マルクス経済学 第5章
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◇前スレ マルクス経済学 第4章 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/economics/1521623540/ ◇資本論の主な翻訳 岡崎次郎訳『資本論』(大月書店、1972年) 資本論翻訳委員会訳『資本論』(新日本出版社、1982年) ※分担訳 中山元訳『資本論』(日経BP、2011年) ※第1部のみを訳出したもの 今村仁司ら訳『資本論』(筑摩書房、2005年) ※第1部のみを訳出したもの なお、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫、1969年)がよく読まれているが、これは上述した岡崎次郎が翻訳したものを、向坂逸郎の名で出版したもの。 マルクス経済学 - 新・金融経済まとめwiki - アットウィキ https://www65.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/75.html マルクス・左翼リンク - 新・金融経済まとめwiki - アットウィキ https://www65.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/76.html >>176 むしろ教条主義こそを再評価すべき。 修正資本主義や修正社会主義は所詮は過渡期、 技術や生産力のある段階に有効だっただけ。 ラッダイド運動というのはマルクス経済学にいわせれば資本制のジレンマ。 資本制が労働者階級に課したものにすぎない。 資本制の中でこそ労働者階級はラッダイド運動に追い詰められてしまう。 しかし ラッダイト運動をすることによって労働者階級は 自ら資本制を延命させることになるともいえる。 だからジレンマなんだよ。 【怪しいお米?】 米米CLUBが福岡公演中止 カールスモーキー石井が前日から体調不良 病院で検査 http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1547953440/l50 放射能無関心さんたちのせいでまた犠牲者が ブルジョアジーは徐々に労働者階級に投資するインセンティブを持たなくなってきている。 労働者階級の利用価値を見出さなくなってきている。 人口構成比動態によって多少それが見えなくなっていることが幸いかそうでないか。 もちろんマルクスが経済学だけに傾注していたのではないことは周知のことである むしろ哲学者としてまた社会運動家として その世界の土台としての経済を研究したのであることは言うマテもない。 彼にとって彼の経済学的業績は 正しく哲学にそして何よりも社会運動に還元されることが大切なのであり、 学問として祭り上げられることは望んでもいないのである。 もちろんマルクス掲載額自体 実在世界との相関で研究開発発展すべきものであることは言うまでもない。 マルクスの一言半句を祭り上げる 教条主義者や 坊主主義者は 正しくマルクス経済学の敵である。 もちろんマルクスが経済学だけに傾注していたのではないことは周知のことである むしろ哲学者としてまた社会運動家として その世界の土台としての経済を研究したのであることは言うマテもない。 彼にとって彼の経済学的業績は 正しく哲学にそして何よりも社会運動に還元されることが大切なのであり、 学問として祭り上げられることは望んでもいないのである。 もちろんマルクス掲載額自体 実在世界との相関で研究開発発展すべきものであることは言うまでもない。 マルクスの一言半句を祭り上げる 教条主義者や 坊主主義者は 正しくマルクス経済学の敵である。 