言い換えれば神により近い。 これは計画経済の構想に近い。 新古典派の理論が一周回って計画経済派になってしまうというのは皮肉なことだ。 言うほど大したこと考えてないやつほど利口ぶって「心の闇」とか変な歪な定義をひねくり出して闇雲にブラックボックスで手品のタネ隠蔽したがるってだけの話だ。 我の肥大したバカの自己肯定感を満たすために学術があるわけではない。 市場と経済学は矛盾する。 100%市場に任せておけば良いなら経済学が活躍する機会はこの世になかった。 誰もが経済学を学ばなくても、すでに本能的に経済学を組み込んでいる。 経済学者に助言をもらう必要もない。 経済決定主体の全てが経済学の理論通りに動くはずだからだ。 しかしそうなると経済学も不要の長物となってしまう。 それが経済学のジレンマだろう。 >>77 >これは計画経済の構想に近い。 近くない。 物流に関しては、かなり計画経済の理想形に近づいてきてるのは確かだがな。 コンビニはむろんアマゾンなどまさにそうだろ。とはいえ経済の「不確実性」を 象徴するセクターである設備投資や研究開発、商品の企画販促などはとても 計画経済化できる見通しがない >>80 それは全然違うよ。群衆があつまればガードマンによる誘導がなければ危険が生じる。 このばあいマクロ経済学はいかに効率的にガードマンを配置して機能させるかを論じる学問。 むろん群衆を意図的に混乱させ群衆事故をおこさせようとする悪意ある人物(通貨偽造や詐欺等) なども本来的には経済倫理のあつかう範疇。 資本主義は独占を生みやすい 企業にも官僚制はある ウェーバーやガルブレイズが指摘している >>84 他のどんな体制と比較して「独占を生みやすい」と言ってるのかな? 比較対象が無いと意味ないよ。 >>85 カレツキは国家計画経済と対比しているが 持株会社を認める社会とそうではない社会でも大きく違う 日本は戦後財閥解体されたが小泉時代に持株会社を認めて独占への道を開いた アメリカで独占禁止法が重要なのは資本主義が独占を生みやすいということを端的に示している 人は、なーぜっ!人は、なーぜっ!人は、なーぜっ!アイーヤ♪ アイーヤ♪アイーヤ♪ 「アイヤアイーヤの唄」 効用に基づかない経済学はある。 ⇒現代古典派経済学 出来ないこともないけど、プラスとマイナスだけでは表現しきれない価値観が多いというのもある。 効用の単純な足し算(基数性)を認めなくても、個人の効用についての単調増加関数f(u1,u2,...,un)として総効用を定義することはできる このとき、個人の効用が所得について限界効用逓減則を満たしていることに加え、ある条件を仮定すればピグーの第2命題(再分配による総効用増加)を導けることが知られている この条件はある程度直感的に妥当なものに変形可能だが、これについては経済学の範囲から外れるので割愛する >>90 私の仮定が真であるとするなら、 私の結論は真である。 >>90 限界効用逓減の法則はかなりきつい仮定。現代需要理論では 限界効用逓減の法則は不要だぜ。 ジェボンズはフロイトとも親交のあったフェーヒナーから(ジェニングズ経由で)限界効用(Marginal Utility)のアイデアを得た(邦訳新版ブローグ『経済理論の歴史』2:517頁参照)。 フェヒナーの主著1860より前の1859年にジェヴォンズは書簡でアイデアを述べているから、 フェヒナーの師のヴェーバー(1795~1878)の方に先に親しんでいた可能性はある。 ジェヴォンズがフェヒナーに言及するのはエッジワースの主著(1881)についての書評においてである。 ヴェーバー・フェヒナーの法則をグラフで表現すると…縦軸:心理量R、y=log2 (x)、横軸:物理量s https://www.slideshare.net/takehora/web-59093011 https://lh3.googleusercontent.com/-CzpCFtuB98I/XAx5qMtGNGI/AAAAAAABfV4/uUw6kXdksXMhJ7rva6ZmztB4KBxssG9AQCHMYCw/s640/blogger-image--1477458941.jpg 以下、wikiより … ヴェーバーの弟子であるグスタフ・フェヒナーは、ヴェーバーの法則の式(△R/R=constant)を 積分することにより、以下の対数法則を導き出した。 刺激量の強度R が変化する時、これに対応する感覚量E は E=C log R の関係となる。ここでC は定数である。つまり心理的な感覚量は、刺激の強度ではなく、 その対数に比例して知覚される。… たとえば、100の刺激が倍に増加して200になるときの感覚量と、200の刺激が倍に増加して400 になるときの感覚量の変化は等しい。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Weber-Fechner_law_demo_-_dots.png ちなみに統計学における中央値(メディアン)の発見もフェヒナーによる。 