第4節は、代替的経済学を構築する上での注意点である。

@強くかつ正直に自己批判的であること
A問題にかなった方法を採用し、好き嫌いをしないこと
B方法論的にアグレッシブであること
C問題設定を明確にし、それらを一貫した枠組みで捉えること
Dわれわれは生き延びなければならない。

それぞれの項目には、詳しい解説があるので参考にしてほしい。DはFoleyの
実人生からの教訓だ。代替的な経済学を構築するには、アカデミーの中で
生き延びなければならない。そのためにどう行動すべきか。それが次の第5節の
主題だが、省略する。院生としては一番気になるところだろう。

第6節は、主流の経済学の弱点と傾向を語っている。これも5点あるが、さすがに
30年後の今日から見ると、やや楽観的すぎる観測や外れた見通しがある。

たとえば、Cでは計量経済学の発展によって方法論的に疑わしい方法は棄却され
やすくなってきたと指摘しているが、DSGEやcalibrationの横行のような事態は
想像できなかったのだろう。AでPaul Romerの内生的成長理論に期待している向き
があるが、これは正しい判断だったのだろうか。こうしたいくらか留保すべき点が
あるものの、主流の経済学に違和感をもつ経済学者が考えるべきこととして、この
講話内容は日本でも十分熟読に値する。

いや、ひょっとすると日本でこそ、読むべき内容かもしれない。というのも、日本の
マルクス経済学は、いいかげんに体制化していたためか、方法論的にアグレッシブ
ではなく、方法論的にきわめて保守的でむしろ既存の狭い枠に閉じこもってきた感
じがある。

たとえば、日本ではマルクス派は、スラッファ派やケインズ派と僅かの観点の違い
を巡って対立してきたが、主流の経済学に対抗し、代替的理論を構築するという努力
において欠けていたと思う。第1節の「"主流派"経済学のヘゲモニー」では、Foleyは
知的ヘゲモニーは、政治的なイデオロギーよりも、方法面で経済学を支配していると
指摘し、その一例として一般均衡という枠組みを挙げてある。

考えてみれば、明示的に一般均衡を標榜しなかっただけで、多くのマルクス経済学者は
実質的には一般均衡の枠組みで経済を理解しようとしてきたとも言える。これはアメリカのような厳しい抑圧の中で耐え抜いたFoleyだからこその明察とも言える。