正しくマルクスこそ 実在の中で理論を構築し 実在の中で検証したのですね 勿論だからこそ マルクス経済学そのものは 実在世界の中でこそ学習理解すべきことであることは言うまでもありません そしてそれは働く人々のためのものであり、学者の生活費のためのものではないという事ですね もちろんマルクス自身が哲学と出会ったという事でもあり そのもとに社会運動をして その到達点として経済の研究 社会の仕組みとその土台としての経済を研究したのですね 勿論方法論においては 唯物弁証法の下にあったのですね 哲学さえ語らず、また哲学的骨子を持たない マルクス径経済学はないのですね もちろんマルクスがマルクス経済学なる学問を好んでいるわけではないことは当然です むしろマルクスは彼の学説を実在的に発展転化させることこそ望んでいるのですね つまりはマルクスは実践的に理解することを求めているのです マルクスは学者のためにその理論を構築したのではなく 戦う労働者とその仲間のために研究し構築したのです つまりはマルクスの視点は学問としてではなく 共産党宣言の実現をこそ目指しているものだという事です またその経済学的道具としての資本論などの著述です 哲学ではなく虚栄心の塊だろ わざわざ難解で荘厳な言い回しや いろんな書籍の引用 などで博学なことをひけらかしているが 実際の内容はみんなが漠然と思っていることを文章にしただけ マルクスが大事業をしたみたいな印象を受けるように書いているだけ >>194 >わざわざ難解で荘厳な言い回しや そりゃ翻訳の問題だろwwwwwwwwwww そういう雰囲気が嫌なら資本論は仏語版で読め。 >>194 ほんまほんま。 >>195 ドイツ語やろ。 つか、ソーカル事件よりこっち世界中の論文は急速に衒学趣味を廃止することに なったけれども昔の学術文書って衒学的なものばかりで大半が読むに耐えない ものばっかだったものな。あれキリスト教学の悪いところやで。多弁なわりに 大した事いってないというのが非常に多い。戦争と平和の法原文で読んだときに 痛感した。 やたら数式を使ってあるのも衒学趣味の一種だよ。 経済学における数式の濫用を森嶋さんや置塩さんや 最近ではポール・ローマさんらがmathinessとか言って嘆いていた。 >>196 平田清明先生はフランス語版をもとに「コメンタール資本」を書き。 伊藤茂元運輸相はゼミで大内力先生の指導のもとフランス語版を読んだという。 むろん日常的な「私有財産」はそれなりにいつまでも残るだろうけど 資産をツボの中に隠して子孫に伝えるなどという貨幣時代の私有財産がなくなっていくことは言うまでもない それでも宝石や貴金属はそれなりに残るだろうけど、それをそのままの価値で通用させることはできなくなる 価値そして財産は国そして社会が管理する時代へと向かっている >>200 でもマルクスの修正が入ってるのってフランス語版の資本論1巻だけだろ? 他の巻はマルクスの死後出版されたんだし べつに聖書じゃあるまいし、原文がドイツ語だろうがフランス訳だろうが日本語訳だろうが 用語のニュアンスが変わるだけで解釈がちがってくるほうがおかしーだろ。何様だっつのw 大月書店の全5冊の資本論を読んだあとに、 中山元さんが訳した日経BP社の資本論を読むと、 すいすい読めるとか、資本論ってこんなにわかりやすかったんだとか、 そういうのはたしかにある。 こんな訳し方もあるのかあって思った。 フランス語版かドイツ語版を参照しているのかな? そう思わせるような訳し方もあった。 マルクス自身の手によるフランス語版は特に後半が読みやすくなっている (マルクスによるさらなる改訂版がその後出なかったので) 決定版と言ってもいい ただしプルードンの名は綺麗に削除されている 確かにソ連の場合と同じく 現在の中国でも 知的意識的観念的価値のとらえ方に問題があるのです 一般的には知的財産権のとらえ方として表れています そして知的労働と肉体労働の同一化などと論じる人もいたわけです 勿論肉体労働を価値あるものとするためにも 知的精神的意識的観念的労働が必要であることは言うまでもありません 肉体的労働力の行使も そのような意識に基づいてこそ価値あるものとなります 誤った意識で作ったものには価値に欠落があるのです 今日では負の価値さえ創り出しているのです マルクスが将来飽和かもしれないから有名無名の経済学者のスレッドが 乱立する方がいいんじゃないの?リスク管理。 労働から富が出るわけじゃなくてあくまで素材や材質が富を中心に稼ぎ、分け前を 少なくもらう方がいいはず。 確かに古典経済学は 物的価値がその経済を占めていた時代のものです もちろん現代は物的価値とともに知的価値も その経済の翁役割を担っています マルクスの経典こそ批判的摂取できてないと現代を生きる我々として同時代人ですらなれてない。 マルクスは経済学にも向いてないかもな。神話詩学などのカテゴリーがいいんじゃないか? 