https://lh3.googleusercontent.com/-vGuansLgmj4/XAx5niPA9vI/AAAAAAABfV0/82WmNiAErhA3HcO4OuUhJkyvtFNM9kGWACHMYCw/s640/blogger-image-1658855557.jpg 黄金比を人々が好むと実験的に統計を取ったのもフェヒナー。 16 考える名無しさん[sage] 2021/10/28(木) 02:29:53.54 ID:0 以下、フロイト「自己を語る」Vより http://yamatake.chu.jp/01ana/14/post_4.html 《私は思弁のみに身を任せてしまったのではなく、逆に分析による資料を重視し、臨床的な技法的テーマを取り扱うことをやめなかった。私は哲学に近づくことは避け、大切な点ではフェヒナーに頼ることにしていた。》 以下、『夢判断』より http://yamatake.chu.jp/01ana/2ana_b/1.html 《E 夢の心理学的な諸特異性 フェヒナーは、夢の舞台は覚醒時の表象生活の舞台とは別物だと主張している。》 以下、『快感原則の彼岸』より 《しかし目標に向かう傾向は、つねに目標が達成されることを意味しない。そもそも目標は近似的に達成されるにすぎない》 (『自我論集』「快感原則の彼岸」p.118-p.120) フロイトが快楽原則の起源で引用したのは以下、 * Einige Ideen zur Schopfungs- und Entwickelungsgeschichte der Organismen (1873). Internet Archive (UMich) 『有機体の創造と発展の歴史のためのいくつかのアイデア』1873 参考 フェヒナーの法則は1860年『精神物理学原論』より先に1851年『ゼンド・アヴェスタ』に萌芽があった。 関連、岩渕輝論考: https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/17694/1/jinbunkagakukiyo_76_209.pdf (近著で岩渕はゼンドの神秘主義を強調しているが閾値の認識など数学的な記述部分を上のpdfでは引用している。 以下と同じ図を使用。) >https://lh3.googleusercontent.com/-CzpCFtuB98I/XAx5qMtGNGI/AAAAAAABfV4/uUw6kXdksXMhJ7rva6ZmztB4KBxssG9AQCHMYCw/s640/blogger-image--1477458941.jpg 総合的学際研究の時代の復活:「倫理学ノート」清水幾太郎 - 道端鈴成 https://blog.goo.ne.jp/suzu-nari/e/bdce1eaaafaea2a42d0605019c3493dd … 新古典派の経済学は、労働価値説を越えて需要供給の観点から価値をとらえることを可能にする限界革命を 経て成立した。メンガーやジェヴォンズが導入した限界効用(Marginal Utility)の考えは、当時の心理学に おける精神物理学を参照したものだった。限界効用逓減の法則などは、感覚量に関するウェーバー・フェヒナーの 法則と同型の内容となっている。エッジワースのように効用の測定に向けて心理学を援用しようとした経済学 者もいる。しかし、その後の経済学は、パレートなどの定式化にしたがい、心理量ではなく選択結果を参照し てなりたつようにモデル化を行うようになる。サミュエルソンなどが、この流れで新古典派の経済学を数学的に モデル化していく。合理的な選択を前提とした数学的モデルによる専門化した経済学の誕生である。この方向が 20世紀の経済学の主流となる。こうした流れに変化のきざしが生じたのは、20世紀の終わりになってからである。 行動経済学では、実際の人間の選択を心理学的な理論を参照に実験的に研究を試み、神経経済学など神経科学と 経済行動との関連も研究のテーマとなった。19世紀末に試みられた心理学との関連づけが、20世紀の専門化の 時代をはさんで、20世紀末から21世紀になって再びより本格的に探求されるようになったのである。(この間の 事情については、例えば次の論文が分かりやすい。THE ROAD NOT TAKEN: HOW PSYCHOLOGY WAS REMOVED FROM ECONOMICS, AND HOW IT MIGHT BE BROUGHT BACK, Luigino Bruni and Robert Sugden, The Economic Journal,2007, 117, 146-173.)また、経済学者が効用という扱いやすい概念だけを 数学的定式化にのりやすいようにして拝借した功利主義者が問題とした幸福などという問題も経済学の本流に 復帰しつつある(例えば、"Economics and Happiness: Framing the Analysis"などを参照。)。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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