上で異端派と訳されているHeterodoxは、hereticsという意味の異端派ではなく、この概念の
提唱者の一人のFredric S. Leeの定義によれば、正統派経済学の基礎に疑問をもつ諸学派
の総称であり、「多元派」とでも言うべき意味に使われている。異論派のdissidentは、反対派
というほどの意味。良く「反体制派」などと訳されるが、現在の経済体制へ反対という意味で
はない。

この3つのうち、(1)は経済学は現在のままで十分だし、その状態はよい(The state of economics
is good)と考える人たちで、「主流派」「正統派」と呼ばれるように勢力的には圧倒的多数派を
占めている。そればかりでなく、アメリカの大学制度の中では、そこから食み出すような異論派
は、専門雑誌への論文発表も大学教員のポストも、ほとんど不可能な状況になっている。そう
いう事情に無頓着な人間がアメリカに行って学位を取ってくると必然的に主流派保守派となる
わけで、日本でもこの手の経済学者が増えている。ただし、主流経済学正統派マクロも一枚岩
ではなく、大きくは新しい古典派(New Classical)とニューケインジアン(NK)に分かれている。

これに対して、経済学の現状に問題を感じているのが異論派と異端派だ。異端派はマルクス
経済学のほか、ポストケインジアン(PK)、オーストリアン、進化経済学などに分かれており、
PKはさらにファンダメンタリスト、カレツキー派、ミンスキー派、スラッファ派などに分かれて
いる。

3つのうち、俺が一番注目しているのは、(2)の主流派の中の異論派だ。この中には、かつて
は主流派経済学の中で活躍、それをリードしてきてノーベル経済学賞をもらったような人が
何人もいる。その典型がアローとスティグリッツだ。ポール・ローマーも最近はその中に入っ
たようだ。クルーグマンを異論派に数える人もいるが、最近はむしろ正統派に近いと見る人
もいる。もともとから異論派に属すると思われる人もいる。ハーバート・サイモンとか、ダニエ
ル・カーネマン、ロバート・シラーなどだ。2008年の世界的金融危機で経済学への危機意
識が再発したが、そういう危機意識をもつ人たちは当然ながら異論派になっている。青木
昌彦も、この異論派の一人と見ることができる。

異論派と異端派の境界は難しいが、異端派は最初から彼らの依拠する経済学体系を持っ
ている。しかし、PKに典型的に見るように、彼らは方法論的にはいろいろいうが、具体的な
理論構築能力では主流派に大分劣ることは否めない。塩沢は、異端派の一人だが、既存
の学派に満足せず、新しい体系を模索しつつある点で、異論派の中の理論的保守派とは
際立った違いを見せている。ただし、こうした違いは日本の中で目立つだけで、世界的に
見れば新理論構築の模索は幅広く行なわれていると思われる。それらがあまり我々の眼
に届かないことが問題だろう。

一般均衡が空論か否かが議論になっているが、その支持派が多数派であることは確かだ。
しかし、学問は多数決で決めるものではなく、その議論の説得力ではないだろうか。その意
味で、>>123 の「それ普通に経済学で使われてますよ。」というのは、論点すり替えに過ぎな
い。「普通に使われている経済学」が問題になっているのだから。