確かに未来がパラダイスならいいが そのような確定した未来などはないのですね どのようになるのかは まさしくこれからのことです 現代のそして未来の人々が創り出すものです 勿論パラダイスは青い鳥ですが それは未来ではなく現在のわれわれです 生きていることこそが パラダイスです 経済などは添え物にすぎません どのようであれそれはそれでよいのです。そしていかようにもという事です 家計資産、2976兆円 17年末、6年連続で増加 内閣府が28日発表した国民経済計算によると、一般家庭や自営業などを合わせた家 計の資産残高は2017年末時点で前年比3.7%増の2976兆6千億円と、6年連続で増加し た。株価や土地価格の上昇が押し上げ、現行基準の1994年以降で過去最高を記録。 土地・漁場と固定資産・在庫を合わせた非金融資産は1.5%増で、金融資産は5.1% 増だった。資産から負債を差し引いた正味資産は4.0%増の2662兆5千億円となり、6 年連続で増えた。 家計に政府や法人、金融機関などを加えた国全体の資産から負債を差し引いた「国 富」は、1.5%増の3383兆7千億円と2年連続で増加した。 久しぶりに覗いてみたらキチガイばっかりになってる… キヨサキくん、早くネットワークビジネスなんてやめて戻って来てくれ!! 当たり前のことだが 特にマルクスの場合は 哲学的に、そして社会運動の成果として 経済学に取り組み 資本論へと完成を目指したのです 勿論 深遠で高貴な理論としてではなく 戦う労働者、社会運動の理論として その学問的武器としてなしたのです だからこそ資本主義の支配者たちは 自らの弱点ともいうべきものを指摘した「資本論」を学び、その対策に余念がないのです。 資本家は完全AI・ロボット化の世界になれば資本主義は崩壊するからラッダイド運動を起こす。 >>226 それがかの有名な「置塩の定理」ってやつかな。 資本家は生産手段を私有化しているから破壊する前にそれを未然に防いで 投資選択をするってことだから、それを「未然ラッダイド運動」と名付けてみよう。 投資してて「株」が一番稼げてますが銘柄が多すぎる NOTE見てたらアマゲンさんの銘柄が良かったので今もそれ利用してる 労働者がもし資本を所有していたら、機械を破壊する必要はない。 資本家のようにそもそも機械に投資しないか、 それでなければ、労働時間の短縮(週休5日制とか)を実現するだろう。 はたまたベーシックインカムを実現するかもしれない。 >>230 日本人は金払いたがらないから無理だろう。 確かに物的価値をもたらすのを労働力とするのですが 知的価値となると 労働力という範囲に押しとどめてはいけないのです とりわけ量的労働力で知的価値を図ることはできないのです >>234 派遣業者は総労働者失業になるとおまんま食い上げだから技術革新を阻害。 勿論それなりのことは解っているのだろうが それでもなお 価値の重心を物的価値に置いているのである これは知的労働をその価値の源泉とするという観点があいまいな「マルクス経済学」を用いているから手ある もちろんマルクス自身は当時としての価値観を述べただけであり 今日的に 知的価値・意識的価値などが多くを占める経済を語ってはいないのです にもかかわらず過去の経済的成果をそのまま用いようとする教条主義・機械主義・坊主主義の者たちが中国では支配的だという事です マルクス自身そのようなマルクスの成果を用いられることは拒否するのです 彼は彼の成果を弁証法的に発展転化させることこそ求めているのです サンマルクズってラグビーチーム ノータッチの ランゲーム パスゲーム 中心に経済応援しようかな。 商品を選ぶとき製作者や栽培者連のルックスや能力趣味やあらゆる情報が今にも後にも先んじてわかればいいのに。 >>235 派遣業者がどういう権力をもって技術革新を阻害できるんでしょう? 消費者としてボイコットするしかない 残念ながら労働の場での変革には時間がかかる もちろんマルクス自身は後世の「学者」なるものの飯のタネとして 租の学説を構築したのではないのです 労働者階級と人々の未来のための戦いの武器としてその理論を構築したのです 戦わず思弁としてその理論を振りかざす輩を「女学生」と揶揄したのはゴーリキィでした ヘーゲル額とそして弁証法に基づくマルクスは 前提としての資本主義に対する アンチテーゼとしてその理論を構築したのであり マルクスらが目指す更なる高みとしての経済学を目指したのですね つまりは止揚ということですね その為のアンチテーゼとしてのマルクス経済学なのですね 勿論それをそのまま使って経済社会構造体なるものを目指したとしたなら破たんするのですね 20世紀社会主義がまさにその実例です 要はマルクは経済学の更なるアンチテーゼとしての経済社会共同体を目指さねばならないという事です 子のアンチテーゼこそがマルクス経済学の神髄であり、マルクスの求めるところだという事ですね ソ連のネップや中国の改革開放、そしてベトナムのドイモイなどは、目指すところかもしれませんね 技術革新により資本主義から社会主義の移行はマルクス型よりシュンペーター型により達成される。 マルクスは反省から誤謬を正すときに経験差がなくごまかしが多いな。反省して 間違いは間違いと認める失敗自覚型の経済学者を生もう。 マルクスは当然のこととして 資本主義を否定しそしてそれがさらに否定されることによって新たな発展をもたらすという事を理念として持っていたのです 無論それを止揚というのです 弁証法に関してもやはりプルードンの以下の指摘が決定的だ。 「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。 アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスを とる」 (プルードン『革命と教会における正義』未邦訳、斉藤悦則氏のHPより) http://www.kagomma.net/saito/works.html 矛盾と生きる――プルードンの社会主義(91.10) http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html De la justice dans la Revolution et dans l’Eglise - Tome I 1858 この言葉はベンヤミン『パサージュ論』(岩波現代文庫第4巻391頁)にも孫引きされている。 ベンヤミンが参照したのは、 CUVILLIER, Armand "Marx et Proudhon" in A la Lumiere du marxisme, obra colectiva (Tomo II), Paris, Editions sociales interna¬tionales, 1937, 240 p. ヘーゲルの欠点、つまり弁証法への過信をマルクスも受け継いでしまった… ポール・ミルグロム『組織の経済学』#9.2-邦訳341頁にプルードンに関する記述。 《私有財産の倫理学 …19世紀の社会主義者プルードン(P.J.Proudhon)は端的に「財産は盗品だ」と 言った。今日でもこの見解は広く受容されている。…》 マルクスは上のプルードンの言葉に反発して再生産表式を編み出して行った。 ただしあくまでもプルードンからの書簡にあったプログラムに則って ヘーゲルとか言い出してる時点で胡散臭いんだよな。 どっちかと言えば法哲学のひとだろヘーゲルって。 知ってる言葉適当に並べただけじゃんw マルクス「資本論」は失敗した草稿を死後に友人が遺稿として発表したもので それは失敗作だった、これでいいんだよ。そうではなく、19世紀に進展した 歴史法学、古典派経済学、進化論、および還元主義(機械的世界観=唯物論)で 読み解けばよいだけで、マルクスをみるのではなく、マルクスが見ていたものを 丁寧に見て行けば、けっきょくこのヤカマシイおっさんが何が言いたかったかが 読み取れるということだろ。そしてその読み解いてる人物はまちがいなく マルクスよりも優秀な人物なんだよ(/・ω・)/ サルトルは弁証法を信じていたから正確なプルードン評価は出来ていないが、大筋の状況論として正しい。 「マルキシスムもまた競争相手の理論を吸収し、消化して、開かれたままでいなければならなかったにちが いない。ところが人も知るように実際につくり出されたのは、百の理論の代りに二つの革命的イデオロジー にすぎなかった。ブルードン主義者は、一八七〇年以前の労働者インターナショナルでは多数を占めていた が、パリ・コンミューンの失敗によっておしつぶされた。マルキシスムは敵対者に打勝ったが、その勝利 は、マルキシスムがのり越えながらそのなかに含んでいたヘーゲル的否定の力によるものではなく、純粋に 単純に二律背反の一方の項を押えた外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルキシスムにとって どういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠けたときに、マルキ シスムは生命を失った。もしマルキシスムが最もよい状態にあり、絶えず戦い、征服するために自己を変革 し、敵の武器を奪って己れのものにしていたとすれば、それは精神そのものとなっていたであろう。しか し、作家貴族がマルキシスムから千里もはなれたところで抽象的な精神性の番人になっている間に、マルキ シスムは教会になったのである。」 サルトル『文学とは何か』第三章「誰ために書くか」(『シチュアシオン2』人文書院p141.加藤周一訳)より 「「根本的な改革」から「決定的な改革」へ ―カレツキにおける史的唯物論」山本英司 2001 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/45393/1/10167104.pdf 《「計量経済学モデルと史的唯物論とは,社会の発展にたいするふたつの相異なるアプローチをなす。 前者は,考察される期間における計量経済学的変数相互の,およびこれらの変数と過去の諸期間にお ける同一変数のあいだの関数関係を基礎としている。この関係は所与であり,また変化しないものと 仮定される。かくして,特定の動態過程が措定されるが,それは,上記の関数関係の不変性という基本 的な仮定が満足される場合にのみ現実の発展に対応する。 史的唯物論は,社会の発展過程をすべての他の社会現象,たとえば政府,文化,科学,技術など(上部 構造)をかたちづくる生産力と生産関係(土台)のそれとして考える。ここには上部構造もまた土台 に影響をおよぼすというフィードバック効果が包合されている」(Kalecki[1965],邦訳*154ページ)。》 結局カレツキは経済に自足する計量経済学と土台から上部構造への一方的な影響関係を強調した史的 唯物論の両方を批判している。 《マルクスの再生産表式は、結局のところ、単純な計量経済学モデルにほかならない。》 自然資源、生産関係、上部構造の影響を受けるので関数fは安定していない。だから、 Bt=f(Bt,Bt-1, ……,Bt-r) (1) ではなく[Btはひとつのベクトル] Bt=ft(Bt,Bt-1, ……,Bt-r) (2) 関数fが安定しているときのみ上の式(1)が当てはまる。関数f自体が変化することを下の式(2)(=一般化された 計量経済学モデル)は表す。 カレツキが史的唯物論を「上部構造もまた土台に影響をおよぼすというフィードバック効果」と再定義したことは今も新鮮だ。 マルクスを再評価するとしたらカレツキ経由以外あり得ない 少しでもマルクスのことを知ったものならば マルクス経済「学者」なるものが 如何にマルクスの成果を冒涜しているのかと考えるのです マルクスは経済学者の飯のタネのために その「学説」を構築したのではないのです むしろ「学者」なる者たちのお利口な思弁に対して 労働者をはじめとする圧倒的な人々が 戦い勝利する道具としてその資本主義に対するアンチテーゼを構築くしたのです レーニンはマルクス学者としての高名なプレハーノフと戦い マルクスの革命の教条をもてあそぶトロツキーを放逐したのです そして新たな展開としてネップを試みたのでした 勿論その途上での彼の死でした 我々はマルクスの資本主義に対するアンチテーゼとともに そこにとどまるのではなく さらなる新たな展開を求めそれを人々に提示する責任があるのです 否定の否定を通じてさらなる発展こそ マルクスの求めるところです マルクスはただの失敗した革命家で、キリストはただのお話し好きのおっさん。 それでいいだろ。まわりが神格化しすぎなんだよ。 【30日、東海村で放射能漏れ事故】 鼻から出血ツイート多いな、こんな症状出てもまだ気がつかないのか http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1549162998/l50 インフルエンザの特効薬は、原発の全廃だけ! 確かにプレハーノフはマルクスに忠実だったのです それに反してマルクスをロシア的に「改竄」したのがレーニンです 確かにマルクスは革命はドイツイギリスなど先進資本主義国から起こるとしたのですが レーニンはロシアにおいて起こしたのです そしてネップなる「反社会主義」経済政策を導入しようとしたのです 大切なのは理論やそれに基づく教条ではないのです 人々のために何が必要なのかという事です その為に理論や教条は利用すべき道具ではあっても その理論や教条に現実を縛りつけるのは誤りです まして現実を理論・教条で評価すべきではないのです 特にマルクスの唯物弁証法は、理論教条が現実の中で発展変化することを求めているのです 教室的に言うならば マルクスの理論教条を解釈したにとどまるのでは、赤点です マルクスの理論教条を現実の中で発展転化して理解してこそそれなりの評価があるのです マルクスはイギリスを中心とした西欧の歴史に限定して資本論を書いたようだ。 だからロシアや中国で何が起こるかまでを彼は予測しなかった。 プレハーノフはマルクスよりも一歩踏み込み、 マルクスがイギリスを基準にして考えた限定モデルを ロシアにも歴史の段階論を使って適用できると考えたのかもしれない。 つまり、ロシアも西欧と同じ道を歩むことになるが、ロシアはまだ後進的なだけだというわけ。 それに反論したのがロシアのナロードニキの論客だったようだね。 当時のロシアの時代的現実をそのまま民衆革命の必要性に結びつけたのがナロードニキだった。 プレハーノフをはじめとしたメンシェヴィキはロシア革命はブルジョア革命であるはずだと考えていた。 ロシアに必要なのはまず資本主義化であってブルジョア社会だというわけ。 ところがレーニンやトロツキーらのボリシェヴィキ側の言い分からすれば ロシア革命の現実はそのモデルからはずれていた。 ロシアの革命はマルクスが西欧においてモデル化したのとは違うものに動かされていた。 プレハーノフが考えたのが西欧を基準にしたマルクスの教条的モデルだとすれば ボリシェヴィキはロシアに見合ったモデルを使った。 それはナロードニキとマルキストの妥協の産物とでも呼べるものだろうか? プレハーノフは早産の社会主義革命は専制国家的なものになってしまうと警告したが、 その予想どおりになってしまった。 ネップは国家資本主義とレーニンが呼んだように、中国の走資派路線に近いのでは? それがうまくいかなかったのはなぜだろう。中国ではそれが経済的には成功したようだが。 マルクスの社会進化論によればロシアや中国、中南米やアフリカみたいな 発展途上国で社会主義革命が起きるというのが説明できないものな。 けっきょく所得と資本の再分配とか資本家との交渉(闘争)モデルとか 都合のよいところだけ評価してる感じになるんよね。で、これはべつに マルクスが世界で初めて新規に提案した社会運動でもなんでもない。 当然マルクスは資本主義に対してのアンチテーゼとしてその経済学の研究をしたのであり、 だからこそ彼の学説なるものが新たな経済社会構造体にそのままなりえないことは言うまでもないのです。 むしろさらにそれを否定止揚してこそ マルクス理論の発展となり、 新たな経済社会構造体を展望できるのです 神経内科の収益震災募金にしようよ。日経じゃないけど。 >>262 説明できないわけじゃない。 そういうところで起きる革命はマルクスとエンゲルスが考えた唯物論的条件を 満たさない革命であって共産革命やプロレタリア革命には経済的発展段階として 成り得ない、とだけはいえる。 そしてそのことはプレハーノフはもちろん、レーニンもトロツキーもスターリンでさえ 認識していたということもどうやら事実だった。 イギリスの発展モデル、または西欧の発展モデルを他の諸国にそのまま当てはめられるとか、 当てはめるべきだとか、マルクスが必ずしも考えていなかったということ。 例えばロシアでは西欧とは別の経路で共産社会に向かう道があるのではないかというナロードニキの 考え方をマルクスはどうやら否定しなかったということ。 しかし当時のロシアのマルクス主義者たちはロシアで共産革命が起きる唯物論的条件が整っていないと 考えていたということ。そしてそのことはどうやらトロツキーはもちろん、レーニンもスターリンでさえ 認識していたということ。トロツキーの永続革命論ではその問題が論じられていたはず。 ホテルのベッド病院もそんなのに適合する民族なんて 幻想だよね。ライトも建築もマスのインフラでおかしいよな。旅館民泊押し。 好事故魔多し。 喫茶店もバリアフリーにしてアンティークのユニヴェルソー障碍者用の食品タバコオン。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる